メインメニュー
2012-08-14

東北応援レク・ツアー...

2012年8月4日(土)夜&5日(日) 

旭が丘学園を後にして、のんびりする暇もなく…首を長くして待っている南三陸町歌津名足地区の区長Sさん宅へ車を飛ばします。昨年10月以来約1年ぶりです。到着すると、庭にはBBQの用意が。さらに、家の中には船盛りが。毎回私達の支援グループが来ると、気を使っていろんな用意をしてくれます。申し訳ないと思いながら、遠慮せずにグビッといってしまいました。火の上には大きなホタテが(でも、本当はもっと大きくてその倍ぐらいになるそうです)。「ホタテは一人1個だよっ」と言われていたのに、ちゃっかりうちのかみさんは区長さん御夫妻の分2個貰ったそうな。でも、良心が痛んだのか、うち1個を庭野総理にあげたとか。この2人、ずり〜ぃっ!

少し高台にある区長さんの自宅は、震災時自宅が流された人達の避難場所となり、大勢の人のお世話をします。衣服も全部配ってしまったそうです。6月初旬まで3カ月近く、電気も水もなかったこの名足。岩手に住む娘さんが4月末にネットを通して支援を呼び掛けると、ようやく物資が集まり始めます。それらを各戸に配る取りまとめ役をして、それだけでも大変な苦労だったと思います(仕分け作業って、とても大変なんです)。「それを悪く言う人もいないことはないけれど、私の一番の自慢は、こうして皆さんがまた会いに来てくれることだ」なんて言ってくれました。自分のことより、周りの人のことをいつも気遣う区長さん、人望の厚い方なんです。あっという間に時間が過ぎ、明日に備えて、宿泊先ニュー泊崎荘へ戻りました。



さて、次の日は名足地区の仮設住宅で餃子&中華菓子教室のレクリエーションです。区長さんに協力して頂き、事前に仮設の皆さんに声をかけておいて頂きました。名足では、昨年6月に2日間、炊き出しをしているので皆さんは粥菜坊をご存知です。

今回教えたのは、餃子はただの餃子ではありません。南三陸産の塩蔵わかめを使った“わかめ餃子”です。わかめで餃子(?)なんて変に思った人もいたでしょうが、粥菜坊のお店でも常時作っている餃子なので、自信を持って教えることができる餃子です。実は、わかめ餃子を作ったのには理由があります。肉がなくても、皆さんの身近な食材のわかめで餃子は作れるということを教えたかったことです。S区長のおかんからは、「こっちから送ってやったわかめを、また持ち帰ってきてバカか」なんて言われましたが(笑)。

先ずは腹ごしらえ。餃子の包み方を教えた後に、皆さんにどんどん包んで頂いて、キッチンで私と庭野官房長官(庭野総理のご主人)がどんどん焼き、そしてどんどん食べて頂きました。実に、包んだ餃子はおよそ800個。そして、なんと食べ終わって落ち着いた後に、やっとレシピに基づいて餃子の具の作り方と薄餐(広東語でボッツァンと発音)というココナッツ入りの餅ロールを勉強です。


写真:(左から)談話室に張られた案内。どんどん手にとって。どんどん包んで。


写真:(左から)どんどん焼いて。どんどん食べて。それから、やっと具の作り方の勉強です。

さて、その間、香港クルーは相変わらず撮影&インタビュー。S区長さんのおかんも震災時のことや現在のことをインタビューを受けていました。


写真:(左から)教室の様子を撮影。S区長おかんのインタビュー。談話室から抜け出して名足漁港でかみさんのインタビュー。

実は、わかめ餃子を作った目的はもう一つあります。誰か南三陸産のわかめ餃子や茎わかめ餃子で事業を起こさないかなぁと考えていることです。南三陸のわかめといえばブランドだし、他店ではやっていないので挑戦してみるのも面白いに違いない。お客さんは、南三陸の観光客はもちろん、もっと大きく、ネットを使って全国の人達が相手です。そして粥菜坊では、ネット販売も含めた経験や調理技術を無償提供するし、場合によっては資本参加も考てもよいと思っています。一緒に挑戦してみたい人を探す糸口として、今回の餃子教室でわかめ餃子を採り上げたのです。急がずに、時間をかけて興味がある人を探したいと思っています。

そうこうしているうちに、地元の人よりも歌津に詳しいかもしれないレスキュー横浜・オーファの島田さん、そして中山仮設のMさんも仕事を抜け出して遊びにやってきました。島田さんは、粥菜坊が『被災地食事支援プログラム』を立ち上げて間もなく、「100食分名足にお粥を送って下さい」と送金してきた方、Mさんは同プログラムで粥菜坊がお粥を送った事がある方です。島田さんこそ、わかめ餃子の事業展開の話を頭の片隅に置いておいて頂く適任者、と高野さんにアドバイスを受け、島田さんに相談すると面白そうだとのこと。是非、島田さんにもご協力頂きたいとお願いしました。


写真:左から庭野総理、島田さん、Mさん

私は、餃子を焼き終えると、この仮設のO副区長さんの話に聞き入ってしまいました。震災当日、気仙沼の漁港にいて地震に気が付くと、一目散に沖に向かって船を出したそうです。安全圏というのがあって、海底の深さによって一気に波が盛り上がるラインがあり、一刻も早くそこを脱出するため、波に向かって行ったとのこと。そのラインを越えて振り向くと、間一髪、後方では波が大きくうねっていたそうです。地上に戻れず、2晩海で過ごし、名足へ回ると瓦礫で海から陸へは簡単に近づけず、同様の漁師さん達と一列になって、瓦礫をよけながら、やっと陸に船を付けたそうです。食や暖は、短期間ならどんな船でも準備してあるので、それは問題なかったとのこと。家は流され、その後、仮設に入るまで自分の倉庫に寝泊まりして暮らしたそうです。なんと、チリ地震でも家を流されていて、家を流されたのは2度目だとか。もう漁師は辞めたそうで、今では漁の道具を作っているとのこと。早く漁が昔のように活発になって、道具もたくさん必要になることを願ってやみません。


写真:O副区長の話に聞き入ってしまいました。

中華料理の高級食材といえば、フカヒレもその一つですが、中国もそのほとんどを気仙沼から輸入しています。その行く末が気になって聞いてみました。サメの漁獲量が激減して、大打撃かと思いきや、サメというのはもともと獲ろうとしてとっているのではなく、マグロを獲ろうとすると、ついでに混じって獲れちゃうものだそうです。価格はざっとマグロの10分の1だとか。以前はヒレを切って胴体は捨てたらしいですが、今では蒲鉾に使うとのことです。
フカヒレがあんなに高価なのは、ヒレが高いというよりも、ヒレから余計な物を取り省く労務費が高いのかもしれません。今では、サメの漁獲量も少なくなっていますが、マグロとともに徐々に元通りになってゆくのでしょう。

おなかいっぱいになって、お部屋にも焼いた餃子や作った餃子の具を持ち帰って頂いて、皆さん楽しめたと思います。ここでも、たくさんの笑顔を見ることができました。「今度はわかめを使って作ってみる」と意欲的な声もたくさん聞きました。是非、時間を見つけて、楽しく笑ってわかめ餃子を作って頂きたいと思います。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月14日 09時07分25秒  /  コメント( 0 )