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2010-10

〜 年中行事   

 さて、いよいよこのシリーズが「人生儀礼」から「年中行事」に移ってまいります。

 世の中が変わり時代が移り変わるとも、
やはり一年の始まりが「正月」という文化は変わることはありません。
日本人は古くから「稲作」を中心として一年を過してきましたので、
「稲」は「命」とほぼ同義でした。
全国で行われている「正月行事」のすべてが「稲の豊作・命の再生」のお祭りであり、
一年の始まりである「正月」は、まさに、新しい「命」を頂くという
希望に満ちた『年の始め』だったのです。


 経済中心の慌ただしい現代文明の中にあって、
日本人の価値観が変わってきてしまったように思います。
正月から始まる一年、そして、穏やかな四季と共に景色は彩られ
やさしく時を刻み続けていることには何の変化もありません。
その風土に培われた、雅(みやび)・慎み・気高さ・誇り・品格・・・等の
価値観だけは変えないで欲しいものです。
世の移り変わりに「心」の迎合まで許す事なく、
大自然に神様を感じ、雨音や虫の声に耳を傾けながら
「感性」の中で一年を過ごす贅沢を味わってみてはいかがでしょうか。



 [正月]
 当たり前の一週間であれば、なんとなく 月曜・火曜・水曜・・・・
という「曜日」の単位で生活が営まれますが、年が改まる一週間となると、
曜日を越えて時間だけが毎日を刻みはじめます。
大晦日まではとても気ぜわしく慌ただしく感じられ、
たった一日一晩寝ただけでまったく違った一日が始まるのです。
身も心も新鮮で、何もかもが「初もの」で、すべてが「晴れがましく」、
昨日までの街の景色までキラキラ輝いて、しかも、太陽までが新しく感じられます。
なぜ、「元旦」「正月」が尊く、美しく希望に満ちあふれた日に感じられるのでしょうか。


 ひとつには、前述のとおり「稲の豊作・命の再生」にあります。
「稲」が無ければ「命」が無いのと同様ですから、
「稲」の豊作には限りない期待や願いが込められます。
それが、今日の「初詣」における「新たな希望」や「願い事」の原点となっているのです。
そして、お年玉は本来「お年霊(おとしだま)」で、
年の初めに新しい霊(たましい)を頂くという「命の再生」の意味が込められているのです。

 もうひとつには、大晦日までの準備にあります。
そうです、「正月」を解説するには、その日を迎えるための
「大晦日」の心構えや準備について理解する必要があるのです。
かつては、十二月十三日を「正月始め」と言って、
この日から大晦日に向けて「歳神様(としがみさま)」を迎える
慌ただしい毎日があって、やっと正月を迎えることができたのです。

その準備とは・・・?

 独自の大晦日や正月の過ごし方が、
習慣として今でも地方に行くと残されているところがたくさんあります。
しかし、そうした習慣が忘れ去られている場所が増えているのも事実です。
日本人が古くから行ってきた習俗習慣が、家からも、学校からも、消えつつあるのです。
このままでは、大晦日も正月も、なんとなく流れる一週間に埋没してしまって、
節度の無い、新鮮味が無い日本人になってしまうのではないでしょうか。


 次回は、語り継ぐべき大晦日や正月の行事を具体的に解説していきたいと思います。

Posted at 2010年10月26日 17時45分17秒

〜 年中行事 ◆ 

【正月】

 正月を解説するとき、「大晦日」の意味や意義を説明する必要があります・・・

とは、前回書かせて頂いたとおりであります。
今回はそれを具体的にお話ししましょう。


 大晦日までに済ませておくべき、
大掃除・餅つき(鏡餅作り)・門松・お節料理は
「歳神様」を迎えるための準備です。

また、大晦日の夕刻に、一年の罪穢(つみけがれ)を紙の人形に移し、
身代わりとして神社に納める行事である「大祓(おおはらい)」をして、
正月まで清い身体でいるために家族と共に家で過ごす・・・
これもやはり「歳神様」を迎える心構えなのです。

これは、せっかくお祓いを受けたのに、
再び罪穢が付かないようにじっと家に籠もるという意味や、
家族揃って新年を迎えるという意味もあります。
以上のように、正月を迎えるための準備から心構えにいたるまで・・・
なんとすべてがが、「歳神様(としがみさま)」を迎えるためのものだったのです!!


 それでは「歳神様」とは、いったいどんな神様なのでしょうか?
場所によって捉え方が少し異なりますが、おおよそ次のとおりです。

 「歳神様」は、新しい年に遠い山から、松の葉やユズリハ
(新しい葉が成長してから古い葉が譲って落ちるので、この名がある。)に乗って、
門松の竹を目印に降りて、家々の神棚や床の間に迎えられます。
「歳(とし)」とは、稲のことを意味することから、
昨年の豊作やそこから戴いた命に感謝すると共に、
新しい年の五穀豊饒等々を祈るために、
鏡餅やお節料理等のお供え物をしてもてなすのです。

ちなみに、「祝い箸」が両方削いであるのは、
一方が神様のため、そしてもう一方が自分のために使うようにできているのです。

「歳神様」はそのおもてなしに、たいそう喜んで家々に幸福を約束し、
その後、小正月(1月15日)の「どんど焼き(しめ飾り等のお焚き上げ)」の
煙りと共に遠い山にお帰りになるのです。


 いかがですか?
つまり、家・神棚・床の間などの大掃除ができてなかったり、
門松がなかったりすると「歳神様」は降りてこられません。

また、鏡餅やお節料理の用意がないと、おもてなしができないのです。


 このような稲作文化に根ざす素朴な習慣でありながら、
反面、豊かで夢のある発想を持つ日本人の正月は、
たとえ、ロケットが月まで往復する時代を迎えても変わることはありません。

さて、それでは正月とは、いつからいつまでのことでしょうか。
今日では、仕事の関係でお休み中の「三が日」という習慣が当たり前とされていますが、
本来、一月を正月と表すことが古文書に記されております。

ここで、改めて正月行事をおさらいしてみましょう。

1日・元旦、初詣で。

2日・書き初め。

7日・七草粥。松飾りをはずす日。


これまでが「松の内」。

11日・鏡開き、餅を切ることを忌み手や槌で割ってから戴きます。

15日・小正月。どんど焼き(左義長)で松飾りなどをお焚き上げし、
その煙りと共に「歳神様」がお帰りになります。

その他、各地で年の初めを祝う様々なお祭りが繰り広げられます。
このように一月の行事を並べてみると・・
古文書にあるように一月をまるまる正月と考えてきたのが分かるような気がします。

 「一年の計は元旦にあり」
の言葉にあるように、暮れから正月に向けて、
けじめある一日一日を大切にしてきた日本人。

一月を正月と呼んで、
一年の豊作、家内安全、息災延命、富貴繁盛、子孫無窮を祈り続ける
日本人の「お正月」を、今一度心の底から味わってみてはいかがでしょうか?

Posted at 2010年10月25日 17時44分27秒

〜 年中行事  〜

【節分】

 お正月が過ぎると間もなく立春を迎えます。
その前日に行われる行事・神事が節分です。
神主さんが奏上(そうじょう)する「節分祭」の祝詞(のりと)の中に、
「春立ち返る明日より・・」とあり、「節分」が春の前日祭で、
いよいよ春を迎えるための大切なお祭りであることがうかがえます。


「節分」とは文字通り「季節の分かれ目」のことで
立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。これからみても分かるように、
もともと「節分」は年に4回あるのです。

これがなぜ春だけに重きが置かれるようになったのでしょうか。
それは、室町時代頃から庶民の間で、春夏秋冬を一年のリズムとする風潮が広まり、
江戸時代には特に「春」を一年の始まりと捉えるようになりました

そうなると、「立春」を新年として迎える考え方が流行していきます。
年賀状に「初春」「迎春」と書く習慣はこのへんにあるのでしょう。
この考え方になると、「立春」前日の「節分」は大晦日にあたります。

大晦日となれば、前年の邪気を祓って、
すがすがしく新年を迎えるために様々な行事や縁起事が行われるのは、
当然のことといえましょう。

豆撒きやイワシの頭もそのお祓いの一つなのです。
このような理由から、春の節分だけが残されたのは、
江戸庶民の考え方に起因するものだったのです。

それでは、豆撒きやイワシの頭にはどんなお祓いの意味があるのでしょうか。


 その原型は、宮中の節分行事の「追儺(ついな)」にあります。
「追儺」とは、悪鬼を祓い疫病を除く行事で、
平安時代、陰陽師(おんみょうじ)たちにより宮中において
大晦日に盛大におこなわれていました。

江戸時代には庶民に伝わり、「まめ」は「魔滅」につながり
炒るは射るにつながるところから、
お祓いを受けた炒った豆を家族揃って
「鬼は外、福は内」と掛け声を掛けながら撒き、
邪気を祓ったのであります。

そして、年の数を食べて厄を落とす習慣へと発展していきます。
これにも深い意味があり、健康な体になくてはならない大切な
タンパク源を補給し健全な身体で新年を迎えたいという気持ちもあったのです。


 次にイワシの頭です。
古く農耕の害虫駆除の方法に、イワシの頭を火であぶり、
その煙りと臭いで虫や鳥獣を追い払う「焼嗅(やいか)がし」があります。

これが「節分」の行事と融合して、イワシの頭で「鬼」を撃退すると共に、
家を覗きに来た「鬼」の目をヒイラギが衝く
という
一石二鳥の悪鬼祓いになるわけです。


 このように、今日まで続く行事にはそれぞれ深い由来があるのです。
家族皆が健康に暮らせますようにとの願いを込め、
家族揃って行うことで『信頼や絆』が深まり、一体感が生まれます。

更に、これを近隣、町、村で行うことにより地域の和が保たれ、
信頼関係が維持できたのではないでしょうか。


 「鬼は外、福は内」の掛け声が、隣近所に聞こえてくると恥ずかしいから・・・。
ヒイラギが無いから。そんなことで家族揃っての行事が消えていくとしたら・・・

寂しいことですね!


 次の「節分」から、あなたも家族の習慣にしてみませんか?

Posted at 2010年10月24日 17時44分01秒

〜 年中行事 ぁ 繊

節分を越えると、
皆様よくご存じの3月3日の「桃の節句」
3月21日の「春分の日」
そして4月上旬の「お花見」
5月5日の「端午の節句」と続いてまいります。

これらの年中行事につきましては、節分の「豆撒き」とは違って、
現在でも多くのご家庭で行われているごく身近な年中行事といえるでしょう。


 時期が来ると、『雛人形』を飾り、
お彼岸『春分の日』の前後1週間にはお墓参りを欠かしません。


また、桜前線を気にしながら『お花見』をし、
前線が通り過ぎるころ『こいのぼり』や、
勇壮な『兜(かぶと)』をあちらこちらで目にします。


ここでは、誰もが知っている年中行事のなかでも、
「へ〜っ?そんな意味があったの」というところをご紹介申し上げ、
より深くご理解戴き、日本の麗しい文化、
習俗として後世にお伝え頂きたいと考えます。


【桃の節句】

 3月3日は女の子節句として、
『桃の節句』『上巳(じょうみ・じょうし)の節句』、
また、『雛(ひな)祭り』などといいます。

“灯をつけましょ ぼんぼりに・・”

雛壇にならぶ人形たちは愛くるしい顔をして、
美しい着物をまとっています。
しかし、この人形たちは、もとは、「ヒトガタ」でした。
人形(ヒトガタ)は、息を吹きかけ、身体をこすり、川に流しました。
罪や穢れを背負ってもらうための、身代わりだったのです。
今でも、島根県や和歌山県では《流し雛》として残っています。

人形は徐々に洗練され江戸時代には、嫁入り道具にまで発展しました。

 また、関西・関東では飾り方に違いがあるようです。
古く朝廷が京都にあったことから日本のしきたりに合わせて、
向かって右側が男雛の関西。関東では昭和天皇の御大典を機に、
西洋に合わせ、向かって左側に男雛を配するようになりました。


【春分の日】

 3月21日頃は太陽が真東から昇り、真西に沈んで、
昼と夜の長さが同じになります。
この日を『春分の日』といい、
前後3日ずつの7日間を「彼岸」として、
家々で祖先の御霊をおまつりし、お墓参りをします。

六波羅蜜といって、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの徳目があります。

中日をはさんだ前後3日間ずつで、一徳目ずつ修行したことから、
彼岸は7日間あるといわれております。


 以前もお話ししましたが、桜の花の下で御重やお弁当を広げ、
お酒を飲んで宴会をする行事は日本特有のものです。

特に木の下というのがポイントです。

「花よりだんご」

という言葉がありますが、花粉をあびた食べ物を食べると、
免疫力が高くなり生命の復活作用があると
、昔の人は知っていたのです。

古くは、桜といえば山桜のことでしたが、
いま見る桜の多くは「染井吉野(そめいよしの)」といわれる江戸時代からのものです。
春の遊興として花見を始めたのは平安時代の貴族といわれておりますが、
庶民に広まったのは江戸時代の「染井吉野」からだったのです。

ちなみに桜の種類は50にもおよぶそうです。


【端午の節句】

 桃の節句が女の子のお祝いなら、
5月5日の『端午の節句』は男の子のお祝いとなります。

平安時代は貴族のお祝いでしたが、
武士の時代に「菖蒲」と「尚武」をかけて武を尊ぶ節目のお祝いとなりました。

「端午の節句」に「柏餅」を食べるのは、
柏の葉が秋に落葉せず冬を越し、春に新芽が出てから落葉するため、
“子孫を絶やさない”という縁起をかついだものです。


鯉は激流を駆け上がることから。



 このように、縁起事や古代人の智恵から生まれたことを、
「迷信」だとか「慣例」と片付けずに、日本の習俗習慣として、
もういちどじっくり見直してみたいものです。

きっと、新たな発見や希望がわき出てくるはずです。

Posted at 2010年10月23日 16時38分18秒

〜 年中行事 ァ

 端午の節句を越えると6月、一年の半分を過ぎる節目を迎えます。
その節目が6月30日(当社では7月1日です。)の大祓(おおはらい)です。


 古来日本では、一年を二期に分けて考えていたため、
6月は前期の最終月ということになります。
いわば、前期の大晦日となるわけです。

そこで、前期の「罪穢(つみけがれ)」を祓い、
後期の「無病息災」や「健康長寿」を祈るお祭り、これが「大祓」です。

【夏越(なごし)大祓(おおはらい)】

    「水無月(みなづき)の夏越(なごし)の祓(はらい)する人は

                 千歳(ちとせ)の いのち のぶというなり」

 この歌は、遠く平安時代に夏の情景や心情を詠んだものです。
「大祓」の行事は年に2度、6月と12月に行われます。
前期6月のものは「夏越(なごし)の大祓」
後期12月は「歳越(としこし)の大祓」といいます。
夏越の大祓は、前期の知らず知らず犯した罪穢れ

【他人に対し、悪口・誹謗等をし、
  精神的にも肉体的にも傷つけることや、
      清く明るく直く正しくに反すること。】
を祓い清め、

その後の半年を幸福と繁栄の中で営めますようにと祈る神事です。

 それではここで、お祭りの内容をご紹介しましょう。
当社においては7月1日に行われますが、
全国のほとんどの神社では6月30日に行われます。

まず、この日を迎える前(約2週間前)に氏子の家々に、
「人形(ひとがた)」が配られます(社頭にもおいてあります)。

これは「形代(かたしろ)」とも言って、
人の形を紙でかたどったものです。
ここに、年齢を記し、息を吹きかけ、
身体を撫で(悪いところをさする)で身代りとし・・・
桃の節句のおひな様も、この行事に由来することは以前おはなししましたね・・・
心身の罪穢を移し神社に納めます。
神社ではそれを大祓式にて祓った後、河海に流して罪穢消滅を祈願するものです。


 またこの際、直径2メートル程に編まれた
「茅の輪(ちのわ)」くぐりの行事も行われます。
これもやはり「茅の輪」をくぐる事により、
罪穢を祓おうというものです。
さて、この茅(かや/イネ科の多年草、古くは強壮薬とし、茎は屋根材として用いた。)
の輪の由来です。


 ご祭神の素盞鳴命(すさのおのみこと)にまつわる一節です。
あるとき旅先でのこと、道に迷っているうちに夜を迎えてしまいました。
素盞鳴は困って目の前の、立派なお屋敷に出向いたところ・・

「うちは、お前みたいな薄汚い浮浪者を泊める場所などない!」

と追い出されてしまいました。
途方に暮れ暫く歩くと、
お世辞にも奇麗なお屋敷とはいえぬ、小さな家を見つけました。

「うちは、見てのとおり貧しい所だけどゆっくり休んでいきなさい。」

と泊めてもらいました。
翌朝、素盞鳴命はお礼に「これを家に置くとよい。」と、
小さな「茅の輪」をおいていきました。
そのあと村には疫病が流行りましたが・・この家は助かることができました。
「茅の輪」のお陰で守られたのです。
・・・という故実にちなんだものなのです。

梅雨も明け汗ばむ季節になると、夏祭りを迎え、全国各地で神輿が担がれます。
これもまた、ひとつには、後期の半年を無事に過ごせますように、
農作物に被害が出ぬようにと祈るお祭りなのです。
こうしてみると、日本の様々なお祭り・行事のひとつひとつが、
日本人の日々の生活とどれほど深くかかわってきたか見えてきますね。
ところで、先祖祭りの「お盆」を迎え、
道路の大渋滞も風物詩のひとつとなりました。
さて、皆さんご存じでしたか?

「お盆」は日本古来のお祭りであることを。

 その辺は、次号で・・・。

※当神社ホームページにも『大祓』の模様が出ております。
 興味のある方はぜひご覧下さい。
 ホームページの【祭事】からご覧いただけます。

Posted at 2010年10月22日 17時40分55秒

〜 年中行事 Α

「お盆に帰省した?」・・・

 これは、時候の挨拶のように交わされる言葉ではないでしょうか。
『お盆』の『帰省』、
やはり今年も高速道路の「大渋滞」がニュースで流れていましたね。
何の共通点もない二つの言葉が、
この時期になると対句のように聞かれるのは面白いことです。
しかし、これには深い意味があり、日本独特の習俗、習慣があったのです。


お盆

 「お盆」は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といって仏教の言葉ですが、
「墓参り」「迎え火」「精霊流し」等々のお盆行事は、
元来すべて日本の神道行事の「先祖祭り」であることを
ご存じの方はあまりいらっしゃらないでしょう。


 古の日本では一年を二期に分け(年中行事セ仮函法
前期の始まりを「正月」として、
「歳神様(としがみさま)」を迎えます。
そして、後期の始まりを「七月」として、
お盆の行事が行われ「先祖」を迎えます。

「敬神崇祖」という日本人の心の原点は、
一年を前期と後期に分ける生活の営みの中に実践されてきたといえそうです。
その後期の皮切りに行われるのが「七夕(たなばた)」であります。
お気づきかもしれませんが、実は「七夕」は、
お盆行事の「先祖祭り」そのものだったのです。

「七」の「夕」と書いて、なぜ「たなばた」と読むのでしょうか。
これを説き明かすことによって面白いことが分かってきます。


 「七夕」というと、「牽牛(けんぎゅう)=彦星(ひこぼし)」と
「織女星(しょくじょせい)=織り姫」の伝説を思い浮かべます。
この話自体は、奈良時代に中国から伝わったもので、
これが、もともとあった日本習俗と習合しました。
それが、現在の「七夕」なのです。
それでは、もともとあった日本習俗とはどんなものだったのでしょうか。


 「正月」に『竹』を立てるように、「七夕」にも『竹』を立てます。
しかし、これは短冊を付けるためのものではなく、
「先祖」が降臨するための『竹』なのです。
その『竹』は水辺に立てられ、そこに小屋が作られました。
水辺で身を清めた娘が「先祖」に着てもらうための衣服を小屋の中で織ります。
織られた衣服を「竹」に掛け「先祖」を迎えるのです。

それが行われるのが「七月七日」で、
その娘を「棚織女(たなばたつめ)」と呼ぶのです。

「七夕」と書いて「たなばた」と読むのは、ここからきているのです。
「七夕」は「お盆」の始まりの行事であったことがわかります。


 一年に一度「先祖」と出会う=一年に一度出会う、彦星と織り姫。

『竹』に彩色の衣服を掛けて「先祖」の降臨を祈る=五色の短冊を掛けて祈る。

このように、様々な伝説や習慣が重なりあって、
現在の「七夕」ができあがってきました。
しかし、その原点は「先祖祭り」であったことを忘れてはいけません。


 冒頭の「お盆に帰省した?」は、
「先祖祭りした?」ということではないでしょうか。

「正月」の「初詣」、「お盆」の「先祖祭り」は日本独自の習俗習慣です。そして、「敬神崇祖」という日本人の「心」なのです。

いつまでもいつまでも守り続けたい日本の「心」なのです。

Posted at 2010年10月21日 17時40分32秒

平成22年 例大祭が...

10月19、20日に鎮守氷川神社 例大祭が盛大に行なわれました。



奉納演芸が両日夕方6時より行なわれました。

ベーゴマ大会もおこなわれ、
ベーゴマを知らない子供たちや、
昔ベーゴマに熱中していた大人たちも一緒に楽しんでおられました。

今年も『武蔵雅楽会』による雅楽の奉奏があり、
その雅楽に合わせた舞いも披露されました。
本来はご神前での奉納の舞のためなかなか見れない貴重なものです。


19日は御社殿前で行われました。


20日は舞台にて行われました。


静まり返って境内で行われた無心剣友洸之会による奉納剣舞。
真剣を用いピンと張り詰めた空気の中、奉納の居合いが行われた。

20日には、社殿にて一年に一度の祭典が挙行されました。
一般の方は参列できませんが、氏子様の多くのご参列をいただき、
荘厳な祭典が執り行われました。

来年も多くの方のご参列をお待ちしております。

Posted at 2010年10月21日 14時49分31秒

〜 年中行事 А

 いよいよ、年中行事も結びの章となりました。


 暑い夏も『秋雨』を重ねる毎に、空は高く済みきってまいります。
稲刈りを終えると、いつの間にか、『セミの声』から、
秋の『虫の声』に耳を奪われます。

そういえば、半袖から長袖に変わるころ、
どこからともなく『笛や太鼓の音』が聞こえてくる、
という思い出はありませんか?
残念ながら今ではなかなか、
都会などでは味わえない風情となってしまいましたが・・・


秋祭り

 一言でいうと『秋祭り』は、収穫への感謝の祭りと言えるでしょう。
稲が中心の日本では、春の祈年祭・田植え・草刈り・虫追いと続き、
寒暖、風雨などに一喜一憂しながらほぼ一年間、
成育に気を配りながら稲刈りになります。
『米には、八十八の手がかかっている・・・。』と古くからの諺のようにいいますが、
正にその通りのようですね。

こうしてみますと、
当たり前のように戴いている毎日の『ご飯』も、
『感謝』の気持ちがわいてくるというものです。


 日本では、お米の『収穫祭』これが秋祭りということになります。
正式には『新嘗祭(にいなめさい)』といいます。

この『新嘗祭』は宮中の神事でもあり、
天皇がその年の新穀を天地の神々に供え、
自らも食す『新人共食(しんじんきょうしょく)』の重儀とされています。

一般には明治六年の改暦により、
11月23日が『新嘗祭』とされ『祝祭日』となりました。

いまは『勤労感謝の日』という名称となっているので、
なかなか本来の『米の収穫祭・新嘗祭』の意味が伝わりづらくなっているのです。


 なぜ、宮中の大事な祭事と位置付けられ、
また、祝祭日として今日まで残されてきたのか、
これには更に深い意味があります。

『新嘗祭』において、お米の『収穫』を喜び合い、
感謝するのは当たり前の事ではありますが・・・。
豊作であれば、来年の『命』がある。
逆に凶作ならば『命』が危ういということであるならば、
『新嘗祭』は、『命』の祭りとして、喜び合い、感謝するという、
大切なお祭りなのであります。


 ところで、年配の方はご存知だと思いますが・・・

『♪村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日♪
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 
                         朝から聞こえる 笛太鼓』


 『村祭り』という小学校唱歌です。
そして、二番、三番に・・・

 『今年も 豊年万作で 村は総出の 大祭り・・・』

 『実りの 秋に神様に 恵み讃える 村祭り・・・』
と続くのです。


 これほど、『新嘗祭』の本当の心や、
真の姿を伝えているものはありません。

この唱歌が歌い上げている、祭りの本来の意義を風化させないことで、

日本人の『心』『命』を『感謝』と共に伝え、
継承していくことこそが、
『本当に大事なこと』ではないでしょうか。



 まだまだ『本当に大事なこと』は、たくさんあります。
皆さんも一緒に探してみて下さい。
そして、未来の子供たちに伝えようではありませんか。


Posted at 2010年10月20日 17時40分14秒

七五三の境内での無料...

七五三の記念に残る一枚を・・・
境内での無料撮影会開催いたします!
(株式会社フォトクリエイト)




今年から七五三の方を対象に、
新たに無料撮影会が行われます。

今回はそのサービスのご紹介を致します。

どんなサービスかというと・・・


     ↓

※お好きな写真があればご購入下さい。
     ↓


といった流れになるようです。
プロのカメラマンが撮影したあなたの記念の一枚を、
写真というカタチにしてお届けするサービスです。

【撮影予定日】
10月 31日
11月  3日  7日  13日  14日

【注意事項】
・事前予約不要
・撮影当日は、限られた数のカメラマンでお伺いしているため
 すべてのお客様を撮影できない場合もございます。
・当日の天候によっては、撮影を中止させて頂く場合もございます。 
 予めご了承下さいませ。

境内で写真を奇麗に撮りたい・・・
家族の記念になる写真を撮りたい・・・
そんな方どうぞ!!


Posted at 2010年10月16日 13時01分14秒

十月十五日 月次祭

10月15日、月次祭が当日朝6:00より行われました。

境内の桜や椋の葉も色が変わり始め、
いよいよ秋、といった感じになってまいりました。
この季節になると着物を着た子供が増えてまいります。
そうです、七五三のお祝いのお子様です。
土日は境内も賑やかになり、
見ているだけでもかわいく楽しいですね。
ぜひ鎮守氷川神社に足をお運び戴き秋を感じていただければ、と思います。

天気もあまり芳しくなかったにもかかわらず、
本日も多くの方のご参列を賜りました。

御神塩もすぐになくなってしまいましたが、
毎月奉製する関係上、大変申し訳ないのですが数が限られてしまいます。
手にすることができなかった方におかれましては、
ぜひ次回の月次祭にて受けられますようお願い申し上げます!

月次祭は、日本の、また、皆様一人一人の安泰を祈願するお祭りでございます。
清々しい日々をお過ごし下さい。

当神社では、参列いただいた方には、
まずお祓いをお受けいただき、
『神塩(みしお)』をおわかちいたします。

※『神塩』は数が限られており、
 お一人様一つとさせて頂きます。
 無くなり次第終了となりますのでご了承下さい。
 本日の月次祭は50体のご用意となりました。
 次回は10月1日に行われます。
 皆様の御参列を心よりお待ちしております。

Posted at 2010年10月15日 15時34分10秒

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