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〜神社の鳥居をくぐって〜 その三

 「日本のこころ」・・それは、未来の子供たちに「美しい地球」を残せる唯一のチケットだと思っています。私たちはその一つひとつを胸に刻み、誇りと自信を持って後世に伝えていかなければなりません。

「日本のこころ」・・これを具体的に、そして分かりやすく解説することが、このコラムのタイトルにある「本当に大事なこと」そのものにつながると私は考えます。どうぞご一緒にこの「道」を歩いていきましょう。この「美しい地球」を残すために・・。

 この連載に始めからお付き合い頂いている方は、もうお気づきのことと思いますが、世界の宗教を日本語で標記するとき、・・キリスト教・イスラム教・・というように、「教」という字で記述されています。しかし、日本の宗教である「神道(しんとう)」だけは「教」では標記されず、「道」が使われているのです。なぜならば、キリスト教でいえば「イエスの教え」を信じることであり、イスラム教は「アッラーの教え」を信じること・・と、いうように「教」が付くものは、「・・・の教えを信じること」という概念があるのです。しかし、神道には「・・・の教え」がありませんので「神教」とは言わないのです。「神道」は、いわば神様が造った「道」を如何に歩いて行けば良いのかを、親から子へ、子から孫へ伝えてゆく宗教なのです。ここに「・・教」と大きな違いがあります。この「道」こそが「日本のこころ」なのです。それでは、そもそも「道」とは何を意味するものなのでしょうか。

 皆さんは「道」とえば、「柔道」「剣道」「茶道」「華道」・・等の「道」を挙げるのではないでしょうか。これらの「道」に共通するところは「結果を求めるものではない」ということです。たとえば「柔道」では「勝てばいい」とか、「茶道」では「お茶を飲めばいい」というものではありません。『礼に始まり礼に終わる』という言葉に象徴されるように「心、礼儀、作法・・」等など、結果を出すまでに「心を磨き、練り、鍛える」という行程(プロセス)に重きが置かれているのです。実は、これらの「道」も「神道」の「道」と意味するところは同じなのです。つまり、神道も「人生の結果を求めるものではない」ということなのです。

 明治天皇の御製に「目に見えぬ 神に向いて 恥じざるは 人の心の まことなりけり」とあります。私はこの歌に「道」の神髄があると考えます。つまり、「道」とは、神様に向かって恥じない心で生きる「道」のことなのであります。これを私は「まことの道」と呼んでいます。生きた結果どこに行き着くか?ではなく、「心を磨き、練り、鍛え」ながら「まことの道」を今どう歩くか、また、どう歩いているかが「本当に大事なこと」なのではないでしょうか。

Posted at 2009年06月13日 16時46分40秒