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粥菜坊パパのよろずのフロク

東北で応援 “ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”(2) 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

東北で応援“ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”(1)はこちら

東北で応援“ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”(2)

「一鳥二石」のBBQで、おなかがいっぱい。いっぱい過ぎて、肝心の手芸には心がなかなか向きにくいのですが、先ずは持ち込んだサンプル品を、わいわいと見て・さわって、こんなのふわふわでいいなぁ、と感じてもらうところからスタートです。サンプル品は、支援仲間が作ってくれました。


(写真)サンプル品をさわっています。うちのかみさんも、出発前の数日間、料理の仕込みそっちのけで作ってきました。


(写真:左から)うちのかみさんも作ったアクリルたわしのサンプル。彼女は手芸大好き人間なんです(右2枚は、お店に飾ってあるかみさん手作りのパッチワーク)。

「さて、ちょっと編んでみましょうか?」 毛糸も編み図も持ち込んでいます。先生はお隣リの矢本から駆けつけてくれたSさん。これから毎月、この会を見守って下さるそうです。



翌月以降のためにも、たくさんの毛糸や布切れを置いてきました。ミシンも仲間が事前に約10台送りこんでいるので、いろいろと手芸・裁縫をワイワイしながら、大いに楽しんで頂きたいと思います。



その間、手芸なんぞに全く無縁の私と高野さんは、再び南三陸町の大久保仮設・林仮設に走ります。前日夜間に取り付けた看板の出来栄えを確認して、各戸に仕分けした日常用品や食料の支援物資を配布、そして粥菜坊の『被災地食事支援プログラム』の冷凍粥も説明しながら配ります。



南三陸町から去る際は、ちょっと寂しい思いでした。あの3月、毎日ヘリコプターからテレビ報道された志津川病院、多くの人の涙を誘った防災センター、そして何度も足を運んだ歌津に、年内はお別れと思います。来年の春、また来るでしょうが、漁が復活し、復旧・復興が進んでいることをお祈りしました。


(写真)南三陸町志津川。瓦礫はかなりの高さに積み上げられていました。

夜は、門馬ご夫妻宅で牛モツ鍋。モツはもちろん、粥菜坊が仕込んで持ち込みました。全日空がファーストクラスで出している焼酎“へっつい猫”を飲んで、へべれけに。門馬さんに海老を揚げて頂きましたが、お皿がなんと牛乳パック。さすが節約家の門馬さん、おみごとです。

ご夫妻には、震災時の聞きにくかったお話も、今回はゆっくり聞けました。ずぶぬれで寒さに耐えたあの日、この地区では津波で流された人よりも、その晩凍え死んだ人の方がずっと多かったそうです。ずぶぬれの犬と体を温め合った話、腹ペコでも犬とドーナツを分け合った話など(これらは、支援仲間である庭野総理のブログ、ママ'sハート・プロジェクトの“被災地に生きる方々から学ぶ”でより詳しく書かれています。是非ご覧下さい)を聞くと、よくぞ生きていてくれたと思います。ボランティアの人たちが泊れるようにと、自宅を改装して開放する門馬ご夫妻。お二人のお話は、面白おかしいのですが、心が洗われるような思いでお聞きしました。


(写真:左から)へっつい猫でへべれけに。お皿は牛乳パックでした。

翌朝、門馬宅の裏山に登ります。頂上からは、野蒜の被災の状況が一望できます。そこには、震災当日避難した人たちが、暖をとるために焼いたさい銭箱の残骸が残っていました。神様のものでも燃やせるものは全て燃やしたそうです。門馬さんは、登りながら草木や花に語りかけます。その姿を見ているだけで、心がなんか和むんです。草花が好きな門馬さんは、庭にも随分草木が植えてありますが、土に染み込んだ海水のせいで、その多くが枯れてしまいました。でも、高野さんが数ヶ月前にさしあげたビワの木を大切に育て始め、中には力強く伸び始めているものもあります。心優しい門馬ご夫妻、神様から何かお役目を授かっている気がします。粥菜坊はこれからも、このご夫妻の活動を微力ながら応援させて頂きたく思います。門馬ご夫妻と今回のメンバー4人で最後に写真を撮って、今回の東北応援の旅を締めくくりました。


(写真:左から)裏山から一望する震災した野蒜。震災当日、神様のものでも燃えるものは燃やしました。庭で育ち始めたビワの木。


最後に、門馬コミセン前で集合写真

いつも思うのですが、被災地の人たちと直接接するのは自分達ですが、自分達も多くの方の応援に支えられているから、応援や支援といった活動ができます。支援物資も大勢の人達にご協力頂き、集まったものです。この場をお借りして、皆さんにお礼申し上げます。有難うございました。そして、引き続きよろしくお願い致します。 (完)

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今回の東北応援の旅の裏話しや詳細は、既にママ'sハートプロジェクトに楽しく連載されています。是非、ご覧下さい。
東北応援色々活動旅行(南三陸町編)
東北応援色々活動旅行(BBQ編)
東北応援色々活動旅行(手芸支援編)
東北応援色々活動旅行(まとめ編)
被災地に生きる方々から学ぶ

Posted at 2011年11月01日 23時58分00秒  /  コメント( 2 )

東北で応援 “ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”(1) 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

東北で応援 “ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”(1)

10月17日(月)〜19日(水)の3日間、東松島にある野蒜(のびる)と南三陸町の仮設住宅に行ってきました。今回の主な目的は、今までの炊き出しとは違い、裁縫を楽しむ集まりへの飛び入り参加です。コミュニティがばらばらになった野蒜にある通称“門馬コミセン”で、手芸をテーマに毎月人が集まり始めるというのを聞いて、「粥菜坊も参加〜!」となりました。実は、うちのかみさん、料理に増して大の裁縫好き。…すると、「人が集まるんだから、ご飯が必要じゃないか?よし、BBQもやらせてもらおう。」ということになったわけです。それ以外にも、南三陸町大久保仮設・林仮設での看板立て、冷凍粥の紹介・配布、支援物資の運搬など、今回も盛りだくさんの旅となりました。もともと、支援仲間の伊東里山クラブの高野さんが企画したもので、粥菜坊の参加によりBBQが付け足しとなったため、車は高野さんが調達。物資や食材をたんまり詰め込んで、出発します。

1日目は、南三陸町志津川の仮設住宅で看板立てと物資の配布。早朝出たものの、到着は夕方。区長さんや班長さん達にお会いして、高野さんは、車のライトを照らしての看板立て。粥菜坊は、電気カーペットや電気ストーブといった暖房器具、人から託された物資を配布します。


(写真:左から)物資・食材を詰め込み、出発。夜の看板立て作業。少年へ玩具を手渡し。

今回、南三陸町の仮設に中国人が3名いることが分かりました。うち、1名は家を失っただけでなく、ご主人も津波で流され亡くしています。子供が2人いて、中国に戻る選択もあるだろうに、日本に居続けて頑張っているんです。言葉の不自由さを乗り越え、異国の地で頑張り続けられるよう、粥菜坊も最大限応援することを約束してきました。

さて、いよいよ2日目。早朝、お粥の準備があるので、早速、南三陸町から東松島の野蒜へ移動します。野蒜…相変わらず、何もありません。

◆野蒜の今◆
海岸から平地の田園が続く野蒜では、広範囲にわたり津波の被害を受け、今でも田んぼは浸水したままです。震災後、7カ月経っても、お店は依然として皆無。仮設のコンビニや商店さえ一軒もありません。飲物の自動販売機も数えられるほどしかないし、行商も来ないので、陸の孤島といった感じの現状です。門馬コミセンがある地区は、震災前は420世帯あったうち、戻ってきたのは20数世帯。多くの人が仮設に移り、コミュニティもバラバラ。そんな中、門馬ご夫妻が、自宅の「はなれ」を、コミュニティづくりに解放、地元の人たちを集め始めたというわけです。そして、この「はなれ」を、仲間内で勝手に「門馬コミセン」と呼んでいます。


(写真:左から)広範囲にわたり田んぼは浸水したまま。残された家の一階はがらんどう。そんな中、洗濯ものがあれば、修繕して戻った方です。

朝から門馬さんのご主人は大張りきり。高野さんによると、ご主人がBBQをやりたくてやりたくて、しょうがなかったそうです。それだけでも、BBQをやる甲斐がありました。さて、お粥は、作るのに数時間かかります。粥菜坊パパは、早速お粥作りに着手。今回は、随分と特別でした。こんなお粥、どこに行っても食べられません、なんと、作るのは“北京ダック粥!!!”。しかも、使う調理器具は、釜と時計型ストーブ。皮付きのお肉はBBQの鉄板へ、残った骨はお粥の釜の中へ。これぞ、「一石二鳥」ならぬ「一鳥二石」。これで、美味しく出来ないわけがありません。


(写真:左から)火を起こして。「北京ダック美味しいぞぉ〜。」焦がさぬようぐるぐる。

私がお粥を焦がさぬよう、念入りに作っている間、うちのかみさんは門馬さんのご主人と歓談。実は、この門馬コミセン、門馬さんのご主人の手作りですが、うちのかみさんも住居1軒をレンガの積み上げから全部を手作りしたことがあります。その作り方や、工具に興味津々。なにやかやと質問していました。


(写真)ご主人手作りの門馬コミセン。震災で屋根まで水没。その後、ボランティアさんが宿泊できるよう改装しています。

集まった地元の皆さんはというと、支援物資を受け取っています。冬物衣類やら、日常用品もそれなりに持ち込みましたから。



さて、驚きのお粥もだんだん出来上がってきました。でも、なんと驚くべき食材は、北京ダックだけではないのです。ハンガリーの国宝、マンガリッツァ豚4キロも持ちこみました。北京ダックとマンガリッツァのBBQ、豪華過ぎてありえな〜い!でも、やってしまいました。粥菜坊の“門馬コミセン”を応援する気持ちが、一人で盛り上がって、こんな形になってしまいました。


(写真:左から)これも門馬ご主人手作り。北京ダックを切って。そして、鉄板へ。(骨はお粥へ)


(写真:左から)鉄板の上の「食べられる国宝」マンガリッツァ豚、手前は伊東里山クラブで採取した原木シイタケ。マンガリッツァ豚って、こんなにもふもふ&まふまふなんです。肉は厚切りでも柔らかく、豚本来の味が濃厚です。

門馬ご夫婦待望の北京ダック粥も出来上がって、先ずは皆さんで腹ごしらえ。北京ダック粥…目茶苦茶、美味しかったです。これは、全ての人が美味しいって言うに違いないと思えるほどでした。もし、「人生最後の一食何食べたい?」って聞かれたら、私はこの北京ダック粥です。それほど旨かったんです。もちろん、それ以外にも、肉や野菜盛りだくさん。久しぶりにあったお仲間が多い中で、皆さんに大いに盛り上がって頂きました。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年11月01日 01時45分07秒  /  コメント( 5 )

宮城炊き出し行脚 II (9)ボランティアに向かわせるもの 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー
第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち
第3章 誰でも受け入れるオープンな青空食堂
第4章 たかが炊き出し、されど炊き出し
第5章 次なるステップへ=『今、粥菜坊にできること』
第6章 虹のフィナーレ、そして南三陸へ
第7章 異国の地で頑張る女性、家族のために!

最終章 ボランティアに向かわせるもの

粥菜坊の炊き出しも今回で10回を数えました。粥菜坊は20人規模の小さな飲食店でありながら、常に他の店がしないこと・できないことに挑戦してきました。冷凍のお粥なんて作っているお店ないから、チャレンジしました。何か進歩になるだろうと、お祭りへの出店にもチャレンジしました。そんなチャレンジが、被災地での炊き出しや食事支援に繋がっていくとは夢にも思いませんでした。たくさんの炊き出しが必要とされた今年3月、粥菜坊は既にそのノウハウ、器具を持っていたのです。当初は100人分ぐらいをめどにしていた炊き出しも、回を重ねて学習した結果、今では600人や700人はいけるんじゃないかと思っています。このスケールアップも一つのチャレンジだったのかもしれません。


これは85Lの寸胴鍋。もう一回り大きい120Lの寸胴鍋も持っています。

何が粥菜坊をボランティア活動に向かわせるのか? --- 実は、お店のお客様への「感謝」、衣食住に困ることのない日本の社会への「感謝」です。粥菜坊には日頃から多くのお客さんが応援してくれるため、経営も順調です。いつも感謝の気持ちでいっぱいですが、ちまたによくある『お客様への感謝をこめて○○%OFF』というのは、あまり好きではありません。何か違う気がして。「社会から頂いた感謝は社会へ返したい」そう思っていて、炊き出しを始めた時に、これだ!と思ったのです。だから、粥菜坊の炊き出しは、社会に対する恩返しに過ぎないと思っています。怠けたわけでもないのに衣食住に欠けた人を助けるのは当たり前だと思っています。ささやかではあるけれども、粥菜坊にそれをさせてくれる皆さまには、この場をお借りして、厚くお礼申し上げなければなりません。忙しくて現地に赴けない粥菜坊のお客さんも、間接的には被災地を支援しているといえるのではないでしょうか。


粥菜坊の炊き出しは、社会に対する恩返しです

「こんなにしてもらって、お返しもできずにすみません。」と、以前言葉をかけられたことがあります。その際、「ぼくらも社会から受けた恩を社会へ返しているだけ。元に戻ったら、社会に恩返しすればいいんじゃないですか?」と答えておきました。そう考えて頂ければ、受け取るばかりの被災者の方々の気持ちも楽になるのではないでしょうか?そもそも、ボランティアという言葉も、あまり好きではありません。上から目線のような気がして。皆が人間として、同じレベルで支え合う気持ちがあれば、日本もきっと良い社会になるんだと思うのです。


港仮設での記念写真。人と人、同じレベルで支え合う、そんな社会にしたいです

さて、こうして、宮城炊き出し行脚 II を無事終えましたが、実は“行脚”という言葉を使ったのは、粥菜坊にとって、“自分を磨くための修業の場”と位置づけて挑んでいるからなのです。でも、そんな修業という言葉とはほど遠い、実に楽しくて人生の中でも忘れられない旅に終わりました。ボランティア活動ってこんなに楽しくていいのかと思ってしまうほどです。一緒に取り組んだ仲間達にも最高に恵まれました。その仲間達を含め多くの方々:地元の自治会・消防団の方々、食べに来てくれた皆さん、粥菜坊のお客さん、支援物資をお持ち下さった方、息子の面倒をみてくれた友人・・・たくさんの方々へ、やはり感謝の気持ちでいっぱいです。

最高の炊き出しができました。ありがとうございました!! 《完》


参考:ママ'sハートプロジェクト http://blog.livedoor.jp/mhpn/ では、今回の炊き出しの模様が実によく書かれています。まるで実況中継のようです。今回の炊き出し模様だけでなく、面白くてためになるので、多くの方々に読んで頂きたいブログです。
その1.出迎えてくれたのは満点の星空
その2.炊き出しのテーマは『交流』
その3.400人の子供達からのメッセージ
その4.ドンドン〜♪ピ〜♪
その5.現地の声を聞いて欲しい
その6.見送りは虹の架け橋
その7.班長さん6人組登場
その8.郷に入れば郷に従え
その9.やっぱりチームワーク
その10.忘れられた仮設住宅

Posted at 2011年11月01日 01時44分47秒  /  コメント( 0 )

宮城炊き出し行脚 II (8)異国の地で頑張る女性、家族のために! 【粥菜坊パパのフロク】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー
第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち
第3章 誰でも受け入れるオープンな青空食堂
第4章 たかが炊き出し、されど炊き出し
第5章 次なるステップへ=『今、粥菜坊にできること』
第6章 虹のフィナーレ、そして南三陸へ

第7章 異国の地で頑張る女性、家族のために!

9月23日の夜はニュー泊崎荘という民宿に泊まりました。長いこと避難所になっていたその民宿は、随分片づけも進み、食事も民宿らしい正常な状態に近づいていました。8月に泊った時は、給食のような食事でしたから。そして、翌日早朝、いよいよずっと気になっていた中国人のKCさんが待つ港仮設住宅に向かいます。


ニュー泊崎荘。つい先日まで避難所になっていました。

自分も海外に6年住んでいたことがあり、日本人と知り合うと凄く嬉しかったものです。務めていたのは日本の会社ではなかったので、言葉上のストレスも相当で、日本人とは仕事上のコンペティターの枠を超えて付き合いました。そんなこともあったので、彼女のことずっと気になっていたわけです。

かみさんとKCさんは、電話で何回もやり取りしているものの、会うのは初めてで、やっと会うことができました。笑顔満面の対面です。先ずは、少しの中国の食材やリクエストを受けたテーブルなんかを引き渡し、しばらく広東語で会話がはずみます。ポイントは広東語なんです。広東語が話せるというのは、同じ中国人の中でも同郷に近い、考え方が近いということ。また一線違うのです。かみさんも、広東語を話せる友人はなかなかいないので、親しみを持てるのかもしれません。しばらくして、気仙沼からKCさんのお友達も、お子さん2人を連れて駆け着けました。彼女も広東語を話す、中国南方出身の方でした。


(左から)KCさんとツーショット。気仙沼からもKCさんの友人が駆けつけました。

KSさんは、小さなお嬢ちゃん2人を抱えるママ。仕事は毎日で、休みはありません。この日は、わざわざ休みを取ったのです。子供が病気で休みたい時も、仕事場に休めるような雰囲気はないそうで、それが悩みでした。それでも、家を流された今、一度掴んだ仕事を失うわけにいきません。そんなママは、とても明るい頑張り屋さんでした。(後日、ニュー泊崎荘に仕事が見つかり、洋菓子作り関係で仕事を始めました。ニュー泊崎荘のロールケーキは、南三陸町で唯一残った洋菓子店ということで、日本中から注文が殺到して忙しいのです。家庭事情に理解があって、働きやすそうです)

困ったことに、志津川病院が被災した今、南三陸町に病院はありません。お嬢ちゃんにぜんそくがあるらしく、車で仙台まで(2時間ぐらい?)行くそうです。早く、南三陸町の中心街志津川に復旧して欲しいものですが、その様子は何も進んでいるようには見えません。国の遅々とした対応に、瓦礫が片付いた(正確に言うと、寄せられて積み上げられた)程度です。異国出身の彼女にとって、ストレスになることが多すぎます。もっと早く何とかならないものだろうか(怒)!

さて、一方では、ミニバザーの用意、炊き出しの用意が着々と進みます。下の写真の衣類、全部粥菜坊が持ち込んだものです。他の仲間が持ち込んだ生活用品はというと、全世帯分に均等に分けて配るということで、集会部屋に持ち込まれました。女性陣、かなりワイワイしながら、服を選んでいました。サイズがぴったりのもの、見つかると大はしゃぎ。かなり楽しそうに進む中、完売しました。また、今回も冷凍の中華粽を全世帯に2〜3個配りました。嬉しいことに、前回配ったのが好評だったのです。




(左から)ちょうど良いサイズが見つかってVサイン。中華粽を全世帯に運搬中。

港仮設はこじんまりした32世帯。人数も100人前後ということもあって、炊き出しも和やかに進みます。メニューは前日と同じ。お鍋を持ってきて取って行く人、腰をおろして賑やかにやっていく人、中には手伝ってくれる人もいました。


仮設の方も一緒に調理。ここでもブルーシート&机が大活躍。ワイワイがやがや。


お嬢ちゃんたちも大喜び。美味しいデザートもありますよん。

余裕があるこの日は、キャッチボールや風船作りも始めました。


(左から)支援仲間Iさんと少年。支援仲間Uさんが風船作りを伝授。

この2日間、天候にも恵まれ、とても楽しく過ごすことができました。下の写真をみると、港仮設の人たちとも、もう友達という感じでしょ?これから冬になるので、今年最後かもしれません。ま「た、来年きっと来てね」という言葉を受けながら、お別れしました。また、ひとつのドラマが終わるようでした。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年11月01日 01時44分28秒  /  コメント( 0 )

宮城炊き出し行脚 II (7)虹のフィナーレ、そして南三陸へ 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー
第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち
第3章 誰でも受け入れるオープンな青空食堂
第4章 たかが炊き出し、されど炊き出し
第5章 次なるステップへ=『今、粥菜坊にできること』

第6章 虹のフィナーレ、そして南三陸へ

美味しいものを食べれば、頬も緩んで会話も弾む。たくさんの人の笑顔が見れたし、MKさんにも会えたし、アイスパフェも食べたし、おなかも心も満足満足。今回の炊き出しがきっかけで、とにかく少しでも多くのコミュニティができて、一人ぼっちに置き去りにされる人が出ないよう、心から願っています。食の力って大きい、改めて感じました!

おっと、こんなイベントまで付いていました。どこから呼んで来たんでしょう? サポートチームGの代表が連れて来たんだそうです。民族衣装をまとった民族の踊りって、見ているだけで楽しいですよね。のぼりを見ると漢字だけですが、中国からではありません。お間違いのないように。日本にすんでいる韓国人の方たちだそうです。


日本に住んでいる韓国人の方たち舞い。

それと、炊き出しのことに夢中で書き逃しましたが、今回のイベント、有料・無料のバザーもあったんです。たんすなどの家財も、多く並んでいました。購入者には家まで運んでくれたそうです。支援物資を集めて送っていると、運搬の問題によくぶつかります。家財の場合、物はあるけど運送手段がないということがよくあるので、今回のバザーは多くの方が喜んだのではないでしょうか。

ちょうどその頃、仕事から帰って来たボランティアの方たちが続々と現れて、また賑やかになります。温め直して味を整えたお粥やビーフンを「ご苦労さまでした」とお出ししました。最後は、パーフェクトな虹も、応援してくれるかのように現れたんです。写真に入りきらないのですが、端から端までパーフェクト、こんな虹を見るのは初めてでした。虹のフィナーレに、うん、なんか納得してしまいました。



さて、今日の東松島での炊き出しはここまで。アヒルさんも戻って来て、「思い描いた通りの炊き出しが出来たね。」と満足してくれていました。アヒルさんの一声で始まったこの炊き出し。彼が喜んでくれて、支援仲間と力を結集して頑張った甲斐がありました。人を集めるために走り回ってくれた地元の自治会や消防団の皆さま、集まってくれた東松島の皆さま、本当に感謝しています。こんな気持ちで、東松島を後にして、次なる炊き出しの場所、南三陸の港仮設住宅へ向かいました。



港仮設。こちらは、もともと一緒の地区に住んでいた方々だそうで、交流という意味ではあまり心配がいらないそうです。ただ、8月に訪れて中華粽を配った際(その時は、かみさんは中国へ帰省中で、同行していません)、中国の人がいることに気が付きました。その際は、ちょっとしか会話できず、帰京後、随分気になりました。だって、外国から来て、日本でこんな目に遭っているんです。言葉の問題で溜めているストレスがあるかもしれない、中国の食材が欲しいかもしれない、きっと自分の言葉で話ができる相手が必要に違いない。こう思って、アヒルさんに相談すると、すぐに連絡先を調べてくれたんです。かみさんは日本に戻ってくるとすぐに電話しました。


港仮設住宅。8月に中華粽を配りました

最初は、当たり障りのない話で終わり、食べ物も服も足りているから心配いらないとのことで電話を切ります。それから、2-3日して、急に寒い日があり、携帯が鳴ります。「子供の服を送って欲しい」。8月の時にも二人のお嬢ちゃんにお会いしています。速攻でかき集め、次の日には30数着の冬服を送ったんです。それが、信頼関係を生んだのか、段々と話をしてくれるようになりました。地震があった時は、子供と中国にいたそうです。多くの中国人が帰国する中、彼女は日本の旦那さんの元へ戻って来ることを選びます。津波で家は流されたそうです。何回か電話を重ね、一度かみさんと会わせた方が、今後の相談もしやすいに違いない。その機会を探していました。この機会に行くしかない、他の支援仲間も同行してもらって、港仮設に行くことになったんです。実は、港での炊き出しは、そのついででした。その中国人ママは、ぼくらが行くとなると大喜び。かみさんも心待ちです。そして、いよいよ南三陸へ。運転は、やっぱり岐阜からのIさんがしてくれました(感謝)。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年10月14日 09時09分29秒  /  コメント( 2 )

宮城炊き出し行脚 II (6)次なるステップへ=『今、粥菜坊にできること』 【粥菜坊パパのフロク 】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー
第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち
第3章 誰でも受け入れるオープンな青空食堂
第4章 たかが炊き出し、されど炊き出し

第5章 次なるステップへ=『今、粥菜坊にできること』

前述しましたが、炊き出しなんて所詮一回分の食事。何とか次に繋げられないか? ずっと葛藤がありました。そこで、6月に立ち上げたのが『被災地食事支援プログラム』です。「粥菜坊さんはネット販売もしているから、地方からも注文できるし、こんなプログラムってどう?」と素案を提供してくれたのは、支援仲間の総理です。ちょうどその頃、“被災地炊き出し行脚”を終えて、知り合った方々へ冷凍のお粥を送り続けようかと考えていた時でした。彼女の案が斬新だったのは、粥菜坊のお客さんが購入するという点です。確かに、粥菜坊単独でやるよりも、お客さんにも協力を得た方が、無理なく運営できます。周りの人たちに忘れないで!と呼びかけにもなるし、息の永いプログラムにしたいとの思いもありました。早速、プログラムの内容を詰め、店に貼るパネルを作って、ネットショップにも組み入れ、『被災地食事支援プログラム』が始まったわけです。


(左から)ネット上の注文画面。NHKのカメラに宣伝を試み中(結果はボツ。やはり宣伝はだめか?)

さて、手がかかった食事をしてもらいたい、少しでも栄養あるもの食べてもらいたいと思って始めたこのプログラム。それらが解消されたとは思ってませんが、半年経った今では、新たなステップとして重要な役割を担えると思っています。このプログラムを活用して食事会を設けてもらったり、見回りボランティアのツールとして活用頂くというものです。7〜9月に数多くの人が仮設住宅に入居してますが、いろんな事情でコミュニティがバラバラになり、残念ながら自ら命を絶つニュースも耳に入ってきています。なぜ、東北の人が何度も何度もこんなつらい目に遭わなければならないのか。地震・津波・別れ・孤独・厳寒……粥菜坊ができること、せめてコミュニティづくり、孤独化防止にちょっとだけお手伝いさせて頂きたい。せめて、まだまだ多くの人が心配していること伝えたい。強くそう思っています。


食事支援プログラムでは、朝鮮人参粥、餃子、中華粽のいずれかを送っています。

そのためにも、今回の炊き出しでお会いしたかった方が2名いました。

1名は野蒜(炊き出し場所から車で5分ぐらいのところ)のMKさんというおばちゃんです。震災当日は、天井まで押し寄せた津波に沈み、ご主人は車ごと流され、それでも助かったお二人。当日、MKさんは裏山に逃げ込み、真っ暗の中一晩過ごされたそうです。その後、3カ月、2人は避難所から自宅に通い、泥出しから修理に明け暮れたものの、それがほぼ終了すると、張り詰めた糸も切れ、周りの人たちはほとんど戻らず(420世のうち、20世帯しか戻っていません)、落胆の日々を過ごします。そんなことではいけない、と支援仲間の高野さんが心配して8月に訪れた際、同行させてもらったわけです。このおばちゃん、かなり面白くて求心力がある。何とか先ず、MKさんが元気になれば、きっと周りを元気にさせるはず。皆でこう確信しました。そして、ある仕掛けを残した結果、現在実際にそうなりつつあるのです。支援仲間でどれだけ歓喜したことか。その仕掛け・いきさつは総理のブログをご覧ください。


8月に支援仲間8人でMKさんを訪ねました

さて、今後毎月一回、近所のおばちゃんで集まって手芸・裁縫を楽しむことになったらしい。粥菜坊は、「是非、粥菜坊の食事支援プログラムを使って、皆さんでお粥をお食べ下さい」と直接お話ししたかったのです。お会いできて話をしていると、MKの目に涙がバッと浮き上がるのが見えました。皆が一斉に応援したので、感極まったのだと思います。自分も声を詰まらせてしまいました。MKさんは、炊き出しのお粥を美味しい、美味しと何回もおかわりしていたので、ちょうどタイミングばっちりでした。もちろん、「わぁ、嬉し〜い」との返事。会えてよかった。これからは、そのコミュニティがしっかり根付くこと、粥菜坊も見守りたいと思います。

そして、もう1名は、仮設住宅を見守りボランティアをしているMTさんという若い女性です。看護婦さんという多忙な仕事をしていながら、仕事の合間をぬって仮設住宅を回っている方です。現在、食事支援プログラムのお粥を送っている一人で、見回りの際に「これ食べて下さいね。」って具合に置いてもらっています。かなりの寒さになった今、かなり喜ばれていると聞きます。8月にお会いしていますが、できるなら、またお会いして要望なり、必要な事なり、直にお聞きしておきたかったのです。でも、残念ながら、当日は都合つかず炊き出しに顔は出せませんでした。またメールや電話でやりとりします。


8月支援仲間8人でMTさんの所も訪ねました

今後は、粥菜坊の『食事支援プログラム』を見回りツールにして、見守りボランティアを始める方を見つけたいと思います。お粥のプレゼントがあれば、知らない人でも訪ねやすいと思うんです。そして、あちこちでコミュニティづくりが進み、孤独に悩むお年寄りの方々が少しでも少なくなるよう、心から願っています。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年10月11日 07時39分00秒  /  コメント( 0 )

宮城炊き出し行脚 II (5)たかが炊き出し、されど炊き出し 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー
第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち
第3章 誰でも受け入れるオープンな青空食堂

第4章 たかが炊き出し、されど炊き出し

粥菜坊の炊き出しもこれまで7か所、8回。心にずっとすっきりしないものがありました。食材、器具を持って行くなら、物資を満載にして持っていった方がいいんじゃないか? 炊き出しなんて、所詮一回分の食事。5時間もすれば後に何も残らない。確かに、喜びを伝えてきてくれる人もいるが、ほんの一握り。全体的にはわからない。お粥を作れば、食べないであからさまに拒否されることもある。日本のお粥をイメージすれば、あっても仕方ないこと。へこまないわけではない。……こんなことの連続でした。

でも、炊き出しって誰もが出来ることじゃない。自己満足でも構わない。100人に食べてもらって1人でも喜んでくれる人がいればいいじゃないか、お金をとるわけじゃないし。よし、やり続けよう。粥菜坊だからできること、見つけよう。こんな心の葛藤が何回かありました。

さて、話は元に戻りますが、餃子を焼き始めると、また行列が。6つの卓上コンロとフライパンを使って、2つは蒸し焼き用、4つは仕上げ用でパリッと焼きあげます。蒸し焼き用→仕上げ用の流れを作って、どんどん焼いていきます。多くの人が、餃子は最初に油を入れるものと思い込んでいますが、そんなことありません。最初は水だけで蒸し焼きして、最後に油を入れて焦げ目を付ける方がずっと失敗は少なくて済むのです。どんどんどんどん焼きあげていきます。


餃子を焼きながら現地の人と談笑

すると、たくさんの人たちが餃子を受け取りながら、話しかけてくれ始めます。お粥・もつ煮を既に食べた人たちも多いので、「こんなお粥が美味しいなんて知らなかった」、「お粥、美味しかったよぉ〜。感動しちゃった。」「もつ煮に入ってた、あれって何?」(答えはハチノス)なんて言いながら、餃子を貰って行きます。お粥をおかわりする人もたくさんたくさんいました。社交辞令でなく、ホントに美味しんだって心に響き、感激が止まりません。若い女性で、何回もおかわりしながら「こんな美味し餃子初めて。生きててよかった」なんて言ってくれた人もいました。重い言葉です。また涙が溢れてきました。

心の葛藤から、解き放されるようでした。そうだ、今までも実はこんなに喜んでくれていたんだ。今までは、食べる場所がなくて持ち帰っていたから、そんな会話をする場所もなかったんだ。自分達も3−4人で、作るので精一杯。そんなチャンスもなかったわけです。涙が止まらず、こそこそ裏手に回りました。炊き出し、やっててよかった。たかが炊き出し、されど炊き出し。捨てたもんじゃないじゃん。裏手で涙を拭っていました。
餃子は約1000個用意しましたが、またたく間に完売。焼きあげの失敗は1個もなく、自分は食べ損ねてしまったのが、残念でした。

さてさて。ママ'sハートキッチンはこれで終わりません。この後も凄い。なんと、飲物コーナーの一部がデザートコーナーに。メンバーのEさんが張り切って用意してくれました。こんな炊き出し、なかなかない!


わあ〜、美味しそう。

このほか、飲み物も一日中飲み放題。そして、Uさんが岐阜から持ってきたクッキー。なんと、幼稚園の関係者が焼いてくれたもので、子供たちのメッセージ付きでした。こんな嬉しいものまで、配られたんです。


園児からのメッセージには、“頑張ってね、負けないでね”とありました。

いやいや、それでもまだ終わりません。遅れて来た人、食べ足りない人、きっといるはず。そして、仕事を終えたボランティアの人も、どっと来るはず。お粥を温め直したり、ビーフンの調理にかかります。


(左から)ビーフンの用意、ボランティアの方に温かいお粥渡してます

次の写真。ちょっとした広場がありますが、少し前まで雑草が伸びっぱなしだったんです。炊き出しをするからというわけではないのですが、駐車場に使った別の場所も含めて、草刈りをしてくれたのはボランティアの人たちです。この炊き出しの日も、この会場に隣接する東名駅の周りの雑草を大勢のボランティアの方々が取り除いてくれていました。今回、こうした炊き出しができたのも、ボランティアの方々の力が大きいのです。テーマは交流。ボランティアの方の食事の際には、現地の人に交じって、お話しながら食事をして頂いた人も大勢います。たまたまこの日に参加していた方々だけですが、粥菜坊の炊き出し、食べてもらえて嬉しかったです。ボランティアの人たち、本当に有難う。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年10月08日 09時23分14秒  /  コメント( 0 )

宮城炊き出し行脚 II (4)誰でも受入れるオープンな青空食堂 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー
第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち

第3章 誰でも受け入れるオープンな青空食堂

誰でも受け入れるオープンな青空食堂---それが『ママ'sハートキッチン』です。実は、これって大きなことなんです。残念なことに、物資を配布する際あるいは炊き出しをする際、ここの仮設の人だけとか、他の地区の人は来ちゃダメとか、数の限りからどうしてもそうした制限が必要になります。そこに嫉みややっかみが生まれ、ボランティア活動がマイナス要素を生み出すことも少なくないのです。今回はそんなことがあってはならない。『ママ'sハートキッチン』は誰でも何回でもOKにしました。しかも、ボランティアの人までも。だって、テーマが「交流」だから。けち臭いことをしているわけにはいきません。

だから、食べ物足りなくなっちゃった、なんてことしたくありません。どんどん作ります。まずは、食材を車から降ろして、広東粥、中華もつ煮の準備から。お粥を作るには、生米からグズグズ煮込んで5時間。屋外ですから、へたをするとそれ以上。風の強さで調理時間が全然違うんです。火が弱まらないよう、コンロの周りをしっかりガードしなければなりません。


食材を降ろし、寸胴に水を入れ、火を付けた鍋は周りをしっかりガード。

ぐずぐず、グズグズ… お粥を焦がすわけにはいきません。ちょっと焦げても、その匂いが全体について、全部台無しです。出来上がるにつれ、だんだん重くなって回すのもひと苦労です。回すのは時計の逆回し、でないとお粥のトロミがしっかり出ません。地球の自転に伴う自然の摂理です。それに逆うと、水が分離していトロミが失せてしまうのです。


ピータン豚肉のお粥と中華もつ煮、出来上がってきました。

椅子も並べ、ブルーシートも敷いて、語らいスペースも準備開始。即席の看板も炊き出しメンバーEさんがささッと作ってくれて、12時のスタートに備えます。



さあ、『ママ'sハートキッチン』の始まり始まり。先ずは、広東粥と中華もつ煮あんかけパスタ/ご飯のご提供。ぞろぞろゾロゾロ…わくわくワクワク…。炊き出しを手伝ってくれるボランティアの方もいました。



そして、語らいスペースには、入れ替わり立ち替わり大勢の人が……。やったぁ、これが欲しかった。これが。こんな当たり前のこと、被災地ではそれがなかなかできないのです。公園はなくなり、○○会館は流され、仲の良かったご近所さんはどこに行ったかわからない。集まる場所もないし、人もてんでバラバラ、こんな状況なんです。



たくさんの人たちが、本当にうれしそうに話をしているのを目の当たりにしました。住所交換をしている人もたくさん見ました。聞いてみると、お互いどこに行ったかわからず、半年ぶりに見つかったなんて言っていました。まだまだ餃子、ビーフン、デザート、飲み物、たっぷりあります。どうぞ、ゆっくりしていって下さい。この盛況ぶりに目を向けるたび、何度も何度も涙がこみ上げてくる自分がいました。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年10月07日 09時02分29秒  /  コメント( 2 )

募集!福島の除染に必要です!古タオルをお持ち下さい

そのタオル、捨てる前に待った!南相馬市に大量の古タオルを送りこみます。先日、原発避難警戒区域が解け、これから小学校などの建物の除染作業が始まります。建物の除染作業は、高圧洗浄機でブアァーーーッと水洗いし、布でひたすら拭き取る作業なので、とにかく古タオルが必要というわけです。除染拭き取りタオルは、1回拭いたら捨てるしかないため、捨てる寸前のぼろタオルがむしろ有難いとのことです(使う人のことを考えて、洗濯済みであることは必要)。是非、よろしくお願いします。

Posted at 2011年10月07日 09時01分41秒  /  コメント( 2 )

宮城炊き出し行脚 II (3)支援が繋ぐ熱き仲間たち 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

プロローグ それはアヒルの一声で始まった
第1章 テーマ『交流』と炊き出しメニュー

第2章 支援が繋ぐ熱き仲間たち

メニューも決まり、もくもくと準備に入りますが、今回は今までの炊き出しとは圧倒的に違う点がありました。すばらしい「仲間」の存在です。支援活動をしていくにあたって、粥菜坊はなんら団体や組織に属しているわけではなく、あくまで個人でやっています。だから、これまでは炊き出し場所を探すのでさえ苦労し、炊き出しメンバーを揃えるのだって簡単ではありませんでした。


4〜7月はメンバー3〜4人による炊き出しでした

ところが、今回は仲間がいっぱいいました。皆、個人で熱心に支援活動をしている人たちで、自分ができることを精一杯、実行している人たちです。その中心には、ママ'sハートプロジェクトというブログを立ち上げて支援活動をしている、埼玉の主婦の方がいます。行動力といい、統率力といい、情報収集もあまりにすばらしいので、皆で総理と呼んでいます。その仲間たちは、日頃ネット上で情報交換していて、総理を中心に水平に手をつないで輪を作っている感じの仲間たちです。組織とか団体とかいうわけではなく、緩やかな情報交換グループといった感じでしょうか。決して集まることはないのですが、誰かがバザーをするとか、現地に何かを持って行くとなると、よってたかって応援します。結果、現地へ行く支援活動がオフ会になることもあります。今回も、炊き出しをするとなったら、さぁオフ会だ!みたいなのりで、参加可能なメンバーが集まりました。ちなみに、前出のアヒルさんも仲間の一人です。


今回は8人が集結

さて、その仲間たち、炊き出しメンバーを募るとたちどころに手が挙がり、ネット上で盛んにやり取りが始まります。参加メンバーだけでなく、参加できない後方支援の人たちももちろん意見してくれます。
・会社の社内販売でどんどん食品を調達していいか?(入手の都度、○○GETしました〜って報告してくれました)
・ハイエースを出して神奈川経由で宮城に行くがどうか?(なんと、岐阜からです。すると、もう一人、岐阜から参加すると言い出しました)
・クッキーを作って持って行きたいがどうか?
・フルーチェを作ってはどうか?(牛乳を使うので却下)
・どうしたら現地の人の孤立化を防げるか?
・今困っていること、必要なことのアンケートをとってはどうか?
・見守りボランティア募集のチラシを配ってはどうか?
・長蛇の列に餃子を焼くのが追いつかないのではないか?(餃子を出す順番を変更しました)
などなど…
個人的に知っている現地の被災者の方から現地情報を入手してくれる人もいました。現地で事前に配るチラシにも皆、積極的に意見しました。
炊き出しに名前をつけようとなって、自分が ママ'sオープンキッチン か ママ'sハートキッチン を提案。その名前、素敵という意見が立て続けに出ましたが、総理から粥菜坊の名前を入れたほうがいいと異議。結局、粥菜坊ママとママ'sメンバーのコラボということで、『ママ'sハートキッチン』に決まったこともネット上でやり取りされました。


粥菜坊ママとママ'sメンバーのコラボ

そんな仲間たち、ネット上で、日々情報交換をしていて、その熱い行動や思いに、涙してしまうこともしばしばです。覇気を失った人を見つければ何とかしなきゃと皆で考えたり、困窮してそうな仮設を見つければ、たちどころに物資を集めて乗り込んだり送り込んだり。直近の事例では、支援をほとんど受けていないあまりに辺鄙な場所にある仮設住宅を発見。「今、一番何が必要か」聞いてみると、石油ストーブ。総理は、ある団体と交渉の末、数日のうちに石油ストーブ30台を用意しました。日頃から、情報収集を怠らず、人脈を大切にしている賜物だと思います。そして、初回ぐらい灯油を用意しようかと皆でカンカンガクガク。とても熱い仲間達なんです。一部の人がブログを公開していますので、是非ご覧ください。

・ママ'sハートプロジェクト http://blog.livedoor.jp/mhpn/
・NPO法人伊東里山クラブ http://blog.canpan.info/satoyama0404/
・aroaroma(アロアロマ) http://ameblo.jp/aroaroma/
・力JET fr OHANA project http://ameblo.jp/riki-jet/
・サポートチームG http://sinsaisien.blog.fc2.com/(アヒルさんが関わっているチームのブログ。アヒルさんが書いているわけではないそうです)

参加のメンバーも不参加のメンバーも、始まる前からわくワクわくワク。こんなに楽しい支援活動ってあるんだろうか。そして、炊き出し計画も徐々に整い、いよいよ9月23日の朝を迎えます。まずは、こんな状態で炊き出し場所、東松島の東名駅前に乗り込みました。運転手さんは、岐阜から参加のIさん。ほとんど休まず、岐阜から川崎経由で、「主役は休んでて」なんて言いながらずっと運転してくれたんですよ。こんな心熱き仲間ばかりなんです。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年10月07日 09時00分11秒  /  コメント( 2 )

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