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〜神社の鳥居をくぐって〜 その四

 正月気分も抜け、節分の豆撒きも納めました。本格的な春をひかえ、田植えの準備が始まる2月17日は、古来から「祈年祭(きねんさい)」と定められてきました。この「祈年祭」は『きねんさい』また、『としごいのまつり』と読みます。この「年」とは「稲」のことを示し、「稲の豊作を祈る」お祭りのことをいうのです。祈年祭に引き続き、早いところでは4月には「苗代」や「田植え」のお祭りが始まり、夏祭り、新嘗祭(にいなめさい)《稲の豊作を祝う祭り》等々「稲」を中心とした数々のお祭りが行われます。もちろん、「田んぼ」が無い都会の神社においてもこれらのお祭りは欠かすことはありません。このように、神社の一年は「稲」の一年と言っても過言ではありません。

 日本は有史以来「稲」と共にあり、「稲」は「命」と同じものという観念がありました。「稲」が無ければ「命」が無いということだったのです。その「稲」に必要な「太陽」「雨」「土」という「大自然の営み」は「命」を生かす源、つまり「神」の存在として崇められたのはいうまでもありません。このような環境の中で日本人の心・精神文化が育まれました。

 日本人の心・精神文化を表す代表的なものに「俳句・和歌」がありますが、そこには「七・五調」という我が国独自の「リズム」があります。それはなんとも穏やかで、暖かで心地よい懐かしい「リズム」ではありませんか?前述のように、『日本の心』=『大自然の営み』=『俳句・和歌』であるならば、この伝統的なリズムは『大自然の営み』の中にあるのではないかと感じられてなりません。雨音・風の音・雷の音・川の音・海の音・虫の声・・等々すべて、自然が織り成す「規則的でもあり不規則でもある」その旋律が、音となり、言葉となり、心になったのが「俳句・和歌」なのではないでしょうか。

 俳句には「四季」が感じられなくてはなりません。そして和歌には「日本人の心」がなくてはなりません。このように日本の精神文化が凝縮された「俳句・和歌」に親しむことは、大自然を感じることであると共に日本の心に触れるということなのです。

 あなたも、春の暖かい風を感じながら「俳句・和歌」の名作を紐解いて「日本の心」に触れてみてはいかがでしょうか。きっと、本来の日本の姿が見えてきますよ。

Posted at 2009年06月13日 16時45分17秒