メインメニュー

宮城炊き出し行脚 II (1)それは「アヒルの一声」で始まった 【粥菜坊パパのフロク - ブログ編】

プロローグ それは「アヒルの一声」で始まった

9月22日(木)の深夜から宮城へ炊き出しに行ってきました。被災地で今必要なことを考えた、単なる炊き出しに終わらない、とても素晴らしいイベントができました。炊き出し、捨てたもんじゃない、飲食店をやっててよかったとつくづく思うほど、自分でも感動できるイベントでした。震災から多くの人の関心が離れる中、何を考え何をしてきたのか、皆でこれから何が必要なのか、これから数回にわたり、綴りたいと思います。

東松島。日本有数の景勝地に松島がありますが、被害は比較的小さく、すでにあまりその傷跡を感じさせないほど復旧しています。でも、その代わりといいますか、その手前にある東松島が甚大な被害を受けています。メディアへの登場も少ないせいか、支援の手もあまり伸びず、静かにその苦痛に耐え続けているという感じの地域です。


東松島の野蒜海岸。海岸線の長い素晴らしい場所であったことが想像できます(8月撮影)

8月に訪れた際は、あっちこっちで雑草が目立ち随分荒れ放題という印象でした。ボランティアセンターも既に閉じられ、行政も手が回らず、地元の人もてんでバラバラになって・・・。
でも、「じゃ、一体どうすんだ!」と必死になっている人がいます。アヒルさんといいます。彼は、アヒルEXPRESS という運送会社を営んでいますが、本業の運送業をしながら、時間を作っては支援物資を東北じゅうに運び、週末には東松島で、泥出し、瓦礫整理、草刈りという作業を黙々とやっています。もちろん、全部ボランティアです。ボランティアセンターがなくなった今では、サポート・チームGというチームの中心で動いており、週末は数十人〜数百人のボランティアを受け入れて、そうした作業に当たっています。そのサポート・チームGの活動は、9月12日の日本テレビ、ニュース『ゼロ』でも紹介されたので、見た方もいるのではないでしょうか?


(左から)震災前、震災直後の仙石線東名駅(駅前が炊き出し場所になりました)、8月上旬に撮影した荒れ放題の線路

アヒルさんは、運送業という業種がら、まさに震災直後から走り回っていて、直後の本当に悲惨な凄まじい現場も体験しています。彼は、そういう現場を見てきているから、放っておく訳にはいかないといいます。被災地の人たちも、支援者の方たちも、かなりの人たちが彼のお世話になったはずです。

そんな彼が8月の中旬、炊き出しをしたいと言い出しました。粥菜坊、もちろんOKです。彼の希望なら、お店を閉めて駆けつける(お客様さん、ごめんなさい)。一緒にやろう、全力をつくすよ。こうして、9月23日の炊き出しに向け、動き出しました。

実は、彼の意図は、単なる炊き出しではありませんでした。ボランティアと地元の人のコミュニケーションがなさすぎる。地元の人も、バラバラ。本来は、ボランティア活動はサポートであるべきで、もっと地元の人と力をあわせて活動したいし、地元の人にもっと活き活きして欲しい、こんな思いがあったようです。「目指せ!石原軍団!」と彼は冗談で言いましたが、彼が本腰をいれていること、しっかり受け止めました。


炊き出し当日も、大型バス数台に乗ったボランティアさん達が集まってきました

炊き出しのチラシも事前に配られ、朝は地元の消防団の方々が消防車で「炊き出しありま〜す」って放送して回ってくれるとのこと。当日、予定されているボランティアの方、百数十名。地元の方、おそらく三百数十名、計400人〜500人が粥菜坊の食事をしてくれるはず。これで、やる気が出ないわけありません。「よし、やるぞ」心に火が付き、炊き出し計画に入っていきます。

TO BE CONTINUED・・・

Posted at 2011年10月03日 10時35分35秒

 
この記事へのコメント
コメントを書く



== このコメントはサイト管理者による確認後に反映されます ==

== 半角英数字のみのコメントは投稿できません ==

*印の項目は必須入力項目です *

*