社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2015年6月)              さくらグループのこと

 5月のある木曜日の夜7時、消費者センターの3階に人が集まってきました。皆、清瀬市内の保育園で仕事をしてきた栄養士、調理員、保育士たちで、園長も二人います。それぞれの前にはお皿が1枚。お豆腐とヨーグルト、食パンのきれはし、マシュマロ1個が乗っています。変な組み合わせですが夕食ではありません。研修のための学習材料です。
「さくらグループ食事研究会」といって清瀬市内の保育園給食に携わる職員を中心にした会の、その夜は<離乳食の理解と進め方>の研修でした。講師は管理栄養士の松本先生。
実は先生が体調を崩されて、ここ2年間勉強会が開かれていませんでした。すっかり恢復され久しぶりの研修です。「さくらグループ」が清瀬に発足したころには、まだ小学生だった(!)新人の栄養士や保育士のちょっと緊張した顔もみえます。

 絹ごし豆腐をスプーンで自分の口に運び、まだ歯がはえていない赤ちゃんがどのように食べ物を舌でのどの奥に送っていくのか実感します。
唇を閉じて飲み込むって、これがけっこうむずかしい。当たり前のように噛んで飲み込んでいますが、その陰には乳児期の奮闘努力があったのだと今にして自分で自分をほめてあげたい。そして、育てる側としては子どもの機能に合わせた働きかけをしっかりしなくてはと、食パンのちっちゃなきれはしを水分無し、噛むのも無し、で上顎で押しつぶしてゴックンするのに目を白黒させながら思ったことでした。

 おいしく味わって食べることは、心を豊かにします。味覚形成面から重要な幼児期、特に離乳期から多様な食体験を経験することが必要─と松本先生のお話しは9時まで続きました。
清瀬で公立、民間の保育園職員が一緒になって「食べる」ことについて勉強する会がずっと、淡々と、持たれているのは、なかなかのコトではないのかな。その会を主宰しているのが(尊敬する松本先生を講師にお呼びして)、のしお保育園の管理栄養士の早川さんだというのは素敵だな、と思いながら夜の道を帰ってきました。  

Posted at 2015年06月23日 12時16分15秒  /  コメント( 0 )

(2015年5月)             金町と松谷さんのこと

私が育ったのは葛飾柴又帝釈天まで江戸川の土手(どて)つたいに歩けば10分ほどの金町というところです。その町に1946年にできたのが金町保育園、わが実家です。

戦争が終わった直後のことで、現在から考えられないくらい何もかも無い時代でした。テレビも、冷蔵庫も、車も、洗濯機も、食料も、着るものも、なかった。特になかったのが住むところでした。戦災孤児たち(いまワードでセンサイと打ち込んだら“繊細”がでてきました。戦争は遠くなってしまったのですねえ。)が浮浪児と呼ばれて、上野の地下道で暮らしていました。児童施設や児童福祉法がまだなかった時代です。

どんなにバラック建てであっても保育園は、一応雨露しのげる空間があります。そこをめがけて、様々な人や団体がやってきました。一時は小学校の用務員のおじさんがいました。玄関を入ってすぐの保育室に布団を敷いて寝て、朝早く学校に出勤していました。それがある日、校長先生と教頭先生が父のところに来ていて(PTAの会長だったので相談があったのでしょう)、帰りがおじさんの就寝中になりました。二階から降りてくる足音や話し声で事態を察したおじさんは・・・とっさに手ぬぐいを顔にかけたんだよ、と後で父が繰り返し言い、気転がきくねえ、と感心していました。自分たちのプライバシーなんて考えず、困っているひとに寝場所を提供し続けた父と母でした。

松谷みよ子さんは実家の近くで人形劇団を主宰していました。早朝仕事に出かけるときには、まだ小さかった長女のたくみさんとお弁当箱(朝食用)を私たち家族の腕に押し込むようにして走って行かれました。

夜や日曜日には園のホールが劇団の稽古場になり、演出をしている松谷さんのおつれあいに電話がかかってくると、二階の自宅から下まで呼びに行くのが私の役目でした。よくも固定電話ひとつだけですべての用事が足りていたものと、今はびっくりします。

のしお保育園に講演に来てくださいませんか、とお電話したとき「金町保育園でたいへんお世話になったから(私ではなく父母ですけれど)、行かない訳にはいきません」とお忙しい中を秋津まで来てくださった松谷さん。 2月末に89歳で亡くなられました。松谷さんと一緒に私の金町時代の日々も、はるかかなたになってしまった気がします。 

                                     

Posted at 2015年05月01日 16時17分58秒  /  コメント( 0 )

(2015年4月)               ホトモ・ママトモ

 卒園を祝う会の前日、小学校の卒業式を終えたばかりの卒園生がそろって保育園に来てくれました。男の子4人、女の子2人、それにお母さんたち。上がってもらって「はらっぱ」でしばらく話しをしました。いや、話しを聴きました。
男の子のひとりKくんが、早口で次から次へといろいろなことを話してくれるので、もう面白くて、職員は笑い続けでした。

Kくんはこれから行く中学校や高校はとびこえて、今から大学について熟慮しているようで、ほかの子たちへも「○○大医学部へ入るんなら英語やっとかないとな!」とハッパをかけていました。そこは超難関校ですが、彼の言い方は「みんなで中央公園に行こうよ」と言ってるみたいで、おかしかったです。これから中学生という年代のこども達って、保育園の小さな人たちとはまた違うかわいさがありますね。

「のしお保育園から一緒だったみんなはずっと仲がいいんですよ。いつもこうして集まっています。」とお母さん達が教えてくれました。長いひとは0歳から12年ものつきあい─きっとこの先も仲良くしていくことでしょう。
卒園してからもう20年、30年たった元ゆり組のひとたちも、いまだに連絡をとりあって「のしお夏まつり」に一緒に来てくれたりします。今年卒園したゆりさんもこんなふうにみんなで保育園に来てほしいなあ。

そういえば、「もとゆり」のある年度は毎年集まってきたけれど、こども達が就職してどんどん忙しくなってきたので、お母さん達だけで「もとゆり会」をすることになったと聞きました! 
わが子がおむつをしているころから一緒の「ママとも」あってこそ、こども達の「保とも」(ホトモ=保育園友だち、のつもり)なのだと思います。 

在園児の保護者のみなさま、どうかのしお保育園でたくさんお友だちをつくってくださいね。大人もこどもも一生の友ができるところ、それが保育園─でありたいです。


 

Posted at 2015年04月01日 09時39分57秒  /  コメント( 0 )

(2015年3月)       やっていくんだよったら、やっていくんだよ! 

                
 園だより「えがお」はもう今年度の最終号! 廊下のウオール・ポケットから「えがお」を取るのはこの号で最後、というゆり組の保護者のみなさん、長い間読んでいただき、ありがとうございました。

  実際には3月26日の卒園を祝う会まで1か月近くあるのですが、3月という月は誰にとっても忙しく、1月はイク、2月はニゲル、3月はサル、と言われるアッと言う間に去っていく月ですものね。

  父が保育園、母が幼稚園の園長という家庭に育った私(および妹弟)には3月はひどい月でした。母は身体がもともと丈夫ではなかたのですが、2月から3月にかけて体調を崩し入院になることがよくありました。私の都立高校受験の朝は父が送ってきてくれましたし、大学の合格発表のあと報告に行ったのも母の入院先だったと思います。こどもの立場のときは、母が家にいなくてもけっこう淡々と受けとめて受験に臨んだ(気がする)のですが、母はさぞ病院で心配だっただろうなと自分が親になってわかったことです。 
  

 忙しい年度末、読むとホッとして肩の力がぬけるような本があります。園の「さくら文庫」にもある「エーミールと三人のふたご」(エーリッヒ・ケストナー作・池田香代子訳・岩波少年文庫)です。主人公の男の子エーミールのおばあちゃんがステキなのです。特にその言葉づかいが。

「まだぜんぜん決まってなんかないったら、ないんだよ」

「はっきり言わなくちゃならないんだよったら、ならないんだよ! だれかが口にしたがらなかったら、だれかが大げさに言わなければならないの」

「・・とっても愛しているのに、相手を誤解していた。人生はそんなものだよったらそんなものだよ」。

くわしくはぜひ読んでみてください。

・・・こんなふうに、自分のよろこびのために役立つならしあわせです。けれどもほかのよろこびのために自分は哀しみを受け入れなければならないとしたら・・・この問いがエーミールに、母さんに、おばあさんに、そっとため息をつかせます。それぞれがたったひとりになったときに。エーミールはひとり心の中で思います。
「人生って、つらいときがあるもんだ」
・・・エーミールにとってはきびしいけれどこれしかないという助言をしてはげましてくれるおばあさんがいたのはほんとうにいいことでした。(本文より)

私は自分がおばあさんですので自分をはげまさなければなりません。
「年度末は疲れるものだよったら疲れるものだよ」
「だからよく寝て笑ってやっていくんだよったら、やっていくんだよ!」

Posted at 2015年02月27日 15時52分27秒  /  コメント( 0 )

(2015年1月)               運がよくなるには

 「夫婦脳−夫と妻心は、なぜこうも相容れないないのか─」(新潮文庫)を3年前に読んで、長年の疑問が解けたのが3年前。繰り返される夫婦の擦れ違いは、男女の脳のしくみのせいだったのですよ。

ひとは生体としての反応のタイプが違う相手に魅かれるようにできていて、それは出来るだけ多くの免疫種を子孫に提供した方が生存可能性が上がるからだそうです。つまり、夫婦というのは、どちらかがせっかちなら、どちらかがおっとり、どちらかが寝つきがいいなら、どちらかが不眠気味・・・という組み合わせで出来ている。バン!と大きな音が立てば、どちらかがしゃがみこみ、どちらかが逃げ出す(片方は生き残る)。そんな反対なタイプを「あばたもえくぼ」で気にならないのは約3年間、あとは相手がどうにも理解できないで苦しむのが夫婦というものです、というのは著者の黒川伊保子さん、脳科学とことばの研究者です。

黒川さんの本は愛情たっぷりな文章で脳のしくみについて書かれているので、面白くて身につまされます。ひとり息子がウッソー!というくらい素敵に育って20歳を迎えたのが「運がいいと言われるひとの脳科学」(新潮文庫)に書かれていて、私だって娘じゃなく息子だったらこんな母親思いのヒトに育てられたかも・・とは思うのですが、やはり無理でしたね。脳について知識があり、それをわが子を育てるのに活用するなんて、まったくできていませんでしたから。

その「運がいい・・」にセロトニンというホルモンが出てきます。しみじみとした、穏やかな達成感を感じやすくさせる、天然の抗うつ剤とも呼ばれるホルモンだそうで、睡眠中に「これは覚えておくこと、これはいらない」と脳が仕訳する(というのは聞いたことがあります)のにも関与するのだそうです。

詳しくは本を読んでいただくとして、「穏やかな感激屋で、好奇心と意欲に溢れ、直観力があり、あっけらかんとしている」のがセロトニンがつくり出す意識だそうですから、のしお保育園としてはぜひぜひみんなにそのような脳の持ち主になってもらって、強運な人生を送ってほしいと新しい年にあたって願わずにいられません。

わたしも2015年は夜たっぷり眠り、朝日にあたって、脳内のセロトニンの充填に努め、あまりにも違いすぎる夫にキレずに、しみじみ穏やかにいきたいと思っています。

Posted at 2015年02月27日 14時34分11秒  /  コメント( 0 )

(2014年11月)                だし依存症?

<人間は、美味しいものを食べると幸福感に包まれます。お腹がいっぱいなのについつい食べすぎてしまう場合もあります。これは、脳が快感を感じているからです。

現代の日本の食で流行のファーストフードのハンバーガーや甘いお菓子など、油分や砂糖が多い食べ物は、脳が「美味しさの快感」を感じるということが分かっています。快感が繰り返されるとやめられなくなってしまい、ストップが効かなくなるのです。
日本の食の欧米化で、脂っこいものや糖分が多すぎる食事に変化し、糖尿病や高血圧などの生活習慣病も年々増加してきています。

しかし、日本で和食を作る際に必要な「だし」にも脳に快感を感じさせ、やみつきにさせる効果があるのです。ネズミで調べた研究結果で、油に対するネズミの執着心はきわめて高いが、ネズミは砂糖と同じくらいだしに対しても執着していることが研究でわかりました。油や砂糖の取りすぎで起こる生活習慣病を防ぐことは、なかなか難しいことです。

しかし、だしならば油や砂糖に対抗できるので、健康維持のためにはだしのきいた日本食を見直すことが大切です。昔の日本は、ごはん・みそ汁・お漬物・煮物やお魚が一般的な食事でした。ここ最近の日本は食が欧米化し、お米よりもパンを好む者が増えてきています。パン食だと、つけあわせはソーセージ・ベーコン・バターや甘い飲み物など、どうしても脂肪や砂糖の摂取量が多い食事になってしまいます。

ごはんが中心になると、だしのきいた野菜の多い副菜が多くなるので、脳は満足し、バランスのとれた食生活にもつながっていくのです。だしは、高い満足感をあたえてくれます。だしを好きになることは、お米を食べることにもつながります。健康的な食生活を営むためにも、幼少期のころからうま味のあるだし・伝統的な日本の和食を食べさせ、次世代につなげていくことが大切です。>

上の文章は私のではありません。
キッチンの新人栄養士さんが参加した給食担当者講習会での講師:京都大学大学院 農学研究科教授 伏木 亨 先生の「人間は脳で食べている」のお話しの要旨です。

これで私が4月にインフルエンザにかかった時「どうしても茶碗蒸しが食べたい!」と熱でフラフラしながら「だし」をとったのか、我ながら不思議な行動の意味がわかりました。ネズミのように執着していたのですね。

若い栄養士さん(勤続32年の管理栄養士さんだって私よりずっと若いのですが、この場合は相対的に)、の感想は次の通りです。

<この研修に参加し、のしおの給食はいい献立なのだと改めて感じました。幼児期の食生活は大人になってからの食生活の基盤となるものなので、これからも、ごはん・みそ汁・お漬物を中心とした和食の食事を提供していき、子どもたちに喜ばれる食事をつくっていきます。>

Posted at 2014年11月06日 15時01分15秒  /  コメント( 0 )

(2014年10月)                  木曾の御嶽山

 前とは違ってしまった、と感じてはいましたが、御嶽山の噴火のニュースを聞いた時に「これからはいつどこで何が起こるかわからない」とはっきり思いました。
火山性地震が多くなっていたけれど噴火の前兆とは判断し難かった、と気象庁がいうのですから火山だらけの日本はどれほどの危険に囲まれているのか・・。
噴火を知ってしばらくしてからアッと思いました。私の頭のなかでここのところ鳴り響いていたのが「木曾のおんたけさん」の唄だったからです。「木曾のなー なかのりさん 木曾のおんたけさんはナンジャラホイ 夏でもさむーいよ、ヨイヨイヨイノヨイヨイヨイ」時には口ずさみながら自分でも「なんでナンジャラホイなんだろ?」と思っていたのです。

 
 もし私が今までに予知をしたことがあったとしたら、これはナニカかもしれません。でも残念ながら過去に一度もそんなことはなく、逆にみんなが感じる気配もわからずに後になって驚いたり、はしょっちゅう。としたら、と思い当たるのは9月14・15日の連休のことです。
娘一家と長野に行き、蓼科の展望台から山を眺めました。天気がよかったので南アルプスから中央アルプスまで見えました。夫が右手の前方を指して孫たちに「あれが御嶽山だよ」と言った・・思い出しました。昔登った鳳凰三山や甲斐駒ケ岳、遠くに槍ヶ岳、穂高も見えたのに、それらは唄がないので「おんたけさん」に私の音楽ココロ(?)が反応したのだと思います。

 
 気持ちのよい青い空がひろがっていて、紅葉がいちばんきれいな時の山頂で突然起きた噴火、子ども連れの登山者もいたようです。どんなに恐ろしかったことでしょう。そしてこの災害から私たちは何を知り、考えていかなければならないのか。
 「自分の身は自分で護ってください」と火山学者がテレビで繰り返し言っています。「想定はできないのです」と。これほど自然の活動は人知を超えているのですから、その上原発を稼働するのは子ども達のために絶対よくない、と私は思います。

Posted at 2014年10月10日 08時11分15秒  /  コメント( 0 )

(2014年9月)                 さようなら大きな石


 園のななめ向いの大きな邸宅(小さな邸宅はナイのですが)の取り壊しが始まりました。
 その家は今から36年前に、初めて私が保育園予定地を見に葛飾区からはるばる来た時にもうデーンとありました。一緒に来た母が「近くにこんな立派な家があってよかった」と感激の声をあげたくらい、大きくて広くて立派な家でした。

 私の母はリッパ、チャントシタ、ブランドといった類のことが好きでシンプル、ヤスイ、キラクが好きな父とはこの点で、笑ってしまうほど合わなかったです。父の血をひいたのでしょう、私はブランドじゃなくても使いやすいのがいい、安くたって着やすいのがいいわ、と母の忠告を無視し続けました。
 その結果、ポニーのチョコちゃんと金太郎くんを月2回連れてきてくれる吉川さんから「フィリピンの空港でにせもののおみやげ売りつけてくるひとみたい!」と(ただのおみやげじゃない、ニセモノですよ!)評価していただくくらいリッパなかっこう─短いパンツにちょっとくたびれた開襟シャツにサンダル、のどこがいけないのだろう??─になりました。

 それで邸宅の話に戻しますと、のしお保育園が開園してしばらくしてから突如その家の庭に大きな石が運び込まれました。あまりにも大きくて、東京電力が来てまわりの電線を切ってからじゃないと入れられなかった、その時の光景はまだ鮮やかに覚えています。
 大きな石はいろいろ私に教えてくれました。
     ひとが何にお金を遣うかというのは本当にさまざまだ。
     大きな石を庭に置きたいひとがいるのだ。
     それも部屋のすぐ前に置いていつも眺めたいひとがいる。 

 そのうちに邸宅には誰も住まなくなり、何年も戸が閉まったままでした。そしてついに解体が始まりました。石はあまりにも大きくて運び出すのは不可能、砕いて産廃で出すしかない(石屋さん談)そうです。跡地には戸建てが3軒できるとか。
 石のように静かで(?)何があってもじーっとそこにいた大きな石、お別れと思うとさびしくて、いつのまにか私も石が好きになっていたようです。

Posted at 2014年09月19日 15時29分30秒  /  コメント( 0 )

(2014年8月)               ことしの夏まつり

 夏まつりには毎年、卒園生のだれかしらが突然顔を見せてくれる。それがうれしい・・・
と以前書きました。今年の夏まつりもまたうれしい再会がありました。

 園庭にプールは出ていますし、人工芝の乳児園庭は使えない。それなのに、よくぞ500人も入ったと思います。職員も入れればたしかに500人くらいが暑い夕方、せまい園庭にひしめいていたのでした。

 今年とても印象的だったのは在園児、とくに年長ゆり組の楽しそうに踊る姿でした。
台風8号を心配していたのに、当日は晴れてあっつーい日になりました。Tシャツの上にハッピを着たら熱中症になるのでは、と心配するほどの暑さでした。でも、ゆり組のみんなは前奏のあいだ太鼓を左手に持ち、バチを握った右腕をまっすぐ前に伸ばして待ち「七月エイサー」を踊り始めました。日頃見たことがない(失礼!)きりっとした顔をどのひともしていました。 「しちがちエイサーまちかんでいー」の歌詞のとおり、この日を待ちかねていたという表情があふれていて、見ているほうも心がはずむ踊りでした。

 のしお保育園での夏の「一時保育」が今年で最後になるノエちゃんは、フランスに帰ったら9月に皆より先に1年生になります。お兄さんもお姉さんも「のしお」で踊ったエイサーを踊りきって、7年続いた3人兄妹の日本での保育園生活は終わります。(来年からは「卒園生」として夏まつりに参加してくれるそう。)

 大きくなった卒園生たちが、結婚した相手や生まれたこどもを連れてきてくれるのも恒例になりました。夏まつりが終わったあとも外でずっと話し込む今年30歳の元ゆりの同期生たち・・・24年前の卒園の時いらいのMくんは高校の先生になっていて、入園したての恥ずかしがり屋のMくんとは別人のようでした。
私たち保育士は「遠足の朝、園庭の土管のなかでハヤ弁をした」(Mくんではアリマセン)というようなエピソードを異様にはっきり覚えている人種なので、頭の中にはずっと暗がりでお弁当をかっこんでいる2歳の男の子(昔の2歳はすばしこかった!)がいます。それがスーツ姿で「せんせい、お世話になりました」と現れるともうびっくり。夏まつりのあとは浦島タロ子の心境です。

 もうひとつうれしかったのは、「発作が3年半おきてない」とSくんが報告してくれたことです。「5年おきなければだいじょうぶかな」と笑顔のSくん、あと1年半おきないように祈ってます。

 そうそう、職員のあとの保護者のエイサー素晴らしかったです。腰を低く屈むところがなんとほぼ揃っていました!継続は力なのだと第34回のしお夏まつりで深く感じました。

Posted at 2014年08月06日 11時13分15秒  /  コメント( 0 )

(2014年7月)                   なまえは生

 41歳まであと1か月という姪に初めて赤ちゃんが生まれました。日曜日にお見舞いに行くと、名前は「生(いくる)」にしたいと言います。
 「3.11から日本も地球もおかしくて何が起こるかわからない、とにかく生きていってほしいと思うから」と。
新米父さんは「女の子らしい名前がいい」と言ったとかで、姪は不満そうでした。いまもまだ決まっていませんが、私は「いくる」っていい名前だなと思います。

6月に北海道でその日の最高気温(37.7度C!)が出たり、つい先日は三鷹ですごい雹が降ったり、集中豪雨警報や竜巻注意報もひんぱんに出るなど気候がまったく以前と違ってきています。いや、今までが日本としては穏やかな周期であったので、阪神大震災からは災害のおこりやすい周期に入ったのだ、という説もあります。最近の様子からは、どうもそれが正しい気がします。
とすると、今のシニア世代(つまり私のような)はちょうど静穏期に生まれ育ち、働き、子どもを育てることができた幸せな世代であった訳です。
戦争は体験せずにすみ、若いときは日本の右肩上がりの経済成長期のなか。
 子どものころには日本中が貧しく、東京(の東のはじっこでしたが)でも七輪で炭をおこしご飯をたいていました。どの家も子どもがたくさんいて、小学校の校舎に入りきれない1年生は2部に分かれて授業を受けました。 物はなかったけれど「希望」がある時代でした。

 いまの日本がとても心配です。 姪が赤ちゃんを産んで「生」という名前を考えた─考えざるをえなかった状況です。大人たちは物にあふれた一見ゆたかな生活のなかで、子ども達に生きていくための力を伝える術を失っています。 
外国のようにファーストネーム、ミドルネームとつけられるのなら、赤ちゃんにはまず「生(いくる)」とつけて、そのあとに父さんの好きな名前をつけることができるのですが…。

Posted at 2014年07月03日 11時18分38秒  /  コメント( 0 )

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