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2015-04-01 の記事

忘れえぬ人々

忘れえぬ人々


先日 テレビで東京オリンピック時の料理責任者であった帝国ホテル料理長、村上さんの苦闘を見ました。
懐かしくも感謝の気持ちがさらに強くなりました。

20台の半ば、ものつくりの仕事に就きたくてもがいており縁あって氷彫刻家の故窪寺秀雄に師事することができました。
喜びもつかの間、それはそれはきつい日々でした。

そのころの日本はたくさんの会社が一流ホテルで様々な大規模なパーティーを開催し、一年中氷彫刻は忙しく、仕事は朝9時半から夜11時まで連日。
通勤に2時間近くかかっていたので睡眠時間も少なかったけれども、若かったです。

我々の作る氷彫刻は大きく、特注台車に500キロほどの氷を載せて、ひとりでメイン会場の先輩の場所運ぶのが、新人の仕事でした。

帝国ホテルの地下から2階の会場までは長い、緩やかな上り坂の通路になっており、途中で止まることができず、そこが疲れた体にはつらい場所でした。

無言で、というかその日は上り坂を止まらずに氷を運ぶのがやっとという状態で頑張ってましたが、ふっと押してくれた腕があり、顔も見れずにお礼だけ言い、一緒に坂の上まで来れたときに初めて村上総料理長とわかりました。

世界の村上料理長が汗だくの若造に「がんばるんだよ」と優しい一言を言って、微笑んでいらっしゃいました。

なんとか氷彫刻でも結果が出せ、ガラス彫刻の世界に入りながらもありがたく、氷彫刻展の審査の依頼がありました時にお会いできました。

もろろん、あの時の出来事は覚えていらっしゃいませんが、声をかけられた自分がどんなに勇気づけられたことか。
お礼を言えるまで20年以上、かかってしまいました。





この審査の前日まで、ガラスの仕事がハードでしたのでオイラの目の周り、クマです。
村上総料理長の素晴らしさ、たくさん紹介されていますので割愛いたしますが、あの日のことは一生忘れえぬ瞬間のひとつであります。

もうおひとり、「一竹辻が花」の久保田一竹先生です。
この方の仕事、人生のご紹介もたくさんの本があるのでぜひに読んでいただきたいですが、村上さん同様、ものすごいです。苦闘との戦いの連続。

「私の仕事が売れるようになったのは60歳からです。妖怪のように300歳まで仕事がしたい。あなたはまだ若いのでこれからですよ」と励ましていただいたあの日も忘れません。




おふたりを想い出しましたが、まだまだおふたりの境涯にはまったく程遠い毎日の自分であります。

でもこのような方々に出会えたことに感謝。また会えるような道に明かりを灯してくれた、たくさんの方々に心から感謝です。

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Posted at 2015年04月01日 23時32分14秒  /  コメント( 0 )