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2012-08

東北応援レク・ツアー...

2012年8月20日(月)

川崎に戻って、すぐに旭が丘学園の園長先生に帰った旨&お礼のメールを出すと、返信を頂きました。寄付金も含め、たくさんの方々の協力があって出来たレクリエーションなので、共有したいと思います。

「旭が丘学園の小原です。先日はおいしい食事を御馳走して頂き、また、義援金や数々のお菓子やおもちゃなどもあわせて頂き本当に有難うございました。

夏休みに家に帰れない子どもたちにとって思いもかけないプレゼントとなりました。子どもたちも職員も心に残る一日となったことは間違いありません。来年も来て頂くとの事で是非お願い致します。

来ていただいた時の課題などをとの事でしたが、当園では先日のような内容であれば特に問題はありませんので今後ともよろしくお願いたします。本当に有難うございました。」

今でも、たくさんの子供たちの笑顔やはしゃぐ姿が思い起こされます。本当に喜んでくれました。最後のおやつの時には、うちのかみさんが「このおばさんに、また来て欲しい人?」って聞いたら、そのテーブルにいた5〜6人の子供達はみんな、間髪いれずに「は〜い」と手を挙げてくれました。来年も来ようと思わずにいられません。いや、来年も来ることにしました。だから、川崎に戻って、すぐにその旨と至らなかった点は何かをメールしてみたんです。返事は、上に記載の通りです。

ある先生がおっしゃっていました。「子供達ってこうして来てくれた人達のこと、驚くほどよ〜く覚えているんです。大人よりもずっと良く覚えているんですよ」と。また、「こうして優しくされたことが、将来人に優しくする側になってくれると思うんです」とも。そうなんです。ボランティア活動もそうですが、私自身に見返りなんてもちろん要りません。でも、社会に返してくれたらいいなぁといつも思っています。それが、ほかの人を思う気持ち&行動の循環がある、心温まる社会に繋がっていくと思うんです。

そして、後日、丁寧に募金のお礼を送って来てくれました。自分達で数えた金額(235,983円)は100円間違っていたようで、236,083円とのことでした。皆さん、ご協力本当に有難うございました。

Posted at 2012年08月22日 00時08分56秒  /  コメント( 2 )

東北応援レク・ツアー...

2012年8月6日(月)

野蒜を最後に、今回の旅は終了です。南三陸町は街全体が流されてしまったようなもの。地盤沈下や高台移転の話も重なり、そうそう簡単には、復旧などできっこありません。それでも、何か少しづつでも進んでいるような部分もあり、今回の旅での南三陸の復旧具合の印象をまとめました。

●気仙沼
時間は短かったけれど、初めて気仙沼の湾岸地域に行ってみました。震災時の匂いと比べれば格段に良いのだろうけれど、まだちょっと臭さが気になります。残っているものといえば、建物が流れ残された土台か、廃墟のような建物で、雑草が随分目立ちます。地盤沈下して満潮時には港から水が溢れ出るのでしょうか、水溜まりもいたる所にあります。お馴染みのタンカーも、まだ陸に横たわっていました。人や車は、見ることもできますが、まばらです。漁獲量はある程度回復してきていると聞きますが、これでは冷蔵・冷凍の設備や加工設備が圧倒的に不足なはずです。水産(加工)業の回復にはまだまだ程遠いかもしれません。


写真:(左から)荒野と化した津波に襲われた湾岸地域。ひっそりとした河北新報社気仙沼支局。街中に残るタンカー。


写真:崩壊した建物、雑草、水たまり、建物の土台… まだまだ津波の爪跡くっきりでした

●南三陸町歌津 名足漁港
ほとんど昨年秋と変わらず、新しい建物はありません。片付いてはいるものの、雑草が目立ちます。中央に位置する鉄筋の骨組みだけが残った芽かぶ屋さんは、そのままでした。港の地盤沈下も激しいため、あちこちで修復が必要で、申請はしているが、なかなか進みません。今ある船揚場では足りず、破壊された船揚場の修復が必要だけれど、大きな港湾の修復が優先されるため、着工はまだのようです。


写真:(左から)雑草が目立ちます。鉄筋だけが残った芽かぶ屋さんもそのままでした。中央右手が今ある船揚場、その手前破壊された船揚場の修復が必要です。


写真:色濃く残る津波の爪跡

●南三陸町志津川
防災庁舎はまだ残ってましたが、志津川病院は解体されてなくなっていました。防災庁舎も近々解体されると聞いてます。地盤沈下で、河川の高さは道路の高さとほぼ同じ。気仙沼同様、水溜りが目立ち、満潮時には浸水するのを物語っています。建設許可がおりないのか、目立った新しい建物らしきものは見えません。気仙沼の湾岸地域同様、荒れ果てた土地がただ広がっているという感じです。
とはいえ、さんさん商店街という仮設の商店街が2月にできたし、仮設のコンビニも何件かできています。若干ながら新しい小さな建物も目にはしました。でも、街全体が無くなってしまった志津川、今では生活物資が不足している状況ではないようですが、買い物が不便(特に高齢の方)であることは変わりなさそうです。

写真:(左から)今も残る防災庁舎(左手の遠くに見える何台もの重機の場所が、志津川病院のあった場所です)。街のあちこちに水溜まりが。雑草が生い茂った荒野が広がるようです。

●浜や港の様子
昨年の何もなかったのに、今年は船の姿の数が目だった浜や港がありました。海には、養殖らしきものも多く見ましたし、昨年とは明らかに違います。
津波の後、海は凄く綺麗になったと聞きます。過剰だった養殖物が流され、今では潮の流れがよく、栄養分やプランクトンが豊富になったとか。牡蠣もホタテも、成長が例年より圧倒的に早いそうです。
浜辺からは、まだガラスなんかが出てくるので、海水浴場としての利用はまだ先になるようです。一度、浜を綺麗に掘り起こす必要があるかもしれません。

写真:(左から)船の数が格段に増加しています。泊漁港施行工事関連看板。養殖の姿も目立ちました。

●中国人Cさんの自宅跡(南三陸町歌津港地区)
支援活動をきっかけに知り合ったM仮設にすむ中国人のCさん。この1年、いろんなやり取りをしたので、今ではすっかり心を開いてくれて、家庭内の相談まで話してくれる仲になりました。やっぱり、中国人です。毎回訪れる都度欲しがるのは、牛筋や叉焼といった中華食材で、目がありません。広西省出身なので、今回は桂林ビーフンも持って行ってあげたら、「日本で作れるのぉ〜?」とビックリしていました。

自宅があった場所を見せたいというので、連れていってもらいました。建物の敷地面積が100坪、土地は400坪、畑も広くてたくさんの野菜を育てていたので、震災前はその世話だけでも忙しかったようです。一日中、力仕事が多かっただろうに、それでも震災前の生活は「満足だったよ」としみじみ言っていました。津波の被害で行政が買い取るといっているのは、家があった部分の面積だけ。畑や山をタダで明け渡す気にもなれず、買い取りの申し出には応じる気にはなれないようです。下の写真に映るプレハブ小屋は、仮設が取り壊しになる際に、移り住めるように震災後購入したものだそうです。

今は、朝4時半に起きてご主人のお弁当作り。そして、幼稚園の送迎など6歳と3歳の子育てとアルバイトの一日。お子さんは喘息があるので、仙台のお医者さんまで頻繁に通うそうです。ご主人の週一日のお休みは、事故が起こらぬよう自分の山の塩害杉を切って処分するのに追われるといったご夫婦そろって大変な生活が続きます。生活物資は足りているようですが、もともと物々交換がよく行われているので、日常の買物はあまり必要でもないのかもしれません。

ご主人が車でやって来ると、一匹の猫ちゃんがいつの間にか現れました。仮設に動物は連れていけないので、ここに置いたまま、毎日餌をあげに来るそうです。放しがいですが、この地を離れようとしません。どこに行こうともしない、人懐っこい猫ちゃんでした。


写真:(左から)住居跡地。キュウリもなんとか生えていました。この場所を離れない猫ちゃん。

●被災者の方がたの心
緊急時を脱してから、1年経ったと言ってよいと思います。家を失った方は、仮設住宅に入り、生活も落ち着いたようです。でも、表面的には落ち着いても、心の中は不安や寂しさ、様々な葛藤の中で暮らしているものと思います。少しでもその辛さを緩和したい、頑張っている人を応援したい。だから、今回も顔を見に、そしてレクリエーションをしに出かけました。

そして、気づいたことがあります。現地の人も、前に進んでいることを見に来てくれる人がいることが、大きな励みになるということです。そう言われたんです。1年経っても、2年3年経っても、忘れずにこうして現地に行くことの価値に気が付きました。だから、来年、再来年、そしてその後もできるだけ長く、続けて行こうと強く思いました。街の変わる様子を見守りたいと思うし、それを見て欲しいと思う人がいることを忘れてはいけないと思いました。

Posted at 2012年08月21日 09時27分27秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー...

2012年8月6日(月) 

この日は、最終目的地・東松島野蒜の門馬さん宅でBBQ。早朝、粥菜坊の車5名と香港クルー6名は、ニュー泊崎荘を後にして目的地に向かいます。庭野総理一行の4名は、前日午後2時頃野蒜に向けて出発済み。いろいろ立ち寄っているはずですが、既に到着のはず。私達は、途中、香港クルーの人達に南三陸町志津川にある防災庁舎の悲劇を教えるため、立ち寄りました。写真などで防災庁舎は知っていたようですが、近くにあるとは知らず、急遽時間をかけて取材を開始。そう、この防災庁舎は、津波が来ていますと避難誘導の放送をし続けた女性(遠藤未希さん)をはじめ約20名が亡くなった場所。今でもたくさんの花が供えられていました。

すると、献花の中に三浦冬生君の三浦毅さんへメッセージを書いた野球ボールを発見。三浦冬生君は、歌津中学校野球部だったことから、日本テレビ『Going』でKAT-TUNの亀梨和也さんの訪問を受け、対戦して勝った青年です。冬生君は、粥菜坊がお粥を送ったことがあるお母さんと一緒に、前日ニュー泊崎荘に私達を訪れてくれています。三浦毅さんは、遠藤さんの上司で、遠藤さんの後を受け、最後の最後にマイクを手にした方。冬生君の野球のコーチでもありました。冬生君が書いたメッセージを読むと、当時の悲劇が伝わってくるようです。


写真:(左から)現在の防災庁舎。津波の瞬間の防災庁舎屋上(拡大して見て下さい。屋上の鉄柱と柵にしがみついた10名が生き残りました)、三浦冬生君の毅さんへのメッセージ

さて、防災庁舎での時間もそこそこにして、急いで野蒜に向かいます。朝9時到着予定にあわせ、Mさんが車を飛ばしてくれました。およそ一年ぶりの野蒜の風景…あまり変わっていませんでした。ところが、門馬さん宅に着くとちょっと驚き。ロゴが入った“チーム サークル・はーと”の看板がド〜ン。そして、離れは2間を1間に改装して、広々となっていました。これなら、部屋の中だけでも20人や30人平気で集まれそうです。


写真:(左から)チーム サークル・はーとの看板。離れの手前側から。離れの奥側から。

“チーム サークル・はーと”には、私達支援仲間にはちょっとしたストーリーがあります。
津波襲来時、門馬かあさんはご自宅で屋根まで届く高さの津波に呑まれ、門馬とうさんは車で流されるものの、ともに九死に一生をえます。避難所に入ると、落ち込む暇もなく、自宅に通って、目茶苦茶になった自宅を修復。しかも、ボランティアさん用にと離れまで修復。そんな中、支援物資を持って訪れた高野さんもその元気さに驚きます。ところが、しばらくして再度連絡をとると、元気がない。心配して、再度訪れたのが昨年8月です。私も同行しました。「元気出しなよ。皆を集めて、縫い物でもやってよ」って持ち込んだのが手芸品です。四百数十世帯あって、戻ってきたのは二十数世帯、バラバラになったコミュニティ。高野さんは、この人ならコミュニティの再建ができると考えて、そう仕向けました。でも、その時はやる気のない返事。「でも、手芸品は置いていくから」と去ってから1カ月。なんと「周りに声をかけて、やってみる」との返事が来ました。飛び上るほど嬉しくて、駆けつけたのが10月です(東北で応援 “ワイワイ手芸&「一鳥二石」BBQ”)。 その後は、毎月10数名が集まって、その離れでおしゃべりしながら、手芸を楽しみ始めます。粥菜坊の『被災地食事支援プログラム』からも、しっかりしたコミュニティを作って欲しいとの願いから、お粥や粽を何回か送りました。。手慣れて来ると、ママsに集まる支援仲間たちが、販売へと仕向け、包装を手掛け、催しで販売したりと一丸となって、陰ながら応援します。粥菜坊ももちろん、イベントやお店で販売をお手伝いしました。

さらに、最近では、地元の医療生協さんの支援を得られるようになって、包装も販売も自分達で始めています。受注も結構受けているようで、独立の気持ちが芽生え、グループ名も自分達で選び、歩み始めたのです。そのグループ名が、“チーム サークル・はーと”というわけです。


写真:(左から)門馬かあさん元気ない頃(昨年8月訪問時)。やる気を出して手芸の集まりスタート(昨年10月訪問時)。川崎国際交流センターのイベントで野蒜のエコたわし販売(今年3月)。

門馬かあさんは、両足が悪いらしく、2本の杖を持って歩きます。それでも、自分が被災者でありながら、いち早く立ち直って、被災者の支援もするし、地域の高齢者の世話もしています。花や木が好きで、よく話しかけています。話好きで弾丸のように止まらない話しが飛んできますが、それが面白く、心に響くことが多いので、聞いてて全くいやになりません。門馬とうさんは、横でいつも大人しく朗らかな顔で聞いています。ちょっと、口をはさむことがあると、これがまた心に響くことを言うんです。

こんな門馬ご夫妻が語ることを、是非記録に残したい、香港の人達に紹介したいと思って、香港クルーに取材してもらいました。門馬ご夫妻、快く協力してくれて、たくさん語ってくれました。そして、チーム サーク・ハートの様子や粥菜坊主催の暑気払いBBQの様子も取材していって頂きました。


写真:(左から)香港クルーが門馬ご夫妻取材中。サークルハート活動中。エコたわし紹介文。

BBQは、医療生協の方々が朝早くからしっかり準備してくれていて、いろんなお手伝いをしてくれました。なるほど、こういう方々が一緒なら、サークル・ハートの活動も安心できる、いろんな相談に乗って頂けると安心しました。今回も、お肉や海老、お野菜はもちろん、お粥も作りました。今回は、食材調達の難しさからお店でもめったに作らない“干し牡蠣粥“。生牡蠣とはまた違って、牡蠣の味が干すことで濃厚になっています。自己紹介の時間では、多くの人から「元気になった」「頑張れる」という声が聞けて、余興では皆で歌を唄ったりもしました。昨年9月の東名(野蒜の隣り町)での炊き出しを思い出して、お礼を言ってくれる人もいました。楽しい、楽しいひとときでした。




門馬とうさんが、「ここにいる人は皆さん前向きの人ばかり。心配しないで。」と言ってくれました。頼もしいです。でも、周りにはまだまだ前向きになれない人達の方も多いはずです。このチームの元に、もっともっと多くの人が集って、門馬さんに引き込まれるように、たくさんの人が前向きになって行くことを願ってやみません。

おわり間際には、門馬かあさんに「今度は私達が招待しようよ!」って大きな声で言っている人がいました。この上なく嬉しい一言。もし、そんなことがあったら、もちろん喜んで何もかも投げ捨てて駆けつけます。

“心は丸く、気は長く、一歩一歩、前向きに”・・・門馬かあさんが、チーム サークル・ハートのキャッチコピーに選んだ言葉です。全てを受け入れる懐の大きさを表している気がします。心は、とげとげしくあってはいけません。門馬さん、ありがとう。



TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月21日 00時27分56秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー...

2012年8月4日(土)夜&5日(日) 

旭が丘学園を後にして、のんびりする暇もなく…首を長くして待っている南三陸町歌津名足地区の区長Sさん宅へ車を飛ばします。昨年10月以来約1年ぶりです。到着すると、庭にはBBQの用意が。さらに、家の中には船盛りが。毎回私達の支援グループが来ると、気を使っていろんな用意をしてくれます。申し訳ないと思いながら、遠慮せずにグビッといってしまいました。火の上には大きなホタテが(でも、本当はもっと大きくてその倍ぐらいになるそうです)。「ホタテは一人1個だよっ」と言われていたのに、ちゃっかりうちのかみさんは区長さん御夫妻の分2個貰ったそうな。でも、良心が痛んだのか、うち1個を庭野総理にあげたとか。この2人、ずり〜ぃっ!

少し高台にある区長さんの自宅は、震災時自宅が流された人達の避難場所となり、大勢の人のお世話をします。衣服も全部配ってしまったそうです。6月初旬まで3カ月近く、電気も水もなかったこの名足。岩手に住む娘さんが4月末にネットを通して支援を呼び掛けると、ようやく物資が集まり始めます。それらを各戸に配る取りまとめ役をして、それだけでも大変な苦労だったと思います(仕分け作業って、とても大変なんです)。「それを悪く言う人もいないことはないけれど、私の一番の自慢は、こうして皆さんがまた会いに来てくれることだ」なんて言ってくれました。自分のことより、周りの人のことをいつも気遣う区長さん、人望の厚い方なんです。あっという間に時間が過ぎ、明日に備えて、宿泊先ニュー泊崎荘へ戻りました。



さて、次の日は名足地区の仮設住宅で餃子&中華菓子教室のレクリエーションです。区長さんに協力して頂き、事前に仮設の皆さんに声をかけておいて頂きました。名足では、昨年6月に2日間、炊き出しをしているので皆さんは粥菜坊をご存知です。

今回教えたのは、餃子はただの餃子ではありません。南三陸産の塩蔵わかめを使った“わかめ餃子”です。わかめで餃子(?)なんて変に思った人もいたでしょうが、粥菜坊のお店でも常時作っている餃子なので、自信を持って教えることができる餃子です。実は、わかめ餃子を作ったのには理由があります。肉がなくても、皆さんの身近な食材のわかめで餃子は作れるということを教えたかったことです。S区長のおかんからは、「こっちから送ってやったわかめを、また持ち帰ってきてバカか」なんて言われましたが(笑)。

先ずは腹ごしらえ。餃子の包み方を教えた後に、皆さんにどんどん包んで頂いて、キッチンで私と庭野官房長官(庭野総理のご主人)がどんどん焼き、そしてどんどん食べて頂きました。実に、包んだ餃子はおよそ800個。そして、なんと食べ終わって落ち着いた後に、やっとレシピに基づいて餃子の具の作り方と薄餐(広東語でボッツァンと発音)というココナッツ入りの餅ロールを勉強です。


写真:(左から)談話室に張られた案内。どんどん手にとって。どんどん包んで。


写真:(左から)どんどん焼いて。どんどん食べて。それから、やっと具の作り方の勉強です。

さて、その間、香港クルーは相変わらず撮影&インタビュー。S区長さんのおかんも震災時のことや現在のことをインタビューを受けていました。


写真:(左から)教室の様子を撮影。S区長おかんのインタビュー。談話室から抜け出して名足漁港でかみさんのインタビュー。

実は、わかめ餃子を作った目的はもう一つあります。誰か南三陸産のわかめ餃子や茎わかめ餃子で事業を起こさないかなぁと考えていることです。南三陸のわかめといえばブランドだし、他店ではやっていないので挑戦してみるのも面白いに違いない。お客さんは、南三陸の観光客はもちろん、もっと大きく、ネットを使って全国の人達が相手です。そして粥菜坊では、ネット販売も含めた経験や調理技術を無償提供するし、場合によっては資本参加も考てもよいと思っています。一緒に挑戦してみたい人を探す糸口として、今回の餃子教室でわかめ餃子を採り上げたのです。急がずに、時間をかけて興味がある人を探したいと思っています。

そうこうしているうちに、地元の人よりも歌津に詳しいかもしれないレスキュー横浜・オーファの島田さん、そして中山仮設のMさんも仕事を抜け出して遊びにやってきました。島田さんは、粥菜坊が『被災地食事支援プログラム』を立ち上げて間もなく、「100食分名足にお粥を送って下さい」と送金してきた方、Mさんは同プログラムで粥菜坊がお粥を送った事がある方です。島田さんこそ、わかめ餃子の事業展開の話を頭の片隅に置いておいて頂く適任者、と高野さんにアドバイスを受け、島田さんに相談すると面白そうだとのこと。是非、島田さんにもご協力頂きたいとお願いしました。


写真:左から庭野総理、島田さん、Mさん

私は、餃子を焼き終えると、この仮設のO副区長さんの話に聞き入ってしまいました。震災当日、気仙沼の漁港にいて地震に気が付くと、一目散に沖に向かって船を出したそうです。安全圏というのがあって、海底の深さによって一気に波が盛り上がるラインがあり、一刻も早くそこを脱出するため、波に向かって行ったとのこと。そのラインを越えて振り向くと、間一髪、後方では波が大きくうねっていたそうです。地上に戻れず、2晩海で過ごし、名足へ回ると瓦礫で海から陸へは簡単に近づけず、同様の漁師さん達と一列になって、瓦礫をよけながら、やっと陸に船を付けたそうです。食や暖は、短期間ならどんな船でも準備してあるので、それは問題なかったとのこと。家は流され、その後、仮設に入るまで自分の倉庫に寝泊まりして暮らしたそうです。なんと、チリ地震でも家を流されていて、家を流されたのは2度目だとか。もう漁師は辞めたそうで、今では漁の道具を作っているとのこと。早く漁が昔のように活発になって、道具もたくさん必要になることを願ってやみません。


写真:O副区長の話に聞き入ってしまいました。

中華料理の高級食材といえば、フカヒレもその一つですが、中国もそのほとんどを気仙沼から輸入しています。その行く末が気になって聞いてみました。サメの漁獲量が激減して、大打撃かと思いきや、サメというのはもともと獲ろうとしてとっているのではなく、マグロを獲ろうとすると、ついでに混じって獲れちゃうものだそうです。価格はざっとマグロの10分の1だとか。以前はヒレを切って胴体は捨てたらしいですが、今では蒲鉾に使うとのことです。
フカヒレがあんなに高価なのは、ヒレが高いというよりも、ヒレから余計な物を取り省く労務費が高いのかもしれません。今では、サメの漁獲量も少なくなっていますが、マグロとともに徐々に元通りになってゆくのでしょう。

おなかいっぱいになって、お部屋にも焼いた餃子や作った餃子の具を持ち帰って頂いて、皆さん楽しめたと思います。ここでも、たくさんの笑顔を見ることができました。「今度はわかめを使って作ってみる」と意欲的な声もたくさん聞きました。是非、時間を見つけて、楽しく笑ってわかめ餃子を作って頂きたいと思います。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月14日 09時07分25秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー...

2012年8月4日(土)ランチ〜 

子供たちが食後のデザートのぶどうを食べ終えると、我々はゆっくり食事をする暇もなく…うちのかみさんの「スイカ割りでもやろうか」の一声に、みんなが「は〜い」の返事。スイカは3個あるものの、スイカ割りの準備はしていなかったので、大慌て。Mさんは、棒を探しに学園の周りを駆け回ってくれましたが見つかりません。先生がブルーシートを速攻で用意してくれて、棒も干し竿を探してきてくれました。さて、いよいよスタート。順番に繰り返しますが、なかなか当たりません。全然違う方向へ誘導された小さな子もいて、泣き出してしまいました。物にあたり出して、ちょっと心配。すると、大きな子に「物にあたるんじゃない!」と叱られて、すぐにけろり。そして再度順番待ちに並びます。1個めのスイカはそこそこ割れた程度でしたが、2個めは木っ端みじん。すると、それに駆け寄って粉々のスイカにかぶりつくその勢いにビックリしました。スイカって、包丁で切るより、ぐしゃっと割った方が美味しいって聞いたことがあります。圧縮されて甘みが増すとか。とうとう、干し竿は曲がってしまいました。でも、学園の方が率先して持ってきてくれたものだから、まぁいいか。



スイカを食べ終わると、次はビンゴ大会。次から次へとイベントが続きます。景品の箱を持ってきて、机に置くと子供たちがわぁと群らがって圧倒されました。景品は、パズル、知恵の輪、けん玉などのおもちゃ、文具といったもの。最低でも全員分ありますが、各人やっぱりお目当てが欲しい。カードの穴が並んだ人から順番に景品を持っていけることにしたので、子供たちはテーブルにかぶりついて、狙った景品の行く末を見ます。自分が揃うまで誰も持って行きませんように…なんて祈っていたのかもしれません。


(一番右の写真は、アイスではありません。パズルです。)

簡単な仕組みだけど、結構難しい時計のクイズも出しました。丸い厚紙の表にも裏にも時計が書いてあります。表が12時です。一番上と一番下(12時の部分と6時の部分)を持ってくるっと回すと、裏の時計は2時です。では、表が1時の時、裏は何時でしょう?…答えは1時です。表が9時の時、裏は何時でしょう?…5時です。みんな頭がこんがらがりました。表が4時の時、裏は…10時。ほとんどの人が何故だかわからなかったようです。どうです、わかりますか?

そのほか、中国の毽子(ジェンズ)という数人で羽根を蹴り合う中国の伝統的な遊びや、一斉に私とじゃんけんをして、勝ったら飴の掴み取りなんていうのもやりました。掴み取りも盛り上がりました。


写真:(左から)時計のクイズ出題中。ジェンズを蹴って遊んでいます。飴のつかみ取り。

最後は、皆の前で「楽しかったです。有難う」と挨拶させて頂いて、チーズケーキとお菓子でお開きです。時計は4時を回っていました。餃子を十何個も食べましたと言っていた子がいて、学年を聞いてみると高校3年生。来春は東京の専門学校に行く予定といいます。「是非、連絡下さい」と粥菜坊のカードを渡しました。連絡をくれたら、喜んで彼のサポートをしたいと思います。そこでまた繋がったら素敵ですね。



とても感動的な一日でした。子供達と先生方、すばらしい一大家族という感じ、ちょっと驚きでした。子供たちは温かく私達に接してくれて、礼儀正しく、素直で、親切で。上の子も下の子のめんどうをよく見ているし、先生も子供達に溶け込んでいて、素晴らしかったです。想像をはるかに上回る繋がりでした。たくさんの無邪気な笑顔に触れ、大津のいじめ事件以降の連日のいじめ報道に傷めている心が洗われる思いでもありました。

ある先生とお話してみると、『一緒!』を大切にしているとのこと。そんな感じがしました。一緒に居て、一緒に考えて、一緒に食べて、一緒に歩む。今月見ようと思っている『隣る人』という映画があります。この映画は、ある児童養護施設の様子を8年にわたり追い続けたドキュメンタリー。この「一緒」の意味が、「隣る人」の意味と重なりました。



また、その先生は今回のように外部の人が来てくれるのは、とても歓迎とも仰っていました。何か注意されることがあれば、内部の人から言われるよりも外部の人から言われる方が、「子供達もそうなのかなぁ」って思うからだとか。そして、「こうして優しくされることが、大人になると今度は優しくする方の人になってくれると思う」とも。確かに、今回の訪問が子供たちの将来の優しさに繋がるなら、とても価値あることです。そうなって欲しいと思いました。

帰り際は、学園長も含めたくさんの子供たちが外に出てきてくれて、手を振って送り出してくれました。飛び出てくる子や、車を追っかけてくる子。感激です。突然のできごとに、ビックリしてカメラも用意できずにいました。旭が丘学園の子供達、先生たち、そして、支援の仲間の人達、すばらしい一日を有難うございました。

最後は、子供たちが作ったペーパークイリングの作品展です。(庭野総理が撮った写真から拝借)


有意義な一日でした。

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今回のイベントは、寄付金以外にも、イベントを盛り上げるたくさんの応援品を頂きました。この場を借りて、お礼申し上げます。

・伊豆から水栽培で作ったしゃきしゃきレタス ・伊東里山クラブのY様からとろけるようなスイカ
・青梅のM様から新鮮なデラウエア ・神奈川のY様から各人に結いっこしたお菓子セット
・神奈川のK様から喉を潤すジュース ・千葉のE様&U様からチーズケーキや掴み取りの箱
・庭野総理のお母さんとその友人K様からノートや駄菓子
・庭野総理の後輩の方からペーパークイリング素材 ・神奈川のM様から水鉄砲
などなど

Posted at 2012年08月12日 09時27分48秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー...

2012年8月4日(土)朝〜ランチ 

いよいよ楽しみにしていた気仙沼にある児童養護施設『旭が丘学園』訪問の日です。どんな子供たちがいるんだろうとワクワク。朝9時に学園に到着すると、支援仲間ママsハートの庭野総理一行も既に到着していました。自分の車が5人、庭野総理一行が4人、香港クルー6人を合わせると総勢15人での訪問です。

実は、一昨年に起きた伊達直人現象(日本各地の児童養護施設にランドセルや寄付が連鎖的に贈られた現象)以来、児童養護施設という存在がずっと気になっていました。何か役立ちたいと考えていたものの、最初の一歩を踏み出せないままで、東日本大震災が起きてしまいます。でも、被災地での炊き出しで何度も知らない人に電話をかけ、炊き出しを申し出た経験が、最初の一歩を踏み出す勇気を与えてくれました。何か物を持って行くだけでなく、子供達の中に入っていって、顔を見て、お話をして、心を通わせた上で何か役立ちたいと考えているので、今回のように食事を食べてもらって、レクリエーションをするのは、絶好のチャンスです。そして、粥菜坊の突然の申し出を学園長が快く受けて下さり、今回の訪問が実現したわけです。

さて、学園に到着して、先ずは学園長にご挨拶。粥菜坊が訪問するに至った経緯を説明し、「一ヶ月間お店で一生懸命募金しました!」と235,982円を手渡しました。被災により少なくなった企業からの寄付の埋め合わせや、地震で壊れた家財の修理に役立てて頂きたいと思います。当方のスタッフや香港クルーを紹介して、一日の段取りをお話しすると、調理具の場所等の案内のため学園の栄養士さんの紹介を受け、さっそく食事の準備に取り掛かります。栄養士さんが常駐していることにちょっとビックリしました。


写真:(左から)粥菜坊店内に置いた募金箱、学園長にご挨拶、そして募金箱を手渡し。

さて、食事の準備に取り掛かりながらレクリエーションを始めます。10時半に学園長に子供たちの集合をかけて頂きました。集まった子供たちの前で、「一日大いに楽しみましょう。よろしくお願いします」とご挨拶。50人〜60人の子供たちは思い思いのレクリエーションに散らばって行きました。


写真:(左から)皆の前でご挨拶。献立表に粥菜坊の名を発見。粥菜坊メニューの調理も開始。

●餃子教室班
粥菜坊は、昼ご飯の準備をしながら、餃子教室を開きます。子供たちは餃子を包むなんて初めてだろうし、将来おうちで、この時を思い出して餃子を作ってくれたらいいなぁなんて思いました。


●ペーパークラフト班
ペーパー・クイリングの教室。クイリングのパーツを思い思いにカードに貼り付けて、オリジナル・カードを作ります。赤ちゃんが生まれたばかりの先生にカードを作った子もいました。(クイリングの材料は、nacoさん(http://papermoonplus.ldblog.jp/)から寄贈頂きました)


●工作班
竹をベルトサンダーで削って、マイ箸を作る教室。先生は、伊豆で里山づくりをしている高野さん。あらかじめ材料を準備して、しっかりサポートしてくれました。さすがプロ!


●水鉄砲班
天気も良く、一番人気で参加者はみんな大はしゃぎ。水鉄砲は9つもあったのに、参加者数に比べて不足だったので、そのやりくりに苦労しました。


●紙芝居班
流山市から参加した庭野総理のお母さんとその友人が紙芝居をしてくれました。


どの班にも、職員の先生方も混じって遊んでいました。あまりに無邪気に子供と溶け合っているので、ぱっと見た目、先生なのか子供なのかわからない人もたくさんいたほどです。
水鉄砲をするにあたっては、びしょびしょになって子供に風邪をひかせては申し訳ないという心配があって、そのことを園長先生に言ってみると、「うちの子にそんな弱い子はいません」なんて言われてしまいました。水鉄砲班にも職員の先生が混じって遊んでいて、食事の15分前には終了の合図。「皆、戻って着替えてこい!」なんて号令をかけてくれていたので、安心でした。

その間、香港クルーは、せっせとインタビュー&撮影。


12時も過ぎて、食事の準備も整い、粥菜坊メニューが出されます。今日のお昼は、桂林ビーフン、中華ちまき、そして餃子の3品。私粥菜坊パパは餃子をせっせせっせと焼きましたが、瞬く間になくなっていくので、休む暇もなく大忙しでした。

写真:(左から)本日のランチの3品。職員の先生もお手伝い。皆が食事する大食堂

子供たちの食事もほぼ終わって、やれやれ、我々スタッフも一休み・・・していたら、ゆっくりする暇もなく、午後の部へ突入です。


TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月10日 09時36分00秒  /  コメント( 0 )

東北応援レク・ツアー...

8月3日から7日まで、東北3か所(気仙沼、南三陸町、東松島)にレクリエーションをしに出かけました。粥菜坊は飲食店ですから、もちろん食事も振る舞いますが、緊急時を脱した現在は、今さら炊き出しという時期でもありません。なので、3か所とも別々の目的を持って企画していたところ、ちょうど香港のテレビ局から食事支援プログラムの取材をさせて欲しいとの連絡が入り、東北に行く予定の問い合わせを受けます。香港のテレビなら、かみさんの故郷中国広州でも放送されるので親戚・友人にも観てもらえます。取材を承諾して、粥菜坊の計画に合わせて取材陣が来日することとなりました。このテレビ局、来年年初ぐらいにできる新しいテレビ局で、東北震災関連の30分ドキュメンタリーを4本作るとのこと。日本でのできごとを海外にも知ってもらい、できるだけ多くのことを伝えてしっかり記録に残してもらいたい、そう思いました。

2012年8月2日(木) 

出発を控え、前日は朝からその準備に追われた大忙しの一日。3日間分の食材の仕込みをしてクール便で送ったり、買い物に出かけたり、ゲームや景品を箱詰めしたりとドタバタでした。一緒に行く支援仲間の高野ご夫妻も3時頃には到着し、荷づくりを手伝ってくれて順調に進みます。今年は、準備に昨年のような緊張感はなく、随分気楽なものでした。香港のテレビクルーも、準備段階も取材したいと夕方に駆けつけ、荷づくりや発送を撮影していきます。7月27日にはお店に取材に来て、店内の様子やインタビューは収録済み。この日の取材は夜8時過ぎまでかかり、香港クルーとは、夕方南三陸町で待ち合わせということで解散。いよいよ翌日、出発です。


写真:香港クルーが粥菜坊の秘密基地で撮影中。

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2012年8月3日(金) 

早朝6時に粥菜坊を出発。車には、5人が乗車。昨年は毎回、荷物の隙間に人が乗る感じで乗っていましたが、今年はアルファードにゆったり乗って、荷物のスペースも十分に確保。仲良い支援仲間で話もはずみます。途中、Мさんのおすすめにより那須高原SAで「レモン牛乳」をゲット。レモンは分離しちゃうんじゃない?…と思いつつ、飲んでみるとなぁ〜んだ、レモンは入っていません。味は微妙。人それぞれだけど、自分は濃厚な牛乳を飲む方がいいかな。

渋滞が何度かあり、午後1時志津川到着の目標に黄信号。現地に近づくにつれて、車内の話題はもっぱらうに丼。南三陸の「きらきらうに丼」を食べるのが、この日の主な目的だったんです。お昼の閉店時間が気になりだしてお店に電話をしてみると、2時を過ぎても開いているとのことで、一安心。2時半頃には到着して、志津川の商工団地にある静江館でうに丼など、5人で8食をしっかり食べました。


写真:(左から)レモン牛乳&アイス、きらきらうに丼、うに丼を食べた食事処「静江館」

食事後、時間があるので高野さん案で南三陸町入谷地区にあるフロンティア・ジャパン社の南三陸工場を見学させて頂きました。この3月から塩害杉を使ったノベルティ・グッズを作り始めた会社です。東北の沿岸には、塩をかぶって茶色に変わり、腐るのを待つだけの塩害杉がたくさんあります。その塩害杉をなんとか利用しようというわけです。高野さんは、伊豆で里山づくり(伊東里山クラブ)をしている方なので興味津々。質問もいろいろしていました。塩害杉利用の商品もラインナップがそこそこあるので、粥菜坊も東北復興キャンペーンに乗っかって購入を考えてみたいと思います。


写真:(左から)工場が入っている建物、ノベルティのサンプル、レーザーで木を切断中の機械

香港クルーとは5時半に南三陸町「さかなのみうら」で待ち合わせ。そして、近くのH仮設住宅に住む中国人Cさんのインタビューに向かいます。Cさんはご主人が流されて、娘さん2人と住んでいますが、娘さんのために中国には戻らずに日本に居続けることにした方です。粥菜坊が昨秋、支援活動を通じて知り合って交流を続けている一人で、久しぶりにお会いすると元気そうでした。インタビューを終え、宿泊先のニュー泊崎荘に着いたのは夜8時過ぎ。翌日は気仙沼の『旭が丘学園』でレクリエーション。子供相手にレクリエーションをするなんて初めてのことなのでどうなることやら、楽しみにしながら眠りに着きました。


写真:仮設住宅の中でインタビューを受けるCさん

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2012年08月09日 07時40分23秒  /  コメント( 0 )