葛飾区柴又にあるプロテスタント教会です。日本ホーリネス教団という団体に属しています。
メインメニュー

福音の大いなる力

福音の大いなる力  

わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。(ローマ人への手紙1:16)


このローマ人への手紙は伝道者パウロという人がローマにある教会に書き送った手紙です。彼は自分の責任はギリシャ人にも、未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、福音を宣べ伝えることだ、と言っています。この「ギリシャ人にも、未開の人にも、賢い者にも無知な者にも」とは「すべての人間に」という事を言い表した言葉です。パウロは福音を宣べ伝える責任があるという事をここで強調しているという事が出来ます。
福音という言葉は、今の時代でも良く聞かれることです。難病が治る薬が発見される、あるいは治療の方法がわかる、そのことを福音という言葉で表現したり致します。そのほか、非常に難しいことの解決策を福音と表現します。
その意味では、ここで用いられる福音という言葉も同じような意味合いを持っている言葉であるのかもしれません。ではどんな困難なことに対しての解決策なのでしょうか。聖書は罪と言っております。罪といいますとどうしても法に触れることと考えるわけですが、それを含んでおるわけですが、それと共に心の中に生まれてくるところの憎しみの心、ねたみの心、恨む心、あるいは嘘とか裏切りとか、その他多くの私たちの心を惨めにし、暗くしてしまう事ごとも罪というのです。それがなかったならどんなに良いだろうかと思うのですが、それを私たちは支配することができないのです。かえって支配されてしまうのです。

16節に「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にもすべて信じる者に、救いを得させる神の力である」とあります。パウロはここで、福音は神の力である、と語るのです。福音とは、私たちに喜びを与え、喜びをもたらすところの神の事実なのです。神の事実とは、それは神の御子イエス・キリストのことです。ですから、キリストこそが私たちの本当の喜びであるのです。それはまた、キリストこそが、私たちの力であると言うことでもあります。ではその力とは一体何なのでしょうか。「すべて信じる者に救いを得させる神の力」だと言っています。つまり、救いを得させるところの力なのです。それは罪からの救いなのです。
パウロはこの福音を恥としないと言いました。それは誇りにしているということでありましょう。なぜでしょうか。パウロは自分の罪がどんなに深く、許されるはずもないことを知っていたのです。パウロは事あるごとに自分はどんなに罪深いものであるか、それを手紙の中で語っております。そのような許されようもない罪がイエス・キリストの十字架を通して許され、救われた経験をしたのです。ですから、その恵みを思うときに、福音を恥じとしない、福音を誇りとすると語ったのであります。最早、どのように言われようとも顔を伏せて生きないでよいことを知ったのです。
 この手紙を書く直前、パウロはコリントの教会とのトラブルを経験していました。コリント教会の人たちの中に、パウロは主イエスの直弟子ではないから彼の語る言葉には何の権威もないと言う人たちがいたのです。また、かつては教会の迫害者であった、と言うことを言いふらされてもいたのです。そのような中で福音を語って行くことはどんなに大変なことであったであろうか、と思わされます。しかし、そのような中で、パウロはしっかりと顔を上げることの力をいただいているのです。それが神の力なのです。だからこそ「わたしは福音を恥としない」と語るのです。そして更に言葉をつなぐのです。「すべて信じる者に、救いを得させる神の力である」と。主イエスを信じる者にこの神の力が働いている。その力によって生かされている。だから私は福音を恥としないのだ、と叫んだのです。

Posted at 2007年06月11日 21時44分06秒

 
トラックバック一覧