2013-11 の記事
11月17日に神戸文化ホールで開かれた、
神戸ビエンナーレ『黒潮の宴』
の演武動画をアップしました。
是非ご覧下さい!!
トップページの左カテゴリ 「youtube」 からお入りいただければ動画が観れます。
http://www.youtube.com/user/RyumeiLushen
Posted at 2013年11月26日 13時49分45秒
11月23日 大阪守口市民体育館で開かれた、中国武術武器博物館の高浦先生主催の
『W-1 GP7th 2013 伝統武術観摩交流大会』
に参加させていただきました。今年で2回目の参加で、全国から沢山の強者が参加されていました。
伝統武術大会だけあり、日頃なかなか観れない伝統拳、伝統器械が観れ、とても勉強になりました。
私はもちろん少林春秋大刀でエントリー、私の出番はほとんど最後、39人中36番でした。
皆さんかなりのハイレベルな演武で正直賞などとれないと思っておりました。
全員の演武が終わり、集計に入りいよいよ発表!!
銅メダルの方たちが呼ばれ、この時点で「あっ、終わった」って思いました。
次に銀メダル、一番最初に私の名前が呼ばれ正直よかった〜〜って思いました。
(演武中何度かミスがあったからです)
動画はまたYOUTUBEにアップする予定です。
今年最後の人前での演武、締めくくれたようでよかったです!!
Posted at 2013年11月25日 16時06分45秒
昨日、神戸文化ホールで開かれた、神戸ビエンナーレ『黒潮の宴』が無事終了しました。
今回は私だけの出演ではなく、関西琉球舞踊研究所の代表 仲村米子先生 の孫 ヒロ と2人で舞台に立ちました。
(ヒロは私が指導している尼崎アルカイック教室に練習に来ています)
前日リハーサルからかなり動いたので2人ともかなりヘロヘロでした。
当日のリハーサルで私はジャンプし回転する所で右の膝の外側を痛めてしまい、うわっやばい!!と思い本番までマッサージなどをしていましたがやはり痛みはとれずそのまま本番へ・・・
不思議なものでここぞっと言うときにはアドレナリンがでるのでしょうか、ほとんど痛みを感じず最後まで演武できました。
ヒロもリハーサルの時より切れがよく、とても上手に演武をしました。
今回は画像のミュージシャン 日出克さん と 太鼓奏者の仲宗根達也さん のお二人がバックで演奏して頂きその前での演武でした。
1年ぶりに創作芸団レキオスのメンバーにも再会できとても充実した2日間でした!!
日出克さん、仲宗根達也さん、関係者の皆様、本当にお疲れ様でしたと有難うございました!!
Posted at 2013年11月18日 15時43分42秒
いよいよ、神戸ビエンナーレが間近に迫って来ました!!
今年は関西琉球舞踊の仲村先生の孫のヒロと一緒に舞台に立ちます!!
体調を整えておかなければいけないのですが、先週の日曜日に湊町リバープレイスで開かれた、
『華友祭』で雨の中演武させて頂いて足元が滑り思いっきり右膝の内側を強打!!
でもいつも通っている接骨医の先生(K-1の魔裟斗選手やお相撲さんも診ておられるそうです)に診ていただいたら不思議なことに骨には全く異常が無いと言われ、打撲だけですみました。
多分、父親が護ってくれたんだと思います。
皆さんも雨の中で演武されるときには十分気をつけてください。
Posted at 2013年11月08日 17時29分40秒

10月30日夕方、私の父が肺がんで亡くなりました。
83歳でした。
82歳までほとんど病気らしい病気をしたことがなかった父でしたので、自分が肺がんと知りとてもショックを受けたようです。
体力が無いこともあり、治療は放射線治療のみで薬の服用はありませんでした。
肺がんの放射線治療が終わり、ホッとしたのも束の間、今度は副腎に転移が見つかりました。
そのがんも放射線治療で治療しましたが、食道近くばかりを放射線で焼いた為、食欲が無くなり身体が見る見るうちに痩せ細っていきました。
自宅で療養しておりましたが起き上がることも出来なくなってきたので、死ぬ10日ほど前に病院に入院させました。
新たにCTをとった結果、肝臓のほとんどががんにやられ、骨転移もありました。
父はタバコが大好きだったので、それを主治医の先生に告げると、「最後ですから吸わせてあげましょう」との事だったので亡くなる日の午前中も1本吸ったそうです。
死亡する1時間前くらいに病院から電話があり、「もう駄目だと思われますので、来られますか?」
と言われたのでお店を途中で閉め、車で駆けつけました。
店から病院までは1時間ほどかかります。
私が駆けつけたときには、父はもう入院ベッドの上で冷たくなっていました。
思えば、何かにつけ、口論が多かった父ですが、冷たくなった父を目の当たりにしたとたん涙がこぼれました。
余命1か月と先生に告げられたときに、極力優しくしよう、と心に決め父に接しました。
自分のことは後回しで子供、孫、母親、周りの人々のことを1番に考える人でした。
私が中学校3年から高校1年の頃、十二指腸潰瘍で2度ほど緊急入院をしたときに、
食事を摂ると胃が動いて余計に出血をして危ないと言われ点滴だけで2週間ほとんど飲まず食わずで入院したのですが、私は睡眠中、無意識に左腕で顔や頭をかき、翌朝、左の腕のところの点滴の針が中で折れ曲がり(針は危なくないようにプラスチック製でした)
点滴液が漏れて腕がパンパンに腫れ上がったのをかわいそうに思ったのか父は一晩中私の左腕を握り締めベットの傍に居てくれたことを強く思い出します。
父とは生きる道が違いますが、父のような生き方をしたい!!
と強く心に誓いました。
いろいろ落ち着いたら、父の大好きな故郷 屋久島 に連れて帰って、皆が待つお墓に入れてあげようと思っています。
Posted at 2013年11月04日 15時25分33秒
