社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2013年8月)                    危なくなっています!

 他人の土地なのに「絶対木をきるな」って言ってくるんだ、おかしいよね─知人がふんがいしています。その家は先祖伝来の広大な土地を持っています。玄関を直したらえらく費用がかかったとのことで、聞いたらその玄関はわが家の1階にほぼ等しい(ダイニング・キッチンと和室)広さでした!

 庭には大きくて古いケヤキやクヌギの木があり、必要があってその木を切ろうとしたら、町内の住民が署名運動を起こさんばかりの勢いで「絶対木を切るな」と。それで冒頭の「おかしいよね」になるのですが、わたしはどっちの気持ちもわかる気がします。

 たしかに個人の土地の、特別な指定を受けているわけではない木を切るのに「いけない」と言われたらアタマにくる。でも、毎日目にしてきた木が切られると知ったときの寂しくつらい気持ちは、わたしが秋津に住んで34年、なんどもあじわってきました。

 このごろ雨が降ると集中豪雨、風が吹くと強風・竜巻というように、気候が昔にくらべて荒々しくなってきています。日本だけでなくアメリカでもヨーロッパでも、厳冬や酷暑や洪水が起こっています。地球温暖化の影響ということです。昨年マレーシアに旅行した時、ジャングルがどんどん切り開かれ高層ビルや道路ができるのを目にしました。これから地球は異常な気象があたりまえになっていくのでしょうか。

 こどもたちに、これまで行われてきた自然破壊のつけが回ってくるのは、あまりにも酷なことです。福島の原発事故はまだ収束どころか、海に汚染水が流出し続けています。そして東電は事実を把握していながら4日後まで公表しなかった・・・。

大きな家に住んでいる人もそうでない人も、今みんなで何をしたらよいのか考え、身近な、できることから始めないと、日本も地球もこどもたちの未来も危なくなっています。

Posted at 2013年08月05日 16時28分34秒  /  コメント( 0 )

(2013年7月)                   3百万円と5百円

 「えがお」先月号で書きました「アンネのバラ」は、やはり抽選にもれてしまいました。いっしょに申し込んだ豊玉第二保育園は当選して、いまバラに詳しい保護者の方やこども達に守られ園庭で凛と咲いているそうです。くじ運というのはどうにもならないものですねえ。
宝くじも「買わなければ当たらない」から、とにかく3億円でなくともいい、3億では金銭感覚がマヒして生活が狂ってしまいそうなので、3千万、いや3百万がちょうどいいかな、当たったら・・・と考えているうち、わたしのくじ運の悪さでは宝くじ代をどぶに捨てるようなものだから買うのはやめよう、となります。買わないから、いつまでたっても当たりません。

アメリカで宝くじの高額当選者のその後の追跡をしたら、ほぼ全員が人生が狂ってしまい、悲惨なことになっていた、と聞きました。そーだろー、そーだろー、あぶく銭は身につかないのよ。くじ運の悪さが救われた気がして、ちょっとホッとします。でも3百万円はほしいなあ。

などと思う頭に喝を入れられた本があります。『電気代500円。贅沢な毎日』(アズマカナコ・阪急コミュニケーションズ)です。なにしろ夫婦に小さな子ども二人が東京郊外の一戸建てに住んで月の電気代が500円! 読む前はさぞ極端な本かと思っていましたが、いやどうして、日々の暮らし・子育てについてまっとうで、勉強になる内容でした。
<子育てにお金をかければ、その分立派な大人になるかというと、そういうわけでもありません。子どもは敏感で「どれだけ手をかけてもらったのか」を感じるものです。お金を否定するわけではありませんが、お金をかけるより手間をかけてあげたいのです。><勉強や英会話よりも大切なのは自分で生きる力です。>・・・本当にそうですね。さくら文庫に入れておきますので、ぜひ皆さん読んでください。

カナコさんは<余分なお金が連れてくるのは贅沢さではありません。悩みや心配を連れてくるんです。>と言っています。わたし、やっぱり(うーん)、3百万円は要りません!

Posted at 2013年07月08日 13時49分31秒  /  コメント( 0 )

(2013年6月)                     アンネのバラ


 垣根に公園に色とりどりのバラが咲き乱れて、5月はバラの季節でした。

園の玄関にも紅いバラがたっぷり飾られていましたが、これは保護者のTさんが毎年お庭から持ってきてくださるものです(3人目のお子さんがついに年長クラスなので今年が最後のバラになると思います)。

 実はいま「アンネのバラ」の苗を園に頂けるかどうか、抽選の結果を待っているところです。
 ゴールデンウイークに茨城に住んでいる中学時代の友人から電話があり、「アンネのバラ」のことが地元の新聞に出ていると教えてくれました。

 アンネ・フランクは1944年8月、第二次世界大戦でナチスに捕らえられ、ベルゲン・ベルセン強制収容所で15歳の短い命を落としました。不自由な隠れ家生活で綴ったのがアンネの日記です。 日本で初めてアンネの日記が出版されたとき、私たちは12歳でした。アンネ・フランクが日記を書き始めたのは彼女の13歳の誕生日。友人も私も同年代の少女の率直な文章にすっかり魅せられて、顔を合わせるとアンネのことばかり話していました。でも年が13歳から遠ざかっていくにつれ(もうかなり遠くになりました)、アンネを思い出すことも少なくなっていたところでした。

 ファックスで送ってもらった記事には<「アンネのバラ」は、強制収容所から生還した父・オットーさんが、バラが好きだった娘をしのび、ベルギーの園芸家に作ってもらった品種で、茨城キリスト教学園が毎年接ぎ木で増やし、苗木を県内外の幼稚園や小中学校などに贈っている。バラを育てることで「命の尊さや平和の大切さを知ってもらいたい」と今年も希望団体を募っている。>とありました。 希望が多数の場合は抽選によるそうなので(私のくじ運の悪さは自分でも感心するほどですし)、今年は苗を頂けないかもしれませんが、いつかは保育園の庭でアンネのバラを育ててみたいと思います。

日記のなかの彼女の訴え─
  「もし、神様が私を長生きさせてくださるなら、私は世界と人類のために働きます。
   戦争がなんの役にたつのでしょう。なぜ人間は仲良く暮らせないのでしょう。」
─を、バラを見るたびに思い出せるように。




Posted at 2013年06月24日 10時15分41秒  /  コメント( 0 )

(2013年5月)                商店街を歩きながら

 がんばって歩くようにしています。家と保育園は約2キロ、往復歩くとちょうどよい運動・・・なのですが、つい風が強いから、雨がひどいから、荷物があるから、と車になってしまいます。
 
かつて「趣味は山登り」という頃があって、寝袋を入れたリュックを背負い屋久島の宮之浦岳に登ったり(オー、あれから41年もたちました! 世界遺産になって観光客でにぎわう今の屋久島からは考えられないくらい静か何もないところでした)、南アルプスの赤石岳から3000メートル級の山を三つ越える縦走をしたわたしの健脚はどこへいってしまったのでしょう? そうそう、北海道のニぺソツ山にもテントを持って登りました。鋭角的な山容の美しさと激しいアップダウンで知られる山で、標高が2013メートル。つまり今年が標高年なので、登山者が例年になく多いそうです。また登ってみたいなあ。
 
歩くことからついついはなしが横道にそれてしまいました。わたしが毎日歩いて通勤していて感じることを今月はお話ししたかったのです。
わが家から園まではJR新秋津駅の前を通ります。ご存知のように新秋津から西武秋津駅までは商店街を4〜5分歩きますが、この道の両側は食べ物やだらけ、それもチェーンのお店だらけになっているのに気付いてびっくりしました。丼物、とんかつ、カレー、おむすび、ラーメン、そば・・・24時間営業をうたっているところもあります。
秋津って、これだけの店がみんななりたつほど「食べる人」がいるのでしょうか?もちろん住人ではなく通過する人たちを相手にしているのでしょうが、それにしてもたくさんすぎると思うのです。朝早くから牛丼をかきこんでいる若い人は夜勤の帰りなのか、背中がどよんと疲れて見えます。

のしお保育園が開園した32年前は、園が開いている時間は7時半から18時まででした。しかも17時から18時は「特例保育」時間でした! 日本の30年間の変化は秋津の駅前通りと保育園の時間に表れている・・歩きながらため息をついております。

Posted at 2013年05月07日 11時04分08秒  /  コメント( 0 )

(2013年4月)                   すごくうれしいこと

 電話をもらったときから予感があったのですが、お母さんといっしょに玄関を入ってきたときのTくんの嬉しそうな顔を見てわかりました、志望高校に合格したんだな、と。Tくんは合格発表を見たその足で来てくれました。K應志木高校に受かって、大学では法学部に進みたいそうです。すっかり大きくなって、隣にならんだ元担任のJさんがちいさく見えます。

面接のとき、試験官の先生から「合格したら何をしますか?」ときかれて、Tくんは「保育園にあいさつに行きます」と答えたそうです。 そう答えたTくんも、合格にした学校も、なんて素敵なのでしょう! 私はK應のファンになりました。

3月22日、姉妹園の豊玉第二保育園の年長クラスが「のしお」にやってきて、ポニーと一緒に空堀川へ散歩に出ようとしていたときです。卒園生Yくんがおばあちゃんと一緒に現れました。この1年浪人生活をするのが決まった報告と、どうしてもW田大学に入るのだ、という決意表明に。 前の日の夜に「保育園に一緒にいこう」と電話があったんですよ、とおばあちゃんは自分の2倍くらいの背丈になったYくんを見上げてニコニコしています。私も、もう18年も前のことになるのですねえ、つぼみ組に入園が決まったYくんのことが心配で長文のお手紙をいただいたのは・・・とお話ししました。

合格の報告を聞くのは、とてもうれしいことです。浪人が決まったと報告に来てくれるのは、保育園としてはすごくうれしい、です。人生の節目のところで思い出してくれて、ありがとうYくん。この1年しっかり勉強して、来春の朗報を待っていますよ!

Posted at 2013年04月10日 16時28分50秒  /  コメント( 0 )

(2013年3月)                   カキ氷が好き

 3月に卒園するゆり組さんには、この号が最後の「えがお」になります。
 この2月にもたれた最後の懇談会で「7月の夏まつりは全卒園生にお知らせを出しますので来て下さい」とお話ししたら、20年も前の夏のことを思い出しました。

 夏まつりの準備を手伝ってくれる中学生いませんか、という呼びかけに、すぐ応募してくれたのがWくんでした。第一回の準備会で、彼は「模擬店でカキ氷をどうしてもやりたい」と言いました。なぜなら「カキ氷が大好きだから」。機械も持っている、ビッグサムの広告を見て朝から並んで買ったというのです。その熱意にみな圧倒されて、カキ氷の模擬店は決まりました。会議のあと、給食室を見ておきたいとの申し出でご案内しました。 冷凍庫はこの大きさなのですね、フムフム、─ 真剣にチェックするWくんに、どんなすごい機械を持っているのだろうと期待が高まり、次の会議は実際にカキ氷をつくってみることになりました。
その当日、彼が大事そうに風呂敷から出したのは小さな家庭用カキ氷器! それから大人は大あわてで業務用の機械の手配に走り、夏まつりにはカキ氷の模擬店は長い行列ができる人気でした。(Wくんは大型機械で氷をかき続け、あまりの大変さに「もういい」という感想でした。)

 あの頃は中学生も今ほど忙しくなく、準備会で集まったり、ちょこっと時間があると園に寄って宛名書きを手伝ってくれたものですが、いまはみんな部活に習い事に塾にと大忙しで、事前の会議がもてなくなりました。でも夏まつりの日には中学生が必ず早めに来てくれ、模擬店の番をかってでてくれます。
   
 4月からは、ゆり組のみんなも卒園生。夏まつりは、のしおのホームカミング・デイ、待っていますよ!

Posted at 2013年03月13日 15時41分02秒  /  コメント( 0 )

(2013年2月)                    アンナ・カレーニナ

 もうだいぶ前のことですが、日暮里の小さなお店でロシア文学科の小さな集まりがあるから顔をださないか、と言われて、出るかでないか迷った末に参加した夜、私はすばらしいものを聴きました。

 久しぶりに会う先輩たちは、大学で露文を専攻する学生がどんどん少なくなって失業の危機だよ、と話していました。とっくにロシアから離れて保育の仕事をしていた私にはなんとも場違いな雰囲気で、来たことを後悔しかかったときでした。「ぜひ!」と声があがり、ひとりの女性がカウンターに入って「では、アンナ・カレーニナを」と語り始めたのです。

 トルストイの小説アンナ・カレーニナは
  幸せな家庭はみな似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。
という書き出しがあまりにも有名です。舞台は1870年代のロシア。美貌の人妻アンナが若い貴族の将校と恋に落ち、夫と息子を捨てて彼のもとに走ったものの、社会から孤立し、相手の愛情にも疑いを持つようになり、最後は列車にとびこんで自ら命を断つはなしです。(文庫本3冊にもなる大長編を、3行でまとめるなんて無謀もいいところで本当のアンナ・カレーニナは、それは奥の深い小説です。)その晩、私たちの前には雪のサンクト・ペテルブルグがひろがり、絶望によろめき歩くアンナの姿がありました。

 長い小説をひとりで語りきった重本恵津子さんという先輩の名を、最近新聞で目にしました。2006年に蜷川幸雄さんが主宰する高齢者劇団「埼玉ゴールドシアター」に入団し、現在まで女優として活躍。5月にパリで行われる公演には86歳で参加ということです!

 保育園の保護者の方たちの年代というのは、悩みや迷いが多く、若くてエネルギーのある分とりかえしがつかなくなる道に踏み込む(アンナのように)危険性もあるのではないでしょうか。みなさんに重本さんのアンナ・カレーニナを聴いていただけたらなあ、と思います。

Posted at 2013年02月06日 10時14分19秒  /  コメント( 0 )

(2013年1月)                   マレーシアの旅

 マレーシアに行ってきました。3.11の直後に「家族みんなでこっちにおいで!」と電話してくれた李さんのところに、半世紀前から李さんを知っている学生時代の仲間6人で行ってきました。クアラルンプールに滞在したのは3日間だけでしたが、私にとっては初めての東南アジアでした。

 李さんの息子がずっと案内を買って出てくれました。彼は日本の大学を卒業しているので日本語はペラペラ(「どうしてこうなったダー?」「わたし知らないダー」となぜか「ダー」はつきます)、祖父の代からの華僑なので中国語が母語。ほかにマレー語、英語が自由に話せます。

 彼が1年前に購入した家に皆を招んでくれました。3階建てのジャグジーつき、部屋もたくさんで、わが娘一家4人が暮らす練馬の2LDKのマンションとは比較にならない広さ!リビングには2歳から78歳まで我々のために集まってくれた総勢20人以上のファミリーの笑い声がひびきわたります。その中心に李さんがいます。ひとりで日本に留学した李さんが故国に帰って築いたファミリーは、暖かくて、つよくて、李さんの人柄そのものでした。

 石油が採れるマレーシアの経済発展はめざましく、高層ビルが続々建っていきます(地震がないのはなんとうらやましいことでしょう!) この半世紀の日本とマレーシアの変わりようを思い、学生だった自分たちが「いつのまにか」孫のいる身になったのに驚き、李さんに「20世紀から21世紀になったよ、1世紀も過ぎたよ!」といつも笑われていたマレーシアに行く約束が果たせた、よい旅でした。

Posted at 2013年01月11日 16時16分58秒  /  コメント( 0 )

(2012年12月)             英会話よりも・・・

 「お母さんと話したい子が結婚して、うちのが結婚式に出ました」卒園生のTくんの奥さんが教えてくれました。「えーっ、Mくんが結婚?!」びっくりしたものの、よく考えたらTくんと同じ年のMくん。Tくんにはこどもがいるのですから結婚式をあげても何の不思議もありません。でも、私には「アカイブーブー」と、木の小さな赤い車のおもちゃをありったけ布の袋に入れていつも持ち歩いていた、つくし組のときのMくんの姿がどうしても浮かんできてしまいます。

 そのMくんが小学校2年か3年のときでしょうか、お母さんが保育園に来られました。「聞いてください。いまMと英会話の体験教室に行ってきたんです」お母さんの目が少しうるんで見えました。「わたしはMに英会話を習わせたくて。それで授業をみてからMにやってみる?ってきいたら・・ぼくはお母さんともっと話しがしたいって言ったんです!」Mくんの気持ちはお母さんに伝わりました。短いけれど彼の思いのいっぱい詰まったこの一言で。
 
 去年、同期のTくんが、生まれてくるこどもを「のしおに入れたい」と奥さんと訪ねてきたとき、昔のMくんのこの話がでました。(今はとても落ち着いてりっぱな社会人になっているTくんが保育園時代どんなにめまぐるしく飛び回っていたか、たっぷり奥さんに話してあげたあとで。)夏に、赤ちゃんを抱いて奥さんひとりで来て、入園の相談といっしょにMくんの結婚のことも知らせてくれました。

 お母さんともっと話しがしたいと願っていた男の子たちは、お父さんになって、きっと日本語の会話のたくさんある楽しい家庭をつくっていくことでしょう。

Posted at 2012年12月01日 14時21分08秒  /  コメント( 0 )

(2012年11月)                    3つの歌

 映画「サウンド・オヴ・ミュージック」で雷をこわがるトラップ家のこどもたちにマリアが唄う「マイ フェイヴァリット シングス」は私の頭のなかでしょっちゅう鳴りひびく3つの曲のひとつです。はずんだリズムに伸びやかな、どこか哀しくもある美しいメロディーは、ジャズなどいろいろなジャンルでカバーされていますので耳にされた方も多いと思います。

どうしても気分の晴れないときがありますよね? たどっていけば、ああ、あのことを自分は気にしているのだ、と気づくくらいのちっちゃなこと。でも、いったんドヨーンとなった気持ちはその重みでますます下へ下へと沈んでいきます。そんなとき、この歌です。メロディーをハミングしながら私の好きなものを頭のなかで挙げていきます。

♪ 干したてのふかふか布団の日の匂い
    友からの絵葉書
      白いホウロウの容器
        サンダーソニアの花  
          日曜の朝コーヒーを飲みながら聴くバッハ♪

根がかなりノーテンキなので、待っているだけじゃなくて私から友達に絵葉書出そうかな、と缶に貯めこんでいる中からガサゴソ探しているうち気分も変わっていきます。
この歌の最後は≪犬にほえられても 蜂に刺されても 哀しい気分のときも 好きなものたちを思い出せば 元気になる≫ですが、最近夫が田舎で蜂に刺されました。大きな蜂に頭を刺されて、腫れと痛みはひどかったけれど大事にはいたらずにすみました。 人生どこに蜂がひそんでいるかわからない、歌のとおりだと思います。

“鳴りひびく”あとの2曲は「からすあっぱ」(遠野の子守りうたのなかで一番長い)と「365歩のマーチ」です。40年以上も昔、心細い思いでパリで暮らしていたころデパートにいらたと突然流れてきたのが ♪ままになる日もならぬ日も 人生はワンツーパンチ 休まないであるけ♪(作詞・星野哲郎 作曲・米山正夫)水前寺清子の歌声でした。(ささやかなJaponフェアー開催中でした。)以来かってにこれは私への応援歌と決めています。

Posted at 2012年11月02日 09時20分35秒  /  コメント( 0 )

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