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東北応援レク・ツアー (6)被災地は今 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

2012年8月6日(月)

野蒜を最後に、今回の旅は終了です。南三陸町は街全体が流されてしまったようなもの。地盤沈下や高台移転の話も重なり、そうそう簡単には、復旧などできっこありません。それでも、何か少しづつでも進んでいるような部分もあり、今回の旅での南三陸の復旧具合の印象をまとめました。

●気仙沼
時間は短かったけれど、初めて気仙沼の湾岸地域に行ってみました。震災時の匂いと比べれば格段に良いのだろうけれど、まだちょっと臭さが気になります。残っているものといえば、建物が流れ残された土台か、廃墟のような建物で、雑草が随分目立ちます。地盤沈下して満潮時には港から水が溢れ出るのでしょうか、水溜まりもいたる所にあります。お馴染みのタンカーも、まだ陸に横たわっていました。人や車は、見ることもできますが、まばらです。漁獲量はある程度回復してきていると聞きますが、これでは冷蔵・冷凍の設備や加工設備が圧倒的に不足なはずです。水産(加工)業の回復にはまだまだ程遠いかもしれません。


写真:(左から)荒野と化した津波に襲われた湾岸地域。ひっそりとした河北新報社気仙沼支局。街中に残るタンカー。


写真:崩壊した建物、雑草、水たまり、建物の土台… まだまだ津波の爪跡くっきりでした

●南三陸町歌津 名足漁港
ほとんど昨年秋と変わらず、新しい建物はありません。片付いてはいるものの、雑草が目立ちます。中央に位置する鉄筋の骨組みだけが残った芽かぶ屋さんは、そのままでした。港の地盤沈下も激しいため、あちこちで修復が必要で、申請はしているが、なかなか進みません。今ある船揚場では足りず、破壊された船揚場の修復が必要だけれど、大きな港湾の修復が優先されるため、着工はまだのようです。


写真:(左から)雑草が目立ちます。鉄筋だけが残った芽かぶ屋さんもそのままでした。中央右手が今ある船揚場、その手前破壊された船揚場の修復が必要です。


写真:色濃く残る津波の爪跡

●南三陸町志津川
防災庁舎はまだ残ってましたが、志津川病院は解体されてなくなっていました。防災庁舎も近々解体されると聞いてます。地盤沈下で、河川の高さは道路の高さとほぼ同じ。気仙沼同様、水溜りが目立ち、満潮時には浸水するのを物語っています。建設許可がおりないのか、目立った新しい建物らしきものは見えません。気仙沼の湾岸地域同様、荒れ果てた土地がただ広がっているという感じです。
とはいえ、さんさん商店街という仮設の商店街が2月にできたし、仮設のコンビニも何件かできています。若干ながら新しい小さな建物も目にはしました。でも、街全体が無くなってしまった志津川、今では生活物資が不足している状況ではないようですが、買い物が不便(特に高齢の方)であることは変わりなさそうです。

写真:(左から)今も残る防災庁舎(左手の遠くに見える何台もの重機の場所が、志津川病院のあった場所です)。街のあちこちに水溜まりが。雑草が生い茂った荒野が広がるようです。

●浜や港の様子
昨年の何もなかったのに、今年は船の姿の数が目だった浜や港がありました。海には、養殖らしきものも多く見ましたし、昨年とは明らかに違います。
津波の後、海は凄く綺麗になったと聞きます。過剰だった養殖物が流され、今では潮の流れがよく、栄養分やプランクトンが豊富になったとか。牡蠣もホタテも、成長が例年より圧倒的に早いそうです。
浜辺からは、まだガラスなんかが出てくるので、海水浴場としての利用はまだ先になるようです。一度、浜を綺麗に掘り起こす必要があるかもしれません。

写真:(左から)船の数が格段に増加しています。泊漁港施行工事関連看板。養殖の姿も目立ちました。

●中国人Cさんの自宅跡(南三陸町歌津港地区)
支援活動をきっかけに知り合ったM仮設にすむ中国人のCさん。この1年、いろんなやり取りをしたので、今ではすっかり心を開いてくれて、家庭内の相談まで話してくれる仲になりました。やっぱり、中国人です。毎回訪れる都度欲しがるのは、牛筋や叉焼といった中華食材で、目がありません。広西省出身なので、今回は桂林ビーフンも持って行ってあげたら、「日本で作れるのぉ〜?」とビックリしていました。

自宅があった場所を見せたいというので、連れていってもらいました。建物の敷地面積が100坪、土地は400坪、畑も広くてたくさんの野菜を育てていたので、震災前はその世話だけでも忙しかったようです。一日中、力仕事が多かっただろうに、それでも震災前の生活は「満足だったよ」としみじみ言っていました。津波の被害で行政が買い取るといっているのは、家があった部分の面積だけ。畑や山をタダで明け渡す気にもなれず、買い取りの申し出には応じる気にはなれないようです。下の写真に映るプレハブ小屋は、仮設が取り壊しになる際に、移り住めるように震災後購入したものだそうです。

今は、朝4時半に起きてご主人のお弁当作り。そして、幼稚園の送迎など6歳と3歳の子育てとアルバイトの一日。お子さんは喘息があるので、仙台のお医者さんまで頻繁に通うそうです。ご主人の週一日のお休みは、事故が起こらぬよう自分の山の塩害杉を切って処分するのに追われるといったご夫婦そろって大変な生活が続きます。生活物資は足りているようですが、もともと物々交換がよく行われているので、日常の買物はあまり必要でもないのかもしれません。

ご主人が車でやって来ると、一匹の猫ちゃんがいつの間にか現れました。仮設に動物は連れていけないので、ここに置いたまま、毎日餌をあげに来るそうです。放しがいですが、この地を離れようとしません。どこに行こうともしない、人懐っこい猫ちゃんでした。


写真:(左から)住居跡地。キュウリもなんとか生えていました。この場所を離れない猫ちゃん。

●被災者の方がたの心
緊急時を脱してから、1年経ったと言ってよいと思います。家を失った方は、仮設住宅に入り、生活も落ち着いたようです。でも、表面的には落ち着いても、心の中は不安や寂しさ、様々な葛藤の中で暮らしているものと思います。少しでもその辛さを緩和したい、頑張っている人を応援したい。だから、今回も顔を見に、そしてレクリエーションをしに出かけました。

そして、気づいたことがあります。現地の人も、前に進んでいることを見に来てくれる人がいることが、大きな励みになるということです。そう言われたんです。1年経っても、2年3年経っても、忘れずにこうして現地に行くことの価値に気が付きました。だから、来年、再来年、そしてその後もできるだけ長く、続けて行こうと強く思いました。街の変わる様子を見守りたいと思うし、それを見て欲しいと思う人がいることを忘れてはいけないと思いました。

Posted at 2012年08月21日 09時27分27秒

 
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