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2010-07

東京ー桜島の自転車ツ...

昭和43年の大学夏休みに自転車で鹿児島の桜島まで自転車旅行をした。
旅行している時は大学ノートに記録したのだけれども、その後ノートを紛失したので平成24年の今年、44年前の記憶をたよりに思い出す。
昭和43年とはどのような年だったか。学園闘争はピーク。安田講堂への機動隊。8回参議院選挙はタレント候補。小笠原諸島日本復帰。日本発の心臓移植手術。メキシコオリンピック。川端康成ノーベル文学賞そして3億円事件。
それまで自転車についての知識は、ママチャリで住んでいた東京の保谷から母の実家のある栃木の足利まで高校生の時に行っただけの経験だった。
たしかに、大学入学当時に冒険に関する本をちょっと読んだ気もするが、入学後はバスケットばかりしていた。
昭和43年の2月に20歳になった。やはり、20歳の記念または記憶になるようなことをしてみたいとの気持ちが強かった。
この年の、春休み中に家に帰ってテレビを見た、それも昼のテレビドラマ、これを見ていたのだから家にいた時で、学校は全寮制で全くテレビには縁がなっかた。
このドラマ、勝新太郎の兄である、若山富三郎が演じた薩摩の侍、中村半次郎についてのドラマで、ドラマのタイトルバックに桜島が噴煙を上げている映像が流れていた。
旅行の動機は、20才の記念であり、桜島が見たいの2点であり、旅行手段はそれから考えた。
当時、ヒッピーとかフーテン族とかが社会現象でもあったので、ヒッチハイクで旅する方法もあったが、ヒッチハイクは伊豆半島旅行で経験済み、やはり友達・学友がアッという冒険となるとてっとり速いのが、自転車だったということ。
行く場所も動機のできたが、問題はやる気であった。ここで、自分を追い込む手段としたのが、学友に宣言すること。「俺は自転車で桜島を見に行く」と皆にいうだけ。
おそらく、春休み明けには宣言したと思う。それから自転車を買いに行く。その自転車でトレーニングとして、5月には保谷から奥多摩の柳沢峠を目指すが、きつくて途中で引き返す。
自転車のトレーニングはこの1回だけ。体力は、バスケットをやっていたので問題にしなかった。
学生でお金もなかったので、旅行中は野宿と決めていた。当然、食費も節約すべく、炊飯用具も持って、ただ、テントは大きいので、ポンチョで代用、寝袋は持った。そんな訳で、荷物は多くなり、フロントバックのほか、前輪のサイドに2、後輪のサイドに2、荷台には寝袋をくくりつけての、状態。この状態で家から出発したのだが、慣れるまでハンドルがふらついてどうしようもなかった。
旅行の件は、学友に言うと同時に家族にも伝えた。父親を早くに亡くしていたので、ほとんど母親が一人で子供5人を育て上げたのだが、母親も最初は、旅行に賛成してくれていたが、行く間際になると、さすがに心配になってきて、行ってほしくない様子であった。
兄はすでに社会人電源開発の社員となっていたので、途中の通ることになる場所の同僚に連絡をとっておいてもらった。姉の一人は、最近になってこの時の心配は、この旅行に出かけたらそのままフーテン・ヒッピーになってしまうという心配であった。
夏休みに入っても梅雨は開けないでいたが、夏休み後半の部の合宿までには帰ってこなければならないので、曇天の中出発する。

第1日目



自宅の保谷から、おそらく立川に出て南下し厚木あたりで246に入り、そのまま御殿場越えのルート。箱根を超えることは、急峻な坂が多いことを恐れたので全く考えていない。御殿場越えのほうが楽であると考えた。正解だったのは、246もトラックが多かったが、1号線の交通状況は相当危険だったかもしれない。
御殿場に着いたころはもう夕方になっていたので、宿泊場所を探しながらこいでいたら下りに入ってしまいあっという間に沼津市内。公園があったので宿泊場所とする。
翌日は雨だったので、ここで2泊することになる。

公園の屋根のある休憩施設にて野宿したので、雨はのがれた。
1日目の夜、同じ場所に宿泊者1名。少し話をした。中年の男性。昔トラックのタイヤに巻き込まれた自転車事故の経験者。その後遺症が残るり仕事も続けられず世の中への不満を聞くことになったそれに、私の自転車旅行は危ないからやめよとの話。初日から驚かされた。

2日目は雨だったのでそのまま待機。今もそうだがこの時も、夜のツーリングと雨中でのツーリングはやらないようにしている。雨中は滑るしブレーキに効きも悪い。夜間、発電機をまわしながらの走行は疲労が大きいのでできない。タイヤも傷む。

2日目の夜も宿泊者が2名。男子高校生のようだった。夜中に警察官がパトロールに来ていろいろ質問されていた。この時、私は特に起こされることはなかった。自転車による長距離ツーリング者として、それなりの恰好をしていたのだろう。

沼津から浜松へ



3日目。雨が上がったので曇天の中出発する。今回の目的の一つは桜島を見ることだったが、途中の海岸で、特別きれいなところ、以前練習船で行った五島列島の海のようなきれいな海で泳ぐことも楽しみにしたので、必然、海岸沿いのルートとなる。1号線はほとんど走らず、御前崎から浜松を目指す。
この日、昼ごろ梅雨も明け日差しも強く暑くなる。自転車に乗ると景色はほとんど覚えていない。だだひたすら前を見てこぐだけ。
この日も夕方浜松に到着。寝る場所を探す。海岸に行けばなんとかなるかと思っていったが、海岸は真っ暗。さすが、こわかったのか、街中に宿泊場所を探す。沼津の公園がまあまあだったので、お城の近くの公園に決めた。この日は、屋根のない外灯の下の地べたに寝袋にくるまって寝る。蚊がいるのでできるだけ肌をださないのには寝袋にもぐり、顔は虫よけスプレーで防御するがとにかく暑い。でも疲れているのでさすがよく寝れた。寝入りばな気が付いたが、この公園は動物園と接しているようなので、動物の鳴き声がうるさかった。

朝、パトロールの警察官に起こされる。職務質問的なことではなく、夜に見回った時、顔に蚊がたかってたよと、笑いながら話してくれたことは覚えている。夜近くに人の気配を感じても全く気が付かないぐらい、爆睡するのである。

3日目



この日は渥美半島から鳥羽に渡る。紀伊半島を回ることの辛さを全く考えないで、海岸線のルートすなわち紀伊半島を回るのだと決めていた。回らなければ2日程で大阪には行けたが、回ったので5日かかった。
紀伊半島はなにしろきつかった。したがって、同じような海岸線を持つ三陸の海岸線のツーリングは60歳まで行く決心がおきなかった。

鳥羽から賢島までフェリーで一緒になった自転車乗りと一緒に走ったが、長時間おたがい相手のペースでこぐことはきつく、結局離れ離れになった。

4日目

賢島から海岸線となるローカルの道を走るのだが、入江から入江、村から村はすべて峠越えとなる。この日10以上15ぐらいの峠をこしたのではないかと思う。1つの峠を越すのに150mから200m登るとこの日、1500mから2000mは登ったのではないか。それでも距離は伸びず、寒村の堤防の上が宿泊場所となった。
夕方、堤防の上にいると近くの家の人がやってきて、風呂に入るように言ってくれた。
本当に、海があるが山奥であり、秘境のようなところ。風呂をもらいに行ったときは奥さんだけで、風呂から出た時には、旦那さんも帰ってきていた。こちらは疲れ切っていて、もう横になりたいだけの状態であったが、なんとなく旦那さんを意識していたことを思い出す。
ここの堤防、夜は静かであったが、大きなカニが沢山集まってきて、少し怖かった。

5日目

前日と同じく峠越えの続くルートであったが、峠がより高く、峠までの道のりも長くなった。
この日地元の人から、この辺の山は箱根以上だよといわれたこと、忘れることができない。
最後の大きな峠を越えて、海が見える下り坂を爽快に走った。よほど気持ちがよかったのだろう。尾鷲の町で旅行を始めて最初の連絡を家に入れる。電話で。自分で連絡したのはこの時と、鹿児島の開聞岳からはがきを出したことだけなので、この峠越えはやはり相当うれしかったのだろう。

尾鷲からは入江も大きくなり、走行距離も伸び、この日は結構明るいうちに那智勝浦に到着する。まだ明るかったので、そのまま海に飛び込む。ひと泳ぎして砂浜で休んでいたら、海の家の従業員が話しかけてきた。話しているうちに、夜店番をやることになった。海の家は那智勝浦の旅館が経営してたので、旅館で夕飯をごちそうになり、温泉に入らせてもらった。前の日も風呂に入ってるしついている2日間であった。夜店番をしたが、お客さんも来ました。夜は店の中で寝て、朝ひと泳ぎしてから出発。

6日目

暑かったのと、やはり入江入江の連続。峠が多い。のと朝泳いだのとで距離はあまりいかなかったようだ。
那智の滝も見物せずにひたすら大阪を目指す。
串本付近で線路、海をみおろしながらスイカを食べた。暑かった。

この日も温泉にはいろうと決め、宿泊地は白浜とする。
温泉に入り、漁港の船のしたで寝る。

7日目

一路大阪目指し北上する。道も峠が少なくなったことで距離がでる。この時こいでいて一番悩んだのは、大阪で右折するか、左折するかでした。もう結構めげていた。

夕方堺に到着。寝る場所は公園、大浜公園、猿山がありそのすぐ近くに壊れた大きな倉庫があったので寝るのはそこにした。

この日も、前日も風呂にはいったので、近くの銭湯に行く。出てこれまた近くの食堂に。ここで、おでんを関東煮といっていたことがなつかしい。

夕飯を飯盒で作る元気はほとんどのこってない。自転車から降りると立ってられないぐらい膝ががくがくする。1日10時間以上自転車にのると、それも平坦なコースだととことん筋肉を使い切る。力がもうない状態。

夕飯は食堂があれば食堂。何もなければ作る。そんな状態。
朝食も時間がもったいないから、自転車は時間20kmで計算。
朝7時頃出発し夕方6時過ぎまで。1日180kmが目安。
毎日最初の2時間がきつい。それをすぎると慣れてくる。
これはいまでも。

夜中に突然誰かに起こされる。目を明けたが、相手は懐中電灯を顔に向けるので、光以外何も見えない。パトロールの警察官でした。やはり、都会なので治安が悪いのか、かなり強い口調で質問された。みれば自転車のツーリングだと分かると思うよ。浜松の警官のようなおおらかさは全くなかった。

8日目

とても引き返せる状態ではないことを認識したのか、桜島を本当にみたかったのかはよくわからないが、大阪で左折、九州に向かう。ここから2号線をしばらく走ったのだが、交通量も多く、大型車も多かったこと思い出す。



この日は市街地の走行かな。夕方吉井川に到着。この日はこの川の河川敷に泊まることとしたが、ものすごい蚊の大群に襲われる。虫よけスプレーを顔に吹き付けてはいたが、蚊は顔の周りを1晩中飛び回る。とても寝ていられない、寝袋から手を出して顔の周りを探ると、蚊が手に当たる。それも相当大きい。防府の駅もひどかったが吉井川の蚊は最悪であった。

9日目



昨日の睡眠不足がたたって倉敷の手前で居眠り運転。センターライン付近まで出てはしっていたら、トラックのクラクションで起こされた。これはやばいと思い、倉敷の公園で昼寝をする。

この日の宿は兄が務めた会社の寮。風呂に入り、晩飯を食べ、ビールを飲んで布団に横になったら、扇風機の風が心地良い、アッという間に寝ていた。

10日目

翌日、発電所を見学してから出発。この日は広島の学友の家までなので走行距離は旅行中1番少ない。

学友の家に3泊か4泊かしてしまう。最初は歓迎されて海水浴にも行ったが最後は学友の親父さんに怒られた。私としては、そんなに長居をするつもりはなかったのだが、夏の迷走台風が待ち構えていたので出るに出れなかった。

11日目

台風が来るのは心配だったが、出発する。案の定、防府の駅待合室で台風を避ける。
この日は、防府の駅待合室の宿泊であったが、蚊が多かった。山陽側は蚊が多い。



12日目

関門海峡の本州側を走っていたらトラックが、道路に溜まっていた雨水または海水を大量に撥ね上げた。頭からあびてしまった。
びしょびしょになってしまった。よける間もなくひどい目にあった。
関門海峡のトンネルを歩いて渡り、門司に入ると路面電車が走る道であった。
小倉に向かい、大きな橋若戸大橋を渡り若松に入る。
野宿は1泊であり、走った距離もたいしたことはなかったので、若松寮のことはあまり記憶にない。


13日目

若松を出てすぐに調子が悪いことに気が付く。熱っぽい。
この日は屋根のないところでの野宿はきついと思い、近くの学校(高校のようだったが、夏休みだったので、宿直室に担当の先生がいた。どんなふうに頼んだかは覚えていないが、宿直の先生は、校長先生だと思うに電話した。
結果この日は体育館に柔道の畳を3畳敷いてくれた。それも体育館の中央に、一人で寝るにはえらく広いと思ったが。爆睡する。
翌日、外がざわざわするので目が覚めた。全校登校日であった。
小さくなって出発した。
体調は戻っていた。かぜのようでもあったが治り方がはやい。




14日目

道路が比較的平坦であったこともあり一気に南下する。
途中、志布志湾がきれいな海岸であったが、もっとよいところがあると思い泳がずなかった。
結果、志布志湾以上の海岸はなかった。
この日の最後、志布志湾からきんこうワンに向かう峠道、ゆっくりとしかこげなかったのでアブが腿にとまった。
この日の宿泊は、大根占のキャンプ場。食事を終えて堤防に出たら、遠く桜島も見ることができ、ようやく来たなと感慨にふけっていたら、地元の人が近くで酒盛りを始めた。
誘われたので一緒に飲む。ヤカンの中身は焼酎であった。始めて飲む焼酎にとまどったが、へべれけになるほど飲んでしまった。
ただ、翌日の目覚めは2日酔いとは全く無縁。絶好調。焼酎のすごさにおどろいた。

15日目

この日、最南端の佐田岬にいくことも考えたが、開聞岳登山と決めた。
頂上からの展望は、頂上から一気に飛びおれそうなくらい山裾が眼下に見えた。
下山して家に絵葉書を出す。尾鷲以来の連絡である。
池田湖を経由してこの日は指宿の海岸だったと思う。結核の療養所が近くにあった。
この日は自炊した。まだ食料はのこっていたのか。

16日目

朝、出発して西鹿児島の駅から桜島を眺めていたら地元の男性が話しかけてきた。いろいろ話して、最後に「なんかうまいものでも食べなさい」と1000円。
天草に渡るのだが、阿久根から牛深に渡ったような気がする。阿久根の地名を覚えているから。フェリーの時間待ちで阿久根で泳ぐ。それもモリを買ってだ。魚を食べるというよりかは、海で泳ぐことには、モリが必要だった。魚は記憶にないが、海ヘビが現れた。それもこちらに向かってくる。海ヘビに向かってモリを撃つ。海底から泥が舞い上がり何も見えなくなった。海ヘビも見失った。
天草、牛深に渡ってからは熊本まで橋があった。天草を走っているときに一番暑さを感じた。はだかになってこいでいた。
この日は熊本の級友の家。

翌日、ドライブで阿蘇まで。阿蘇の雄大さに圧倒される。

17日目

もう一人の熊本の級友にあってから、熊本を出て雲仙までフェリーに乗る。
雲仙を見ながら長崎に向かう。
旅行の目的である桜島を見たので帰路になるのだが、山越えの少ない海岸線を選んだのだと思うが、当日もしくは前日の夜、ルートを決める感じであった。




18日目

佐世保で道を間違ったのと、佐世保に向かう下り坂で時計を落とした。
佐世保から唐津に向かう。唐津の松並木が続いていた。
この日は再び若松寮。

19日目

帰りは山陰と決めていた。
そして、旅の目的は家に帰るになった。
ひたすら直線的にルートを選ぶ。
この日も海岸線を行くのではなく、最短距離の山中を行く。
宿泊は山口の駅の近く。




20日目

この日もひたすらこぐ。
山越えにはなったと思うが。
夕方へとへとになり、ある海岸に着いた。
海岸を歩くとキュキュと砂が鳴る。
この日はこの海岸で寝たが海岸の離れた場所では夜通し盆踊りをしていた。

21日目

朝早くで休んでいたら、地元の人が朝食を食べた。
この日鳥取から福知山に向かうルート。途中お祭りが多かった。
福知山から西舞鶴に出て小浜まで。

22日目

敦賀から登り。若狭湾が見えた。
この日、倶利伽羅峠付近までは行ったと思うが、宿泊場所の記憶がない。




23日目

海岸線のルートであるが、親不知があり登りもある。
直江津から本州横断ルート。新井の駅近くに宿泊。山口駅での宿泊とかぶるが、山口駅はSLが走っていた。



24日目

距離的にはこの日のうちに家まで帰れるとは思っていないで出発する。
なにしろ本州を横断するのである。

Posted at 2010年07月12日 13時45分55秒  /  コメント( 0 )