信楽焼の器は重くて荒くてちょっと、と思っていませんか。くりの器は軽くて丈夫。飽きの来ない色合い、信楽焼らしい温かみをそこなわずに使い勝手を考えています。
2009-01 の記事

シュールストレンミング

スェーデンの冬を思わせる鉛色の雲に覆われた土曜日の午後、クレイスタジオくりには三々五々やや不安げな面持ちの人々が集まってきた。
待ち受ける出来事が想像の範囲を超えているという事実が、人々をどう振舞うべきか迷わせているよう。
3PM、集まった人々にホストはくじを示した。
役割を分担する。確率は4分の1。
なんと男性3人がその任務を遂行することとなった。神のご加護は女性たちを救い賜うた。
缶開け、くり。解体、Y。洗浄、N。
幸い冷蔵保存のためガスは缶を膨張させるほどには充満しておらず、刃を差し込んだ瞬間も液体が四方に飛び散るという惨事は免れた。
しかしその悪魔の液体は少なからずくりの指を濡らし、犯し、激しく匂った。
生臭く、どぶの臭いと、磯のにおいが入り混じり、缶をすべて開け切ると、それは堰を切ったように皆に襲いかかった。
ひるむ気持ちを奮い立たせ、Yはそれを皿へと移した。
白い皿に並ぶそれは意外なほど物静かなたたずまいで、とろりと肉の色と銀色の背を見せていた。

かぶりつくくり、臭さに歪む美女の顔、ことをなし終えた充実感と、余韻(余臭)に複雑な表情の集合写真。数名は写らず。
和菓子とコーヒーとS君の歌で締めくくり約一時間で解散。


Posted at 2009年01月31日 22時41分08秒  /  コメント( 0 )

志野

引き出物の一文字皿などを素焼きしました。
明日から釉掛けに入ります。

土曜の試食会は雨でもやりますからね。
どうも雨女が一人いるようです。

さて、昨日の画像、志野茶碗ですが、初めて好きになった焼きものです。
無造作に書かれた絵、無造作に掛けられた釉、白い釉を通してほのかににじむ緋色。
川端美学はこれを女性の口紅と重ね合わせました。
確かに色気を漂わせる焼きものです。
くりは試験場で信楽にいながら志野に興味を持ちこの焼成に挑みました。
伝統的な焼きものというのは地元ではごく普通にやればそれなりのものが作れるようです。
もちろんそこに作者の技量が加味され程度に差が出るのは当然ですが。
信楽にいて志野に挑むのは、いくら試験場にいて参考資料だあるといえども困難極まりないことでした。
なんといっても一番の壁はほのかな緋色の発色でした。
いくらやっても出ませんでした。
困り果てたくりにアドバイスをしていただいたのが高井先生でした。
本場へ行ってみて来い。向こうの先生に連絡しといたるわ。
くりは休日を利用して志野焼きの本場、土岐市陶磁器試験場を訪ねました。
職員の方に親切に案内までしていただき、くりは発見したのです。
冷却時間が圧倒的に長い。
これに尽きました。
という訳で、丸三日間寝ずの窯焚きと相成ったのです。
もちろん半日は会社で仕事をしました。
若かったのですね。
試験場の小さなガス炉からほのかな紅をさした志野のテストピースが出てきたときはほんと達成感にピースを握って涙ぐみました。
くりの焼き物遍歴は井戸茶碗へと移って行きました。

つづく。


Posted at 2009年01月30日 21時25分49秒  /  コメント( 0 )

缶詰

今度の土曜日はいよいよシュールストレンミングの試食会ですよ。
参加される皆さんは前の日は早めにお風呂に入って寝ましょう。
恐ろしい企画も用意して待っています。

さて、くりと焼きもの、今日は焼成についてです。
焼き物を焼くには昔は土で窯をこしらえ松の割木で焼いていました。
赤松が陶器を焼くのに最適であると経験的に理解し、陶土があって赤松の自生する地域に陶工たちは住み着いたのでしょう。
朝鮮からの渡来人たちは日本海を渡り、次第に土と燃料を求めて南下したようです。
くりの住む日野町にもいくつも須恵器の窯跡が残っています。
ところが不思議なことに信楽近辺には見当たらないのです。
くりの勉強不足かもしれませんが、渡来人と信楽が結びつかないのです。
話変わります。
試験場では電気炉とガス炉を利用しました。
初めてのガス炉の焼成はドキドキでした。
しかし慣れてくるとそれこそ焚きまくりました。
ひどいときは3日間寝ないで焚いたことがありました。(許される時代でした)
これには理由があります。

なんという焼きものか分りますか。
最初にあこがれたのがこの焼きものでした。
川端作品にも登場します。
明日はこれについて詳しく書きます。


Posted at 2009年01月29日 21時23分38秒  /  コメント( 0 )

ミニカード


ミニカードが届きました。
今回は10種類です。明かりが多め。

さて、テストピースに試験の釉薬をかけてゆく日が続きました。

これは乳鉢といって釉薬の調合に使用します。
実際試験場では機械式のものがあり一度に10種類以上が擂れます。
長石100対土灰から長石0対土灰100まで10単位刻みで調合し焼いてみると、まったく溶けない調合が出てきます。うまく溶けてくれた部分を実際釉薬として用いるわけです。
伝統釉などは結構シンプルなものが多く、その土地で採れる石と灰を混ぜ合わせたものがベースになっているようです。
信楽の場合は釉薬は使用せず、自然に燃料の松割り木の灰と粘土が反応してビ―ドロと呼ばれる釉薬になったのです。
緑がかっているのは微量の鉄分の影響です。
鉄や銅、マンガン、コバルト、など金属は色を付けるうえで重要な役割を担っています。
ベースになる釉薬に1パーセントから20パーセントくらい添加しその発色を見ます。
ややこしいお話ですが焼きものには重要なのです。
明日はもっとややこしい焼成についてのお話です。


Posted at 2009年01月28日 22時06分21秒  /  コメント( 0 )

テストピース

午後からわたむきの里で陶芸指導というか勝手に作陶教室。
ずいぶん続けていて皆さんそれぞれが個展を開けるくらいです。
夕方ひだまりへ行ってパプアニューギニア産の美味しいコーヒーを飲む。
ホンジュラス産のコーヒーもこれはおまけで頂く。
パの方は一口で言うとフルボディー。
ホは軽くマイルド。
夕方立て続けに3杯飲んで今夜が心配。(1杯はわたむきの里で)

さて、裏口から入った試験場。
思い出しました。開放試験室という制度でした。
高井先生が釉薬担当。
これが非常に魅力ある、度胸愛嬌知識統率力なんでもこいの先生でした。
最初にしなければならない作業はテストピース作り。
石膏型に試験体となる土を押し込みそれに釉薬を掛けるのです。
釉薬の概論を教えてもらいながらひたすらピース作りをやりました。

たぶん5000枚くらいは作ったと思います。
裏口卒業の時軽トラに一杯の台紙がありましたから。
入学の前の一年で少しは勉強しましたが、系統だった釉薬の勉強はここから始まりました。
具体的に書いて行きますので皆さんも自然と焼き物への造詣が深くなる、役立ちブログです。
そもそも釉薬とは何ぞや。
それはガラスの親戚です。
ではガラスとはなんですか。
???。
釉薬は無機物が高い温度で溶け合ってそれが冷却して固まったものです。
たぶんまだ分からないでしょう。
石の粉と木の灰を混ぜて水に溶くと釉薬になります。
代表的な石の粉は長石です。
長石もいろんな成分からできていますがそこまでの説明はしません。
ややこしくなってしまいますから。
それに木の灰を混ぜると溶けやすくなるのです。
その混ぜる割合を少しずつ変えて溶け具合や色の具合を見るのです。
これが初歩の初歩。
でもこれが現場では一番役に立ちます。
今日はここまで。


Posted at 2009年01月27日 20時58分59秒  /  コメント( 0 )

深皿

1号はボールの仕上げ、2号は深皿の仕込み。
昼前、京都のセネン・フントさん来店。園部でドッグカフェをされているお得意さん。
車には恐ろしくでっかい犬が2頭乗っていました。
腎臓と肝臓が悪く弱っているそうで気功の治療を受けたりしているそうです。(片方は元気)
午後からリコールの関係で思わぬお年玉が入り大津まで受け取りに行きました。
この時期非常にありがたい。

さて、信楽での焼き物修行もほぼ10カ月が経とうとした頃、社長さんから、試験場で勉強してみるかとのお話。
丸まる1年休んで通うにはお金が無い。
学費は要らないが生活費が無い。
それじゃあ裏口から入って半日づつでどうかということになり、裏口から入れてもらいました。
いえいえやましい行為ではないのです。
正規の入学でなく研修制度にそんな形がたまたま有ったのです。
本当は轆轤がやりたかったのですが、釉薬やっとく方がためになるでーというお言葉で、
2人の釉薬科の生徒さんと一緒に釉薬を勉強することになりました。
これがのちのくりにとってどれだけ役に立ったか測り知れません。
ありがとうございました社長さん。
これからしばらくは滋賀県立窯業試験場(旧名)でのくりの楽しく充実した1年間を紹介していきます。
この時代の画像がまったくと言って無い。ほんと無い。
カメラもなかったしそんな気もなかった。
前後ばらばら覚悟でその頃の作品を載せて味気なさを(ブログの)カバーします。

つづく。


Posted at 2009年01月26日 22時12分53秒  /  コメント( 0 )

カフェオレボウル

早朝(くりにとって)より綿向神社の掃除。
マイナス3度の川ざらえは最初きつかった。
長靴に穴があいていて水が入ってきた。
懸命にやっていたら体が温まり気持ちよかった。
昼前に信楽へ着いてそれからカフェオレボウル(にもなる)をいっぱい作りました。

楽しい柄にするつもりです。
日曜日というのにお客さんはパラパラ。
ボーズに近い夕方、スカパーのチャンネルを変えてみました。
とたんにお客さんが入りだし、売上も少し増えました。
こんなことは時々やっています。
あまり頻繁にやっても効き目はありません。

さて、信楽での下宿生活にも慣れやきものとはどんなものか、おおよその感じがつかめてきました。
信楽にはよい土がたくさんありそれを使って焼きものを作っているのですが、この土が何となくわかってきたのです。
普通の土とは違います。ぬるぬるでしかも形ががこわれずにつくれます。
粘土と普通の畑などの土。
わかっているようで説明できない。
小学生に、皆さん説明できますか。
また、どうして粘土が信楽でできたのでしょう。
これも分からないでしょう。
毎日勉強しながらこういった初歩を学びました。
下宿の部屋にはホームコタツとラジオと目覚ましとダブルベッド(もらいもの)。
キャベツばっかりかじってたわけではなくて、牛石のおばちゃんにコロッケのB品をもらいパン屋さんでパンの耳をもらい結構リッチな食生活でした。
日野へ帰るために電車では大変なので車を買いました。(買ってもらいました)

バモスホンダというRV車の走りみたいな車でした。
何のことはない軽トラのやねを取っただけの車でした。
雨が降ったら笠さし運転をしたりして楽しんでいました。
ちゃんと幌はあるのですが、脱着が面倒なので外したままでした。
確か26万円でした。
いつまでも親に迷惑かけていました。
この車も父親の結核再発とともに売られていきました。
このあとは13万円のギャラン、17万円のランさーと豪華な車に乗り継いでゆきました。
下宿生活は3年ほどで終わりそれ以降日野〜信楽の往復生活が35年ほど続いているわけです。
なかなか焼き物の話が出てきませんね。
明日からはもう少ししぼってお話していきます。


Posted at 2009年01月25日 23時27分50秒  /  コメント( 0 )

フォークコンサート

一文字皿もできあがり、前に少しだけ作ったボールを窯の都合で作ります。
ちょうど上絵の窯を焼くのでカラフルなボールができそうです。
さて、今日は抽選に当たりまして、びわ湖ホールへ家内とフォークコンサートに夕方行きました。

当然のことですが場内は撮影禁止なので隠し撮りです。
なんかわからん感じですが、イルカと杉田二郎と山本潤子がステージに立っているのです。
何せ4階の席でしてステージの皆さんが25センチに見えました。
前のお客さんの頭と同じサイズ。
大ホールのコンサートということで結構真面目な雰囲気で本来のフォークの味はあまり出ていませんでした。
でも卒業写真とか聞いていたら泣けてきました。
非常に涙もろいくりなのであります。
JAさんの主催ということで感謝を込めまして、

チョキンギョだーーーーーーーーーーーーーー


Posted at 2009年01月24日 23時05分18秒  /  コメント( 0 )

やきものとくり

今日も引き出物作り。
やっと終点が見えてきました。
明日には完了です。
丸克さんの陶芸教室用の広いスペースに並べさせてもらっています。
お皿は場所を取ります。
丸克さまさまです。

さて昨日の続き。
なんかするすると就職が決まり、菱三陶園で働くことになったくりですが、まったくのド素人。
最初はサルにもできる機械ろくろ、をすることになりました。
相当な力仕事で、夕方になると手が震えました。
仕事が終わると晩御飯の準備。
益子焼の窯元から修行に来ている添谷君と東京から来ている明治で建築を勉強していた山田さんなどの先輩に八百屋さん、肉屋さん、パン屋さんなど教えてもらいました。
住まいはおじいさんの(青峰)仕事場の隣八畳の間と三畳の間と台所付きの恵まれたスペース。
と言ってもとても古い建物です。隙間風さえ入ります。
ご飯は青峰さんの奥さんお八重さんが炊いてくださり大助かり。
晩御飯が終わるとろくろの練習。
何人もの先輩にいろいろ教えてもらいながら練習しました。
それが終わると焼きものの勉強。
昨日のノートのようにひたすら写しました。毎日がその繰り返し。
時間が飛んでしまいますが、5年後のくりのろくろ風景が写真で残っていました。

どれか分りますよね。
壁にはアグネスラム。伸びをしているげんちゃんの趣味。
ここまでになるには結構長い練習期間がありました。
戻りますが、入りたてのくりは一年間ほどは毎日同じようなパターンで過ごしました。
初任給は17000円でした。それでもやって行けました。
つづく。


Posted at 2009年01月23日 21時31分47秒  /  コメント( 0 )

ノート

あいかわらず引き出物作り。
来客の度に話し込んでしまってなかなか進みません。
今日は縁結びと商売繁盛の祈願に三重県の神社にお参りに行っての帰りというお二人が来店されました。
おさい銭の値段で願いが良い五円とか、早く良い五円とかいろいろあることを教えてあげました。
帰られてから結婚線見てあげたらよかったと気が付きました。
だいたいいつも後で思いつくものですね。
気の利いた言葉とか行動は。

気に関しては昨夜は外れ。
気長に続けます。

さて、制作の方は代り映えしないので、違ったお話をします。
くりと焼きもの、というお話です。
これは長くなりそうなのでまた連載方式です。

突然始まります。
うまく卒業できずうだうだしていたくりをH先生は信楽へ連れて行ってくださいました。
先生の住んでいる町です。
くりにとって焼き物はそれまで特に何の興味も示したこともない世界でした。
しかし嘆く両親には逆らえずなにをしてよいか分らないくりにとって拒む理由もありませんでした。
ぼんやりとこれから焼きものをするのか、といった具合でした。
連れられて行った先は鮮明に覚えています。
先生の親せき筋のお家。家内でされているようでした。
後でお知り合いになりましたがそのことは忘れていらっしゃったようです。
次に有名な宗陶苑に案内されました。
そのころとしてはたぶん唯一の観光客相手の大きな会社だったと思います。
ここの会長さん、社長さんも後でお知り合いになりました。
そして次に案内されたところが一番印象に残った、窯業試験場の場長を退職し作家活動をされていた(故)平野敏三さんのお宅でした。
歯に衣着せない物言いで最初はびっくりしましたが、その内容の深さ、厳しさと温かさに直に気が付きました。
たぶんその時焼き物への漠然としたあこがれが芽生えたと思っています。
結局そこではお話を伺っただけで弟子入りとかは認めてもらえませんでした。
これは至極当然なことではあります。
結局先生のお知り合いのこれまた教師をされていた(故)寺田徳男さんの紹介で菱三陶園に入ることになりました。
くりの人生が動き始めた瞬間であります。


根っから真面目なくりはひたすら焼きものを吸収し始めました。
つづく。


Posted at 2009年01月22日 21時31分18秒  /  コメント( 0 )

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