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2010-03

〜 ちょっとひと休み 〜

 今日に至るまで、「よみがえれ日本」と題し、
浅学の私が拾い集めた言の葉をひとつひとつ解説しながら、
‘本の国柄を知る。
日本人の精神文化の解明。
8亀い鮗茲衞瓩后

という日本再生のヒントを提唱してまいりました。

 また、日本人の伝統文化を紐解くことにより、
将来の展望を明らかにしていこうという、
「温故知新」「不易流行」の観点から現代の問題点を分析し、
将来の糧とするべく綴ってまいりました。

 昨年、この連載を『ちょっといいはなし』と題した冊子として
【ナビホーム蠎卍拘飮柿夫氏】のお力添えにより刊行することができました。
心より感謝申し上げますと共に、多くの皆様にお読み頂き
お役に立てていただければ幸に存ずるところであります。

 引き続き、日本の「人生儀礼」・「年中行事」・「建築儀礼」等々、
『祭りと日本人』をテーマに、習俗習慣の意味や意義の解説を中心に
筆を進めていきたいと思っています。


 昔から口ずさんでいた歌が、あるとき・・
『えっ!こんな歌詞だったのか。』という経験がありませんか?
それは、始めはただ音のみをとどめる耳の「記憶」の段階にあったものが、
年を重ね経験を積むことによって「心」で感じられるようになったからなのです。

 私の話は、それとよく似ているかもしれません。
つまり、古くから「記憶」のままに当然のもののと受け入れてきた、
習俗習慣の意味や意義を認識したとき、人は改めて「心」で感じるようになり、
後世に伝えるべき、尊く神聖な行いであることを知るのです。

 すなわち、習俗習慣の意味や意義を知らぬままでは、ただ「記憶」だけにとどまり、
やがてその「記憶」は忘却の一途をたどり消滅してしまうという結果をまねくのです。
習俗習慣とは、民族存在の証であり、誇りでもあるはずです。
そしてそれは、決して忘れたり、消滅させたりしてはいけない日本人が日本人であるための、
我が国固有の麗しい伝統文化だからなのです。

 しかし、今の日本は残念ながら、
固有の文化を「記憶」にすら残そうとさせない方向に進んでしまっているように見えます。
「神国日本!」と発言した首相は、そのことを国民に謝罪し、
国会議員が英霊の神霊(みたま)を慰めるために靖国神社に参拝することさえ
非難される国になってしまったのです。
日本が「神の国」ではなぜいけないのでしょうか。
自国の戦没者を、日本人固有の形でお祀りするのは当然のことではないでしょうか。
このままでは、教育の中から「心」や「伝統文化」の文字が消され、
自虐的歴史観のみが教科書を埋め尽くすでしょう。
そして、無国籍な日本人が増えるばかりでなく、
自国に誇りを持てない若者達が日本を背負っていくという・・・
なんとも憂いに満ちた将来を予測せざるを得ない状況なのです。

 今こそ、改めて日本の習俗習慣を「記憶」の段階から、意味や意義を深く理解し、
「心」に刻む段階まで推し進めて、将来に伝承してゆかねばならないのです。

 目に見えるものだけがすべてではありません。目に見えないものの中にこそ本当に大切なものがあるのです。

Posted at 2010年03月18日 15時16分48秒

本当に大事なこと!〜...

 日本独自の宗教は何ですか?と尋ねられて、明確に答えられる人は・・。

 あなたはいかがですか?

 自国の文化・伝統を知る意味でも、また、国際社会を意識する人としても
少し恥ずかしいことだと思います。覚えてください!日本固有の宗教は「神道(しんとう)」です。「じんどう」でも「しんとう」でもありません。
 
 神道の歴史は、有史以来ですからとても古いものなのですが、神道の根幹である神々の存在やしきたりは日常の中にあり、いわば「習俗・習慣」に溶け込むようにあったため、改めて意識することはありませんでした。仏教伝来時に、「対比」をするという意味で少しは意識するようになりましたが、現代でも「初詣」「厄除け」「七五三詣」は欠かすことはないものの、「神道」をひとつの宗教として意識しないまま今日に至っております。

 日本人はふだん神様の存在を意識する事なく生活をしております。しかし、深いところで、われわれのものの考え方や行動の規範となっているのが「神道」なのです。このシリーズでは、その意識の底にある「神道」を「習俗・習慣」をとおして解説していきたいと思います。

 日本人の年齢の表現に・・「数(かぞ)え年」というものがあります。これは、日本独自の「命の誕生」の数え方で、決して「昔の人」や「お年寄り」だけが使うものではありません。神社では昔も今も「七五三・厄除け・方位除け」などなどすべて「数え年」で行います。これは、日本ならではの「命」に対する崇高なる考え方に由来するものなのです。つまり、神様から戴いた「命」の誕生は、当然母親のお腹の中から始まっているもので、世に出たときから始まるものではないという考え方なのです。したがって、お腹の中で一歳、世に出て二歳という数え方なのです。 

 神社で行われる「安産祈願」の際、次のようなお話しをさせて頂いております。
 
『もうすでに神様から命を戴いて五カ月が経ちました。もう子育てが始まっていることを自覚して下さい。子育ては夫婦二人で行うものです。ご主人!「俺はまだ出る幕が無い」という顔をしないで、奥様の手となり足となる思いやりが「子育て」につながるのですよ。』
・・と。

 いかがですか。「命」は神様から戴くという考え方!赤ちゃんは神様の子!これが日本人の考え方なのです。

Posted at 2010年03月15日 16時46分49秒

本当に大事なこと!〜...

 「命(いのち)」は、神様から戴くもの。そして、お腹で一歳、出生後二歳目が始まるという「数え年」の考え方は、なんとも素朴で日本的ということができます。

 人生儀礼のお祝い事は、「安産祈願」から「出産祝い」へと続きます。ここで、皆様に知って頂きたいことがあります。それは、元来「出産祝い」に、お餅やお赤飯を用意するのは・・出産を祝うというよりも、「安産のお祝い」に、神様にお供えするためなのだ!ということなのです。このように、人生儀礼は常に神様との密接な関係の中で行われるということを忘れてはなりません。

 生後七日目を「お七夜(しちや)」と言って、この日までに名付けを致します。これを「命名」と言います。文字通り「命」に「名前」を付けることで、これもまた「神様から戴く」という尊さを感じさせます。名前の付け方は時代によって流行があったりしますが、名前は、一生使う尊く大切なものですから、名前を呼ばれたら・・『うん?』でも『なぁ〜に〜?』でもありません!返事は「はい!」漢字で「拝(ハイ・おがむ)」。こんな気持ちで答えましょう。

 男児三十二日、女児三十三日(地方により多少異なります)には「初宮詣(はつみやもうで)」−お宮参り−を行います。この日は、できるだけ祖父母と共に神社にお参りをします。通例ですとこの場合、赤ちゃんを抱くのは祖母で母親ではないからです。これは、出産後ということもあり、できるだけ母親の負担を軽減するということもあります。いずれにしても家族揃って参拝し、子供の無事の成育や家内安全を氏神様に祈ります。

 いつの時代も子育てには、不安や心配事が付きものです。まして、現代のように目まぐるしく移り変わる中の子育ては、なかなか一筋縄でいくものではありません。しかし、当社で古くから伝えられている「子育て訓」をお聞き戴き、少しでもご安心していただければ幸いです。

 「子育て訓」・・次のことを守れば、子供は立派に育ちます!

〜離してはいけないもの〜

赤ちゃんと呼ばれる頃・・・肌を離すな。

歩き始めから幼稚園まで・・手を離すな。

小・中・高と・・・・・・・目を離すな。

成人まで・・・・・・・・・心を離すな。

      いかがですか?多くの方にこのような「日本のこころ」を伝えてください。

Posted at 2010年03月14日 16時48分25秒

本当に大事なこと!〜...

 『お宮参り』を終えると、一年後に『初誕生祭』を迎えます。四季折々の情緒ある日本の風土に育った一年を、家族揃ってお祝いします。お祝いの日に、「一升餅」を子供に背負わせる習慣は全国各地で見ることができます。このいわれは様々で、「足腰が丈夫になるように・・。」という意味のほか、重い荷物を与えることで「あまり遠くに行かないで欲しい・・。」という親の願いもあったようです。

 鎮守氷川神社の初誕生祭では、子供にお米を背負わせ、「筆・扇子・そろばん」のいずれかを選んでもらう行事があります。

○「筆」を選べば・・『学問の道』を。
○「扇子」を選べば・・『芸能の道』を。
○「そろばん」を選べば・・『商人の道』を。


という将来の適職を占う古くから伝わる儀式です。

 そして、3月3日『桃の節句』、5月5日『端午の節句』などの年中行事を経て、『七五三』を迎えることになります。これは、古くから行われている人生儀礼の中でも、最も多くの人々に受け継がれているお祭りといえるでしょう。『七五三』を迎えると、どこか一息!といった安らぎが漂うものです。節目節目を越えてここまでこられた安堵感と喜びが「感謝」に変わり、ごく自然に神社へと足を向かわせるのでしょう。日本人のほとんどが良く知っているお祭りだからこそ、何を祝い、何に期待するお祭りであるかを、ここでしっかりと認識しておきましょう。

 『七五三』の儀式は、もともと公家や武家の間で行われていました。こうした古来の習俗が近世になって江戸の町民にも広がり、次第に現在のような形をとるようになったようです。公家や武家では男女が三歳を迎えると、髪形を変える「髪置(かみおき)」。男子が五歳にして男子用の着物に袴をはかせる「袴着(はかまぎ)」。女子が七歳を迎え、着物に付いた帯代わりの紐をとり、正式な帯に変える「帯解き(おびとき)」がいわれとなります。一方庶民では、この「成長を祝う」という意味のほか、神様に「成長を報告する」という重要な意味がありました。それは、三歳には乳児期を無事越えたというお祝いを神社で迎え、七歳で初めて人として認められるようになり、「氏子帳記載」のため神社に報告する義務があったからです。このように七歳のお祝いには、社会・地域の構成員の自覚と責任を持つようにとの期待も込められていたわけです。いつしか、この公家・武家・庶民の儀式や行事が一つになり「七五三」という習俗になったのです。

以上のようなお祝い事やお祭りが、古来より今日まで連綿と続けられていることを見るとき、いかに医学や科学が発達したとしても、子育てや育児は容易なものではなく、また、子供に寄せる親の愛情や気遣いは変わるものではないことが分かります。そして、子供が1年1年無事に過ごせることは「有り難い」ものであり、「神様のご加護」ならばこそと考えるのも自然の心の働きということがいえるのではないでしょうか。

Posted at 2010年03月13日 16時29分48秒

〜人生儀礼 編〜 その四

『七五三』という節目を越えると、ご家族・ご親族の皆様は「ホッ!」と一息。子供たちは、いよいよ本格的に将来を見据えた「勉学」の道に入ります。やがて進路に見通しがつくころ・・『成人祝い』の儀式を迎えることになります。


 最近『成人式』と聞くと、眉をひそめる方もいらっしゃることでしょう。

 それもそのはず・・厳粛な式典の時に、昔では考えられない「乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)」を繰り返す若者が後をたちません。『成人式』こそ、一人の人間として「成人」を自覚するための人生最大の神聖な儀式なはずなのに・・?そこで、今回は「成人式」の真意を質(ただ)す意味においても、歴史を振り返りながら解説をしていきたいと思います。


 世界中どこの国においても『成人式』は、数ある人生儀礼の中でも最も古い儀式であります。ヨーロッパでは紀元前から行われていましたし、もちろん、日本におきましても飛鳥時代に始まり、奈良時代には確立された儀式として書物に記されているのです。男女共に、肉体的にも精神的にも大人になる事を意味する点や、不安定な霊魂がこれを機に安定に向かうという点は、世界共通なのです。日本人の『成人式』も、もとはそれらの意味において行われていたもので、皆さんも良くご存知の「冠婚葬祭(かんこんそうさい)」という言葉の「冠」が、飛鳥時代から伝わる『成人式』の儀式のことを意味するのです。


 「冠(かん)」とは《かんむり》のことで、奈良・平安時代の貴族社会では、男子は12歳になると紙を束ねて切り揃え「冠」をかぶって一人前の証しとされました。また、「冠」をかぶることを「元服」といい、かつて『成人式』を「元服の祝い」と称したのはこのことからなのです。ちなみに当時の女性は、13歳にして母になれる身体になれることから「成人」とされました。


 一方、庶民においても貴族にならい12歳が成人とされていました。しかし、時代が進むにつれて農業が中心に考えられるようになり、より現実的になり・・田畑において一人前の仕事ができることや、神事(両親、公に感謝し、社会に貢献することを誓うお祭り)に参加できること・・という観点から、15歳となり、やがて18歳と変化していきます。逆に、仕事が一人前でなかったり、神事に参加しない場合は「成人」とはみなされない時代もあったようです。このあたりは、現在の20歳になれば誰でも「成人」という考え方とは随分違っていますね!


 昭和23年に「国民の祝日に関する法律」で『成人式』の条文には次の通り記されています。

  『大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます』

 と、謳っています。昔と今を単純に比べることは少し問題があると思いますが、祝われる方にこの歴史や法律を少し勉強して頂けたら、『成人式』はきっと感動と感謝に包まれるに違いありません。


 皆さんの「成人」に相応しいと思われる年齢は、さて、何歳?

 ・・選挙権があること?お酒が飲めること?それとも・・・?

Posted at 2010年03月12日 17時31分12秒

〜人生儀礼 編〜 その五

 『成人式』という節目を越えると、それぞれが大人の自覚を持って、社会的責任を意識しながら日々の生活を営むようになります。大人として生きる時、人は多かれ少なかれ社会的責任を免れることはできません。この「社会的責任」の重圧と、実はかかわっている人生儀礼、『厄年』についてお話をさせて頂きます。


 まず、一般的観点から見た『厄年』について解説いたしましょう。
『厄年』とは、一生の中で最も運気低迷の年に当たり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれた特別な年であります。地域によって多少ことなる場合もありますが、おおよそ厄年の年齢は数え年で数え、男性は25・42・61歳、女性は19・33・37歳を本厄年といいます。そして、その前後を「前厄(まえやく)」「後厄(あとやく)」といって、この3年間は「用心して過ごす年」とされています。しかし、一方この年齢は人生で一番重要な年齢ということもいえるので、「用心して過ごす年」ということは、消極的や後ろ向きに・・ということではなく、むしろ、気を付けながら積極的かつ前向きに過ごすということなのです。


 しかしながら、人は『厄年』を自覚したとたんに「厄年は嫌いだ!」と気に病んで過ごしてしまいがちになり、どうしても臆病になってしまう人も少なくはないでしょう。そこで、古来より伝わる「厄祓(やくばらい)・厄落とし」などにより「厄年」を「役年」に変え、清々しく躍進の年として過ごすという習慣が連綿と続けられてきているのです。


 さて、ここから本論です。中世、つまり農耕社会においては「厄年」の年齢は、男女共にそれぞれ、村々で立派な指導者になる年齢に当たりました。それゆえ、責任の重さを心身ともに感じ、それぞれの立場に相応しい存在になるには、並々ならぬ努力を要したことでしょう。現在においても、男性の25・42歳といえば将来を決定付ける極めて重要な年齢です。また女性の19・33・37歳は、将来のこと、子育て、子離れ後の役目・・と、母親としての在り方等、人生の大きな節目となります。

 
 このように『厄年』には、大いなる努力と忍耐が必要となり、さまざまな選択を迫られる年なのです。結果、心身ともに重圧が大きくなるわけです。そこで、『厄祓・厄落とし』をするわけですが、これがどのようなことなのかを説明したいと思います。


 ひとことでいえば、神様に「もう大丈夫!」という「元気」を戴きにいくということです。人間は期待が高まれば高まるほど、不安が付きまとうものなのです。たとえば、子供が産まれると、立派な成長を期待します。反面、病気・怪我等が心配になり、あまり外には出さず、過保護で消極的な人間にしてしまう恐れがあります。『厄年』も同様に、期待が高まり不安が忍び寄るということになるので、チャンスを逃してしまうことになりがちです。そこで、『厄年・厄落とし』のお祓いを受けると・・もう、大丈夫という元気を戴き、重圧から解放され、これまでの自分の行き方を見直すことにより、改めて清く・明るく・正しく・直き心で過ごして行こうと決心して前向きに過ごせるようになるのです。結果、この時期に発展の基準作りができて、よりよい人生を送れるようになるのです。


 つきつめると「不安」=「厄」ということができます。皆さんも不安を解消して期待を伸ばし、清々しい毎日をお過ごしください。

Posted at 2010年03月11日 16時50分54秒

〜人生儀礼 編〜 その六

 「人生儀礼」を一つ一つ越え、「厄祓」を節目節目に行うことで、人はその折々に心身ともにリフレッシュします。そして、それを機に初心に返り、改めて新しい一日を迎えることで、充実した人生を歩むことができます。これこそが、「日本人特有の人生観」ということがいえるでしょう。人生儀礼の後期に迎える節目が『還暦(かんれき)』という儀礼です。

 『還暦』とは、文字通り「暦(こよみ)」が「還(かえる)」という意味です。「還」という字を辞書で調べると、「円をえがいてもとへもどる。いったものがもとの場所にもどること。」と出ています。つまり、『還暦』とは人生のスタートを刻む「生まれた日」から、長い道のりを歩き続け、幾多の困難を乗り越え、円をえがくようにして、やがて「生まれた日」にもどるということです。これを具体的に解説すると、次のようになります。

 今年を例にとってみますと・・生まれ歳は「庚(かのえ)寅(とら)歳」です。この「庚」が十干(じっかん)、「寅」を十二支(じゅうにし)と呼び、これらを合わせて『干支(えと)』と称します。そして、今年生まれた人が次の『庚寅歳』の干支を迎えるのは60年後なのです。以上のとおり、『還暦』とは、「生まれた年の干支に還る」という意味なのです。

 「還暦」も「厄年」も当たるので、前述のとおり「心身ともにリフレッシュして、新しい一日を迎えるために」お祓いを受けます。しかし、これまでの「厄年」とは少し趣が違ってきます。正確には、年祝いの厄年いえるでしょう。

 古くは、人生40年とも、50年ともいわれており、60年ともなれば長寿ということになりました。そこで、「あなたは、一つの人生を立派に生ききりました。とてもおめでたいことです。」という年祝いをするとともに、御褒美に神様から新しい命の再生を戴きましょう。ということで、赤ちゃんにもどるために、赤いちゃんちゃんこと赤い頭巾を贈られ、生まれた時に行った『初宮詣』同様に、厄を祓って、再生を祝福するのです。

 いかがでしたか?なぜ、『還暦』に赤いちゃんちゃんこを贈る習慣があるのか。なぜ、「厄年」?という疑問が解消されましたでしょうか。もちろん『還暦』の後も年祝いが待っています。人生七十、古希稀なり・七十歳。「喜」の字を崩した  寿・七十七歳。「傘」の字にちなんだ仐寿・八十歳。「米」の字にちなんだ米寿・八十八歳。「卒」の字にちなんだ卆寿・九十歳。百の字から一をとった白寿・九十九歳。というおめでたいお祝いが続くのです。

 人生の節目に再生をするという日本人の人生観を「常若(とこわか)」と表現します。これは、常に若々しい心を持ち、新鮮な毎日を送るというすばらしい考え方にほかなりません。皆さんもどうぞ「人生儀礼」を今一度おさらいしながら「常若」の人生を歩んでいきましょう

Posted at 2010年03月10日 17時35分53秒

除災招福祈願祭

【除災招福祈願祭】とは、
字の通り災いを除けて福を招くためのお祓いでございます。


人はだれしも災難に遭いたくありません。
しかし、生活をしてゆく上で予期せぬ災難が降りかかることがあります。
そのようなとき、そういった災難が続いて起こってしまうと心に不安が残ってしまいます。
不安があるとさらに災いを招いてしまうことがあります。

昔から不安があることを『気』が『枯れる』と表現してきました。
『気枯れ(きがれ)』は『穢れ(けがれ)』といわれ、
除災招福祈願はその『穢れ』をお祓いする御祈願です。

お祓いをお受け頂き『元』の『気』に戻っていただきます。
それを『元の気』=『元気(げんき)』とよんでおります。

災いが続いてしまう方、日々を穏やかに過されたい方、
ぜひお祓いをお受け頂き清々しい毎日をお受け下さい。

【初穂料】
5000円からお気持ちでお納め下さい。

Posted at 2010年03月10日 13時36分44秒

平成22年 春祭 祈年祭

平成22年 3月1日午前十時より春祭りが行われました。

春祭りは、正式には祈年祭(としごいのまつり)といいます。
この『年』というのは『稲』のことで、稲が台風・洪水・害虫によって
災いを招かないよう、また、豊作により来年一年の命を戴き、
豊かに暮らせるようにと祈るお祭りです。

もちろん、その稲の実りのように工業・商業・家内も
実りある豊かな一年にして戴きたいと願うお祭りです。

Posted at 2010年03月06日 16時19分43秒

年祝いの御祈願(健康...

【歳祝い・賀寿とは】

ご家族の方が長寿であることは、ありがたくおめでたいことです。
これまでの神様の御加護に感謝し、
今後もますますご利益が頂けるようにお祓いをして、
健康で長生きができますよう祈願いたします。
ぜひ、家族・親族の皆様でお集まりいただきお祝いしましょう。

なお、クラス会での団体祈祷も承っております。
希望日時・人数を早めにお知らせください。

【初穂料】
お一人5000円からお気持ちでお納め下さい。


還暦(かんれき)・・・「暦(こよみ)」では、61年目にはじめて、
60歳        生まれた年と同じ干支に戻ります。
           61歳の還暦厄は、生まれ変わりの人生の再出発点なのです。
           赤い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着るのは、
           赤ちゃんに戻って再出発を祝うという意味があるのです。

古稀(こき) ・・・中国・唐時代の詩人・杜甫の「人生七十年古来希なり」に
70歳        由来しています。

喜寿(きじゅ)・・・「喜」の字の草書体が七十七と読めるところからきています。     
77歳  

傘寿(さんじゅ)・・・八十が「傘」の字に通じるところから「傘寿」と
80歳        呼ばれるようになりました。 

米寿(べいじゅ)・・・八十八を組み合わせると「米」の字になるところからきています。  
88歳    

卒寿(そつじゅ)・・・卒の俗字(卆)が九十に通じるところからきています。       
90歳      
            
白寿(はくじゅ)・・・九十九は百より一つ少ないという意味から
99歳           「白」の字が用いられています。

百寿(ももじゅ)・・・「ももとせの祝い」といい、盛大に百歳をお祝いします。
100歳       一説には「上寿」(じょうじゅ)とも言います。

Posted at 2010年03月06日 15時53分32秒

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