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〜 ちょっとひと休み 〜

 今日に至るまで、「よみがえれ日本」と題し、
浅学の私が拾い集めた言の葉をひとつひとつ解説しながら、
‘本の国柄を知る。
日本人の精神文化の解明。
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という日本再生のヒントを提唱してまいりました。

 また、日本人の伝統文化を紐解くことにより、
将来の展望を明らかにしていこうという、
「温故知新」「不易流行」の観点から現代の問題点を分析し、
将来の糧とするべく綴ってまいりました。

 昨年、この連載を『ちょっといいはなし』と題した冊子として
【ナビホーム蠎卍拘飮柿夫氏】のお力添えにより刊行することができました。
心より感謝申し上げますと共に、多くの皆様にお読み頂き
お役に立てていただければ幸に存ずるところであります。

 引き続き、日本の「人生儀礼」・「年中行事」・「建築儀礼」等々、
『祭りと日本人』をテーマに、習俗習慣の意味や意義の解説を中心に
筆を進めていきたいと思っています。


 昔から口ずさんでいた歌が、あるとき・・
『えっ!こんな歌詞だったのか。』という経験がありませんか?
それは、始めはただ音のみをとどめる耳の「記憶」の段階にあったものが、
年を重ね経験を積むことによって「心」で感じられるようになったからなのです。

 私の話は、それとよく似ているかもしれません。
つまり、古くから「記憶」のままに当然のもののと受け入れてきた、
習俗習慣の意味や意義を認識したとき、人は改めて「心」で感じるようになり、
後世に伝えるべき、尊く神聖な行いであることを知るのです。

 すなわち、習俗習慣の意味や意義を知らぬままでは、ただ「記憶」だけにとどまり、
やがてその「記憶」は忘却の一途をたどり消滅してしまうという結果をまねくのです。
習俗習慣とは、民族存在の証であり、誇りでもあるはずです。
そしてそれは、決して忘れたり、消滅させたりしてはいけない日本人が日本人であるための、
我が国固有の麗しい伝統文化だからなのです。

 しかし、今の日本は残念ながら、
固有の文化を「記憶」にすら残そうとさせない方向に進んでしまっているように見えます。
「神国日本!」と発言した首相は、そのことを国民に謝罪し、
国会議員が英霊の神霊(みたま)を慰めるために靖国神社に参拝することさえ
非難される国になってしまったのです。
日本が「神の国」ではなぜいけないのでしょうか。
自国の戦没者を、日本人固有の形でお祀りするのは当然のことではないでしょうか。
このままでは、教育の中から「心」や「伝統文化」の文字が消され、
自虐的歴史観のみが教科書を埋め尽くすでしょう。
そして、無国籍な日本人が増えるばかりでなく、
自国に誇りを持てない若者達が日本を背負っていくという・・・
なんとも憂いに満ちた将来を予測せざるを得ない状況なのです。

 今こそ、改めて日本の習俗習慣を「記憶」の段階から、意味や意義を深く理解し、
「心」に刻む段階まで推し進めて、将来に伝承してゆかねばならないのです。

 目に見えるものだけがすべてではありません。目に見えないものの中にこそ本当に大切なものがあるのです。

Posted at 2010年03月18日 15時16分48秒