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粥菜坊パパのよろずのフロク

被災地は今(2) 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年11月26日(月) 

さて、「被災地は今(1)」では、千葉さん御一家に関わる心配な問題に関して触れましたが、その千葉さんのおかあさんに歌津迎賓館「鍵」を、そして拓さんに田束山(たつがねさん)を案内して頂きました。

先ずは平成の森に創られた歌津迎賓館「鍵」。なんとこの集会所「竪穴式」なんだそうです。歴史の教科書でしか聞いたことがない…。そして、この建物、震災後にチーム日光という芸術家さん達のグループが、地元の復興への思いをくんで、数ヵ月その場に泊りこんで築き上げた素晴らしい芸術作品。とても印象的な木製の扉は、360度回転式になっていて、片面が男性もう一方は女性をイメージして作られたそうです。そして、扉を閉じた状態では、色が透けて外の光を通し、表の模様と相まって、とても幻想的。すばらしいです。


写真:歌津迎賓館「鍵」全体像。入り口の扉。扉を閉めた時の裏側から。

入ると正面には囲炉裏、入り口すぐの両面には獅子でしょうか、描かれています。


現代的な機器類は一切排除され、心落ち着く不思議な空間でした。今は、地元の人の会合に使われていますが、将来的には隣接しているキャンプ場の利用者にも開放されていくのかもしれません。

そして、次に案内して頂いたのは霊峰田束山。知らなかった…。歌津にこんな素晴らしい山があるなんて。だって、下の道を走っていても、全然山なんて見えないのです。標高は500メートルで、360度開けた光景にリアス式の入り組んだ海岸線が眼下に拡がります。天気が今ひとつであまり見えないことを覚悟していましたが、ぼやけながらも遠くまで見渡すことができました。天気がよかったら最高の景色に間違いありません。11月なので私達以外に観光客はいませんでしたが、ツツジの季節にはたくさんの人が訪れるそうです。これほど三陸の海を間近に見える山はそうないらしく、是非現地を訪れた方は足を伸ばして頂きたい場所です。


写真:案内の看板。山頂にて。気仙沼を望んだ景色。

その後、千葉さんご一家の牡蠣養殖の作業場を見せて頂きました。残念ながら、海の状態で船を出すことはしませんでしたが、目の前の伊里前川を覗きこんで、そこに住む貝、魚の説明をしてくれました。貝殻にフジツボなどの付着物がいっぱいあって、最高の身入りの牡蠣が期待できるそうです。千葉拓さんの語りを聞いていると、彼の海、自然に対する熱い思いを感じます。先に書いた防潮堤はなんとしても阻止しなければいけないと強く思います。テントの中でコーヒーを飲みながら、しばらく歓談していると、もうすぐお昼ごはんの時間。千葉さんに別れを告げて、志津川にある仮設商店街“さんさん商店街”に向かいます。

志津川は、あいかわらず見渡す限り荒涼とした感じの平地がひっそりとしたままです。それでも、瓦礫の山はずっと少なくなっていました。防災センターは近いうちに、解体されると聞きます。建物の脇に設けられていた祭壇は撤去されていました。


写真:地盤沈下した志津川の広い平地は、瓦礫の山は目立たなくなったけど、そのままでした。

午後は、さんさん商店街で南三陸キラキラいくら丼を食べて、女川を回って、石巻から東松島へ。大川小学校にも立ち寄って、祭壇に手を合わせました。ひっそりとして校舎は破壊されたまま。そして、すぐ裏には山があるんです。その気になれば、すぐ登れただろうに…。残念でなりません。


写真:南三陸名物、きらきらいくら丼で腹ごしらえ。

去年6月以来、約1年半ぶりに訪れた石巻。ここの2か所の避難所で炊き出しの梯子(はしご)をしたことを思い出します。一番被害が大きかったと言われる南浜・門脇地区に行ってみました。被害が甚大ですから、見渡す限り平らという感じは未だありますが、人や車の往来もあり、建設中の大きな建物もあって、着々と復興に向かって進んでいるという感じはありました。


写真:建設中の建物や、駐車場のくるま、人の往来を見ると着実に前進しているようです。

写真:(左から)遠くに見えるのが日和大橋。火災にあった門脇小学校。車の残骸もまだまだ多くありました。

石巻を通過の後は、野蒜、そして宮戸島へ。残念ながら、既に暗くなりかけて帰京する時間も気になりだし、何度もお邪魔しているMさん宅に顔を出すのは諦めました。


(左から)野蒜海岸、昨年10月と比べて整備は随分進み、瓦礫の山もほとんどなくなっていました。野蒜駅、そのままでした。宮戸島月浜、綺麗になっていました。

そして、夜ごはんは仙台の牛たん屋さんへ。牛さんの分厚い舌とベロチューを堪能。そして、川崎に戻り、レンタカーを返却したのは、真夜中12時。無事に帰りました。しっかり寝て、次の日からまたお店です。

Posted at 2012年12月14日 09時32分12秒  /  コメント( 0 )

被災地は今(1) ゆゆしい問題 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年11月26日(月) 

福興市で出店した日の翌日は少し観光をしてみることにしました。今まで何度も南三陸町を訪れているものの、やることがあって来ているので観光らしいことをしたことがありません。そこで、地元歌津の千葉さんにご案内頂くことになりました。でも、その前にその千葉さんご一家が直面している問題についてお話したいと思います。

千葉さんご一家は、歌津の中心、伊里前でカキ養殖を営んでおりました。私の手元にある本の表紙になるほど被災地の写真として代表的な歌津大橋、そのすぐ近くに家があり、津波で自宅はもちろん、カキ養殖の道具も何もかもほとんど流されてしまいます。現在も歌津大橋は破壊されたままだし、津波の力の凄さを見せつけられるほど鉄梯子もぐにゃぐにゃのままです。


写真:(左から)被災直後の歌津大橋。現在の歌津大橋。すごい熱が加わって曲がったと思われる鉄梯子。

多くの漁師さんたちは、この震災で廃業に追いやられました。漁業を再開するための漁船や筏、養殖施設や漁具、処理場の建設などなど、費用は何千万円あっても足りないほど莫大。行政からの支援はあるにはあっても、そうはあてにならないようで、協業しているグループでないと受けられないとかの制約も多いみたいなのです。地盤沈下した漁港の工事も一向に進まないため、処理場、作業場の整備も進みません。年齢や後継ぎを考えて、苦渋の決断で幕を引くんだと思います。

そんな中、千葉さんご一家は、復興に向け基金を募るホームページを立ち上げ、未来へ一歩踏み出しました。カキ養殖の再開へ向け歩み始めたのです。既に伊里前川近くの自宅跡地には大きなテントが張られ作業場にしていました。限られた牡蠣筏や漁具を駆使して、牡蠣をまた育て始め、成長を見守っています。その近くには、昨年末にオープンした伊里前商店街がありました。少し高台には、線路を破壊されたままの気仙沼線の歌津駅があります。


写真:千葉さんの作業場。伊里前福幸商店街。ひっそりとしたJR歌津駅。

千葉さんご一家は、もちろん今でも多くの人に支援を呼び掛けています。ちょっとやそっとの金額ではとても足りないのです。是非、一度結っこ基金のHP3代目千葉拓さんという青年のブログを見てみて下さい。是非、応援をお願い致します。


そんな奮闘している千葉さん一家に、心配な問題が持ち上がっています。伊里前川に防潮堤を建設する計画が住民の知らないところで進められていました。1kmにわたって高さ7〜8mのコンクリートが伊里前川を埋めてしまうのです。それが、中央防災会議の提言に基づき、一部の人だけで話合いが進み、県が事業を進め、町が事業計画を作成し、土木事務所が図面を起こして、ようやく住民に説明されたというから驚きです。そこに、その工事による環境への影響は全く議論されていないそうです。3〜4年の工事の間に、伊里前川は工事で濁り、その水は伊里前湾へ流れ出します。そこに育つ海洋生物はどうなってしまうのか、その議論では何も考えられていないそうなのです。

住民は高台移転が決まっており、これからそこに住む人はいません。いくら高くて頑丈な防潮堤を作っても、自然の力には無力であることもわかりました。なのに、環境破壊を起こしてまで何故そうしたハードな部分にこだわるのか、私にもわかりません。怒りさえこみあげて来ます。もっと高台避難意識の徹底や避難経路の確保といったソフト部分に力を入れることの方がずっと大切に思います。千葉さんのような漁民にとっては死活問題です。きっと、同様な問題が被災地の沿岸部分のあっちこっちで起きているような気がしてなりません。

田束山から良質な水が流れ出し、伊里前湾に注ぎ込む伊里前川。今、そこに計画されている防潮堤建設を阻止しようと千葉さんご一家の第3代漁師、千葉拓さんは戦っています。自然を死守しようと戦っています。自分は見守ることしかできないのが残念でなりません。


写真:うたちゃん橋がかかる伊里前川、防潮堤の建設より自然保護を優先させるべきと思います。

Posted at 2012年12月11日 09時45分20秒  /  コメント( 2 )

南三陸町福興市に出店 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年11月25日(日) 

24日の営業終了後、夜通し車を走らせて宮城県の南三陸へ。11月25日(日)は、南三陸町の福興市に出店してきました。寒さにはしっかり準備したし、風もなく、寒さはつま先が冷えるぐらい。元気いっぱい販売ができました。販売したのは、粥菜坊の海草の餃子(南三陸のわかめを使用)だけ。あっさりしていて食べやすいので、お店では焼き餃子だけでなく、水餃子、揚げ餃子、スープ餃子にも使っている餃子です。

震災を通して知り合った現地の人や支援仲間も駆けつけてくれて、販売スタッフは10人以上に膨れ上がりました。どんどん売ったので、少しは福興市の盛り上げに貢献できたかなと思うし、何よりも嬉しくて楽しい一日でした。だって、震災前は知らなかった者同士が、一緒に力を合わせて販売したのだから。そして、お客さん達は、“わかめ餃子“の文字を見て、興味津々。たくさん食べてもらえました。美味しいを連発する人も多くて、わかめも餃子とマッチングできること、地元の人にも観光の人にも、たくさんの人に知ってもらえたと思います。


写真:(左から)粥菜坊店はこんな感じ。デモンストレーション用に餃子包みマシーンを導入。のぼり旗“南三陸町産わかめ餃子”も支援仲間を通じて有志が作ってくれました。



さて、お店は盛況でしたが、前のブログでも書いたように、今回の本当の目的は、わかめ餃子をご当地グルメとして売り出してみないか、の提案です。ちらしも2種類、飲食関係の方向けと一般の人向けに用意しました。話を聞いてくれそうな人を見つけては、ちらしを渡してアイデアを説明します。真剣に聞いてくれる方もたくさんいました。観光協会のブースに出向いて話もしてきました。


写真:左が飲食関係の方向け。右が一般の方向け。

地元の人で真剣に取り組む人が出てくれば、粥菜坊はスキル支援を惜しみません。南三陸といえばわかめ、と言っても過言でないぐらいに有名なんだから、全国区になって復興のみならず、復興プラスをねらうチャンスと本気で思っているんです。しばらくは、問い合わせ待ちです。

寒い中、味噌汁の差し入れがありました。南三陸の海藻が浮かぶ味噌汁にわかめ餃子を入れると、これまた絶品。こんな食べ方もわかめ餃子はできるんです。


写真:わかめ餃子入り味噌汁(非売品)

目新しいものなので試食も随分出しましたが、用意した餃子はほぼ完売しました。午後2時頃には、そろそろ終わりかなの雰囲気も漂ってきて、片づけの準備に入ります。売れ残りは困るので、なくなるとほっとします。当日の様子は、応援に駆けつけてくれた支援仲間の、レスキュー横浜オーファの島田さんのブログでも記載されているので、是非ご覧下さい。すぎちゃん風に書かれていて、そっちの方が面白いだぜぇ〜。

この福興市は、毎月最後の日曜日に開かれています。県外から来ている方もいっぱいいました。応援バスツアーもあって、なかなかの人出です。機会がありましたら、是非被災地へ赴きましょう。まだまだたくさんの人の応援が必要です!

Posted at 2012年11月30日 09時38分27秒  /  コメント( 0 )

中国の結婚式レポート(3) 【粥菜坊パパのフロク - 広州・中国編】

招待された人達がだんだん集ってきました。服装は、日本のように堅苦しくなく、女性はほとんどの人がおしゃれしていますが、男性は普段着の人も多くいます。驚くのは、日本のようにお祝い袋の利是(ライシィと発音)にお金を入れて持って来ますが、受付の人はすぐに中身を確認して、一覧表にいくらかを書き込み、その袋にその一部をお返しとして入れて、その人を追っかけて行って返すのです。例えば、500元持ってきた人には、100元頂戴して400元をその袋に入れて返すのです。(このやり方は、結婚式に限らず、利是をもらった時の普通のやり方のようです。)そのかわり、日本のように引き出物が用意されているわけではありません。お金や金額を表に出すことをタブーとする日本のとは違った風習の大きな違いの一つです。


写真:(左から)受付の準備も忙しくなってきました。赤くて長いのは、なんと記名帳です。だんだん人も集まってきました。

テーブルには、初めからお菓子が置かれています。あめ(甘い)や、落花生(子孫の意味)など、こうした行事では付き物のお菓子です。1品目の前菜も運ばれ、ワインを飲みながら(残念なことにビールは出ませんでした)前菜をつまんでいると、会場は暗くなって、サンド・アート(砂で描くアート)の動画がスクリーンに流れます。新朗新婦の出会いから4年間にわたる物語でした。


写真:(左から)テーブルに置かれていたお菓子。1品目の前菜。人も揃ってきました。

そして、進行役が舞台に現れ、その紹介のもと、新朗が舞台に登ります。何やら会話をした後、歌を歌い出しました。そして、舞台から降りて正面に新婦を迎えに行き、そして舞台に連れて戻ります。中国の披露宴も随分とショウ的なものがあるんだなぁと思いながら眺めていました。


写真:(左から)新朗舞台に登場。新婦を迎えに舞台から降ります。新婦を手に舞台に戻ります。

そして、舞台上で新朗が挨拶。両親や友人、関係者に感謝の言葉を述べ、そしてシャンパンタワーとケーキカットをして(日本ほど、セレモニー的ではなく、あっさりしてました)、新郎新婦のご両親が舞台に上がって、新朗の父親が挨拶。嬉しいことに挨拶もこれで終了。日本のように、後から後から挨拶は続きません。ワインやブランディー、ジュースをグラスに入れ直して、新朗の父親の音頭で乾杯です。


写真:(左から)新朗が挨拶。シャンパンタワー。ケーキカット。

音楽とともに、サービス係が子豚の丸焼きを持って一列になって現れ、各テーブルに次々と置いていきます。豚の丸焼きはお祝いには付き物で、結婚式ではひとつのセレモニーになっています。豚の丸焼きというと、丸ごと食べるものだと思っている人がいますが、そうではありません。カリカリと焼きあげた皮の部分だけを食べるのです。


写真:(左から)子豚の丸焼きが登場。食べるのは皮だけなので、食べ終わりはこんな感じです。

ここで、1品目の前菜、2品目の子豚の丸焼き以後の食事のメニューをご紹介します。最後のデザートに果物盛り合わせがあって、全13品のコースでした。


食事中には、新朗新婦とその両親と兄弟と呼ばれる友人たちが各テーブルをお酒をついで回ったり、姉妹と呼ばれる友人たちもお茶を配ったり、祝杯を挙げます。知り合い同士も、テーブルを回って祝杯を挙げ、話して飲んで、大騒ぎです。一気飲みの“乾杯”をやる人はほとんどいませんでした。(日本で言うカンパイの場合、“乾杯”とは言いません。乾杯は、飲み干す意味で、一気飲みを意味します。では何というかというと“身体健康”(サンタイギンホンと発音)と言うことが多いです)


写真:(左から)新郎新婦兄弟が酒を持って祝杯に廻ります。姉妹がお茶を持って廻ります。かみさんは親戚たちとはしゃぎます。

終わりも、誰かの挨拶があるわけでもなく、それぞれの人が周りに挨拶を告げて、三々五々帰っていきます。騒いでういるうち、いつの間にか人が少なくなっていて、そろそろお開きです。すると、親戚が集まって記念写真を撮り、そして皆に別れを告げて会場を後にしました。

こうして長〜い一日が終わりました。式は、仲間同士で楽しそうだったし、披露宴は挨拶が少なくて(新朗とその父親だけ)、日本の披露宴のような堅苦しいものは一切なく、服装も手軽で、会社の上司らしき人も見当たりません。気楽で楽しい披露宴だなぁと思いました。
でも実は、中国で結婚するのは、決めていく過程で、日取りとか、方学とか、風水とか結構大変だと聞いたことがあります。しきたりや昔からの風習も多くありますから、現代化のスピードの中で、そのやりくりに中国に来る都度、面白いなぁと思って見ています。

中国の結婚式レポート(完)

Posted at 2012年10月25日 09時20分46秒  /  コメント( 0 )

中国の結婚式レポート(2) 【粥菜坊パパのフロク - 広州・中国編】

午後2時頃、新郎・新婦が兄弟や姉妹達とともに新朗のマンションに到着です。まずは、二人でベランダに出て天に向かって両手を合わせてお祈りします(通常は、部屋の中で祀ってある神様・先祖の前でしますが、若い彼たちのは部屋にはそれがないため)。お線香・ろうそくに、お供え物は鶏丸ごと一匹、焼き豚肉、白酒、お茶、お菓子、落花生などでした。


写真:(左から)天に手を合わせお祈り。お供え物はこんな感じ。

さて、これから飲茶(ヤムチャ)の儀式です。新郎側の目上の人から順番に、新朗新婦が宜しくお願いしますの挨拶に、“XX(呼び名)、飲茶。”と言いながらお茶を差し出します。
先ずは、新朗のおばあちゃん(お父さんのお母さん)、そして新朗の別のおばあちゃん(曽祖父の弟の息子の奥さん)、そして新朗の両親・・・。お茶を飲み終えると、新朗新婦にプレゼントを渡します。うちの夫婦は6番目ぐらいで飲茶を受け、日本から買っていった指輪をペアで新朗新婦の指に入れてあげました。中国の人達は金(きん)が大好きですから、結果は下の通りです。


写真:(左から)おばあちゃんに“飲茶”。両親に“飲茶”。首も手首も指も金ぴかぴん。

一連の儀式もこれで終わり。暫くのんびりた後、またたくさんの車に分乗して、披露宴へと向かいます。

余談ですが、広州や香港・マカオ行くと金(きん)のお店がいっぱいあります。これは、激動の歴史を物語っていて、紙幣なんていつ紙屑になるかもしれない、銀行なんか信用できないという意識の裏返しなんだと、香港で働いている時に友人から聞いたことがあります。その影響は今でも残っていて、このように結婚や子供誕生のお祝いなどでは、金の贈り物が多いのです。もちろん、純金です。


写真:(左から)うちのかみさんとおばあちゃん二人。かみさんと従兄(叔父さんの長男)。

さて、披露宴はグランド・ハイアット・ホテルの案会場を借り切ってのお披露目。通常は、レストランの一角で行います(だから、一般のお客さんも周りにいる)から、今回の披露宴はかなり豪華なクラスです。円卓35卓、計約350名の大きな宴会でした。


写真:(右)主賓席は真っ赤。新郎新婦も両親や一番ちかい親族たちとここに座って大いに食べます。日本のように二人だけで一番前で座っていることはありません。

ホテルの中、宴会場の場所まで所々に案内板が立てられています。夜8時スタートで、到着したのは夕方5時頃なので、時間があります。待合室でくつろぐ人、新郎新婦と記念撮影をする人、受付の準備をする人いろいろでした。


写真:(左から)案内板1。案内板2。待合室でくつろぐうちのかみさん。

写真:(左から)姉妹たちの待合室の様子。新郎新婦と兄弟姉妹たち。受付の周りには写真もいっぱいです。

夜8時のスタートに合わせて、だんだんと人が集まってきました。

TO BE COTINUED・・・

Posted at 2012年10月24日 09時44分11秒  /  コメント( 0 )

中国の結婚式レポート(1) 【粥菜坊パパのフロク - 広州・中国編】

10月上旬、10日間ほど中国広州に戻っていました。今の季節は、すごく過ごしやすい時期。雨も降らないし、熱すぎず適度に温かい。観光にはベストなシーズンのうちの一つです。

さて、今回の帰省の主な目的は親戚の結婚式でした。“へぇ、中国ではこんなことするんだ”的なことが多々あるので、その辺を柱に中国の結婚式をレポートしたいと思います。


写真:(左から)披露宴の案内状。新朗の両親に渡す利是(広東語でライシィと発音、お祝い袋)。
披露宴の案内状には、農歴の日付も入っていることが興味深く、招待人は親になっています。紫色というのは、新朗新婦の好みのよう。通常は赤色です。

結婚するのは、かみさんの叔父さん(お父さんの弟)の孫(息子の息子)で、27歳の阿君(ア・クワァン、名前が招志君なので最後の一字を取ってそう呼んでいます)。式といっても、神様の前に並んで1時間も2時間も、うんじゃらかんじゃらというものはありません。なかば、周りの人たちで盛り上げるお遊びみたいな感じで、それが真面目な結婚式なんです。事前にスケジュール表が配られ“兄弟”(ヘンダイ)、“姉妹”(ゼェムイ)と呼ばれる20人ぐらいの友人たちがサポートするので、結構細かく何時何分に誰が何をすると決められています。また、車も10台近くで連なるので、どれに誰が乗るか一覧表がありました。

前日には、親戚何人かが集まってちょっとした打ち合わせ。夕食後、新朗がシャワーを浴びパジャマに着替えて、儀式も一部始まります。伯叔父にあたる私にも役割がありました。好命と言って円満な家庭を持つ人が受け持つそうです。“一梳梳到落尾。二梳梳到白髪斉眉。三梳梳到児孫満地。”(ずっと一緒、子孫繁栄的な意味です)という文言を広東語で暗記して(ギョ!)、唱えながら彼の髪に三回くしを入れるのです。きっと両者とも照れ臭いんだろうけど、真面目にやりました。ベッドメイクも私達夫婦の役割で、下の通り。マンションの玄関には、赤い貼り紙も貼られ、部屋の飾り付けも終わって新婦を迎える準備完了です。(一体いつまでこの真赤っかなシーツ使うんだろう?気になる)



さて、いよいよ結婚式の当日。わが夫婦も朝8時には、新郎・阿君の家に到着。化粧師と呼ばれる方も到着して、先ずうちのかみさんからスタートして親戚たちが化粧します。さすがに、私は遠慮しておきました。叔父さん夫妻も着替えを終えて花嫁を待ちます。
タキシードに身をまとった兄弟と呼ばれる友人たちも全員が時間どおりに集まって、これから新郎と兄弟たちが花嫁を迎えに出発です。


写真:(左から)かみさん化粧中。新朗と叔父さん夫婦。新朗と兄弟たち。

マンションの前では、出陣式(?)。 クラッカーも巨大です。飾った車8台に新朗、兄弟に親戚の総勢40名弱が車に乗り込んで、ハザードランプを点灯させて一列に連なってパレードです。先頭車だけでなく、後続車も飾りを付けるので、他の車も結婚式だと判りパレードに協力的です。こんな風にして花嫁を迎えに行くのです。

写真:(左から)クラッカーの大きさにビックリ。先頭車に新朗が乗っています。新朗が花束を持って新婦を迎えに車を降ります。

パレードで街中を30分、花嫁・阿(広東語でアケイと発音)が住むアパートの前にやってきました。門の中では、姉妹と呼ばれる新婦側の友人達(彼女らが身にまとったお揃いのドレスが可愛い!)が、待ち受けています。“嫁さ〜ん、来ました。門を開けて下さい”“○★※△●…”的なよく聞き取れない広東語の押し問答が繰り返されること約15分、やっと門を開けてくれます。さらに、建物の扉がありました。その扉の前で、“鍵を下さ〜い”“※△●∫□☆…”と押し問答が、また15分。両サイドともやり取りをとても楽しんでいるのはわかるのだが、訳の判らない私には結構つらい。


写真:(左から)アパート手前の曲り角で気合入れ。アパート門の前で押し問答。門があくと、今度は建物の鍵を貰うのに押し問答。

その間、兄弟たちはこんなゲームもしていました。海苔をくわえて、次々口移ししていくのです。しかも最後の人はそれをパクリ。あ〜、これは辛そう。そのうち、鍵がもらえて、やっと中に突入。花嫁は2階にいるそうです。


写真:(左から)兄弟たちのゲーム。やっと玄関が開いて中に突入。そして、2階へ。

今度は、花嫁がいる部屋になかなか入れてもらえません。姉妹たちの前で、パネルに用意された誓いの言葉みたいなものを読み上げさせられて、そしてやっと部屋へ。しばらく言葉をかわした後、行われたのは大勢の人に真近に囲まれる中でのチュッでした。


写真:(左から)部屋の手前には姉妹がぎっしり。読み上げた誓いの言葉のパネル。皆の目の前でキス。

この後、親戚は大通りの飲食店へ移動し、昼食。新朗は、新婦の両親と飲茶の儀式などひと時を過ごして、新婦を自分のマンションへ連れて行きます。
帰りも例によって、パレードですが、広州には結婚の際によく使われる縁起良い道があります。“同福路”という通りで、幸福駅みたいなものでしょうか。その通りも通って、いろいろ遠回りして、無事花嫁を連れて戻りました。


写真:(左から)花嫁が車に乗ります。そして、マンション前に到着です、赤い傘が印象的でした。

そして、いよいよこれから、新朗の自宅で結婚の儀式です。

(TO BE CONTINUED・・・)

Posted at 2012年10月22日 22時37分06秒  /  コメント( 0 )

中原区役所・中原商店街連合会の料理教室 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年9月12日(水)

中原区役所&中原商店街連合会からの依頼により、今年も粥菜坊で料理教室を開きました。この企画は、「商店街に足を運んでもらって商店街を知ってもらう」という趣旨のもとに、今年度は8回いろんなお店で開かれています。今年が5年目で、粥菜坊は1年目から声をかけて頂き協力させて頂いているので、粥菜坊も5年目、今回が12回目となります。15名の募集で、当日来れない方が3名いて、12名の参加となりました。

さて、今回はにんじんの餃子教室でした。餃子の包み方・焼き方を教えるのがテーマですが、先ずは、レシピを配って、具の作り方を説明しながらお見せします。にんじんは汁が多いので、汁が多くで過ぎると、包むのが難しくなってしまいます。



次に、5種類の包み方をご紹介しました。まずは、粥菜坊での包み方、もう少し簡単な包み方、誰でも出来る包み方、それでも出来ない人はこんな包み方で…。ひと通り説明した後、皆でどんどん包み始めます。「全部包まないと、食べれませんよ〜」の掛け声に皆さん気合が入ります。静かだった皆さんも、包み始めると段々と口も滑らかに笑顔も出始めます。全部で包んだ餃子はなんと250個でした。


一番右の写真:右下が粥菜坊での包み方。その上が少し簡単な包み方。ぷっくりしてますね。左下が具を少なめにしたもっと簡単な包み方。そして、うえ2つは誰でもできる包み方。


写真:こんな感じです。

そして、焼き方をお見せして、希望者には実践練習。難しい手順を考える必要はありません。油、水、餃子(順番はどうでもよい)を放り込んで蓋をして、後は音に注意をして雑談。それだけで、綺麗に焼きあがります。



その間、キッチンではどんどん焼きます。そして、そして、会食。皆さん、とても楽しそうでした。たくさん包んだので、残った分はもちろんお持ち帰り頂きました。



後日、区役所からアンケートのまとめを見せて頂くと、12名とも一番上の“満足”の回答。ご意見の欄も不満的なものは一切なく、良いコメントばかりでした。抜粋すると、
・料理学校と異なる焼き方に驚きました。家では使ったことのない具財で新しい発見でした。
・餃子の焼き方がいつも分からず、自己流でやっていたが、今日の教室ではっきりした。お持ち帰りもできて大満足でした。
・一度餃子を作ってみたかったので大満足でした。
・以前から来店していたお店だったので参加できてよかった。
・楽しかったし、勉強になりました。自宅からも近いしまた参加したいです。大満足です。ありがとうございました。
・お持ち帰りもできてとてもうれしかったです。800円で大満足。お家でも味わえて嬉しいです。
・とても分かりやすく、楽しい指導のもと、学ぶことができました。
・包むのが楽しかった。お持ち帰りができるのも嬉しかった。大満足。
・餃子の作り方、焼き方、とても勉強になりました。今晩はにんじん餃子です。(にんじん、大根ははじめてです。)

とても楽しいひと時でした。皆さんも笑顔いっぱいで、これだから、料理教室やめられないんです。

Posted at 2012年09月18日 08時56分18秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー あとがき 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年8月20日(月)

川崎に戻って、すぐに旭が丘学園の園長先生に帰った旨&お礼のメールを出すと、返信を頂きました。寄付金も含め、たくさんの方々の協力があって出来たレクリエーションなので、共有したいと思います。

「旭が丘学園の小原です。先日はおいしい食事を御馳走して頂き、また、義援金や数々のお菓子やおもちゃなどもあわせて頂き本当に有難うございました。

夏休みに家に帰れない子どもたちにとって思いもかけないプレゼントとなりました。子どもたちも職員も心に残る一日となったことは間違いありません。来年も来て頂くとの事で是非お願い致します。

来ていただいた時の課題などをとの事でしたが、当園では先日のような内容であれば特に問題はありませんので今後ともよろしくお願いたします。本当に有難うございました。」

今でも、たくさんの子供たちの笑顔やはしゃぐ姿が思い起こされます。本当に喜んでくれました。最後のおやつの時には、うちのかみさんが「このおばさんに、また来て欲しい人?」って聞いたら、そのテーブルにいた5〜6人の子供達はみんな、間髪いれずに「は〜い」と手を挙げてくれました。来年も来ようと思わずにいられません。いや、来年も来ることにしました。だから、川崎に戻って、すぐにその旨と至らなかった点は何かをメールしてみたんです。返事は、上に記載の通りです。

ある先生がおっしゃっていました。「子供達ってこうして来てくれた人達のこと、驚くほどよ〜く覚えているんです。大人よりもずっと良く覚えているんですよ」と。また、「こうして優しくされたことが、将来人に優しくする側になってくれると思うんです」とも。そうなんです。ボランティア活動もそうですが、私自身に見返りなんてもちろん要りません。でも、社会に返してくれたらいいなぁといつも思っています。それが、ほかの人を思う気持ち&行動の循環がある、心温まる社会に繋がっていくと思うんです。

そして、後日、丁寧に募金のお礼を送って来てくれました。自分達で数えた金額(235,983円)は100円間違っていたようで、236,083円とのことでした。皆さん、ご協力本当に有難うございました。

Posted at 2012年08月22日 00時08分56秒  /  コメント( 2 )

東北応援レク・ツアー (6)被災地は今 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年8月6日(月)

野蒜を最後に、今回の旅は終了です。南三陸町は街全体が流されてしまったようなもの。地盤沈下や高台移転の話も重なり、そうそう簡単には、復旧などできっこありません。それでも、何か少しづつでも進んでいるような部分もあり、今回の旅での南三陸の復旧具合の印象をまとめました。

●気仙沼
時間は短かったけれど、初めて気仙沼の湾岸地域に行ってみました。震災時の匂いと比べれば格段に良いのだろうけれど、まだちょっと臭さが気になります。残っているものといえば、建物が流れ残された土台か、廃墟のような建物で、雑草が随分目立ちます。地盤沈下して満潮時には港から水が溢れ出るのでしょうか、水溜まりもいたる所にあります。お馴染みのタンカーも、まだ陸に横たわっていました。人や車は、見ることもできますが、まばらです。漁獲量はある程度回復してきていると聞きますが、これでは冷蔵・冷凍の設備や加工設備が圧倒的に不足なはずです。水産(加工)業の回復にはまだまだ程遠いかもしれません。


写真:(左から)荒野と化した津波に襲われた湾岸地域。ひっそりとした河北新報社気仙沼支局。街中に残るタンカー。


写真:崩壊した建物、雑草、水たまり、建物の土台… まだまだ津波の爪跡くっきりでした

●南三陸町歌津 名足漁港
ほとんど昨年秋と変わらず、新しい建物はありません。片付いてはいるものの、雑草が目立ちます。中央に位置する鉄筋の骨組みだけが残った芽かぶ屋さんは、そのままでした。港の地盤沈下も激しいため、あちこちで修復が必要で、申請はしているが、なかなか進みません。今ある船揚場では足りず、破壊された船揚場の修復が必要だけれど、大きな港湾の修復が優先されるため、着工はまだのようです。


写真:(左から)雑草が目立ちます。鉄筋だけが残った芽かぶ屋さんもそのままでした。中央右手が今ある船揚場、その手前破壊された船揚場の修復が必要です。


写真:色濃く残る津波の爪跡

●南三陸町志津川
防災庁舎はまだ残ってましたが、志津川病院は解体されてなくなっていました。防災庁舎も近々解体されると聞いてます。地盤沈下で、河川の高さは道路の高さとほぼ同じ。気仙沼同様、水溜りが目立ち、満潮時には浸水するのを物語っています。建設許可がおりないのか、目立った新しい建物らしきものは見えません。気仙沼の湾岸地域同様、荒れ果てた土地がただ広がっているという感じです。
とはいえ、さんさん商店街という仮設の商店街が2月にできたし、仮設のコンビニも何件かできています。若干ながら新しい小さな建物も目にはしました。でも、街全体が無くなってしまった志津川、今では生活物資が不足している状況ではないようですが、買い物が不便(特に高齢の方)であることは変わりなさそうです。

写真:(左から)今も残る防災庁舎(左手の遠くに見える何台もの重機の場所が、志津川病院のあった場所です)。街のあちこちに水溜まりが。雑草が生い茂った荒野が広がるようです。

●浜や港の様子
昨年の何もなかったのに、今年は船の姿の数が目だった浜や港がありました。海には、養殖らしきものも多く見ましたし、昨年とは明らかに違います。
津波の後、海は凄く綺麗になったと聞きます。過剰だった養殖物が流され、今では潮の流れがよく、栄養分やプランクトンが豊富になったとか。牡蠣もホタテも、成長が例年より圧倒的に早いそうです。
浜辺からは、まだガラスなんかが出てくるので、海水浴場としての利用はまだ先になるようです。一度、浜を綺麗に掘り起こす必要があるかもしれません。

写真:(左から)船の数が格段に増加しています。泊漁港施行工事関連看板。養殖の姿も目立ちました。

●中国人Cさんの自宅跡(南三陸町歌津港地区)
支援活動をきっかけに知り合ったM仮設にすむ中国人のCさん。この1年、いろんなやり取りをしたので、今ではすっかり心を開いてくれて、家庭内の相談まで話してくれる仲になりました。やっぱり、中国人です。毎回訪れる都度欲しがるのは、牛筋や叉焼といった中華食材で、目がありません。広西省出身なので、今回は桂林ビーフンも持って行ってあげたら、「日本で作れるのぉ〜?」とビックリしていました。

自宅があった場所を見せたいというので、連れていってもらいました。建物の敷地面積が100坪、土地は400坪、畑も広くてたくさんの野菜を育てていたので、震災前はその世話だけでも忙しかったようです。一日中、力仕事が多かっただろうに、それでも震災前の生活は「満足だったよ」としみじみ言っていました。津波の被害で行政が買い取るといっているのは、家があった部分の面積だけ。畑や山をタダで明け渡す気にもなれず、買い取りの申し出には応じる気にはなれないようです。下の写真に映るプレハブ小屋は、仮設が取り壊しになる際に、移り住めるように震災後購入したものだそうです。

今は、朝4時半に起きてご主人のお弁当作り。そして、幼稚園の送迎など6歳と3歳の子育てとアルバイトの一日。お子さんは喘息があるので、仙台のお医者さんまで頻繁に通うそうです。ご主人の週一日のお休みは、事故が起こらぬよう自分の山の塩害杉を切って処分するのに追われるといったご夫婦そろって大変な生活が続きます。生活物資は足りているようですが、もともと物々交換がよく行われているので、日常の買物はあまり必要でもないのかもしれません。

ご主人が車でやって来ると、一匹の猫ちゃんがいつの間にか現れました。仮設に動物は連れていけないので、ここに置いたまま、毎日餌をあげに来るそうです。放しがいですが、この地を離れようとしません。どこに行こうともしない、人懐っこい猫ちゃんでした。


写真:(左から)住居跡地。キュウリもなんとか生えていました。この場所を離れない猫ちゃん。

●被災者の方がたの心
緊急時を脱してから、1年経ったと言ってよいと思います。家を失った方は、仮設住宅に入り、生活も落ち着いたようです。でも、表面的には落ち着いても、心の中は不安や寂しさ、様々な葛藤の中で暮らしているものと思います。少しでもその辛さを緩和したい、頑張っている人を応援したい。だから、今回も顔を見に、そしてレクリエーションをしに出かけました。

そして、気づいたことがあります。現地の人も、前に進んでいることを見に来てくれる人がいることが、大きな励みになるということです。そう言われたんです。1年経っても、2年3年経っても、忘れずにこうして現地に行くことの価値に気が付きました。だから、来年、再来年、そしてその後もできるだけ長く、続けて行こうと強く思いました。街の変わる様子を見守りたいと思うし、それを見て欲しいと思う人がいることを忘れてはいけないと思いました。

Posted at 2012年08月21日 09時27分27秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー (5)東松島野蒜BBQ編 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年8月6日(月) 

この日は、最終目的地・東松島野蒜の門馬さん宅でBBQ。早朝、粥菜坊の車5名と香港クルー6名は、ニュー泊崎荘を後にして目的地に向かいます。庭野総理一行の4名は、前日午後2時頃野蒜に向けて出発済み。いろいろ立ち寄っているはずですが、既に到着のはず。私達は、途中、香港クルーの人達に南三陸町志津川にある防災庁舎の悲劇を教えるため、立ち寄りました。写真などで防災庁舎は知っていたようですが、近くにあるとは知らず、急遽時間をかけて取材を開始。そう、この防災庁舎は、津波が来ていますと避難誘導の放送をし続けた女性(遠藤未希さん)をはじめ約20名が亡くなった場所。今でもたくさんの花が供えられていました。

すると、献花の中に三浦冬生君の三浦毅さんへメッセージを書いた野球ボールを発見。三浦冬生君は、歌津中学校野球部だったことから、日本テレビ『Going』でKAT-TUNの亀梨和也さんの訪問を受け、対戦して勝った青年です。冬生君は、粥菜坊がお粥を送ったことがあるお母さんと一緒に、前日ニュー泊崎荘に私達を訪れてくれています。三浦毅さんは、遠藤さんの上司で、遠藤さんの後を受け、最後の最後にマイクを手にした方。冬生君の野球のコーチでもありました。冬生君が書いたメッセージを読むと、当時の悲劇が伝わってくるようです。


写真:(左から)現在の防災庁舎。津波の瞬間の防災庁舎屋上(拡大して見て下さい。屋上の鉄柱と柵にしがみついた10名が生き残りました)、三浦冬生君の毅さんへのメッセージ

さて、防災庁舎での時間もそこそこにして、急いで野蒜に向かいます。朝9時到着予定にあわせ、Mさんが車を飛ばしてくれました。およそ一年ぶりの野蒜の風景…あまり変わっていませんでした。ところが、門馬さん宅に着くとちょっと驚き。ロゴが入った“チーム サークル・はーと”の看板がド〜ン。そして、離れは2間を1間に改装して、広々となっていました。これなら、部屋の中だけでも20人や30人平気で集まれそうです。


写真:(左から)チーム サークル・はーとの看板。離れの手前側から。離れの奥側から。

“チーム サークル・はーと”には、私達支援仲間にはちょっとしたストーリーがあります。
津波襲来時、門馬かあさんはご自宅で屋根まで届く高さの津波に呑まれ、門馬とうさんは車で流されるものの、ともに九死に一生をえます。避難所に入ると、落ち込む暇もなく、自宅に通って、目茶苦茶になった自宅を修復。しかも、ボランティアさん用にと離れまで修復。そんな中、支援物資を持って訪れた高野さんもその元気さに驚きます。ところが、しばらくして再度連絡をとると、元気がない。心配して、再度訪れたのが昨年8月です。私も同行しました。「元気出しなよ。皆を集めて、縫い物でもやってよ」って持ち込んだのが手芸品です。四百数十世帯あって、戻ってきたのは二十数世帯、バラバラになったコミュニティ。高野さんは、この人ならコミュニティの再建ができると考えて、そう仕向けました。でも、その時はやる気のない返事。「でも、手芸品は置いていくから」と去ってから1カ月。なんと「周りに声をかけて、やってみる」との返事が来ました。飛び上るほど嬉しくて、駆けつけたのが10月です(東北で応援 “ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”)。 その後は、毎月10数名が集まって、その離れでおしゃべりしながら、手芸を楽しみ始めます。粥菜坊の『被災地食事支援プログラム』からも、しっかりしたコミュニティを作って欲しいとの願いから、お粥や粽を何回か送りました。。手慣れて来ると、ママsに集まる支援仲間たちが、販売へと仕向け、包装を手掛け、催しで販売したりと一丸となって、陰ながら応援します。粥菜坊ももちろん、イベントやお店で販売をお手伝いしました。

さらに、最近では、地元の医療生協さんの支援を得られるようになって、包装も販売も自分達で始めています。受注も結構受けているようで、独立の気持ちが芽生え、グループ名も自分達で選び、歩み始めたのです。そのグループ名が、“チーム サークル・はーと”というわけです。


写真:(左から)門馬かあさん元気ない頃(昨年8月訪問時)。やる気を出して手芸の集まりスタート(昨年10月訪問時)。川崎国際交流センターのイベントで野蒜のエコたわし販売(今年3月)。

門馬かあさんは、両足が悪いらしく、2本の杖を持って歩きます。それでも、自分が被災者でありながら、いち早く立ち直って、被災者の支援もするし、地域の高齢者の世話もしています。花や木が好きで、よく話しかけています。話好きで弾丸のように止まらない話しが飛んできますが、それが面白く、心に響くことが多いので、聞いてて全くいやになりません。門馬とうさんは、横でいつも大人しく朗らかな顔で聞いています。ちょっと、口をはさむことがあると、これがまた心に響くことを言うんです。

こんな門馬ご夫妻が語ることを、是非記録に残したい、香港の人達に紹介したいと思って、香港クルーに取材してもらいました。門馬ご夫妻、快く協力してくれて、たくさん語ってくれました。そして、チーム サーク・ハートの様子や粥菜坊主催の暑気払いBBQの様子も取材していって頂きました。


写真:(左から)香港クルーが門馬ご夫妻取材中。サークルハート活動中。エコたわし紹介文。

BBQは、医療生協の方々が朝早くからしっかり準備してくれていて、いろんなお手伝いをしてくれました。なるほど、こういう方々が一緒なら、サークル・ハートの活動も安心できる、いろんな相談に乗って頂けると安心しました。今回も、お肉や海老、お野菜はもちろん、お粥も作りました。今回は、食材調達の難しさからお店でもめったに作らない“干し牡蠣粥“。生牡蠣とはまた違って、牡蠣の味が干すことで濃厚になっています。自己紹介の時間では、多くの人から「元気になった」「頑張れる」という声が聞けて、余興では皆で歌を唄ったりもしました。昨年9月の東名(野蒜の隣り町)での炊き出しを思い出して、お礼を言ってくれる人もいました。楽しい、楽しいひとときでした。




門馬とうさんが、「ここにいる人は皆さん前向きの人ばかり。心配しないで。」と言ってくれました。頼もしいです。でも、周りにはまだまだ前向きになれない人達の方も多いはずです。このチームの元に、もっともっと多くの人が集って、門馬さんに引き込まれるように、たくさんの人が前向きになって行くことを願ってやみません。

おわり間際には、門馬かあさんに「今度は私達が招待しようよ!」って大きな声で言っている人がいました。この上なく嬉しい一言。もし、そんなことがあったら、もちろん喜んで何もかも投げ捨てて駆けつけます。

“心は丸く、気は長く、一歩一歩、前向きに”・・・門馬かあさんが、チーム サークル・ハートのキャッチコピーに選んだ言葉です。全てを受け入れる懐の大きさを表している気がします。心は、とげとげしくあってはいけません。門馬さん、ありがとう。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月21日 00時27分56秒  /  コメント( 0 )

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