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よろずのフロク 番外編

ロドニー・キング事件・・・って思い出した 【粥菜坊パパのフロク - 番外編】

先週、ロドニー・キング氏が亡くなくなったというニュースがありました。誰だっけ、何となく記憶している名前。ロス暴動…というのを聞いて「あっ、あの事件だ」と思い出しました。

1991年、ロサンゼルスで4人の白人警官が、無抵抗の黒人のキングさんに、よってたかって警棒で殴打する様子が映像にとられ全米に流れます。翌年の1992年、白人警官は起訴されるも無罪となることで、ロスで一気に暴動に発展した事件です。それに怒った黒人達が店舗を襲って略奪し、建物は放火し、市民同士の暴行事件が相次ぎ50人以上の人達が死亡します。ロスでは非常事態宣言が発令され、その暴動はロスだけでなくアトランタやサンフランシスコなどアメリカ各地へも飛び火し、鎮火には州兵だけでなく、数千人の連邦軍も動員されました。当時ニューヨークで働いていた自分は、マンハッタンにも飛び火するのではとニュースを見ては、戦々恐々としていました。そしてついにやってきました。2日後の日中、ニューヨークでも暴動が始まったとの噂とともに、各会社で一斉に帰宅勧告が出されたものだから、街中が人と車に溢れ、クラクションは鳴りやまず、マンハッタンが騒然となります。あのマンハッタンのパニックさは、ちょっと経験できないことと今でも思います。結局、マンハッタンで暴動は起きませんでしたが、かなり緊張しながら歩いて帰宅しました。何せ、知らない誰かがいつ殴りかかってくるかもしれないのです。この暴動、米史上最悪規模の都市暴動だったそうです。

事件の発端となる殴打事件

この殴打事件、日本にいると突如起こったように見えると思いますが、実は潜在的要因としてロサンゼルスに存在する人種間抗争の緊張の高まりがありました。黒人vs白人はもちろん、韓国人に商売を取られた黒人vs韓国人、ヒスパニック系もからんで根深い構図があったのです。ロドニー・キング事件、アメリカに潜む根深い人種間抗争の代表的事件なのです。

人種間の抗争もなく、宗教上の争いもなく、間違いなく平和な国、ニッポン。でも、大飯原発、消費税増税…国がなしくずし的に決めることに、庶民は従うだけの緊張感のない社会、ニッポン。それでも、日々抗争に怯えながら生活するより、幸せなのは間違いないのでしょう。
とはいえ、あまりに「国民の生活が一番最後」的な国のやり方が続くのは、つらいなあ。

Posted at 2012年06月27日 09時25分18秒  /  コメント( 0 )

新宿生まれの新宿育ち (粥菜坊パパのフロク)

先日、ある常連のお客様が「マスター、新宿のゴールデン街行ったことある?」って聞いてきまして、「もちろん、新宿生まれの新宿育ちですから」に始まって、おおいに新宿話しで盛り上がりました。その方は、30年ぐらい前に風鈴会館の近くで商売をしていたそうで、ゴールデン街の話はもちろん、淀橋浄水場跡や三光町、花園神社やしょんべん横丁(正式名称は思い出横丁)、十二社温泉やフーテン族(昭和40年前半、多くの若者が新宿でシンナーをやってました)…とても懐かしかったです。私は、歌舞伎町の隣町、今の新宿六丁目(昔の東大久保)に20年ぐらい前までいまして、親父が生まれ育ったのが新宿四丁目(今の新宿高島屋あたり)で、私の本籍もそこにあります。そういえば、昔そこそこヒットした歌で「新宿生まれで新宿育ち…」(『新宿ダダ』)なんていう歌もありました。今や歌舞伎町も様変わりして、自分のイメージとは随分かけ離れてしまいました。新宿、いい町でした。(粥菜坊パパのよろずのフロク


花園神社 酉の市

Posted at 2010年09月20日 09時52分56秒  /  コメント( 0 )

『川の流れのように』 その川、毎日見てたなんて (粥菜坊パパのフロク)

うちのかみさんがカラオケでよく歌う歌に美空ひばりさんのヒット曲『川の流れのように』がありますが、昔、私はその川を毎日のように眺めていたと気づいたのは、つい最近のことです。この川は、なんと日本の川ではなく、ニューヨークのイースト・リバーだそうです。私はマンハッタンの一番東(1st Ave.)の30階に住んでいたので、イースト・リバーがよく見え、なんか普通と違うなぁと不思議な感覚を抱きながら、その表情によく引き込まれたものです。もしかしたら、この歌を作詞した秋元康さんと同じ感覚で眺めていたのかもしれません。秋元康さんといえば、今やAKB48の生みの親として注目のあの方です。そういえば、“地図さえないそれもまた人生”、“生きることは旅すること”、“愛する人そばに連れて、夢探しながら”なんて、私の憧れです。実は、粥菜坊のビールと餃子のセット『たそがれセット』(700円)は、“空が黄昏(たそがれ)に染まるだけ”から命名したものです。イースト・リバー…確かに不思議な感じがする川です。(粥菜坊パパのよろずのフロク


自分の部屋からイースト・リバーが見えました(一番左は国連ビル)

Posted at 2010年09月20日 08時41分03秒  /  コメント( 0 )

会計士バー (粥菜坊パパのフロク)

粥菜坊のホールを切り盛りしている私、粥菜坊パパの本職は公認会計士です。今でも自分個人の会計事務所を経営してますし、ある監査法人の社員でもあります。毎日粥菜坊のホールで動き回っていますが、定休日や夜の時間を使って会計士の仕事をしています。ということで、一時話題に上ったカウンター越しの弁護士バーのような「会計士バー」とはいきませんが、会計・税務・経営のことでご相談があれば、お相手できるかもしれません。手持ち無沙汰なポーズを見計らって、話題を振ってみてください。少しでもお役にたてればと思いますが、あくまで雑談ベースということでお願いします。(粥菜坊パパのよろずのフロク


本職は公認会計士、「会計士バー」(?)開業中です

Posted at 2010年09月18日 07時51分39秒  /  コメント( 0 )

ニューヨークでの代表的できごと (粥菜坊パパのフロク)

ニューヨークでの生活に終止符を打つ際、日本円にして50万円ほどの3か月定期預金を解約に銀行へ行った時のお話です。銀行員は既に自動更新になっているので、次の満期日前の解約には手数料が必要と主張します。となると、手元に戻る現金はなんと元本割れになってしまうのです。「そんな、バカな!」満期日までは定期預金の金利で、それ以後は普通預金の金利になるならわかりますが、預金で元本割れなんて納得できません!次の満期日まで待つなんてこともできません。喧嘩ごしに必死に食い下がると、行員は「じゃ、これでどうだ?」とパソコンを打つと、今度は途中解約にも関わらず、その日まで定期預金の利率での利子を付けてくれました。ただの一クラークがそんなことができるなんて更にビックリしました。私は“OK,All Right.”と言ってホッとしましたが、その瞬間、思い出しました。そうそう、6年前ニューヨークに来た時は、毎日のように喧嘩ごしになっていたことを。ニューヨークでの生活、慣れて鈍感になっていましたが、こんなことの連続だったのかもしれません。(粥菜坊パパのよろずのフロク


国連が見える場所に住んでいました

Posted at 2010年09月12日 01時22分37秒  /  コメント( 0 )

消えた100米ドル (粥菜坊パパのフロク)

今でも腑に落ちない話があります。香港の中国銀行で1000米ドルを預金しようとした時の話です。100米ドル札を10枚銀行に持ち込んだところ、1枚が偽札だと言われました。で、どうなると思いますか?なんと、もう返してくれないのです。だから、にせかどうか自分で確認もできません。どうにもならないのです。そんな、バカな!! しかも、その100米ドルは米国の銀行からおろしてそのまま持ち込んだものです。結局、預金額は900米ドル、100米ドルは「偽札だよ」の一言で失せてしまったわけです。米国生活で、100ドル札なんてまず使わないのですが、油断してしまいました。100ドルの偽札が多いことも頭に浮かびました。皆さんも100米ドルを手にする時は要注意です。他人事ではありませんよ。(粥菜坊パパのよろずのフロク


このビル1階でUSD100が消えました
(香港の中国銀行タワー)

Posted at 2010年09月08日 00時31分00秒  /  コメント( 0 )

旅立つ前の両替は要注意 (粥菜坊パパのフロク)

最近の急激な円高で、海外へさらに行きやすくなっています。海外旅行を考える方も多いでしょうから、両替に関する要注意なお話をしたいと思います。

香港で仕事をすることになり、日本を出国するに先立って、40万円ほど持って東京銀行へ両替に行った時のことです。それまで、米国ドルしか両替したことはなく、米国ドルだと当時の銀行手数料は百数十円分の1円ですから、何も気にしたことはなかったのが禍しました。両替して手にした香港ドルを、新聞紙上の換算レートで換算してビックリ。40万円ぐらいが35万円ぐらいに大きく目減りしているのです。思わず、カウンターに戻って取り消したいと思いましたが、へたすると、さらに30万円になってしまうかも、と思いとどまりました。うぅぅぅぅ…うなるような思いをしました。悔しくて、あまり考えないようにしましたが、おそらく日本国内にある香港ドルの量は少ないので、米国ドルとは全く事情が違うのでしょう。きっと、現地で両替していればこんなことにはならなかったのかも。とほほほほ……という話でした。両替をする際は、手数料のレートをしっかり確かめましょう。(粥菜坊パパのよろずのフロク

Posted at 2010年09月03日 07時41分24秒  /  コメント( 0 )

粥菜坊の日本一(粥菜坊パパのフロク)

粥菜坊に日本一のことってないかなぁと探してみました…おそらく、日本一のことありました、ありました。たぶん、お客さん層なら、日本一です。ゼロ歳から100歳まで、まだベビー・カーに座ったままのお子様へお粥をあげているお母さんもよくいらっしゃいますし、最高齢では102歳というおばあちゃんがご来店したこともあります。先日は、94歳、95歳、96歳の3名のおじいちゃん・おばあちゃんが介護の方に連れられてお見えになりました。お粥もあるし、すべての料理が優しい味付けなので、子供やお年寄りが食べての安心できるとはよくいわれます。これは誇れる日本一だと、自分でもなかなか満足しています。(粥菜坊パパのよろずのフロク


混んでいなければベビーカーのままご入店下さい。

Posted at 2010年08月28日 07時39分20秒  /  コメント( 0 )

砂漠の中での反省話(粥菜坊パパのフロク)

先日、北米のグランドキャニオン方面で大変痛ましい車の事故がありました。亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。さて、最近では個人旅行でレンタカーをする方も多いと思うので、昔同じ場所辺りで痛感した私の反省話をお話しします。

ロサンゼルス(LA)でレンタカーをして、ラスベガス経由でグランドキャニオンまで出かけた時のこと。何の下調べもなく、LAを出るとすぐに砂漠の光景にちょっとびっくり。当初はお気楽に走っていると、遠くまで寂しい砂の風景が永遠と続いて、だんだんうんざりしてきます。グランドキャニオンまでざっと10時間。道はまっすぐ。行きかう車もほとんどなく、休むような場所もほとんどありません。破裂した大型トラックのタイヤがあっちこっちに転がっていて、ちょっと怖さを感じさせます。何時間か走って、ちょっと休憩と車を降りて「ぎょっ」。車が熱したフライパンのようになっていて、とても触れるような代物ではありません。外は灼熱地獄。のども渇いて、急に怖くなりました。そういえば、水さえ持っていない(当時は携帯電話なんてありません)。往来する車も見当たらない。何かあったらどうしよう…。バッテリーよ、クーラーよ、絶対壊れないでくれ。結局、何もなかったのですが。旅の下調べ・準備は舐めてはいけないと痛感した旅でした。(粥菜坊パパのよろずのフロク


こんな感じにまっすぐです

Posted at 2010年08月28日 06時54分29秒  /  コメント( 0 )

フロクの始まり(粥菜坊パパのフロク)

ご来店頂くと察しがつくと思いますが、粥菜坊は夫婦で二人三脚で経営している小さなお店です。ホールの切り盛りをしたり、粥菜坊のウェブサイトを管理したりしているのが、私、粥菜坊のパパです。

さて、私も、せっかく粥菜坊のウェブサイトがあるのだから何か思いつくこと・思い出すことを気ままに記録するスペースを設けました。結婚は国際結婚だし、放浪の旅経験は40か国近くあるし、6年間ニューヨークや香港で外国の会社で仕事をしていたし、習慣の違いに「えっ」とか「ぎょっ」としたことを中心に、ちょっと変わったことが書けるかなぁと思っています。日記風ではないので、「ブログ」ではなく、粥菜坊のホームページの“おまけ”ということで「フロク(付録)」にしました。時間がある時は、ぜひ読んでみて下さい。


『私が粥菜坊のパパです。いぇ〜い』

Posted at 2010年08月28日 06時43分55秒  /  コメント( 0 )