さまざまな悩み事を一人で抱え込んで苦しんで過ごすより、一度,カウンセリングを受けてみてください。新しい貴方らしい生き方を透視でアドバイスさせていただきます。
メインメニュー
2011-09 の記事

仙台市在住(18歳)より

私の小さい頃からの密かな「夢」は、「普通のことだけで悩む」でした。

しかし、その夢は、私の置かれていた多少複雑な境遇と、様々な事情から、長年叶えられることはありませんでした。

加えて、先述の私の「夢」から既にご推察の方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の私が抱えていた悩みは、少々特異なものでした。
そして、その特異さ故に、前述の私の境遇は、実母にすら理解されず、そのこともまた、当時の私の悩みの一つであり、苦しみの種でした。

そのようなことなどから、私は半ば生ける屍と化し、誰に対しても心を閉ざして、何もかもを放棄し、自暴自棄な日々を送っていました。

・・・もう、どうとでもなれ。

遂に、そんな風に全てを諦めかけた時、水蓮先生と出会いました。
「もしもこの世に運命の出会いというものが本当にあるのなら、この出会いがそうなのだろう」 そんな出会いでした。

先生は、その類稀なサイキックと深い御心で、私の置かれていた境遇を理解してくださいました。
私は、幼い頃からずっと背負い続けた、「誰にも理解されない」という孤独から、苦しみから、生まれて初めて解放されました。

私は、先生に救われました。
しかし、それでもなお、私はすぐには過去を捨てることが出来ませんでした。
心のどこかで、自分自身を憐れんでいたからです。
自分は不幸な目に遭ったのだから、普通のことが出来なくても仕方がない、自分は悪くないのだ、と。

そんな自分に対する甘さがいつに間にか、私自身を、何かにつけては過去を言い訳にして目の前の現実から逃避する、そんな弱い人間にしていました。
先生にも、いつも愚痴や不平不満ばかりをお話しするようになっていました。
そんな私に、先生は距離を置かれました。

始めは、先生を恨みました。
突き放すのなら、何故自分を救ったりしたのかと。
しかし、先生から離れて日々を過ごす内に、徐々に私の視点は変わっていき、それによって、それまで見えていなかったものが、次第に見えるようになってきたのです。

それは、現在の「本当の自分」でした。
私の囚われていた過去から、状況は大きく変わっていました。
怪我の功名とでも言うべきことで、以前の私を悩ませていた境遇は、概ね「普通」のものになっていました。
悩みも、以前のような特異なものではなく、恋や勉強、友人関係など、「普通」のものに変化していました。
私の「夢」は、既に叶っていたのです。

この一連のことなどを通して、私の思ったことを、誠に僭越ながら、述べさせて頂きたいと思います。

この世には、到底一人の力では乗り越えられないようなことや、どうしても捨てられない、忘れられないような過去や、苦しみがあると思います。
そんな時、誰かの力を借りることは、決して弱いことなどではなく、必要なことです。
しかし、いつまでも誰かに依存していては、本当の意味で、その過去を、苦しみを、乗り越えたことにはなりません。
過去を乗り越えることは辛く、また新たな苦しみすら背負うことすらあります。
しかし、それでも人は、前に進まなければなりません。
その先にある未来のために。

Posted at 2011年09月25日 13時58分40秒