メインメニュー
2009-06

文化放送が…神社に…キ...

きたる七月一日、夏越大祓祭に先立ち、
ラジオ文化放送『吉田照美ソコダイジナトコ』の取材がありました。

夏越大祓祭・祈願串焼納祭について、番組パーソナリティーのアシスタントを務める
唐橋ユミさんが巫女体験をしながらレポート。

社殿でのお祓いをうけ、巫女姿になって茅の輪守りの体験奉製や
社頭に立ってのお守り頒布等を体験されました。
また当神社の御神木の取材等もあり和気藹々の空気の中、終えられました。

この取材の模様は

6月26日放送(午前6時〜)
文化放送『吉田照美ソコダイジナトコ』
「ユミのどすこいデリバリー」のコーナーで紹介されるそうです。
お聞き逃しなく!!

【文化放送 AM1134kHz】


取材の最後に社殿前にて写真をパチリ

※『夏越大祓祭』については、新着情報の中の
NEWS7月1日夏越大祓祭・祈願串焼納祭からどうぞ。

Posted at 2009年06月28日 16時42分35秒

映画『母べえ』オープ...

映画『母べえ』のオープンセット地鎮祭・撮影安全祈願が
平成18年11月五日に斎行されました。
(監督:山田洋次 原作:野上照代 主演:吉永小百合 製作:松竹)



澄み渡る秋空の下、山田洋次監督を始め、関係者出席の元、
厳粛な空気の中での祈願となりました。

Posted at 2009年06月28日 16時40分58秒

映画『20世紀少年』...

平成20年吉日にスキップシティにて、
本格科学冒険映画『20世紀少年』の撮影安全・ヒット祈願が行われました。
(原作:浦澤直樹 監督:堤幸彦)



当日は主演の唐沢寿明・豊川悦司・常盤貴子等スタッフ総勢130人出席のもと、
当神社宮司により神事が厳かな空気のなかで斎行いたしました。




Posted at 2009年06月28日 16時37分29秒

オレンジレンジ全国ラ...


平成20年に行われましたオレンジレンジの全国ライブツアーの
安全祈願・成功祈願が川口リリアにて行われました。
2006年に続き2回目となります。

『ORANGE RANGE LIVE TOUR 008‘PANIC FANCY‘』
がツアータイトルで、追加公演も含め40会場でライブが行われました。

ツアー期間中も『オレンジレンジ』メンバーの名前を書いた色紙を
御神前に供え、メンバーとスタッフは当神社の『厄断ち守り』を持って
全公演を無事に大成功をもって終えられました。


この色紙はご神前にて、ライブ終了まで供えられました。


嵐の前の静けさのような中、神事は厳粛に行われました。

Posted at 2009年06月25日 21時24分26秒

還暦 〜男の旅路〜

当神社の神職、阿野勝丞がゆく自転車の旅ブログ。

還暦を迎えるにあたり、今までお世話になった方々、亡くなられた同級生等への
感謝の気持ちをたずさえて、除災招福、家内安全、慰霊を祈願しながら自転車で旅をしました。

60歳という身体の限界に挑戦し、自分自身を見つめなおしながら
奉職神社である当氷川神社より、生まれ故郷鹿児島県は照国神社までの1500キロの
道のりを各所の神社を巡りながらペダルをこぎ続けた旅をしるした日記です。

還暦を迎えた方、夢を追い続けたい方必見です。
何かにチャレンジすることを忘れてしまった・・・
夢がない・・・
そんな若い方にもぜひ読んで頂きたい日記です。

【こちらからどうぞ】

http://www.h5.dion.ne.jp/~hikawa/index16.html

※記事は最終日が表示されますので
バックナンバーの一番下『平成20年4月11日』からお読み下さい。

Posted at 2009年06月25日 21時22分34秒

狛犬のはなし

『狛犬』(こまいぬ)

 狛犬の起源は古く、紀元前のインドや中国にいたライオンや獅子が変化しながら、平安時代に日本に渡来したものといわれております。しかしながら、他国のそれとは大きく違っている点があります。それは、ヨーロッパやアジアにおいては「威嚇」や「権力」の象徴として飾られたのに対し、我が国では主人(あるじ)に忠実な『犬』として置かれたのです。形は『唐獅子』によく似てますが、あくまでも神様をお守りする『守護犬』なのです。

 参道をはさんで左右に置かれ、片方は口を開き、もう片方は口を閉じた状態で「対」になっています。開いているほうを『阿(あ)』、閉じている方を『吽(うん)』と呼び、相撲などで両者の呼吸がぴったり合うことを『阿吽(あうん)の呼吸』というのはこの『狛犬』に起因するものなのです。

 社殿に祀(まつ)られているもの・外に置かれているもの・角があるもの・木製・金属製・陶製などなど形はさまざまです。


鎮守氷川神社の『狛犬』

 当社の狛犬は四対あります。神様から近い順に、まず御社殿奥のご神前に彩色を施した木製のもの(昭和六十三年)があります。次に、御社殿前に石製・手彫りのものがあります。狛犬としてはとても珍しく、全体的に丸みをおび、笑っているような顔をしています。とても愛嬌があって、現代的な作風に見えます。ところが、これが四対の中で最も古く『嘉永四年(一八五二年)』と彫刻してあります。三番目は参道中ほどにあるもので、片方は「玉」を抱え、もう一方は「子供」を抱えておりとても厳しい形相をしています(石製・大正十五年)。四番目は鳥居をくぐるとすぐに見える石製のもので、昭和六十三年、氏子様の「大願成就」を記念して奉納されたものです。

Posted at 2009年06月14日 10時04分36秒

〜神社の鳥居をくぐっ...

 古来より日本の神々は「八百萬(やおよろず)」いらっしゃるといわれてきました。八百萬といっても、800万ということではなく「多くの神々」ということです。これは、木・山・川を始め、太陽・風・雷に至るまで、大自然や森羅万象すべてが「神様」という考え方があるからです。つまり、「人間が造ったものなど何一つありません。大自然や森羅万象に神様を感じ、その恩恵に感謝しながら生きていきましょう。」という謙虚な生き方、物を大切にする心を「八百萬の神々」が教えてくれているのです。

 以上のように日本の神々については、漠然としていて分かりづらいと思われる方も多くいらっしゃることと思いますが、それはあなただけではありません。しかし、そんな分かりづらいものがなぜ、二千年もの間「日本の精神・生活の規範」として受け継がれてきたのでしょうか。その神髄こそ、世界に今注目されている「日本人の精神文化」なのです。

 先日読んだ本に次のようなことが書いてありました。「日本の神社や神様については、見えるようで見えず、知っているようで知らず、それでも、お世話になっていないようで大変お世話になっている存在です」と。まさに、現代人の感覚と思いがちですが・・。実は今から約九百年前の歌人『西行法師(1118〜1190)』が、伊勢神宮にお参りしたとき読んだ歌に「何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる(どなた様がお鎮まりになっているかは知りませんが、ただただ有り難い気持ちに涙が溢れてまいりました)」とあり、平安時代でもやはり漠然としていたようですね。

 日本の信仰の根幹をなす「神道(しんとう)」には、他宗教に見られるような「教義」や「教典」、いわゆる「説明書」はありません。ゆえに、見えるようで見えず、知っているようで知らず、・・という捉え方になりがちなのです。しかし、確実に「有史以来今日まで連綿と伝承されてきた」・・・この事実こそが他宗教に見られない奇跡なのです。つまり、日本の神々(神道)は、親から子へ、子から孫へ、生命の継承と共に「心と体」で伝えられてきたものなのです。

 次回はこの奇跡を検証していきたいと思います。

Posted at 2009年06月13日 16時50分35秒

〜神社の鳥居をくぐっ...

 日本人の精神や、生活の規範として受け継がれてきた「神道(しんとう)」の教えには、他宗教にみえる「教義(宗教の教えの内容・主張)」や、「教典(宗教の教えを記した基本的な書物)」のような説明書はないのです。

 多くの宗教は、この「教義・教典」を信じるか否かが「信者」としての条件となり、そして、これらの「教義・教典」そのものを伝えることが「宗教の継承」なのです。つまり、「教義・教典」がなければ宗教が成り立たないといっても過言ではないのです。それでは、なぜに説明書を持たない「神道」が2千年もの間、脈々と受け継がれてきたのでしょうか。これは、宗教の「奇跡」であると私は考えています。継承の形が、特別な場所で行われるわけではなく、「日常生活」の中で、親から子へ・子から孫へという「生命の継承」の中で「心と体」によって伝えられてきたという、なんとも素朴なものなのです。しかし、これこそが今世界に注目されている「日本人の心」であり、この神髄を知れば、現代の日本人が忘れかけている「本当に大事なこと」が見えてきます。

 さあ、皆さんご一緒に「本当に大事なこと」を一つひとつ心に刻んで、子供たちに伝えていきましょう。

 我が国は古代より「稲」の文化が生活の基盤であったため、自然の変化には特に敏感な民族でした。適度な雨や太陽等は、有り難い「恵み=神」として崇められ、感謝の対象となりました。反面、豪雨や酷暑は大敵であり「荒ぶる神」として「恐れ」、鎮めるお祭りをしたのです。これが、現在日本中で行われている「お祭り」の原点なのです。つまり、限りない恵みを与えてくれるものに「感謝の心」を覚え、人の力では及ばぬ大自然の猛威や脅威に対する「人間の弱さ」という「謙虚さ」を学ぶことが「お祭り」の本義なのです。いかがですか?何か見えてきませんか。そうです。『本当に大事なこと』は、大自然の摂理の中に「神様」を見、そこから「感謝の心」と「謙虚な心」を見いだすことなのです。これこそが人として生きるうえで、一番大切なことであると同時に、今、日本人が忘れかけている「心」なのです。さあ、皆さんでこのことを「心と体」で後世に伝えていきましょう。
 

Posted at 2009年06月13日 16時49分08秒

〜神社の鳥居をくぐっ...

 「日本のこころ」・・それは、未来の子供たちに「美しい地球」を残せる唯一のチケットだと思っています。私たちはその一つひとつを胸に刻み、誇りと自信を持って後世に伝えていかなければなりません。

「日本のこころ」・・これを具体的に、そして分かりやすく解説することが、このコラムのタイトルにある「本当に大事なこと」そのものにつながると私は考えます。どうぞご一緒にこの「道」を歩いていきましょう。この「美しい地球」を残すために・・。

 この連載に始めからお付き合い頂いている方は、もうお気づきのことと思いますが、世界の宗教を日本語で標記するとき、・・キリスト教・イスラム教・・というように、「教」という字で記述されています。しかし、日本の宗教である「神道(しんとう)」だけは「教」では標記されず、「道」が使われているのです。なぜならば、キリスト教でいえば「イエスの教え」を信じることであり、イスラム教は「アッラーの教え」を信じること・・と、いうように「教」が付くものは、「・・・の教えを信じること」という概念があるのです。しかし、神道には「・・・の教え」がありませんので「神教」とは言わないのです。「神道」は、いわば神様が造った「道」を如何に歩いて行けば良いのかを、親から子へ、子から孫へ伝えてゆく宗教なのです。ここに「・・教」と大きな違いがあります。この「道」こそが「日本のこころ」なのです。それでは、そもそも「道」とは何を意味するものなのでしょうか。

 皆さんは「道」とえば、「柔道」「剣道」「茶道」「華道」・・等の「道」を挙げるのではないでしょうか。これらの「道」に共通するところは「結果を求めるものではない」ということです。たとえば「柔道」では「勝てばいい」とか、「茶道」では「お茶を飲めばいい」というものではありません。『礼に始まり礼に終わる』という言葉に象徴されるように「心、礼儀、作法・・」等など、結果を出すまでに「心を磨き、練り、鍛える」という行程(プロセス)に重きが置かれているのです。実は、これらの「道」も「神道」の「道」と意味するところは同じなのです。つまり、神道も「人生の結果を求めるものではない」ということなのです。

 明治天皇の御製に「目に見えぬ 神に向いて 恥じざるは 人の心の まことなりけり」とあります。私はこの歌に「道」の神髄があると考えます。つまり、「道」とは、神様に向かって恥じない心で生きる「道」のことなのであります。これを私は「まことの道」と呼んでいます。生きた結果どこに行き着くか?ではなく、「心を磨き、練り、鍛え」ながら「まことの道」を今どう歩くか、また、どう歩いているかが「本当に大事なこと」なのではないでしょうか。

Posted at 2009年06月13日 16時46分40秒

〜神社の鳥居をくぐっ...

 正月気分も抜け、節分の豆撒きも納めました。本格的な春をひかえ、田植えの準備が始まる2月17日は、古来から「祈年祭(きねんさい)」と定められてきました。この「祈年祭」は『きねんさい』また、『としごいのまつり』と読みます。この「年」とは「稲」のことを示し、「稲の豊作を祈る」お祭りのことをいうのです。祈年祭に引き続き、早いところでは4月には「苗代」や「田植え」のお祭りが始まり、夏祭り、新嘗祭(にいなめさい)《稲の豊作を祝う祭り》等々「稲」を中心とした数々のお祭りが行われます。もちろん、「田んぼ」が無い都会の神社においてもこれらのお祭りは欠かすことはありません。このように、神社の一年は「稲」の一年と言っても過言ではありません。

 日本は有史以来「稲」と共にあり、「稲」は「命」と同じものという観念がありました。「稲」が無ければ「命」が無いということだったのです。その「稲」に必要な「太陽」「雨」「土」という「大自然の営み」は「命」を生かす源、つまり「神」の存在として崇められたのはいうまでもありません。このような環境の中で日本人の心・精神文化が育まれました。

 日本人の心・精神文化を表す代表的なものに「俳句・和歌」がありますが、そこには「七・五調」という我が国独自の「リズム」があります。それはなんとも穏やかで、暖かで心地よい懐かしい「リズム」ではありませんか?前述のように、『日本の心』=『大自然の営み』=『俳句・和歌』であるならば、この伝統的なリズムは『大自然の営み』の中にあるのではないかと感じられてなりません。雨音・風の音・雷の音・川の音・海の音・虫の声・・等々すべて、自然が織り成す「規則的でもあり不規則でもある」その旋律が、音となり、言葉となり、心になったのが「俳句・和歌」なのではないでしょうか。

 俳句には「四季」が感じられなくてはなりません。そして和歌には「日本人の心」がなくてはなりません。このように日本の精神文化が凝縮された「俳句・和歌」に親しむことは、大自然を感じることであると共に日本の心に触れるということなのです。

 あなたも、春の暖かい風を感じながら「俳句・和歌」の名作を紐解いて「日本の心」に触れてみてはいかがでしょうか。きっと、本来の日本の姿が見えてきますよ。

Posted at 2009年06月13日 16時45分17秒

 1  2  3  | 次へ