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粥菜坊パパのよろずのフロク

宮城炊き出し行脚 (4)NHK報道裏話編 【粥菜坊パパのフロク】

2011年6月19日(日)

●行脚二日目 6月8日(水) 南三陸町歌津地区名足Part2

8日の夜、歌津地区名足での炊き出し場面が、NHKの宮城県内で報道されました。ラジオでも報道されたそうです。でも、その報道に至るには、ちょっとした苦労話があるのでご紹介します。


インタビューを受けています

今回の炊き出し行脚で苦労したことの一つは、炊き出し場所の選定です。今回は、行政の手がなかなか届かない場所を考えたため、社会福祉協議会や災害ボランティアセンターは通さず、『ふんばろう東日本』のコメントを一件一件読んだり、いろんな災害掲示板に載せたりという個人的接触を模索しました。(実は、炊き出し場所を見つけるのも大変なエネルギーが要ることなのです)

そうこうするうち、ママ'sハートプロジェックト というブログで2カ月半も経つのに未だに電気も水もない場所があることを知ります。何としてもそこに出向いて、力にならなければ。それが、南三陸町の歌津でした。歌津の中でも、その地区は25世帯110食だったので、楽勝っと思ってブログの著者ともちゃんを通して、現地に接触。すると、その地区だけではだめで、隣接2地区を含んだ340食でなければダメという返事とのこと。思わぬ難題が発生します。


歌津の名足…炊き出しの数日前にやっと電気が通り、前日には飲めないけど水道から水が出たそうです

実は、その時、NHKの取材依頼の話があって、何としても歌津の現状をNHKの電波に乗せたいと強く思っていました。テレビにオンエアされさえすれば、大きな注目が集まるだろうし、支援も多く集まるかもしれない。だから、断わられるわけにはいきません。受けましょう、340食。しかも、要望通り持ち帰りができるお弁当形式で(蓋やレジバッグが必要な分、余計に大変です)。そして、やりました。ともちゃんも熱くなって現地と連絡役を買ってくれ、歌津で炊き出しをさせてもらえることになるのです。ともちゃんに涙が出るほどの感謝です。

となると、NHKにとって取材場所は、ほかに廻る2個所でもよいのですが、自分の頭はもう歌津の名足でいっぱいです。何としても、名足に行くよう仕向けました。なぜ名足に炊き出しで行くかを一生懸命説明し、結果、名足に取材が来ることになります。そして、当日の夜、宮城でニュースで報道されることも決まりました。全国で流れる可能性もあるけど、他のニュースの兼ね合いがあるとのことでした。……歌津の名足がテレビの電波に乗る。自分に言い聞かせました、「失敗は絶対許さない」と。


NHKから取材を受けました

失敗は許さないので、手持ちの寸胴鍋よりも更に大きな寸胴鍋を買い、一度に広東粥、中華ちまき各340食を作れる体制を作ります。今回のその鍋の購入で、広東粥なら、炊き出し能力はなんと600食になりました!ちょっとした自慢です。

さて、なぜNHKの取材が入ったかですが、中国のCCTV(中央電視台)とNHKが共同で、在日外国人の支援活動のドキュメンタリーを作っています。CCTVというのは、中国人なら誰でも知っている中国の国営放送で唯一の全国ネットです。そのCCTVで、なんと、4月に粥菜坊の炊き出しが中国全土で報道されていて(私も知らないうちに)、その流れもあって、「また炊き出しに行きますか?」との連絡が入ったのです。被災者にカメラを向けるのは気が乗らず、一度はお断りしました。でも、また再度依頼が来たのです。ちょうど、その頃、歌津での炊き出しの話が進んでいて、当日ニュースでも流れるというし、これは断ってはいけないとOKしたのです。


4月にCCTVのニュースで中国全土で報道されていました

ドキュメンタリーの放送は、中国で8月、日本で9月だそうですが、当日の夜、NHK仙台放送のニュースで流れました。自分は見れなかったのですが、翌日、炊き出しの場所で多くの人が話題にしており、喜んでいる様子に見えました。「おかあさん(うちのかみさんのこと)映ってたよ」とたくさんの人が言います。パパは映ってなかったのかなぁ?でも、よかったぁ。。。喜んでくれて(泣)。本当に涙が出てきました。

電気も数日前に通ったばかりで、やっとテレビも見れたはず。またも神様が仕組んでくれた、そう思いました。少しでも、歌津の名足の人が喜んでくれて、名足により多くの注目が集まれば、それだけで今回の炊き出しは大成功です。ちょっと、いっぱいいっぱいに張っていた気が抜けたような気がしました。明日の炊き出しも頑張るぞ〜ぉ。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年06月20日 08時59分03秒  /  コメント( 4 )

ふれあい交流会 at 国際交流センター 【粥菜坊パパのフロク】

2011年6月18日(土)

川崎国際交流センターから“ふれあい交流会”というイベントの講師に招かれて、地域振興・国際交流のために一役買ってきました。中国料理を教えて、皆さんと食事をして、中国の風習・文化も写真を見せながら紹介して、楽しく過ごしました。

取り上げた料理は、次の3品:
,劼肉と豆腐の蒸しもの
⊇婀き
E鰺佞閥箘匹離妊供璽

3品それぞれを、皆さんの前で披露。ひき肉と豆腐の蒸しものでは、何皿もあるので蒸し器が足りないものの、フライパンも使えるし、ボールでも蒸せる、蒸し器でも箸を使えば何皿も重ねられますよと皆さんの分を一気に蒸します。


(左から)ブロックから挽肉を作ります、皿を重ねて蒸します

時間の関係で、皆さんで実施した実習は春巻きの巻き方だけでしたが、たかが巻き方、されど巻き方です。次のことを紹介して、皆で巻き始めます。:
・皮には、表と裏があって、間違えると見た目が悪いだけでなく、油を多く吸ってしまうこと。
・具を多めに入れてしまうと、具から出る水分で皮のパリパリ感が失せ、春巻きの美味しさが台無しになってしまうこと。
・上手に巻かないと、油に入れた時に、片方ばっかり焼けて両面同等に焼けないこと。(うまくひっくり返せないのです)結果、焼くのに時間がかかるし、見た目も良くありません。


(左から)巻き方を披露、みなさんで春巻を巻きます


巻き方で出来上がりの違いを説明します

皮に裏表があるとは知らなかったと驚いてる人もいました。デザートも出来上がって、皆さんで食事会です。デザートには無縁と思える食材を使ってのデザートに、皆さんビックリ。でも、美味しんですよ。


(左から)湯葉と銀杏のデザート、皆さんで食事会

この後、写真を見せながら中国広州の生活を紹介しますが、プロジェクターがうまく作動しないハプニング。コンピューターのモニターを使ってのスライドショーになりましたが、何とかやりくりできました。みなさん大いに楽しめた会になったと思います。

Posted at 2011年06月19日 02時19分18秒  /  コメント( 0 )

宮城炊き出し行脚 (3)南三陸町歌津編 【粥菜坊パパのフロク】

2011年6月17日(金)

●行脚二日目 6月8日(水) 南三陸町歌津地区名足へ

鳥のさえずりとともに起こされて、当日の食材と水200リットルを持って出発しますが、かなり不安…。ナビなどという文明機器は持っていないので、頼りは何枚かのYAHOO地図。集合場所は名足保育園。目標到着時間は10時。目安になる建物はないかもしれないし、地形を見ればなんとかなるさと思ってはいるが、やはり不安。


当日必要な分量を積みます

登米から398号線を東に向かって30数分、突然、川沿いにがれきやら崩壊家屋やらが現れます。そこから海に出るまで、車で5分以上はありますから、相当奥まで津波が来たことがわかります。志津川の町まで出て、広大な平地に拡がる崩壊した街並みを目の当たりにすると、抑えられないほどの涙が溢れ出てきます。何とも言えない、テレビのスクリーンや写真の四角い枠では、とても表現できないショックが胸をえぐるようです。


突然瓦礫の光景が現れ、道は志津川の街へ続きます

そして、あまりに被災現場の面積が広大すぎて、人影はまばらにしか見えません。これでも、きっと当初よりは瓦礫が整理され、片付いているのだろうけど、その広大な面積の中で今いる人影の数では、一体いつ……復興? 愕然としてしまいます。



震災後のニュースで、何度も目にし涙した防災センターと志津川病院を右手に見ながら志津川の中心を横切り、目的地の歌津地区名足は、さらに10分以上かかってやっと到着する場所でした。時間は9時過ぎ。道に迷うこともなく、順調な滑り出しにホッとしました。気になったのは、398号線の途中からコンビニはもちろん、商店も一切気がつかなかったことです。聞いてはいたけど、これでは買出しもままならない。


道に迷わず名足保育園に到着。我ながらあっぱれ。

会長さんがお迎えに来てくれて、名足小学校へ移動。そこの駐車場が炊き出し場所です。海から少し離れ、海を眼下に見下ろすのですが、津波の水はその駐車場まで来て、隣接する体育館に避難していた皆は、もっと高台にある名足保育園へ移動。その夜、その小さくて真っ暗な保育園に300人が避難したそうです。そんな中、会長さんは懐中電灯で照らしながら名簿を作り、翌日は雪の中を、人々の安否確認に走り回ったそうです。そんな話をきいていると、遊んでいた小学生が、眼下の学校を指さしながら、「これぼくの学校」って言っているのを見て、また涙が出そうになってしまいました。


炊き出し場所から見おろす海と名足小学校

さて、炊き出しで用意したのは、中華ちまきと広東粥。広東粥も10時頃に作り始めて、3時頃にはとろっとした美味しいお粥が出来上がりました。中華粽も、先に作って冷凍で送っておいたものを、熱湯でぐつぐつと30分、あつあつの粽が出来上がりました。ともに340食用意しましたが、食べる場所もないので、皆さんお持ち帰りか、来れない人には誰かが配っていました。



会長さんはずっといたわけではありませんが、紙を片手に340名全員に行き渡ったかどうかをチェックしていました。「○○さんちが来てないから持ってけ」なんてやっています。驚いたのは、最後にこれでOKとなった時に、粽の残数を数えたら、持ってきた数からひいてみると、違いは1個だけ。旅行にでている人もいるそうなので、まさにピッタンコ。名足の皆さんの団結力の凄さは耳にしていましたが、見ていてあっぱれでした。助け合い、譲り合い、他人を思う気持ち、胸がじ〜んと熱くなりました。そこには、人間らしさがいっぱいありました。


会長さんが使っていたチェックシート

無事に炊き出し初日を終え、キャンプ場へ戻ります。途上、炊き出しメンバーのうさちゃんが気持ち悪いと言い出し、買い物をしている間、車で休憩。そういえば、炊き出しに一生懸命でメンバーのことには無頓着でした。炎天下の中、水もろくに飲まなかった作業。熱中症か?反省しきりでした。結果、大事には至らず、夕飯時には元気に。ほっとして、炊き出し一日目終了しました。


夕飯はカリフラワーのお鍋でした


      

Posted at 2011年06月17日 09時29分08秒  /  コメント( 4 )

被災3か月:宮城炊き出し行脚(2)出発編 【粥菜坊パパのフロク】

2011年6月16日(木)

●6月7日(火) 
朝7時、川崎の自宅を出発。荷物は、足の置き場がないほど車いっぱいで、同乗者はかなり厳しい姿勢が続きます。助手席のかみさんも足が万歳状態。足元に米40キロ積んでますから。ところどころ休憩しながら、東北自動車道を築舘まで北進します。


こんな車に4人乗っかって行きました

目的地は、南三陸から車で40分ぐらいの登米にあるキャンプ場。高速を降りて、道に迷いながらも4時頃にキャンプ場に到着。テントなどのキャンプ用品を車から降ろした後、ヤマトの営業所止めで先に送った食材や容器をピックアップに出かけます。そして、現地のガス屋さんでプロパンガス8キロを調達、スーパーで自分たちの日用品の買い出しをします。


この荷物とプロパン3本(28キロ)を運びました

お肉の管理にキャンプ場に冷蔵庫がないことを想定して、ちょっと工夫をしました。ヤマトからピックアップしたことでお分かりかと思いますが、そうです、冷凍品を営業所止めで送っておいて、ヤマトの冷凍庫を借用したのです。ピックアップ後は、発泡スチロールを使いながら、時間差を設けて必要な分量を解凍していきます。もともと、業務用のマイナス50度の冷凍庫を使って冷凍させているので、一週間品質を保つのには十分すぎるほどでした。

そして、そこのキャンプ場が最高でした。水も問題なく出るし、管理人さんがつくので食材、物の保管にも問題ない上、南三陸へも石巻へも40-50分で行ける絶好のポジションにあります。ひょんなことから、30畳ぐらいの部屋を借りることができ、キッチンもあるし、お風呂もある。トイレもきれいで、寝袋で寝ること以外は、まるでコテージを借りたのと同じでした。それで、費用は4人が6泊して、なんと約8000円。思いました、神様からのプレゼントではなかろうか、と。


基地としたキャンプ場

暗くなってきたため、歌津の下見は諦め、早めに寝て翌日に備えることに。夕飯は、こんなものを作りました。ボランティア活動中の夕飯にしては、贅沢だったか?



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年06月17日 07時48分45秒  /  コメント( 4 )

被災3か月:宮城炊き出し行脚(1) 【粥菜坊パパのフロク】

2011年6月15日(水)

6月7日〜13日の間、お店を臨時休業させて頂き、東北での炊き出しに出かけました。(ご来店のお客様、申し訳ございませんでした)。当地の様子や、その際の苦労を綴ろうと思いますが、その前に、日にちが少ない中で、緊急に募集した常備薬をお持ち頂いたお客様にお礼申し上げます。有難うございました。到着してすぐ、歌津の皆さんに手渡したこと、ご報告いたします。たいへん喜んで頂いて、高齢者も多い場所だし、助かるとおっしゃていました。私も、間違いなく役立つと思います。


歌津へ薬を届けました

その週末には各地で被災3か月の追悼行事が予定されており、多くの人たちが犠牲者に冥福を祈ります。また、行方不明者に、区切りをつけてお葬式を開くとも耳にしました。残念でなりません。少しでも、炊き出しで元気を出してもらえればという思いで準備しました。

最初の2日が南三陸町歌津の名足(なたり)で、一日置いて牡鹿半島の鮎川浜、そして最後の日は石巻2か所で計4日にわたって約1200食を提供することになり、小さな一飲食店が単独でやるにはちょっと高いハードルです。でも、粥菜坊ならできる、という信念で挑戦しました。

計画段階でいろんな問題が山積もりとなります。

・南三陸町歌津の名足は、未だに水もないし電気もない。そんな所で、どうやって炊き出しをするのか。学校などの建物はほとんど損壊しているので、多くの人が集まれるような場所もない。野っぱらでの炊き出しになるかもしれないし、雨が降ったらどうするのか。

・お肉は、事前に仕込みをするが、どう傷まないようにするか。

・メンバー4人。宿泊はどこにするのか。ビジネスホテルなんかじゃ、宿泊費が持たないし、調理器具も洗えない。

・食材、調理器具、荷物は山ほどあるのに、車は自家用車(トヨタのラウム)一台。4人が乗って、どうやって荷物を詰め込むのか。

でも、妙に何とかなるという確信みたいなものがあって、突き進むことになります。

食材も量が量なので、現地で調達することは考えず、全部川崎で用意しました。被災後、皆さんお肉はほとんど食べていないので、お肉も150kg準備しました。もちろん、柔らかくて美味しいお肉にするため、ブロックから切って、下味をつけます。これでばっちりと思ったものの、それでも、一人100グラムちょっと分しかないのです。トホホ・・・です。
中華粽(ちまき)に入れた具材は、もち米、緑豆、椎茸、落花生、そして大きな豚肉という本格的なもの。6日が旧暦の端午の節句だったので、中国の行事にちなんでせっせと準備します。


本格的な中華ちまきを作りました

ちなみに、メニューに予定したのは以下の通り。
8日(水) 場所:南三陸町歌津名足  中華粽、広東粥 各340食
9日(木) 場所:南三陸町歌津名足  中華あんかけスパゲティ、広東粥 各340食
11日(土) 場所:牡鹿半島鮎川浜   中華あんかけスパゲティ、広東粥 各300食
12日(日) 場所:石巻市内釜小学校  中華あんかけ粉皮(フンピー)  200食

出発前には、どんなハプニングが待っているのか、とてもわくわくしました。
・・・ケセラセラ、なるようになる、未来は見えないお楽しみ・・・って感じでした。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年06月15日 09時21分12秒  /  コメント( 8 )

【真剣な緊急大募集】南三陸歌津地区に薬を届けます 

粥菜坊からお願いです。ご家庭に使う予定がない、あるいは会社から支給されたけれど使ってない薬ありませんか?薬と(小さな)血圧計大募集です。

来週、南三陸町歌津の名足地区に行きます。そこは、避難所になるような場所もなく、皆さん(340名)半壊した家に住んでいます。今でも断水状態で、数日前やっと電気がつながった場所です。給水も行政からの支援物資もほとんどなく、食料も底をついているのに、電気が通った故、週2回あった仕出し弁当も来週からありません。一日おにぎり一個さえままならない場所がいまだにあるんです。しかも、多くは高齢者です(お粥の炊き出し、喜んでくれるかなぁ?)。

そんな南三陸町にあった病院や町のクリニックは津波で壊滅しました。現地で被災者を看ていた医療チームは6月1日に町外へ移転となり、町の商店も壊滅しているので、薬も買えないはずです。遠くの病院や商店まで出かけようにも、自動車・自転車も流され足がありません。そこで、歌津に行くに当たり、多くの物資は運べませんが、小さな常備薬だけでも運ぼうと思うのす。

頭痛薬や風邪薬、胃腸薬や目薬に絆創膏…… 殺虫剤なんかもこれから必要でしょう。どうか、粥菜坊に薬をお届け下さい。お願いします。

(追記) 今回、南三陸町歌津の名足地区で炊き出しをさせて頂くにあたり、尽力下さいました方のブログを見て頂くと、未だに存在する現地の惨状がよくわかります。是非、ママ's ハートプロジェックト(http://blog.livedoor.jp/mhpn/) というブログをご覧ください。

Posted at 2011年06月04日 07時34分22秒  /  コメント( 1 )

小さな一石が、中国全国放送されて驚いた 【粥菜坊パパのフロク】

2011年5月2日(月)

4月に3回ほど、かみさんと一緒に炊き出しに出かけました。連日のニュースを見ていて、皆さんと同じように、いてもたってもいられなかったからです。

一方で、原発事故への恐れから、中国人の友人が3月下旬、突然働いていた飲食店に辞表を出して帰国してしまいました。理解はできるものの、少なからずショックでした。食材を調達している中国食材スーパーのオーナーも突然帰国してしまったし、中国人シェフが辞めて閉店に追い込まれる中華料理店の話も耳にしました。

福島へ行ったのは日帰りできるからですが、そうした中国人に拡がるパニック現象に、「ちょっと待ってよ!もっと冷静になって行動しようよ」ということを、友人・知人に向けて無言の行動をもって示したいという気持ちがあったことも確かです。小さな一石を投じたようなものです。

さて、そうこうするうち、炊き出しのことが記者の方の耳に入り、中国新聞社の方が粥菜坊を訪れてきました。「日本中の皆が心配し、自分のできることを考え、それを実行している。自分の生活を投げ出して活動している人もたくさんいて、それに比べたら足元にも及ばない。こんなことぐらいで記事にされたら恥ずかしい…」こんなことを伝えたかと記憶しています。

そして、数日後、粥菜坊の炊き出しの記事が中国新聞社(4月12日及び4月8日)、新華社(4月12日)をはじめとした中国全土、それどころか、全世界の華僑向けメディアで報道されました。これは、多少予測できたので驚きませんでしたが、4月16日、中国中央電視台(CCTV)という中国唯一の全国ネットの国営放送のニュースで、写真入りで報道されたのには驚きました。“週刊人物”という枠で、『冒険援助』というタイトルで、危険を冒しても人を助けに行く中国人がいますよといった意味合いです。

こんな小さなことで、中国全土に報道されてビックリです。知人いわく、こんなことする中国人はいないからだよ、と言います。かみさんも、震災当時は毎日、中国の親戚・友人から何本も帰国するように電話を受けましたが、早々と日本に居続けることを決め、何をすべきかばかり考えていました。すぐに現地に飛び込むのを、インフラが整わないうちは迷惑だと停めたぐらいです。少しもビビらないかみさんに、私も安心して粥菜坊を一緒にやっていけます。


中国中央電視台(CCTV)で報道されました
http://news.cntv.cn/china/20110416/109996.shtml で見ることができます(携帯からはおそらく無理です)。
左下に表示される時間のうち、20:44〜45の頃の時間をご覧ください。

Posted at 2011年05月08日 07時18分25秒  /  コメント( 2 )

広州の変貌ぶりにビックリ 【粥菜坊パパのフロク】

2011年4月18日(月)〜27日(水)

10日間ほど、かみさんの故郷中国広州へ帰省してきました。親戚が集まってお墓参りが主な目的ですが、知人・友人を訪ねたり、積りに積った諸用事をこなしたりと、大忙しの日々でした。


親戚・友人60人を集め会食

広州の変貌ぶりには毎年驚くのですが、昨年アジア大会があったためか、大都市としての機能が整い、例年にも増しての大変貌です。10本近い地下鉄が市内から郊外・新飛行場まで張り巡らされ、70階・80階の高層のオフィース・ビル群だけでなく、何百・何千とある30階・40階の高層マンションもライトアップして、色とりどりに煌々と光を放っています。無料の自動車専用道路(首都高に相当)も街の空間をかけ巡って街中を走っています。しかも、まだまだあっちこっちで建設中のビルがあるんです。

10年前に自分が住んでいた時は、地下鉄は1本目を着工し始めたばかりだたのに…。そして、空中をめぐる自動車専用道路も手掛けたばかりだったのに…。毎月のように停電があり、電力事情が悪さを感じたものです。それが、今や超立体的の夜景は未来都市を見るようです。東京が負けると初めて思いました。


(左から)高さ610mの広州タワー、新旧入り乱れるマンション群(知人の部屋から撮影)、まだまだ続く建設

古き良き時代を楽しめる西関地区も綺麗に再開発されていました。もともとあった運河が再生されて小舟が往来し、骨董店も運河沿いに移転されていました。花もきれいに植えられ、広州老家も楽しめる博物館もあります。泮渓酒家で食事をしたり、茘枝湾を散策したりと新旧を十分楽しめる街並みに変貌しました。

再開発された西関地区の一角

保険の手続きのため、マカオにも行きました。香港に住んでいた頃には、毎月のように行ったいたマカオ、15年もたつと想像通り大違いでした。ニュー・リスボアは金キラ金に輝き、オフィース・ビルが立ち並び、カジノは中は覗かなかったものの、立派なのが容易に想像できるほどです。15年前はニューヨークにあるコニー・アイランドの方がましだと思ったぐらい、田舎っぽいカジノだったのに…。


聖パウロ寺院跡にお土産さんが続く光景(大三巴街)は昔のままでした
(日本ではよくある「お土産屋さんが立ち並ぶゆるやかな坂道を登って観光スポットが見えてくる」光景は、海外では珍しいと思います)

広州にいた期間は、入れ替わり立ち替わり知人に会っていたので、みんなが食べろ、食べろとうるさいため、毎日3食おなかいっぱい食べるはめに。おなかのふくらみが気になりつつ、帰ったら腹筋を鍛えようと思いながら、お言葉に甘える毎日でした。最近はあまり聞かれない言葉になりましたが「中年太り」とか、「ビールっ腹」だけは避けたい!

Posted at 2011年05月02日 07時20分26秒  /  コメント( 0 )

こんな食事支援もありです 【粥菜坊パパのフロク】

2011年4月13日(水)

福島県いわき市草野小学校で避難している方々に、“椎茸、きくらげと鶏肉の炒め”を作りました。50人分あるので、大きな袋に分けて冷凍、発泡スチロールに入れてクール宅急便で送りだしました。現地で、自然解凍して、小分けして電子レンジでチンしていただければ、そのまま食べられるようになっています。その避難所では白ご飯は作れることを知っているので、それと一緒に食べるおかずになるはずです。今回もお肉が食べれるって喜んでくれるかな? まとめ役をしている会田先生という方に、事前に連絡をとって、食べ方を伝えると、さっそくその日の夕飯に食べて頂けるとのことでした。少しでも、夕ご飯らしいもの食べて頂けたらと思います。

さて、このように冷凍を用いた食事支援は、現地にいかなくても、遠方からできることです。もし、被災地で知人や友人が食事に困っているケースがありましたら、小人数向けであれば、ご家庭から支援ができるかもしれません。食品には、冷凍に向くもの・向かないものがありますので、料理次第でご検討が必要かもしれませんが、自分で一度作って食べて見ればすぐわかることです。遠くから支援したい方は、是非挑戦してみて下さい。


椎茸、きくらげと鶏肉の炒め

Posted at 2011年04月17日 10時23分48秒  /  コメント( 0 )

中国のお墓参り 【粥菜坊パパのフロク】

中国では、清明節といって4月がお墓参りの時期で、日本のお盆のように家族・親戚が集まってお墓の掃除に出かけます。お墓に彫ってある文字には、色鮮やかな朱色のペンキを入れ、お供え物をします。お金や衣服を模した紙を燃やして、爆竹を鳴らし、手を合わせます。日本のようにお墓に水をかけることはありません。

多くの方がお墓参りに来ているので、あちらこちらで爆竹の音が鳴り響き、鼓膜に直に響いて、耳を抑えずにはいられません。下の写真のように、バチバチバチバチ・・・と。

話は変わりますが、昔、お墓をたてた時に、かみさんの母の霊を呼んだことがあります。霊媒師さんを通してお墓の居心地を聞くためでしたが、話を聞いているうち、私の既に亡くなっている母とも会っていて、かみさんがよく墓参りをしてくれると喜んでいるとも言っていました。霊媒師さんは私の母が亡くなっているのを知らないのに。あの世では、言葉の違いはないようです。(粥菜坊パパのよろずのフロク


爆竹ってこんな感じです

Posted at 2011年04月17日 08時49分29秒  /  コメント( 0 )

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