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〜人生儀礼 編〜 その五

 『成人式』という節目を越えると、それぞれが大人の自覚を持って、社会的責任を意識しながら日々の生活を営むようになります。大人として生きる時、人は多かれ少なかれ社会的責任を免れることはできません。この「社会的責任」の重圧と、実はかかわっている人生儀礼、『厄年』についてお話をさせて頂きます。


 まず、一般的観点から見た『厄年』について解説いたしましょう。
『厄年』とは、一生の中で最も運気低迷の年に当たり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれた特別な年であります。地域によって多少ことなる場合もありますが、おおよそ厄年の年齢は数え年で数え、男性は25・42・61歳、女性は19・33・37歳を本厄年といいます。そして、その前後を「前厄(まえやく)」「後厄(あとやく)」といって、この3年間は「用心して過ごす年」とされています。しかし、一方この年齢は人生で一番重要な年齢ということもいえるので、「用心して過ごす年」ということは、消極的や後ろ向きに・・ということではなく、むしろ、気を付けながら積極的かつ前向きに過ごすということなのです。


 しかしながら、人は『厄年』を自覚したとたんに「厄年は嫌いだ!」と気に病んで過ごしてしまいがちになり、どうしても臆病になってしまう人も少なくはないでしょう。そこで、古来より伝わる「厄祓(やくばらい)・厄落とし」などにより「厄年」を「役年」に変え、清々しく躍進の年として過ごすという習慣が連綿と続けられてきているのです。


 さて、ここから本論です。中世、つまり農耕社会においては「厄年」の年齢は、男女共にそれぞれ、村々で立派な指導者になる年齢に当たりました。それゆえ、責任の重さを心身ともに感じ、それぞれの立場に相応しい存在になるには、並々ならぬ努力を要したことでしょう。現在においても、男性の25・42歳といえば将来を決定付ける極めて重要な年齢です。また女性の19・33・37歳は、将来のこと、子育て、子離れ後の役目・・と、母親としての在り方等、人生の大きな節目となります。

 
 このように『厄年』には、大いなる努力と忍耐が必要となり、さまざまな選択を迫られる年なのです。結果、心身ともに重圧が大きくなるわけです。そこで、『厄祓・厄落とし』をするわけですが、これがどのようなことなのかを説明したいと思います。


 ひとことでいえば、神様に「もう大丈夫!」という「元気」を戴きにいくということです。人間は期待が高まれば高まるほど、不安が付きまとうものなのです。たとえば、子供が産まれると、立派な成長を期待します。反面、病気・怪我等が心配になり、あまり外には出さず、過保護で消極的な人間にしてしまう恐れがあります。『厄年』も同様に、期待が高まり不安が忍び寄るということになるので、チャンスを逃してしまうことになりがちです。そこで、『厄年・厄落とし』のお祓いを受けると・・もう、大丈夫という元気を戴き、重圧から解放され、これまでの自分の行き方を見直すことにより、改めて清く・明るく・正しく・直き心で過ごして行こうと決心して前向きに過ごせるようになるのです。結果、この時期に発展の基準作りができて、よりよい人生を送れるようになるのです。


 つきつめると「不安」=「厄」ということができます。皆さんも不安を解消して期待を伸ばし、清々しい毎日をお過ごしください。

Posted at 2010年03月11日 16時50分54秒