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2012-08-21

東北応援レク・ツアー...

2012年8月6日(月)

野蒜を最後に、今回の旅は終了です。南三陸町は街全体が流されてしまったようなもの。地盤沈下や高台移転の話も重なり、そうそう簡単には、復旧などできっこありません。それでも、何か少しづつでも進んでいるような部分もあり、今回の旅での南三陸の復旧具合の印象をまとめました。

●気仙沼
時間は短かったけれど、初めて気仙沼の湾岸地域に行ってみました。震災時の匂いと比べれば格段に良いのだろうけれど、まだちょっと臭さが気になります。残っているものといえば、建物が流れ残された土台か、廃墟のような建物で、雑草が随分目立ちます。地盤沈下して満潮時には港から水が溢れ出るのでしょうか、水溜まりもいたる所にあります。お馴染みのタンカーも、まだ陸に横たわっていました。人や車は、見ることもできますが、まばらです。漁獲量はある程度回復してきていると聞きますが、これでは冷蔵・冷凍の設備や加工設備が圧倒的に不足なはずです。水産(加工)業の回復にはまだまだ程遠いかもしれません。


写真:(左から)荒野と化した津波に襲われた湾岸地域。ひっそりとした河北新報社気仙沼支局。街中に残るタンカー。


写真:崩壊した建物、雑草、水たまり、建物の土台… まだまだ津波の爪跡くっきりでした

●南三陸町歌津 名足漁港
ほとんど昨年秋と変わらず、新しい建物はありません。片付いてはいるものの、雑草が目立ちます。中央に位置する鉄筋の骨組みだけが残った芽かぶ屋さんは、そのままでした。港の地盤沈下も激しいため、あちこちで修復が必要で、申請はしているが、なかなか進みません。今ある船揚場では足りず、破壊された船揚場の修復が必要だけれど、大きな港湾の修復が優先されるため、着工はまだのようです。


写真:(左から)雑草が目立ちます。鉄筋だけが残った芽かぶ屋さんもそのままでした。中央右手が今ある船揚場、その手前破壊された船揚場の修復が必要です。


写真:色濃く残る津波の爪跡

●南三陸町志津川
防災庁舎はまだ残ってましたが、志津川病院は解体されてなくなっていました。防災庁舎も近々解体されると聞いてます。地盤沈下で、河川の高さは道路の高さとほぼ同じ。気仙沼同様、水溜りが目立ち、満潮時には浸水するのを物語っています。建設許可がおりないのか、目立った新しい建物らしきものは見えません。気仙沼の湾岸地域同様、荒れ果てた土地がただ広がっているという感じです。
とはいえ、さんさん商店街という仮設の商店街が2月にできたし、仮設のコンビニも何件かできています。若干ながら新しい小さな建物も目にはしました。でも、街全体が無くなってしまった志津川、今では生活物資が不足している状況ではないようですが、買い物が不便(特に高齢の方)であることは変わりなさそうです。

写真:(左から)今も残る防災庁舎(左手の遠くに見える何台もの重機の場所が、志津川病院のあった場所です)。街のあちこちに水溜まりが。雑草が生い茂った荒野が広がるようです。

●浜や港の様子
昨年の何もなかったのに、今年は船の姿の数が目だった浜や港がありました。海には、養殖らしきものも多く見ましたし、昨年とは明らかに違います。
津波の後、海は凄く綺麗になったと聞きます。過剰だった養殖物が流され、今では潮の流れがよく、栄養分やプランクトンが豊富になったとか。牡蠣もホタテも、成長が例年より圧倒的に早いそうです。
浜辺からは、まだガラスなんかが出てくるので、海水浴場としての利用はまだ先になるようです。一度、浜を綺麗に掘り起こす必要があるかもしれません。

写真:(左から)船の数が格段に増加しています。泊漁港施行工事関連看板。養殖の姿も目立ちました。

●中国人Cさんの自宅跡(南三陸町歌津港地区)
支援活動をきっかけに知り合ったM仮設にすむ中国人のCさん。この1年、いろんなやり取りをしたので、今ではすっかり心を開いてくれて、家庭内の相談まで話してくれる仲になりました。やっぱり、中国人です。毎回訪れる都度欲しがるのは、牛筋や叉焼といった中華食材で、目がありません。広西省出身なので、今回は桂林ビーフンも持って行ってあげたら、「日本で作れるのぉ〜?」とビックリしていました。

自宅があった場所を見せたいというので、連れていってもらいました。建物の敷地面積が100坪、土地は400坪、畑も広くてたくさんの野菜を育てていたので、震災前はその世話だけでも忙しかったようです。一日中、力仕事が多かっただろうに、それでも震災前の生活は「満足だったよ」としみじみ言っていました。津波の被害で行政が買い取るといっているのは、家があった部分の面積だけ。畑や山をタダで明け渡す気にもなれず、買い取りの申し出には応じる気にはなれないようです。下の写真に映るプレハブ小屋は、仮設が取り壊しになる際に、移り住めるように震災後購入したものだそうです。

今は、朝4時半に起きてご主人のお弁当作り。そして、幼稚園の送迎など6歳と3歳の子育てとアルバイトの一日。お子さんは喘息があるので、仙台のお医者さんまで頻繁に通うそうです。ご主人の週一日のお休みは、事故が起こらぬよう自分の山の塩害杉を切って処分するのに追われるといったご夫婦そろって大変な生活が続きます。生活物資は足りているようですが、もともと物々交換がよく行われているので、日常の買物はあまり必要でもないのかもしれません。

ご主人が車でやって来ると、一匹の猫ちゃんがいつの間にか現れました。仮設に動物は連れていけないので、ここに置いたまま、毎日餌をあげに来るそうです。放しがいですが、この地を離れようとしません。どこに行こうともしない、人懐っこい猫ちゃんでした。


写真:(左から)住居跡地。キュウリもなんとか生えていました。この場所を離れない猫ちゃん。

●被災者の方がたの心
緊急時を脱してから、1年経ったと言ってよいと思います。家を失った方は、仮設住宅に入り、生活も落ち着いたようです。でも、表面的には落ち着いても、心の中は不安や寂しさ、様々な葛藤の中で暮らしているものと思います。少しでもその辛さを緩和したい、頑張っている人を応援したい。だから、今回も顔を見に、そしてレクリエーションをしに出かけました。

そして、気づいたことがあります。現地の人も、前に進んでいることを見に来てくれる人がいることが、大きな励みになるということです。そう言われたんです。1年経っても、2年3年経っても、忘れずにこうして現地に行くことの価値に気が付きました。だから、来年、再来年、そしてその後もできるだけ長く、続けて行こうと強く思いました。街の変わる様子を見守りたいと思うし、それを見て欲しいと思う人がいることを忘れてはいけないと思いました。

Posted at 2012年08月21日 09時27分27秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー...

2012年8月6日(月) 

この日は、最終目的地・東松島野蒜の門馬さん宅でBBQ。早朝、粥菜坊の車5名と香港クルー6名は、ニュー泊崎荘を後にして目的地に向かいます。庭野総理一行の4名は、前日午後2時頃野蒜に向けて出発済み。いろいろ立ち寄っているはずですが、既に到着のはず。私達は、途中、香港クルーの人達に南三陸町志津川にある防災庁舎の悲劇を教えるため、立ち寄りました。写真などで防災庁舎は知っていたようですが、近くにあるとは知らず、急遽時間をかけて取材を開始。そう、この防災庁舎は、津波が来ていますと避難誘導の放送をし続けた女性(遠藤未希さん)をはじめ約20名が亡くなった場所。今でもたくさんの花が供えられていました。

すると、献花の中に三浦冬生君の三浦毅さんへメッセージを書いた野球ボールを発見。三浦冬生君は、歌津中学校野球部だったことから、日本テレビ『Going』でKAT-TUNの亀梨和也さんの訪問を受け、対戦して勝った青年です。冬生君は、粥菜坊がお粥を送ったことがあるお母さんと一緒に、前日ニュー泊崎荘に私達を訪れてくれています。三浦毅さんは、遠藤さんの上司で、遠藤さんの後を受け、最後の最後にマイクを手にした方。冬生君の野球のコーチでもありました。冬生君が書いたメッセージを読むと、当時の悲劇が伝わってくるようです。


写真:(左から)現在の防災庁舎。津波の瞬間の防災庁舎屋上(拡大して見て下さい。屋上の鉄柱と柵にしがみついた10名が生き残りました)、三浦冬生君の毅さんへのメッセージ

さて、防災庁舎での時間もそこそこにして、急いで野蒜に向かいます。朝9時到着予定にあわせ、Mさんが車を飛ばしてくれました。およそ一年ぶりの野蒜の風景…あまり変わっていませんでした。ところが、門馬さん宅に着くとちょっと驚き。ロゴが入った“チーム サークル・はーと”の看板がド〜ン。そして、離れは2間を1間に改装して、広々となっていました。これなら、部屋の中だけでも20人や30人平気で集まれそうです。


写真:(左から)チーム サークル・はーとの看板。離れの手前側から。離れの奥側から。

“チーム サークル・はーと”には、私達支援仲間にはちょっとしたストーリーがあります。
津波襲来時、門馬かあさんはご自宅で屋根まで届く高さの津波に呑まれ、門馬とうさんは車で流されるものの、ともに九死に一生をえます。避難所に入ると、落ち込む暇もなく、自宅に通って、目茶苦茶になった自宅を修復。しかも、ボランティアさん用にと離れまで修復。そんな中、支援物資を持って訪れた高野さんもその元気さに驚きます。ところが、しばらくして再度連絡をとると、元気がない。心配して、再度訪れたのが昨年8月です。私も同行しました。「元気出しなよ。皆を集めて、縫い物でもやってよ」って持ち込んだのが手芸品です。四百数十世帯あって、戻ってきたのは二十数世帯、バラバラになったコミュニティ。高野さんは、この人ならコミュニティの再建ができると考えて、そう仕向けました。でも、その時はやる気のない返事。「でも、手芸品は置いていくから」と去ってから1カ月。なんと「周りに声をかけて、やってみる」との返事が来ました。飛び上るほど嬉しくて、駆けつけたのが10月です(東北で応援 “ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”)。 その後は、毎月10数名が集まって、その離れでおしゃべりしながら、手芸を楽しみ始めます。粥菜坊の『被災地食事支援プログラム』からも、しっかりしたコミュニティを作って欲しいとの願いから、お粥や粽を何回か送りました。。手慣れて来ると、ママsに集まる支援仲間たちが、販売へと仕向け、包装を手掛け、催しで販売したりと一丸となって、陰ながら応援します。粥菜坊ももちろん、イベントやお店で販売をお手伝いしました。

さらに、最近では、地元の医療生協さんの支援を得られるようになって、包装も販売も自分達で始めています。受注も結構受けているようで、独立の気持ちが芽生え、グループ名も自分達で選び、歩み始めたのです。そのグループ名が、“チーム サークル・はーと”というわけです。


写真:(左から)門馬かあさん元気ない頃(昨年8月訪問時)。やる気を出して手芸の集まりスタート(昨年10月訪問時)。川崎国際交流センターのイベントで野蒜のエコたわし販売(今年3月)。

門馬かあさんは、両足が悪いらしく、2本の杖を持って歩きます。それでも、自分が被災者でありながら、いち早く立ち直って、被災者の支援もするし、地域の高齢者の世話もしています。花や木が好きで、よく話しかけています。話好きで弾丸のように止まらない話しが飛んできますが、それが面白く、心に響くことが多いので、聞いてて全くいやになりません。門馬とうさんは、横でいつも大人しく朗らかな顔で聞いています。ちょっと、口をはさむことがあると、これがまた心に響くことを言うんです。

こんな門馬ご夫妻が語ることを、是非記録に残したい、香港の人達に紹介したいと思って、香港クルーに取材してもらいました。門馬ご夫妻、快く協力してくれて、たくさん語ってくれました。そして、チーム サーク・ハートの様子や粥菜坊主催の暑気払いBBQの様子も取材していって頂きました。


写真:(左から)香港クルーが門馬ご夫妻取材中。サークルハート活動中。エコたわし紹介文。

BBQは、医療生協の方々が朝早くからしっかり準備してくれていて、いろんなお手伝いをしてくれました。なるほど、こういう方々が一緒なら、サークル・ハートの活動も安心できる、いろんな相談に乗って頂けると安心しました。今回も、お肉や海老、お野菜はもちろん、お粥も作りました。今回は、食材調達の難しさからお店でもめったに作らない“干し牡蠣粥“。生牡蠣とはまた違って、牡蠣の味が干すことで濃厚になっています。自己紹介の時間では、多くの人から「元気になった」「頑張れる」という声が聞けて、余興では皆で歌を唄ったりもしました。昨年9月の東名(野蒜の隣り町)での炊き出しを思い出して、お礼を言ってくれる人もいました。楽しい、楽しいひとときでした。




門馬とうさんが、「ここにいる人は皆さん前向きの人ばかり。心配しないで。」と言ってくれました。頼もしいです。でも、周りにはまだまだ前向きになれない人達の方も多いはずです。このチームの元に、もっともっと多くの人が集って、門馬さんに引き込まれるように、たくさんの人が前向きになって行くことを願ってやみません。

おわり間際には、門馬かあさんに「今度は私達が招待しようよ!」って大きな声で言っている人がいました。この上なく嬉しい一言。もし、そんなことがあったら、もちろん喜んで何もかも投げ捨てて駆けつけます。

“心は丸く、気は長く、一歩一歩、前向きに”・・・門馬かあさんが、チーム サークル・ハートのキャッチコピーに選んだ言葉です。全てを受け入れる懐の大きさを表している気がします。心は、とげとげしくあってはいけません。門馬さん、ありがとう。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月21日 00時27分56秒  /  コメント( 0 )