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宮司のちょっといいはなし

宮司の ちょっといい話 『絆』

 3・11の震災以降、
「復旧・復興」の旗印として、
という文字をよく目にします・・・。

おそらく皆さんも、テレビ・ラジオ・ポスターなどで
ご覧の方も多くいらっしゃることと思います。


 さて、改めてを辞書・辞典でお調べになった方は
ほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか?
そこで、辞書を紐解いてみることにいたしましょう。
そこには思いもよらぬ文字が並んでいます。



『絆』・・・一般的な辞書の始めに・・・】

「牛馬、家畜などをつなぎとめて置く綱のこと。」
と書いてあるのです。
驚きですね!
少なくとも我々が『絆』という言葉を聞いて抱くイメージとは
大きく異なっていますよね。

次に出てくる解説は・・・
「断ち難い恩愛(おんない・おんあい。)。」
と記されています。
これも私たちがによせる思いと少しニュアンスが違っています。

そして、きわめつけは次の解説です。
「自由に出来ないようにする綱。」
どれもこれもびっくりするやら、頭をかしげるやら、
本来私たちが『絆』から受ける思いとは程遠い解説ばかりなのです。


 一方、 「日本人のこころ」の源流をたどれば、
は、 「稲作文化」を起因とし、
そこから培われた精神性を指すことになります。
実は、その精神性は我が国固有の宗教である
「神道(しんとう)」の根幹でもあると言えるのです。



それは・・・



○『絆』とは先ず、「結束力」です!

 稲作については、周知のとおり一人の力ではとても及ばないことは、
だれが考えても知り得るところです。
多くの力が結集され、初めて稲作が成されるのです。
これがいわゆる、「和」の心です。
そして、「大」きな「和」と書いて我が国を表すのも納得のいくところです。
世界からもこのことは、敬意の心をもって称賛されているところなのです。


○「絆」の次の特性として、「秩序」が挙げられます!

 何事においても順序・順番・規則を守り、
同時に道理を理解しなければなりません。
特に稲作にはこれが最も必要な条件になるのです。
好き勝手に稲作はできるものではなく、
季節・天候・土壌・モミ等が重要なポイントとなり、
経験と知識がなければなりません。
少しでも順序が異なったり、順番を間違えたりすると「稲」が育ちません。
かつては、稲が育たなければ「死」を意味したのです。
これが、「秩序」を重んじる原点になっているのです。
「稲」のことを知り、「秩序」を守ることが、命を繋ぐ「稲」の根本なのです。


○三番目に『絆』支える「感謝」の精神の存在を忘れてはいけません!

 天の恵みや地の恵、人と人とのお蔭様があって、
初めて「豊作・豊饒」が迎えられます。
秋に神社で行う「新嘗祭(にいなめさい)」は、
ただの収穫に感謝するお祭りではありません。
「命」を戴くことができるという、
最も重要で、喜びにあふれるお祭りなのです。
天の神さまの恵みがあったればこそ・・・。
大地の神さま恵みがあったればこそ・・・。
人々の恵みがあったればこそ・・・。
これが日本人の感謝の原点なのです。



 いかがですか、日本人の「精神性」が見えてきませんか・・・
とは、「日本人の精神」そのものなのです。
ですから、詳しい意味が分からなくてもいいのかもしれません。
震災以来、あちらこちらで見かける『絆』の意味が、
「結束力」「秩序」「感謝」という意味として共感されているのです。



 日本人は過去にいろいろな国難から立ち上がってきました。
そして、我々はその恩恵の上に生かさせて頂いています。

今度は、私たちの番です!
本来持ち合わせている

『大和魂』=『絆』

を、今一度日本全体でよみがえらせて、
「復旧・復興」の原動力としようではありませんか。




Posted at 2012年04月26日 11時14分04秒

宮司のちょっといい話 建物と神さま

上棟祭


 日本の文化伝統のひとつに、
家を建てる前に土地の神さまにご挨拶をし、
工事の安全や無事の竣工を祈る
「地鎮祭(じちんさい・とこしずめのまつり)」があります。

また、家はただの建物ではなく、
正月には「歳神様(としがみさま)」、
お盆には「祖先の御霊(みたま)」をお迎えするという
『清浄にして特別な場所』であることを知っておきましょう。


 いよいよ工事が始まり、
基礎が固められ、柱が立ち並んでいきます。

木造でも、鉄筋コンクリートでも同様に、
少しづつ出来上がっていく過程は、
まるで我が子の成長を見守る親のようで
「ドキドキ」したり「わくわく」したりで、感慨もひとしおです。
家を建てるということは、人生にそうあることではありませんから、
「人生を掛けた大事業」といっても過言ではありませんね!


 工事が進み、家屋の棟木(むなぎ・屋根の骨組みの最頂部に渡す横木)を
上げるに当り行う儀式を「上棟祭(じょうとうさい)」
「たてまえ」「むねあげ」と言います。

地鎮祭では、土地の神さまをお迎えしましたが、
「上棟祭」では、「建物の神さま(※)」や
大工さんの守り神である「匠(たくみ)の神さま(※)」をお迎えします。

そして、無事棟木が取り付けられたことを喜び、
感謝して、この棟木が千年も、万年も、永久に揺るぎないことをお祈りするのが
「上棟祭」なのです。


 お祭りでは、棟木に
「棟札(氏神様・建物の神さま・匠の神さまの名前を記した札)」を貼り、
魔除けの弓矢を付けたりします。

儀式の中では、「槌打(つちうち)の儀」や
「撒銭(さんせん)撒餅(さんべい)の儀」を行います。

「槌打の儀」では棟梁の掛け声と共に棟木を打ち固め、
「撒銭・撒餅の儀」では小銭やお餅を棟木の近くから撒きます。

このような儀式は、棟木の安全はもとより、
ご近所の方々へのお近づきのお印の意味もあるのです。


 最近では、あまり見られなくなった儀式ではありますが、
こうして建て主さんが、工事関係者の労をねぎらい、
ご近所にお披露目し、宴を開くのも「上棟祭」ならではの光景です。

そして、神主さんがお祭りの結びに「昇神(しょうしん)の儀」といって、
神さまを元の所へお送りする儀式がありますが、
中でも「建物の神さま」には、その建物にお鎮まりになるわけですから、
おのずと神さまに守られている「建物」になるというわけです。


 次に「竣工祭(しゅんこうさい)」へと向かいます。

 ※ 〃物の神さま・・・屋船久久遅命  → やふねくくのちのみこと
          ・・・屋船豊宇気姫命 → やふねとようけひめのみこと

 ※◆‐△凌世気沺 ΑΑ手置帆負命   → たおきほおいのみこと
          ・・・彦狭知命    → ひこさしりのみこと



宮司のちょっといい話は・・・鎮守氷川神社

Posted at 2012年04月14日 15時57分33秒

宮司の ちょっといいはなし 【建物と神さま】

建物と神様】      

 日本では古来より、家を建てる前に
『地鎮祭(じちんさい・とこしずめのまつり)』が行われます。
近年、当神社への『地鎮祭』の依頼(※特に若い世代)が増えています。
これは、もちろん「工事の無事を祈り、住み易い家を建てたい!」
という願いもありますが、
若い人たちが無意識のうちに伝統的な
「日本人のこころ」への回帰があるように思えてなりません。

<実は『地鎮祭』には更に深い意味があるのです。>

 日本の神さまは神社にだけでなく、土地や建物、樹木や井戸等々、
あらゆる所にお鎮(しず)まりになっています。
ですから、私たちは無意識のうちにそうして
お鎮まりになっている神様にご挨拶申し上げ、
御加護をお願いしたくなるのです。

 家とは単なる「住居」「建物」ではありません。
大切なお客様を迎えるのはもとより、
何よりも忘れてはいけないことがあります。
日本には古くから、お正月には「歳神様(としがみさま)」をお招きしたり、
お盆には祖先の「御霊(みたま)」をお迎えするという
文化・伝統が脈々と受け継がれています。
つまり家とは「清浄にして特別な場所」でもあるのです。
また、『土地』は「神様からお預かりしている」という概念がありますので、
家を建てるときは『土地の神さま』にちゃんとご挨拶をする必要があります。
更に、工事の安全や無事の竣工を祈るのが『地鎮祭』の本来の意味で、
もっとも一般的で重要な建築のお祭りです。


 それでは、『地鎮祭』とは具体的にどんなお祭りでしょうか?

〃築場所を清掃し、そのほぼ真ん中に竹を四本立てます。
 これは「ここへ神さまをお迎えします」という目印です。
∈彙鼎鮹屬い董∧董酒・魚・乾物・野菜・果物・・・などの「お供え物」をします。
施主・設計・施工者が参列します。

― 準備が出来て、いよいよお祭りが始まります ―

ぁ嵜絶(ひもろぎ)・・・榊や御幣でできたもの」を立て、神さまをお迎えします。
タ声腓気鵑、神さまにご挨拶をして土地を祓い清めます。
工事安全・無事竣功・家内安全などを神さまに祈る「祝詞(のりと)」が奏上されます。
土地の四方をお祓いして、塩や米を撒きます。
╋牟(たまぐし)と呼ばれる榊の枝の葉に願いを込めて神さまに捧げます。
神さまにお還(かえ)り頂きます。
お供えしたお神酒(みき)で乾杯して、喜びを共有します。

重要なのは、神さまをお迎えして行われる『お祭り』であることと共に、
施主と施工者の契りを結び信頼を深める等、
ただの「イベント」ではないことなのです。


 次回は上棟祭、竣工祭・・・と続きます。

※氏神(うじがみ)さまと、産土(うぶすな)さま
 もともと、氏神さまは血縁関係のある一族の神さまで、
 産土さまは生まれた土地の神さまでした。
 しかし、今日では私たちが住んでいる地域や人々を
 守ってくださる神様を氏神様と呼んでいます。


Posted at 2012年03月15日 16時32分50秒

平成24年 干支のおはなし 『辰』

干支のお話し
辰(たつ)


 昨年は、思いもよらぬ災害が多発した年でした。
反面、日本人の「結束力」や「絆」という忘れかけていた
『日本人の心』を再確認することができた年でもありました。
この気持ちをいつまでも変わらず持ち続けることこそ、
被災者支援や誇りある『日本の将来』につながるのではないでしょうか?

 本題に入りますが、昨年の干支である【卯(う)】のお話を
ご記憶の方も多くいらっしゃると思いますが、
卯とは扉(とびら)を表すものでした。
昨年は日本、政治、個人・・・それぞれの「扉」が開けられた年。
その「扉」は、未来を開くものであったり、
試練のものであったり、様々だったと思います。
あなたはどのような「扉」をお開きになりましたか?


 さて、今年は辰(たつ)』歳です。
動物(?)でいうと『龍』
西洋では、ドラゴンと言ったりします。
干支のうちこの『龍』だけが想像上のものです。
誰も見たことがないのに、世界中で知らない人がいないという不思議なものなのです。
一般的には、『昇り龍』『玉を持つ龍』が描かれ、
縁起の良い幸運を招く象徴とされているようです。


 一方、干支の『辰』の意味ですが、これに「手偏」を付けるとより解り易くなります。
『振(ふるう)』という字です。
同義語に「奮」「震」があります。
これは、 「物が自分の持つ生命力、活力を発揮して振動する。」という意味があります。

ちょうど「龍」が身を振るわせて天に昇っていくように、
今までの努力や経験から得たものを支えとして、自らを「振・奮」い立たせ、
世のため、人のために役立つよう十分に力を発揮していく・・・

という年なのです。

例えば、「あれがあるし・・・これがあるし・・・」と、
行動を起こす前に「障害」を考えてしまう・・・。
あるいは、臆病な自分が「止めておけ!」と引き止めてしまう。
そんなときこの「干支のお話し」を思い出してみて下さい。
きっと、自分を奮い立たせる勇気が湧いてきますよ!

しかし、思いつきや勢いだけで突っ走ると、
「※画龍点睛(がりょうてんせい)を欠く」ことになりかねませんね。
慎重、かつ、ゆとりをもって歩き続けましょう!!


※「画龍点睛を欠く」
 画龍・・・龍を描く。 点睛・・・瞳を入れる。


ある画家が、壁画に「龍」を描くこととなり、
いよいよ仕上げに「瞳」を入れたところ「龍」に命が吹き込まれ、
天に昇っていった・・・というお話し。
つまり、これを「欠く」ということは「龍」に「瞳」を入れ忘れるということで・・・
ほとんど仕上がっているのに、肝心なものが不足しているだけで、
すべてが台無しになるということ。



鎮守氷川神社 第三十六世 宮司


ちょっといい話は・・・・鎮守氷川神社

Posted at 2012年01月10日 15時40分05秒

ちょっといいはなし!来年の干支『卯』について!

 今年も残りわずかとなりました!
ちょっとといい話、今回は来年の干支『卯』についてです。
来年一年の過ごし方、指針として、目標達成の道しるべです!

 平成二十三年は「辛(かのと)卯(う)年」
『辛』が十干、『卯』が十二支ということになります。

「来年の話をすると鬼が笑う」

と申しますが、年末のこの時期であれば、
もう「人が笑う」話をしたいものです。

その昔から「笑門来福(笑う門に福が来る)」という
日本の良きことわざがあるのですから!


 年末・年始の過ごし方につきましては、
前にもご紹介させていただきましたように、
年の瀬の大掃除・餅つき・お節料理等々の行事はすべて、
新年に「歳神様(としがみさま)」を迎える「おもてなし」の心と準備でした。
それをすることにより「歳神様」は、
その家々に気持ち良くおいでになり、一年を見守ってくれるのです。
そして、福を招き、豊かに、潤いある毎日を提供して下さるというわけです。

これは、日本ならではの習慣であり、
「謙虚に、そして心豊かに生きるための知恵」と言えるでしょう。

今や情報文化の発達は目覚しく、
あらゆる情報が瞬時に手元に供給されます。
誠に便利で有り難いことではありますが、
ややもすれば、過剰な情報の波に呑み込まれ、
古来から培われてきた大切な「基本」を忘れがちになってはいないでしょうか。

日本人の心である「一人で生きる」のではなく
「生かされている」という感謝の気持ちを呼び起こしてくれるのが
「年中行事・人生儀礼」にほかなりません。


 さて、「辛卯」の干支にまつわる話をさせて頂きます。
まず、十干の「辛(かのと)」です。
これは、「新しい」という意味を持ち、
「新しい」とは、今までになかった・今までと異なったということを示します。

つまり、『新しい発想へのチャレンジ』といえるのではないでしょうか。

政治・経済・社会・・・

まさに混迷をきたしている現在にあって、
打開に必要なエッセンスは、

物質的な豊かさ心の豊かさ

一人で生きている生かされている

という謙虚で崇高な心があってこそ生まれるものなのです。


 次に、十二支の「卯(う)」です。
まず、ここまでのおさらいから始めることにします。
「子(ね)」は「種子(たね)」を表し、小さい粒ではありますが、
やがて大木になったり、大輪の花を咲かせるという、
大きな可能性を持つ「始め」を示した年でした。

「丑(うし)」は「紐(ひも)」を表し、
ちょうど「種子」から「紐」を出した状態、
つまり、「芽」を出す年となりました。

「寅(とら)」は「演(えん)」を表し、
四方八方に力を注ごうとする結果「芽」と「根」を地道に伸ばす年でした。

 そして「卯(う)」と続きます。


 時刻であれば、午前六時頃で「夜明け」にあたります。
「卯」は「扉(とびら)」の象形文字といわれています。
「子」「丑」「寅」と植物の成長に合わせ
「種子」「芽」「根」と変化してまいりました。

しかし、その変化は「土の中」という、
いわば暗い中の出来事だったのです。

いよいよ「扉」を破り、「土の中」から
明るい外の光を浴びようとすることを意味するのです。

つまり、暗い土の中で栄養を蓄え、努力を重ねてきたことが、
ついに、明るい場所で遺憾なく発揮される年と考えることができます。



 「卯年」では、
暗いところから明るい場所に舞台が移ります。

政治も経済もそして、日本全体が「扉」を開き、
明るく活気に満ちた年になる事を願ってやみません。


 いかがでしょうか?
来年は心の豊かさと生きる喜びの中で
「笑門来福」のすばらしい年でありますよう
心よりお祈り申し上げます。


鎮守氷川神社 第三十六世 宮司敬白


鎮守氷川神社はこちらから・・・

Posted at 2010年12月21日 01時03分24秒

〜 年中行事   

 さて、いよいよこのシリーズが「人生儀礼」から「年中行事」に移ってまいります。

 世の中が変わり時代が移り変わるとも、
やはり一年の始まりが「正月」という文化は変わることはありません。
日本人は古くから「稲作」を中心として一年を過してきましたので、
「稲」は「命」とほぼ同義でした。
全国で行われている「正月行事」のすべてが「稲の豊作・命の再生」のお祭りであり、
一年の始まりである「正月」は、まさに、新しい「命」を頂くという
希望に満ちた『年の始め』だったのです。


 経済中心の慌ただしい現代文明の中にあって、
日本人の価値観が変わってきてしまったように思います。
正月から始まる一年、そして、穏やかな四季と共に景色は彩られ
やさしく時を刻み続けていることには何の変化もありません。
その風土に培われた、雅(みやび)・慎み・気高さ・誇り・品格・・・等の
価値観だけは変えないで欲しいものです。
世の移り変わりに「心」の迎合まで許す事なく、
大自然に神様を感じ、雨音や虫の声に耳を傾けながら
「感性」の中で一年を過ごす贅沢を味わってみてはいかがでしょうか。



 [正月]
 当たり前の一週間であれば、なんとなく 月曜・火曜・水曜・・・・
という「曜日」の単位で生活が営まれますが、年が改まる一週間となると、
曜日を越えて時間だけが毎日を刻みはじめます。
大晦日まではとても気ぜわしく慌ただしく感じられ、
たった一日一晩寝ただけでまったく違った一日が始まるのです。
身も心も新鮮で、何もかもが「初もの」で、すべてが「晴れがましく」、
昨日までの街の景色までキラキラ輝いて、しかも、太陽までが新しく感じられます。
なぜ、「元旦」「正月」が尊く、美しく希望に満ちあふれた日に感じられるのでしょうか。


 ひとつには、前述のとおり「稲の豊作・命の再生」にあります。
「稲」が無ければ「命」が無いのと同様ですから、
「稲」の豊作には限りない期待や願いが込められます。
それが、今日の「初詣」における「新たな希望」や「願い事」の原点となっているのです。
そして、お年玉は本来「お年霊(おとしだま)」で、
年の初めに新しい霊(たましい)を頂くという「命の再生」の意味が込められているのです。

 もうひとつには、大晦日までの準備にあります。
そうです、「正月」を解説するには、その日を迎えるための
「大晦日」の心構えや準備について理解する必要があるのです。
かつては、十二月十三日を「正月始め」と言って、
この日から大晦日に向けて「歳神様(としがみさま)」を迎える
慌ただしい毎日があって、やっと正月を迎えることができたのです。

その準備とは・・・?

 独自の大晦日や正月の過ごし方が、
習慣として今でも地方に行くと残されているところがたくさんあります。
しかし、そうした習慣が忘れ去られている場所が増えているのも事実です。
日本人が古くから行ってきた習俗習慣が、家からも、学校からも、消えつつあるのです。
このままでは、大晦日も正月も、なんとなく流れる一週間に埋没してしまって、
節度の無い、新鮮味が無い日本人になってしまうのではないでしょうか。


 次回は、語り継ぐべき大晦日や正月の行事を具体的に解説していきたいと思います。

Posted at 2010年10月26日 17時45分17秒

〜 年中行事 ◆ 

【正月】

 正月を解説するとき、「大晦日」の意味や意義を説明する必要があります・・・

とは、前回書かせて頂いたとおりであります。
今回はそれを具体的にお話ししましょう。


 大晦日までに済ませておくべき、
大掃除・餅つき(鏡餅作り)・門松・お節料理は
「歳神様」を迎えるための準備です。

また、大晦日の夕刻に、一年の罪穢(つみけがれ)を紙の人形に移し、
身代わりとして神社に納める行事である「大祓(おおはらい)」をして、
正月まで清い身体でいるために家族と共に家で過ごす・・・
これもやはり「歳神様」を迎える心構えなのです。

これは、せっかくお祓いを受けたのに、
再び罪穢が付かないようにじっと家に籠もるという意味や、
家族揃って新年を迎えるという意味もあります。
以上のように、正月を迎えるための準備から心構えにいたるまで・・・
なんとすべてがが、「歳神様(としがみさま)」を迎えるためのものだったのです!!


 それでは「歳神様」とは、いったいどんな神様なのでしょうか?
場所によって捉え方が少し異なりますが、おおよそ次のとおりです。

 「歳神様」は、新しい年に遠い山から、松の葉やユズリハ
(新しい葉が成長してから古い葉が譲って落ちるので、この名がある。)に乗って、
門松の竹を目印に降りて、家々の神棚や床の間に迎えられます。
「歳(とし)」とは、稲のことを意味することから、
昨年の豊作やそこから戴いた命に感謝すると共に、
新しい年の五穀豊饒等々を祈るために、
鏡餅やお節料理等のお供え物をしてもてなすのです。

ちなみに、「祝い箸」が両方削いであるのは、
一方が神様のため、そしてもう一方が自分のために使うようにできているのです。

「歳神様」はそのおもてなしに、たいそう喜んで家々に幸福を約束し、
その後、小正月(1月15日)の「どんど焼き(しめ飾り等のお焚き上げ)」の
煙りと共に遠い山にお帰りになるのです。


 いかがですか?
つまり、家・神棚・床の間などの大掃除ができてなかったり、
門松がなかったりすると「歳神様」は降りてこられません。

また、鏡餅やお節料理の用意がないと、おもてなしができないのです。


 このような稲作文化に根ざす素朴な習慣でありながら、
反面、豊かで夢のある発想を持つ日本人の正月は、
たとえ、ロケットが月まで往復する時代を迎えても変わることはありません。

さて、それでは正月とは、いつからいつまでのことでしょうか。
今日では、仕事の関係でお休み中の「三が日」という習慣が当たり前とされていますが、
本来、一月を正月と表すことが古文書に記されております。

ここで、改めて正月行事をおさらいしてみましょう。

1日・元旦、初詣で。

2日・書き初め。

7日・七草粥。松飾りをはずす日。


これまでが「松の内」。

11日・鏡開き、餅を切ることを忌み手や槌で割ってから戴きます。

15日・小正月。どんど焼き(左義長)で松飾りなどをお焚き上げし、
その煙りと共に「歳神様」がお帰りになります。

その他、各地で年の初めを祝う様々なお祭りが繰り広げられます。
このように一月の行事を並べてみると・・
古文書にあるように一月をまるまる正月と考えてきたのが分かるような気がします。

 「一年の計は元旦にあり」
の言葉にあるように、暮れから正月に向けて、
けじめある一日一日を大切にしてきた日本人。

一月を正月と呼んで、
一年の豊作、家内安全、息災延命、富貴繁盛、子孫無窮を祈り続ける
日本人の「お正月」を、今一度心の底から味わってみてはいかがでしょうか?

Posted at 2010年10月25日 17時44分27秒

〜 年中行事  〜

【節分】

 お正月が過ぎると間もなく立春を迎えます。
その前日に行われる行事・神事が節分です。
神主さんが奏上(そうじょう)する「節分祭」の祝詞(のりと)の中に、
「春立ち返る明日より・・」とあり、「節分」が春の前日祭で、
いよいよ春を迎えるための大切なお祭りであることがうかがえます。


「節分」とは文字通り「季節の分かれ目」のことで
立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。これからみても分かるように、
もともと「節分」は年に4回あるのです。

これがなぜ春だけに重きが置かれるようになったのでしょうか。
それは、室町時代頃から庶民の間で、春夏秋冬を一年のリズムとする風潮が広まり、
江戸時代には特に「春」を一年の始まりと捉えるようになりました

そうなると、「立春」を新年として迎える考え方が流行していきます。
年賀状に「初春」「迎春」と書く習慣はこのへんにあるのでしょう。
この考え方になると、「立春」前日の「節分」は大晦日にあたります。

大晦日となれば、前年の邪気を祓って、
すがすがしく新年を迎えるために様々な行事や縁起事が行われるのは、
当然のことといえましょう。

豆撒きやイワシの頭もそのお祓いの一つなのです。
このような理由から、春の節分だけが残されたのは、
江戸庶民の考え方に起因するものだったのです。

それでは、豆撒きやイワシの頭にはどんなお祓いの意味があるのでしょうか。


 その原型は、宮中の節分行事の「追儺(ついな)」にあります。
「追儺」とは、悪鬼を祓い疫病を除く行事で、
平安時代、陰陽師(おんみょうじ)たちにより宮中において
大晦日に盛大におこなわれていました。

江戸時代には庶民に伝わり、「まめ」は「魔滅」につながり
炒るは射るにつながるところから、
お祓いを受けた炒った豆を家族揃って
「鬼は外、福は内」と掛け声を掛けながら撒き、
邪気を祓ったのであります。

そして、年の数を食べて厄を落とす習慣へと発展していきます。
これにも深い意味があり、健康な体になくてはならない大切な
タンパク源を補給し健全な身体で新年を迎えたいという気持ちもあったのです。


 次にイワシの頭です。
古く農耕の害虫駆除の方法に、イワシの頭を火であぶり、
その煙りと臭いで虫や鳥獣を追い払う「焼嗅(やいか)がし」があります。

これが「節分」の行事と融合して、イワシの頭で「鬼」を撃退すると共に、
家を覗きに来た「鬼」の目をヒイラギが衝く
という
一石二鳥の悪鬼祓いになるわけです。


 このように、今日まで続く行事にはそれぞれ深い由来があるのです。
家族皆が健康に暮らせますようにとの願いを込め、
家族揃って行うことで『信頼や絆』が深まり、一体感が生まれます。

更に、これを近隣、町、村で行うことにより地域の和が保たれ、
信頼関係が維持できたのではないでしょうか。


 「鬼は外、福は内」の掛け声が、隣近所に聞こえてくると恥ずかしいから・・・。
ヒイラギが無いから。そんなことで家族揃っての行事が消えていくとしたら・・・

寂しいことですね!


 次の「節分」から、あなたも家族の習慣にしてみませんか?

Posted at 2010年10月24日 17時44分01秒

〜 年中行事 ぁ 繊

節分を越えると、
皆様よくご存じの3月3日の「桃の節句」
3月21日の「春分の日」
そして4月上旬の「お花見」
5月5日の「端午の節句」と続いてまいります。

これらの年中行事につきましては、節分の「豆撒き」とは違って、
現在でも多くのご家庭で行われているごく身近な年中行事といえるでしょう。


 時期が来ると、『雛人形』を飾り、
お彼岸『春分の日』の前後1週間にはお墓参りを欠かしません。


また、桜前線を気にしながら『お花見』をし、
前線が通り過ぎるころ『こいのぼり』や、
勇壮な『兜(かぶと)』をあちらこちらで目にします。


ここでは、誰もが知っている年中行事のなかでも、
「へ〜っ?そんな意味があったの」というところをご紹介申し上げ、
より深くご理解戴き、日本の麗しい文化、
習俗として後世にお伝え頂きたいと考えます。


【桃の節句】

 3月3日は女の子節句として、
『桃の節句』『上巳(じょうみ・じょうし)の節句』、
また、『雛(ひな)祭り』などといいます。

“灯をつけましょ ぼんぼりに・・”

雛壇にならぶ人形たちは愛くるしい顔をして、
美しい着物をまとっています。
しかし、この人形たちは、もとは、「ヒトガタ」でした。
人形(ヒトガタ)は、息を吹きかけ、身体をこすり、川に流しました。
罪や穢れを背負ってもらうための、身代わりだったのです。
今でも、島根県や和歌山県では《流し雛》として残っています。

人形は徐々に洗練され江戸時代には、嫁入り道具にまで発展しました。

 また、関西・関東では飾り方に違いがあるようです。
古く朝廷が京都にあったことから日本のしきたりに合わせて、
向かって右側が男雛の関西。関東では昭和天皇の御大典を機に、
西洋に合わせ、向かって左側に男雛を配するようになりました。


【春分の日】

 3月21日頃は太陽が真東から昇り、真西に沈んで、
昼と夜の長さが同じになります。
この日を『春分の日』といい、
前後3日ずつの7日間を「彼岸」として、
家々で祖先の御霊をおまつりし、お墓参りをします。

六波羅蜜といって、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの徳目があります。

中日をはさんだ前後3日間ずつで、一徳目ずつ修行したことから、
彼岸は7日間あるといわれております。


 以前もお話ししましたが、桜の花の下で御重やお弁当を広げ、
お酒を飲んで宴会をする行事は日本特有のものです。

特に木の下というのがポイントです。

「花よりだんご」

という言葉がありますが、花粉をあびた食べ物を食べると、
免疫力が高くなり生命の復活作用があると
、昔の人は知っていたのです。

古くは、桜といえば山桜のことでしたが、
いま見る桜の多くは「染井吉野(そめいよしの)」といわれる江戸時代からのものです。
春の遊興として花見を始めたのは平安時代の貴族といわれておりますが、
庶民に広まったのは江戸時代の「染井吉野」からだったのです。

ちなみに桜の種類は50にもおよぶそうです。


【端午の節句】

 桃の節句が女の子のお祝いなら、
5月5日の『端午の節句』は男の子のお祝いとなります。

平安時代は貴族のお祝いでしたが、
武士の時代に「菖蒲」と「尚武」をかけて武を尊ぶ節目のお祝いとなりました。

「端午の節句」に「柏餅」を食べるのは、
柏の葉が秋に落葉せず冬を越し、春に新芽が出てから落葉するため、
“子孫を絶やさない”という縁起をかついだものです。


鯉は激流を駆け上がることから。



 このように、縁起事や古代人の智恵から生まれたことを、
「迷信」だとか「慣例」と片付けずに、日本の習俗習慣として、
もういちどじっくり見直してみたいものです。

きっと、新たな発見や希望がわき出てくるはずです。

Posted at 2010年10月23日 16時38分18秒

〜 年中行事 ァ

 端午の節句を越えると6月、一年の半分を過ぎる節目を迎えます。
その節目が6月30日(当社では7月1日です。)の大祓(おおはらい)です。


 古来日本では、一年を二期に分けて考えていたため、
6月は前期の最終月ということになります。
いわば、前期の大晦日となるわけです。

そこで、前期の「罪穢(つみけがれ)」を祓い、
後期の「無病息災」や「健康長寿」を祈るお祭り、これが「大祓」です。

【夏越(なごし)大祓(おおはらい)】

    「水無月(みなづき)の夏越(なごし)の祓(はらい)する人は

                 千歳(ちとせ)の いのち のぶというなり」

 この歌は、遠く平安時代に夏の情景や心情を詠んだものです。
「大祓」の行事は年に2度、6月と12月に行われます。
前期6月のものは「夏越(なごし)の大祓」
後期12月は「歳越(としこし)の大祓」といいます。
夏越の大祓は、前期の知らず知らず犯した罪穢れ

【他人に対し、悪口・誹謗等をし、
  精神的にも肉体的にも傷つけることや、
      清く明るく直く正しくに反すること。】
を祓い清め、

その後の半年を幸福と繁栄の中で営めますようにと祈る神事です。

 それではここで、お祭りの内容をご紹介しましょう。
当社においては7月1日に行われますが、
全国のほとんどの神社では6月30日に行われます。

まず、この日を迎える前(約2週間前)に氏子の家々に、
「人形(ひとがた)」が配られます(社頭にもおいてあります)。

これは「形代(かたしろ)」とも言って、
人の形を紙でかたどったものです。
ここに、年齢を記し、息を吹きかけ、
身体を撫で(悪いところをさする)で身代りとし・・・
桃の節句のおひな様も、この行事に由来することは以前おはなししましたね・・・
心身の罪穢を移し神社に納めます。
神社ではそれを大祓式にて祓った後、河海に流して罪穢消滅を祈願するものです。


 またこの際、直径2メートル程に編まれた
「茅の輪(ちのわ)」くぐりの行事も行われます。
これもやはり「茅の輪」をくぐる事により、
罪穢を祓おうというものです。
さて、この茅(かや/イネ科の多年草、古くは強壮薬とし、茎は屋根材として用いた。)
の輪の由来です。


 ご祭神の素盞鳴命(すさのおのみこと)にまつわる一節です。
あるとき旅先でのこと、道に迷っているうちに夜を迎えてしまいました。
素盞鳴は困って目の前の、立派なお屋敷に出向いたところ・・

「うちは、お前みたいな薄汚い浮浪者を泊める場所などない!」

と追い出されてしまいました。
途方に暮れ暫く歩くと、
お世辞にも奇麗なお屋敷とはいえぬ、小さな家を見つけました。

「うちは、見てのとおり貧しい所だけどゆっくり休んでいきなさい。」

と泊めてもらいました。
翌朝、素盞鳴命はお礼に「これを家に置くとよい。」と、
小さな「茅の輪」をおいていきました。
そのあと村には疫病が流行りましたが・・この家は助かることができました。
「茅の輪」のお陰で守られたのです。
・・・という故実にちなんだものなのです。

梅雨も明け汗ばむ季節になると、夏祭りを迎え、全国各地で神輿が担がれます。
これもまた、ひとつには、後期の半年を無事に過ごせますように、
農作物に被害が出ぬようにと祈るお祭りなのです。
こうしてみると、日本の様々なお祭り・行事のひとつひとつが、
日本人の日々の生活とどれほど深くかかわってきたか見えてきますね。
ところで、先祖祭りの「お盆」を迎え、
道路の大渋滞も風物詩のひとつとなりました。
さて、皆さんご存じでしたか?

「お盆」は日本古来のお祭りであることを。

 その辺は、次号で・・・。

※当神社ホームページにも『大祓』の模様が出ております。
 興味のある方はぜひご覧下さい。
 ホームページの【祭事】からご覧いただけます。

Posted at 2010年10月22日 17時40分55秒

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