社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2018年12月)                男子って…(続)

  昔々、小学生の頃、スヌーピーのマンガにハマりました。

「ピーナッツブックス」というペーパーバックのシリーズ、おわかりになる保護者の方はきっと同世代ですね。その中で、今でもよく思い出すシーン。スヌーピーが自分の小屋の屋根に寝転がって、空を眺めているところです。「ヤレヤレ!ぼくの人生はあまりに早く過ぎていく。誰かが”早送り”のボタンを押したんじゃないかと思うね」。そのときにはなんとも思わなかったのに、その後の人生の中で度々思い返す一言に。ホント、誰かボタン押してない!?って言いたくなる、師走です。

 数か月前に、息子についてここで嘆かせて頂きました。恐縮ですが、また愚痴ってもよろしいでしょうか。

5月に入団した野球チーム、ヨロヨロしながら続けております。先週、卒団する6年生たちにメッセージを書くよう、きれいなカードを渡されてきました。〆切当日までそのまま放置していた息子に、朝、今書け!と脅すと、1枚目に「ちゅうがく いっても がんばってね」と書きました。1年生ならまだしも、2年でこれは…せめて、「中学校 行っても」くらいの習った漢字は書け、と言うと、「校」は習っていないとのこと。じゃあ「中学こう 行っても」は書けるよね、と隣に書いてやりながら言うと、2枚目に書いたのは「行つも 行っしょに やってくれてありがとう」。「い」が全部「行」になってしまった…。最後は、「何書いていいかわかんない!」と、クーッと泣いていました。ただのメッセージカードだよ…これからの人生、もっと大変なことが死ぬほどあるよ…しかも教科書見たら、「校」は1年生で習ってたよ…。

 先週末は、他校チームとの練習試合。のんびり朝食を食べさせていたら、ママ友から電話が。もうみんな集合してるよ!と言われ、親子であわてふためきました。そういえば、いつもより30分早くなるとメールが来ていたような…とわたしが後悔している横で、「ママごめん!ちゃんと言ってなくてごめん!」と、ユニフォームを逆さに着ながら言う息子。これが娘なら(そしてわたしでも)、「ママだって連絡来てるはずじゃん!」と逆ギレしてるかも。素直に謝れるって、すごいなあ…と、思うしかない。そもそも娘は、集合時間がわからなくなったりしないわけですが。

昨日は帰宅時間がすこし遅くなり、いつにも増してバッタバタの夜。一人で風呂に入っていた息子から大声で呼ばれ、無視しても呼び続けるので、何かあったかと風呂場に走っていくと、目を輝かせて自分の腕を突き出しながら、「オレが発見したんだけど!日焼けした手って、焼いたウインナーに似てるよ、ほら!」と…。

 もうダメだ…と目の前が暗くなったとき、小林麻央さんのブログを読み返します。月並みですが、子どもも自分も元気で、一緒に暮らしていられることが、奇跡のように幸せなことなんだと、思い出します。生きていてくれてありがとう、というところまでいかないと、わたしには「ホントだ、ウインナーそっくりだ!」とは言えないのです…。


Posted at 2018年12月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年11月)         ヤスダさんのクッキー

  大人の一年はあっという間。すでにもうずいぶん前のことのように感じられますが、先日はぐるんぱへのご参加、大変ありがとうございました。
まさかの32℃。あんなに暑かった夏がうそのように、秋らしい穏やかな日が続いている中で、あの10月7日だけ、うそのように、32℃。今年は、9月のゆり組お泊りも
10月の遠足も、ギリギリで雨を免れて奇跡的に決行できているのですが、たぶんその運を貯めたのが、あのぐるんぱの猛暑だったものと思われます。だいじな行事を園全体で、保護者の皆さまも巻き込んで、フォロー。素晴らしい。と、思わないとやってられないくらい、暑かったですね。皆さま、お疲れ様でした。

 あのぐるんぱで、参加賞として子どもたちに渡しているのは、「ぐるんぱクッキー」。(欠席だった方にも後日お渡しするので、参加賞じゃなくて「のしお保育園にいる賞」ですね。)もう長いこと、「工房わかば」さんにお願いして作って頂いているものです。

 「工房わかば」は、野塩4丁目、COCOSの裏手の線路沿いにある作業所(正確には「生活介護事業所」)です。同じ地域で福祉の仕事に携わる仲間であり、代表者はのしおの卒園生の保護者の方だったりするもので、何かと仲良くおつきあいしてきました。

工房という名の通り、素敵なものをたくさん作っているわかばさんの、主力のひとつがパン部隊です。毎日工夫をこらして焼き上げられているパンや焼き菓子は、お店顔負けのクオリティで(なのにビックリするほど安い)、いろいろな施設で出張販売されています。ここのクッキーをぐるんぱのお土産にすることにして、もうずいぶん経ちます。

今年もぐるんぱの前々日、金曜の夕方に、クッキーを受け取りに伺いました。工房の一番奥で、焼きあがったばかりのクッキーが、かわいいパッケージに入って段ボールに詰められています。パン作りの中心になっているヤスダさんが、その中からアレルギー対応のクッキーを取り出して、渡してくれました。他の袋よりずっしりしています。

「バターとか牛乳とか、おいしくなる成分をわざわざ取り除いているわけだから、どうしても普通のよりおいしくするっていうのは、難しいんだよね。でも、アレルギーのある子はどうしたって、いつも警戒しながら食べ物に向き合ってるわけだし、これはアレルギーの子がいくら食べたって大丈夫にしてあるんだから、思い切り食べてもらいたくてね、他のよりたくさん詰めちゃったんだよ。」

福祉の仕事をしていると、素敵な方にたくさん出会います。地域に根差してこつこつ働く彼らは、その地域の宝物だと思います。ヤスダさんは、パン作りの名人で、愛妻家で、バードウオッチングの先生で、神戸に住むお孫さんの写真をデレデレで見せてくれるおじいちゃんで、清瀬の宝物です。

試行錯誤の制作過程でできたどっさりのアレルギー対応クッキーも、おまけに頂きました。毎年同じ製法でも良さそうなものだけれど、ヤスダさんは進化し続けるのです。来年のぐるんぱクッキーもお楽しみに!


Posted at 2018年11月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年10月)            世紀を超えて

   「ママはいいなあ、わたしは21世紀に閉じ込められてる」

 わたしが小さかった頃の話をしていたとき、小5の娘がふと言った言葉です。確かに1970年代生まれのわたしは、立派に(?)2つの世紀にまたがって人生を送っています。保護者の皆さまも、まあたいがい、そうですよね。それは実はたいしたことなんだと、そのとき思いました。2006年生まれの娘にとって、世紀を超えて生きているというのは、それだけでちょっとした偉人のようです。

「長生きして95歳を越えなさいよ、そしたらドラえもんの22世紀よ!」
と、娘に言いながら、あらー、わたしはこの子が死ぬとき、そばにいないんだなあ、と思いました。当たり前。でもそのとき生まれて初めて、長ーく生きたい、と、思いました。わたし自身が死にたくない、というわけではなく、ただ、我が子が死ぬときそばにいてやりたい、と。だってこの子は死ぬのが初めてなんだから、怖い思いするだろう、と。今自分で書きながら、それこそ怖い、と思いますが、でも真剣に。

子どもはいずれ大人になり、巣立っていく。そうなってもらわなきゃ困る、のですが、でもわたしの心の一部は、ずっと子どもたちにまとわりつく気がします。子離れできない親になるつもりはないけれど、でも、元気でいるか、ちゃんと食べているか、周りにいじわるな人はいないか、…彼らが大人になって、結婚したければして、白髪になって、それでも。わたしは、子どもたちが元気でいるか、バカみたいにずっとずっと気に掛けて、生きていくのだと思います。

 そして彼らが、死ぬとき。家族や友だちに囲まれて、幸せに死んでいってくれれば良いな。一人で死んでも良いけれど、あー楽しい人生だった、この世界に生まれてきて良かった、って、思って死んでくれれば良いな。そしてそのときできることならわたしも、カラダは無いけどそばにいて、大丈夫だよ怖くないよ、あんなに小さかったのに大きくなったね、ここまでよく頑張って生きてきたね、って言いたいなあ、と。自分がどう死ぬかなんて、まだろくに考えてもいませんが、子どもたちについては、そう思いを馳せる。親って恐ろしい生き物だなあ、と思います。

 そして、のしお保育園にいる子どもたちには、保護者の皆さま以外にも、そういう生き物が付いています。担任たちと、その人の担当の子について喋るとき、そう思います。彼女たちは皆さんのお子さんを、全身で受け止め、それぞれの個性と取っ組み合い、持てる力を振り絞って、かわいがっています。毎日疲れ果てる仕事ですが、心底かわいいから、頑張っています。彼女たちが担当児の人生に寄り添えるのは長くて6歳まで、ですが、子どもたちのその先の人生もずっと、気に掛け続けます。保育士というのは、そういう人たちです。

 今のしおにいる子たちは、現状の平均年齢で言えば、世紀を超えて生きていきます。担任たちは、世紀を超えて、子どもたちの人生を応援し続けるでしょう。

Posted at 2018年10月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年9月)          カープと災害と

  広島出身の父の英才教育により、わたしは物心ついたときから広島カープファンでした。周りは当然のように巨人か西武のファンで、もちろん阪神とかヤクルトとかもいましたが、カープというのは見渡す限りどこにもいませんでした。家の中にしか分かり合える同士はいない上に、ともかく弱い。テレビにBSもCSも無い時代、カープの試合が中継されるのは巨人戦だけでしたが、巨人相手に勝つなんて期待すると辛いから最初から考えない。途中まで勝っていても、どうせ負けるんだと思いながら観ていて、そして本当に逆転されて終わる、という。近年の強いカープ、夢のようです。

 親の家で暮らすのは18歳まで、と言われて育ったわたしは、大学進学にあたって当然のように地方を考えました。本当は東京の中に行ってみたい学校もあったけれど、せっかく一人暮らしをするなら、ここはやっぱり地方だ。そして、広島に行けば、みんなが当たり前のようにカープファンだと聞くじゃないか!
そのときすでに父の実家は無かったので、広島に近しい親戚がいるわけでもなく、一度連れて行ってもらったことがあるだけでしたが、わたしの志望校は広島になりました。

 そして結局6年間、わたしは東広島市西条町という、山の中の小さな町で暮らしました。カープの本拠地「市民球場」には山を越えて1時間の距離、そう身近なものではありませんでしたが、それより何より、日本中から来ていた友人たちと泣いたり笑ったりして暮らした濃密な6年は、人生の宝物になりました。

 この夏、その町が、たくさん報道されました。テレビには、懐かしい山影や、何度も通った道が、変わり果てた光景で映っていました。7月の西日本豪雨で、東広島市からも、たくさんの死者が出たと。
確かに今思えば、危険な山肌や低い土地の田んぼなど、たくさん思い出されます。でもそこに、先祖代々住んできて、恵みの川の水で死ぬなんて、思わなかったことでしょう。遠い昔の災害の記録は残っていても、自分の生きている間に、それがまた起こり、自分や大切な人の命が奪われるようなことになるかも…と日々思いながら生活を送るというのは、とても困難なことです。

 こういう悲惨な自然災害が起こる度に、次はここかも、と切実に思います。大地震もそうですし、水害も。清瀬市の洪水ハザードマップによると、のしお保育園がある位置は、浸水した場合の予想水深度2mという、市内で最も危険な地域とされています。指定緊急避難先は、清瀬市立第二中学校。氾濫しているだろう野塩橋を渡って二中まで行くのは、現実的ではありません。5年前に購入した備蓄倉庫に、備蓄品をたっぷり貯めているけれど、その倉庫が浸水したらどうするか。その前に備蓄品を持って、なんとか垂直避難ができるよう、都営住宅の方々と提携できればと考えていますが、たくさんの課題もあります。

 災害は待ったなし。「そのとき」に最善の対応ができるよう、一人のお子さんも一人の職員も犠牲とならないよう、毎日無い頭を絞り続けています。


Posted at 2018年09月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年8月)           お腹いっぱいにさせればOK

 小学生以上のきょうだいをお持ちの保護者の皆さま。今年も始まってしまいましたね、夏休みが!

 子どもの頃、あんなに嬉しくて輝かしくて、一年で一番楽しみだった、夏休み。それが、親になってみたら、こんなに辛く苦しい修行期間に変わるとは…って、大げさでしょうか。でも本当に、辛いのです、お弁当作りが。そして、日々のマネジメントが!

 2年生の息子は、基本は学童があるから大丈夫、なはずなのですが、出発する時間がわからなくなったり帰り道にトラップがあったり、補充授業を忘れて担任から電話かかってきちゃったり。そして5年生の姉の方は、プールに塾に習い事に、友だちとの予定が散らばっていて、今どこで何をしているのか把握するのに一苦労。そして思春期に向け、順調に態度が悪化の一途で、弟へのキツさも半端ではなく、息子を叱っていても途中から娘にムカついてしまい、でも客観的に見ればダメなのは確かに息子なわけで、何よワタシばっかりっ!と娘の態度が更に悪くなり…。朝の短い時間の中でもきょうだいでワーワー言っているのを聞きながら弁当を作っていると、イラつくこと半端なく、結局毎朝怒鳴り散らしながら家を出てくる始末。

 そうして頭から湯気を出して歩いて、駅について、ホームで電車を待っているあたりで、だんだん心が冷えてきます。子どもたちにとっては毎日が特別な、せっかくの夏休みの朝、こうやって母親に怒られて、フォローもなく置いていかれることが良いわけない。あー、またやっちゃった…。自分のことが心底イヤになりながら、毎朝電車で新聞を開きます。

 「折々のことば」は、朝日新聞の朝刊に長期連載されている、哲学者の鷲田清一さんのコラムです。鷲田さんの心に響いた「言葉」が、一日にひとつ、つぶやきのような解説つきで紹介されます。7月16日付けの本欄を、こっそり転載させて頂きます。(こんなちっぽけな園だよりだから、大丈夫ですよね…)

空腹は子どもから「いまここに」おける安心と安定を奪います。(芹沢俊介)
 空腹のまま放置するという暴力は、自分がここにいてよいという、子どもの「存在感覚」の核となるものを修復不能なまでに破壊してしまうと、評論家は言う。(略)
満ち足りたときのその温みが、生きることの歓びを、ひいては人への信頼を底から支える。
                       『芹沢俊介 養育を語る』(事件篇機砲ら。」


 これを読んで、そうか、ともかくお腹いっぱいにすれば良いんだ、と思うと、ずっしり重かった心が、わずかでも軽くなる気持ちがしました。我が子について、自分の子育てについて、涙が出るような葛藤や後悔や自責の気持ちを抱えたとき、まずは、ごはんを作りましょう。美味しくなかろうが栄養が偏ってようがマンネリだろうが、この際関係ないということで。ともかくごはんを作って、子どもも自分もお腹いっぱいにして、最低限かもしれないけれどでもこれで大丈夫、「生きることの歓び、人への信頼」、これでOK!と、思いましょう。

9月が待ち遠しくて仕方ないのですが、これを書いている今はまだ7月下旬…。同じ境遇の皆さま、頑張りましょう。

Posted at 2018年08月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年7月)           鬼、ではない

  香川県から東京に引っ越してきた5歳の女の子が、ゆるしてくださいゆるしてください、と書いて、死んでしまいました。あのニュースを聞いて、胸がつぶれる気持ちに、ならない大人はそういないでしょう。 じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがいゆるしてゆるしてください …と、その文章を読み上げながら、記者会見では捜査幹部が、ニュース番組ではキャスターが、涙をこらえていました。

 このような事件を見聞きするたび、鬼だ、と思います。彼らは鬼だから、普通ではないから、わたしとは違うから、と、思う。思わずにいられない。

 8年前のちょうど今ごろ、大阪で3歳と1歳のきょうだいが自宅マンションの一室に閉じ込められたまま、餓死した事件がありました。風俗で働く若い母親が、恋人と一緒にいたくて次第に子どもたちの待つ自宅に帰らなくなっていたこと、閉め切られた蒸し暑い部屋の、ゴミと糞尿と悪臭の中で2人は寄り添って息絶えていたこと…
連日衝撃的な報道が続き、今回の結愛ちゃんの事件と同じく、この母は極悪人として取り上げられました。裁判員裁判での判決は、虐待としては異例の、懲役30年の実刑。他にも数えきれないほど起きている虐待での子どもの死亡は、もっと軽い刑期で終わっている中で、この大阪の若い母が、通常よりうんと重い罰を受けたのは、世間がそれを求めたから、もあったのでしょう。社会が彼女を鬼だと憎んだから。

 でも、本当は。大人は奥底では、知っているのです。どんな虐待をする親も、鬼ではないことを。鬼なら、追い払って切り捨てれば良い存在なら、どんなにか簡単かと思うけれど、でも鬼なわけがないのです。人の子として生まれ、人の親になった、わたしたちと同じ人間なんだから。

 わたしは今はらっぱの自分の机に座って、これを書いています。つくしの部屋から、園庭から、にぎやかな声が聞こえてきます。のしおの子たち、かわいいです。わがまま言っててもヘソ曲げてても癇癪起こしててもひっくり返って暴れてても…何をしてもかわいいです。だって子どもなんですもの。まだこの世の中に出てきてやっと数年、いろんなことができなくて、でも彼らに今できる精一杯で、全力で、毎日を生きているのですもの。

 そしてあの大阪の母も、結愛ちゃんの両親も、昔は必ず子どもでした。きっと今ののしおの子たちと同じように、泣いたり笑ったり、毎日一生懸命生きている、子どもだったはずです。のしおの子たちと彼らの違いは、彼ら自身ではない。違ったのは、彼らの周りの大人たちだった。のしおの子たちが四方八方から有り余るほどもらっている愛情が、彼らにはきっと、注がれていなかった。親からも誰からも愛されず、気に掛けられず、さびしくて悲しい、子どもだった。きっと。そして彼らは鬼に育ってしまいました。

 世界中の子どもの誰ひとり、虐待で殺してはいけないし、虐待で我が子を殺す鬼にしてはいけない。そのために、わたしたちは、大人は、何をどうすれば良いのでしょうか…?

Posted at 2018年07月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年6月)              男の子って…

 唐突ですが、わたしにはこどもが2人おります。上は、4月で11歳になった女子。下は、2月に7歳になった男子。5年生と2年生、学年で言えば3年差なのですが、ほぼ4年の開きです。そして…比較不能な、遥かな遥かな開きがあります。

 以前もここに書いた気がしますが、自分自身がひとりっこで、こどもは一人で十分。と、昔から思っていました。でも、11年前の春、一人生んでみたらビックリするほどかわいくて、そして仕事家事育児の両立?トリプル立?もなんとかかんとかできるようになって、これならもう一人いてもなんとかなる、かも!と思ったのでした。

 …で、その次のもう一人が、2月生まれの男子だったのです。低月齢の男子をお持ちの保護者の皆さま、ここから書くことは、あくまでもワタクシの息子について、です。早生まれでも、「ちゃんとした」お子さんはいくらでもいます、お気を悪くされませんよう。

 我が家の男子は、もう、ビックリするほど、いろいろとゆっくりです。保育園の間はそれほど顕在化しませんでしたが、小学校入学以来、え、これができないの?ふざけてる?え、ホントに?…と、毎日毎日ビックリし続けて、1年が経ちました。好きなものはゲームとレゴとドラえもん、嫌いなものは漢字と引き算とおとなしく座ってること。
コンサートなど連れていくと(姉のピアノや合唱団などでときどき致し方なく)、開始5分で静かな身もだえが始まり、そのうち静かでなくなり、もう帰りたい〜と言う彼の耳元で「静かにしなさいよっ!」と静かに怒鳴ることになるのが毎度毎度。学校でもらってくるプリント類が、ランドセルの底でくちゃくちゃになっている、というのは、噂には聞いていましたが本当でした。どんなに叱られても、プリントをまっすぐにランドセルに入れるというのはできないらしいです。

 学校の野球チームに入りたいと懇願され、散々引き留めましたが(保護者の負担を背負いたくなかった為…)どうしても、ということで入部して、初めての試合の様子を見に行ったら、出場していないのはもちろんですが、グラウンドの隅で、試合などまったく見ずに土をいじっていて、次にその土だらけの手でなぜかまつげを抜こうとして、目が痛いと騒いでいるところに出くわしてしまいました。
…書き出したら止まりません。もう、本当に、娘とは何から何まで違っていて、目の前が真っ暗になったり真っ白になったりするのです。

 でも、月並みですが、かわいいのです。要するに、かわいいと思わなければ育てていけないイキモノをかわいいと思うよう、親には本能が備わっているのだと思います。ということは、これからどんどんしっかりまともに育っていけば、かわいさも薄れてくるのでしょうか。かわいくなくなっても良いから、しっかりまともに育っていってほしいのですが、今のところかわいさは増すばかりです…。

Posted at 2018年06月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年5月)              うさぎを飼います

 22日の日曜日は、おもちつき会へたくさんのご参加ありがとうございました。ビックリするほどの良い天気…というか、こんなに暑くなくても良いんだけどな、というくらいの陽気。あのお天気は新入園の皆さまへの天からのお祝いだったのかもしれません。

 今年度、のしお保育園には16名の新しいお子さんが入園されました。そして新しく入職した職員も11名。初々しくにぎやかな園内、いつもの4月に増して、新鮮な空気が流れています。

 そしてもう1名、新入園児が。8年ぶりに、うさぎを飼うことに致しました。ネザーランドドワーフという、ピーターラビットのモデルになった種類の茶色いうさぎさんです。

 開園当時、園庭の隅には「のしお動物園」と看板のついた飼育小屋があり、長い間うさぎやチャボやニワトリや、たくさんの動物がこどもたちと一緒に暮らしてきました。ニワトリが毎朝時をつくって団地の方に叱られたり、うさぎが毎晩着々と抜け穴を掘り進めて自由に出入りしていたことが発覚したり(近所の方から「うさぎが道に出てるよ!」と教えて頂いて捕獲成功)。当時の園長だった母から、楽しい話をたくさん聞きました。

 でもだんだん、東京の、住宅街の、団地の中で動物と一緒に生活するのは、難しいことが増えてきました。金魚やザリガニやカタツムリや…室内で育てることのできる生き物ならなんでも育てちゃうのしおの保育士たちですが(クワガタだって年を越してしまう飼育の腕!)、園庭の飼育小屋は使われなくなり、倉庫になりました。

 それでもうさぎは、園庭から室内に移動して、飼い続けていたのですが。
最後にいたうさぎ「ごんた」が、8月の暑い暑い日に、死んでしまったのです。当時のゆり組と、担任だった主任のJさんのショックと悲しみは、どれほどだったか。すでに大人になってからやってきたうさぎでしたので、正確な齢は不明ですが、まだ寿命にはすこし早かったのでは…エアコンはつけていたけれど、やっぱり普通のおうちに比べたら、保育園で飼われるのは負担が大きかったのかもしれない…と、後悔の気持ちが消えないまま、次のうさぎを飼うことはできずに8年が経ちました。

 姉妹園の一丁目保育園で、うさぎが生まれるよ、と聞いたのが今年の1月。それからずーっと、どうしようどうしよう、と悩んでいましたが、結局Jさんに、「飼いたいんでしょ?」と言われて、やっぱり飼いたいね、飼おう!となりました。2月21日生まれの男の子(たぶん)、まだ小さいのではらっぱで暮らしていますが、もうすこししたらどんぐり前の廊下にデビューする予定です。

 人も動物も植物も。小さな命と一緒に生活するのは、気を使うしお世話も大変だし、でも、こどもにも大人にも、思いやりや温かな気持ちを育て、良い経験がたくさんたくさんできます。82名のこどもと30名の大人、そしてうーさん(と、それぞれのクラスの小さな生き物たち)。
みんなで仲良く楽しく、暮らして参りましょう。

Posted at 2018年05月01日 16時24分46秒  /  コメント( 0 )

(2018年4月)        ようこそ、新しい命たち

去年の春まで当園の園長をしていた母から、何度も聞いた話があります。

「ずっと前の卒園生でね、れんげ組からゆり組に進級するのを、とっても楽しみにしていた女の子がいたのよ。3月が終わったらゆり組になるの!って、それはそれは楽しみにして、ついに4月になって、憧れのゆり組の部屋に入って、―――それから泣き出しちゃったのよ。

 その子は、“ゆりさんになったら何でもできるようになる”と信じてたのね。昨日まではれんげだからできなかったことも、ゆりさんになればあれもこれもできるようになるんだって思ってたの。それが、せっかくゆり組になったのに、昨日までできなかったことはやっぱりできなくて、こんなはずじゃないのにって悲しくて悔しくて、やりきれなかったのね。」

良い話だなあ、と、いつも思っていました。その女の子の、“大きくなること”への憧れ、わくわくした気持ちは、まだ大きくなっていない人たちだけの特権です。隣の部屋へ移動したら魔法のように何でもできるようになる、なんて、大人は考えもしないけれど、こどもがそう信じるのは素敵なことです。きっとその子は、ゆりの部屋で過ごした一年の間に、魔法のようにではないけれど一歩一歩、いろいろなことができるようになったのではないのかな。やっぱりゆりさんってすごい、わたしたちってすごい、と、誇らしく思ったのではないのかな、と。

 「7歳までは神のうち」という言葉を読んだことがあります。乳幼児死亡率が現代とは桁違いだった江戸時代、こどもは7歳になって初めて、人間社会のヒトとして数えられる存在になったのだとか。それくらい、こどもというのはいつ消えてもおかしくないような危うい命の火であったということなのでしょう。

7歳は数えですから、今でいう6歳。ぴったり保育園の在園期間です。保育園という場所にいると、当たり前のように毎日たくさんの命がやってきて、食べたり寝たり、笑ったり喋ったり、かけっこしたりケンカしたり、にぎやかな一日を終えて、元気に帰っていく、のですけれど。よく考えれば現代だって、こどもが元気で大きくなるというのは、決して当たり前のことじゃない、と、ときどき心から思います。こどもが生まれること、元気に育つこと、それだけで毎日が奇跡の連続だと。(我が子についてもときどきはそう考えよう、と、今思いました。そしたらもうすこし、怒鳴るのを我慢できるかも…。)

 さあ、今日からまた新しい命たちが、のしお保育園の仲間に加わってくれました。これから始まる保育園生活、お子さんも、保護者の皆さまも、ちょっとずつちょっとずつ慣れていって頂ければと思います。朝、泣いていても大丈夫。きっと来年の3月には、お隣の部屋へ移ることを、目をキラキラさせて楽しみにしていることと思います。

Posted at 2018年04月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

(2018年3月)             退職と入職と

 いつも、どうでもいいようなことばかりぐだぐだと書かせて頂いているこの欄ですが、今回は具体的かつまじめなお話をしなければ。と、思いながら書き始めています。

 一面ですでにご覧頂いている通り(※園だより『えがお』紙面のことです)、職員がたくさん退職いたします。保育士8名・栄養士1名、というのは、のしおの規模の施設としては、ありえないような人数です。保護者の皆さまには、大変なご心配をお掛けしてしまうことだろうと思います、お詫び申し上げることしかできません。

 ただ、一人ひとりに事情があり、それぞれの人生の次のステップに向かって踏み出す理由をもっての退職ですので、心から応援したいと思っています。こどもたちには、一人ひとりにきちんと話をして、理解してもらうことにしております。小さな人たちのクラスではあまり早すぎても意味を成しませんので、もうすこしお別れが近づいてからにする予定ですが、もっと大きな人たちには、すでにお伝えして、了解してもらっています。さびしいことでしょうが、それぞれに自分のなかできちんとかみしめ、納得し、前を向いて次の担任との暮らしを楽しみにしてくれている姿が、何よりもありがたいです。

 これまでの、良くも悪くもどっしりと安定して、職員の顔ぶれもたいして変わらず、のんびり穏やかなのしおに慣れていらした皆さまには、こんな激変を目にされると、これからこの園だいじょうぶ?と不安に思われることと思います。もちろん、今の段階で、だいじょうぶ!とお答えするような能天気なことはできません…が。

 4月から(3月からすでに1人)、新しい方と、新しくない方たちが、たくさん入ってきます。新しくない方というのは、今回と同じく、個々の事情があって退職した人たち。人生のステージがすこし変わり、またここで働くことができるようになって、戻ってくれる方たちです。これまでこの園が育んできた、温かい人間関係があってこそのことと思います。そこにフレッシュな方たちをまじえて、これまでと変わらず、日々の暮らしを大切に、こどもたち一人ひとりに全力で向き合いながら、でものんびり穏やかな保育園でありたいと思っています。

 ゆり組の保護者の皆さま。最後がこんなで申し訳ありませんが、でも、みんなが帰ってくる場所はこれからもちゃんとあります。ごたごた荘はこれまでと同じく、毎週月曜の放課後。ごたごた大ベテランのSさんが、玄関でお待ちしています。にぎやかなみんなが帰ってくるのを、新しい大人も新しくない大人も、みんなで、待っています。

Posted at 2018年03月01日 00時00分00秒  /  コメント( 0 )

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