2013-01 の記事

アレルギー

そろそろ花粉症のシーズンが近づいて来ました。

だれでも何かしらのアレルギーを持っています。
鼻炎、アトピー、喘息、金属、食物、医薬品等々・・
アレルギーは無害な異物(抗原)を間違って攻撃してしまう免疫機能の異常です。

似たような病気に「自己免疫疾患」があります。
慢性関節リウマチ、全身性エリテマトーデスなどの膠原病があります。
これは間違って自分自身を抗原と認識して攻撃してしまう原因不明の厄介な病気です。

アレルギーはあまりにも清潔な環境で育ったり、あまりにもゆったりしている(副交感神経亢進)と発症しやすい、と言われています。

また若くて元気が有り余ってると出やすいです。来月還暦を迎える私は、ここ数年花粉症が気になりません。歳取って来たのと、日々の生活に汲汲としてるから・・
おっと ここでは「花粉症の鍼が効いている!」と言わなければ・・

最近「軍」について語ることが多いので、それに例えると、
「アレルギー」は「誤爆」、「自己免疫疾患」は「同士討ち」か「クーデター」でしょうか?
良い環境がその原因と言うのも興味深いです。

話は変わりますが、
アルジェリアの事件が起こる前は、部活の体罰が注目されていました。

誰しもが思っていると思いますが、誤解を恐れず言いますと、私が親だったら「そんなクラブはどうせ大したモノではないので、辞めてしまえ!」です。

高校生はまだ人生経験がほとんど無いので、目の前の部活に一所懸命になるのは当たり前ですし、良いことだと思います。

異常な体罰を加える監督は、個人的に何か問題を抱えているか、成績を上げることでそのスポーツ界での自分のキャリアUPに執着しているからでしょう。いずれにしろ生徒のためではありません。戦う相手は生徒ではないでしょう。自分のウサ晴らしか、我欲です。その上の上司の管理監督こそ問題があります。

高校野球の名監督の「たかが野球、されど野球」という名言があります。素晴らしい言葉だと思います。しかし時々逆に言ってみると良いと思います。「されどバスケット、たかがバスケット」

前回のブログで述べましたが、日本人は宗教には「のめり込むこと」をあまり良しとしないのに、スポーツとなると何故「極め」たがるのでしょう?

以前のブログで述べましたが、スポーツ(SPORT)の語源は、SPは飛び出す、離れる、PORTは港、つまり「港から離れる」「日常から離れ、気分転換する」という意味だそうです。
SPRING SPLASH、SPRAY、SPRINKLER、SPARK、SPIT、SPLITとキリがありません。

つまり「道楽」です。
少林寺拳法の開祖 宗道臣は我々弟子たちに「一所懸命稽古するよう」常々言われていましたが、一定のレベルに達し調子に乗って来ると「そんなに強くなってどうするんだ?」と問いかけられました。少林寺拳法は禅宗ですので、これはもう「禅問答」ですね。

その娘であられる総裁は20年程前、「鍛えた拳はどこへ行く」と問題提起されました。色々な受け止め方をする人がいると思いますが、蓋し名言です。
(余計な話ですが、少林寺拳法では、拳で堅いモノを突いて鍛えることはありません)

本当に強いチームは体罰やシゴキはありません。
ある元総理大臣は若い頃ある大学の名門運動部(ここ数年あまり芳しくありませんが)に入りましたが、厳しい練習について行けず退部しました。2軍どころか4軍5軍まであると言われています。

このような組織では、自分が失敗しようが怪我しようが、誰も責めません。「ゆっくり休んで、しっかり治せよ」とまわりから優しい言葉を掛けられます。そして後輩が喜んで上がって来ます。

この方がつらいです。大手企業など優秀な組織ほどそうです。自分が壊れなくても家族や子供が壊れます。その後彼は「サメの脳みそ」と言われながら総理大臣まで昇りつめました。国民にとっては、彼には一流プレーヤーになってもらった方が良かったのですが・・

「中道」とか「中庸」という言葉があります。
腰が定まらず不安定な感じですが、なかなか良いと思います。

博多弁で言うと「イイッチャナイト?」ってやつでしょうか?

Posted at 2013年01月25日 20時11分58秒

プライベートライアン

「日頃はまじめに生活しているライアンの、実は怪しいプライベートな話」ではありません。

1998年製作のアメリカ映画 監督スティーブン・スピルバーグ 主演トム・ハンクスの第2次世界大戦の連合軍ノルマンディー上陸作戦以後のストーリーです。

「PRIVATE」とは、私らが普段使っている「私的な」という形容詞とはスペルは同じながら意味は全く異なる名詞で、いわゆる「一兵卒」のことです。つまり題名の直訳は「ライアン2等兵」です。

話は少し外れますが、
「一兵卒として頑張ります!」と毎回言うものの「一兵卒」で終わったタメシのない、あの剛腕政治家に騙された某滋賀県知事は、国民の大多数が「きっとカモにされるよ」と思っていたのに、隣の大阪首長の活躍をやっかみ、おいしい話に乗ってしまいました。多額の税金を使った上に、すぐ投げ出しましたが・・

「プライベートライアン」はモデルはいますが、実話ではありません。
兄3名がノルマンディーで戦死し、未亡人の母親1人が祖国で待っているのを知った米国の上層部は、国威昂揚のためか、戦闘中行方不明のその4男で、しょうもないクソガキのライアン2等兵(マット・デイモン)を救出し帰還させるため、ミラー大尉(トム・ハンクス)率いる優秀なレンジャー部隊8名を投入します。部隊は全滅するもライアン2等兵は生還します。1名を救うため8名が犠牲となることの意味を問いかけています。

話は飛びますが、
アルジェリアの天然ガスプラントの事件はまだ全容は見えないものの、かなり悲惨なことになっています。亡くなった方々の御冥福を祈ります。また命を賭して活躍する企業戦士の皆さんに頭が下がります。

今回は日本にしては珍しく、安倍首相率いる政府や当該会社の「日揮」の対応も情報が少ない中で、なかなか毅然としていると思います。

しかしアルジェリア軍の対応についてはアメリカ、イギリス、フランスがテロリストの殲滅を評価しているのに比べ、人命尊重を第一とする日本のそれとはかなり違います。

最近よく感じますが、世界の中で、どうやら私ら日本人の方が異質であると・・
正しいとか正しくない、という話ではありません。私も世界が日本人が考えているようになればいいと思いますが、私らの方が浮世離れしているのではないかと?

例えば宗教でいえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はどれも一神教ですし元は同じです。何十年も宗教を認めて来なかった中国も一党独裁です。他を許しません。

私ら日本人は、几帳面なのに宗教だけはいい加減です。
神様は1人より大勢いた方がにぎやかで良いのです。
人間だけでなく、あらゆる自然物にも魂が宿ると信じています。

正月は神社とお寺にお参りし、
2月のバレンタインデーは「女が男にチョコレートをあげる日」にしてしまい、
4月8日の「花まつり」は国民の大多数が仏教徒なのに祝うどころか、「釈迦の誕生日」であることを知りません。
8月のお盆は元は仏教の儀式ではなく、
10月末のハロウィンも元々キリスト教の祭りでもありません。
12月のクリスマスは「キリスト生誕の日」ということさえ知らず、「日頃利用しているラブホよりグレードアップしたホテルに泊まる日」で、「クリスマスイブの次の日」という位置付けです。「イブ」が「前夜祭」という意味だとも知りません。

結婚式は、キリスト教会(風)か、まれに神社。
葬式には、日頃会ったこともない坊さんに来てもらい、墓はお寺。
学校は、家は仏教なのにミッションスクール。「ミッション」の意味さえ知りません。
とバラバラです。

また悲惨な犯罪や事件に遭遇しても、日本人はまるで自然災害に遭ったような対応をします。たった2発の原爆で年寄り、女、子供の非戦闘員を30万人殺されても、広島平和都市記念碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と主語が誰か分かりません。

ちなみに後年アメリカの高官がインタビューで「原爆を使用しない可能性は無かったのか?」との問いに「もし日本が原爆を持っていたなら使用しなかっただろう」と答えています。

今回のような悲惨な事件が続いても、日本は今後も積極的に海外に進出して行くしかありません。エネルギーも食糧も国内では全く足りませんから。

政府は早い段階で自衛隊が在外邦人保護のため海外派遣できるように法改正すると思われます。それで少しはまともな「軍」に近付きます。したがって「プライベートライアン」のような厄介なケースに遭遇する危険性は格段に増えます。

「自衛隊」は英語では「SELF DEFENSE FORCES」ですが、最近は陰で「SELFISH(わがままな)・・」と言われています。何せ日本は「私は守ってね。あなたは助けないけど・・」という国ですから。ミカンのようなオレンジ色やバッタのようなキミドリ色のスーツの似合う国会議員の方々が騒ぐと思いますが・・

自民党は自衛隊を「国防軍」に変えようとしていますが、「軍」は国防をその任務とするものですので、言い方がしつこいと思います。地球上のあらゆる国々も「軍」を他国侵略のためと規定しているところはありません。もちろん日本人の「軍」に対するアレルギーに気を使っているためでしょうが・・

日本は東アジア以外の世界各国でかなり好意を持たれている国です。しかし今回のようにエネルギー確保のためには、欧米の巨大メジャーと組むことも多くなるでしょう。したがって日本人も狙われる可能性は高まります。

情報機関もきちんと確立し、アメリカ、イギリスや先方の国の情報だけに頼らないようにしなければなりません。

学校の教育も、欧米の植民地支配や明治維新以降の歴史をしっかり教える必要があります。歴史認識は国が違えばなかなか一致させることは難しいことですが、客観的事実を積み重ね、他国の見解も併記すれば良いと思います。

以前のブログでも何度か述べましたが、英語も教師が教えやすいことや、入学試験として使いやすい内容を教えるのではなく、実際にコミュニケーションのツールとして身に付けさせてほしいものです。

今回は真面目な内容になりました。改めて被害者の御冥福をお祈り致します。

Posted at 2013年01月22日 16時50分01秒