社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2016年5月)              災害の時代に

 九州の地震は本震が前震になり、震度7が2回続けて起き、もっと大きなのが来るかもしれない、どこにきても不思議はないと言われ、いままでなかったことが次々起こっていきます。エクアドルでの大地震といい、地球全体が大変なことになっているようです。

 もう何十年も前、高校時代に古文の授業で「方丈記」を読みました。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」くらいしか覚えていませんが、前半の部分のほとんどが平安末期の京都の災厄についての記録であった、と身に染みてわかったのは東日本大震災のあとです。
大火、竜巻、大地震、飢饉が京の都に押し寄せてきて、それはすざまじい状況であったと、修学旅行で京都に行ったときにも思い出しませんでした。覚えているのは新京極の通りに「こけし」のお店があって、そこは顔を注文主に似せて描いてくれるところでした。わたしの顔をした人形をもって宿舎に帰り、友達に見せたとたん「変な顔!」と言われたショック。あわてて「ふつうのこけしと違う顔だから」と言い訳して謝ってくれましたけれど、受けた心の傷は京都と聞くたびにうずきました。今思えばその程度のことで何年も執念深く京都をうらんでいたなんて・・・鴨長明に申し訳なかったです。      

 修学旅行や観光で熊本を訪れたことのある人たちは、かつてのわたしのように<どうでもいいけれど忘れがたい>思い出があるのではなでしょうか。お城の石垣で写真を撮っていたら通りがかった素敵なひとが「撮りましょうか?」とシャッターを押してくれた。南阿蘇村の古民家の庭にきれいな花が咲いていて「こんな所に住みたいなあ」と思った。・・・そんな思い出が消し飛んでしまった大地震。まして住民にとっては、避難所の不自由な暮らしのなかで一体何が起きたのか、まだ定かには実感されないのではと思います。活断層だらけの日本、いつどこで大地震が起こっても想定内という国にわたしたちは生きているのですから、あたりまえの日常が実はすごく貴重な大事なものと思えます。園庭でお餅をつくこと(小雨が降ってしまったけれど)は「恒例の行事だから出来て当然」ではないのですね。                             

 平安末期と同じような災害頻発期に入ったという日本の、まさにその時代を生きていくこども達のために、活断層の動きを予知するのはむずかしくとも、せめて原発を稼働しないようにしなくては。 
     

Posted at 2016年05月11日 14時03分38秒  /  コメント( 0 )

(2016年4月)               ああ、3月!

3月は保育園にとって忙しい月です。ことに3月の下旬は、卒園と入園の準備が同時進行なので、それは忙しく目が回るようです。
卒園証書(担任がひとりずつについて書いた文章の)を作りながら、新入園児のマークを刺繍する。卒園文集を製本するかたわら全員新入園児のつぼみ組の担当を考える─という訳で、思い出すのは15年前の西武線の“世紀の”高架化工事です。

2001年3月3日の夜、練馬〜中村橋の間の、西武鉄道が目白通りと交差する場所でした。終電から始発までの4時間以内でという時間制限つき。日本に4台しかない重機の3台までがここに集結したという難工事で、マスコミも野次馬もたくさん来ました。あれからもう15年もたったのですね。

この工事は土木学会技術賞を受賞したそうですが、保育園は誰に注目されることなくもちろん表彰もされず、毎年3月の同時進行作業を行なっています。

幼稚園や学校には春休み、夏休みがありますが、保育園はありません。それで例年こんな難工事なみのスケジュールで卒園と入園を平行して準備していく訳です。開園の時からいる私にとって34回めのことでした(初年度は卒園児がいなかったので)。
思い出すのは3月になると体調を崩す母のことです。父が保育園、母が幼稚園の園長でしたから二人そろって病気になっても不思議じゃなさそうですが、毎年、具合わるくなるのは母でした。年子に近い3人のこどもを抱えて、当時はめずらしかった共働きをするには、どうしても女性に負担がかかったのだと思います。高校も大学も入試の結果を報告に行ったのは母の入院先でした。

保育士不足が問題になっています。給料が低いから保育士のなりてがない、と言われています。保育士はいまの倍くらいの給料でいいと私は思っていますが、問題はお金だけではない気がします。日本の社会の働き方にあるのではないか、と。働くお父さんお母さんを支える保育園の仕事は、時間的にも精神的にもハードになっています。せめて3月のおわりに保育園がいっせいに休める社会だったら。そのゆとりが保育の仕事につこうという人の背を押すはず、と私は思います。

Posted at 2016年04月06日 14時15分37秒  /  コメント( 0 )

(2016年3月)              団地の皆さん ありがとう


 2月のいまにも雨が降りそうな空もようのなか、練馬から豊玉第二保育園の年長組「ひまわり」さん16人がのしお保育園に到着しました。今年は、のしおの年長「ゆり」さんも同数の16人、ポニーといっしょに空堀川の河原まで行って遊ぶ計画をたてていました。
あいにく北風の吹くさむーい日でしたが、両クラスとも欠席するひとナシ。どちらの園にも行っているチョコちゃんと金太郎くんの手綱を交代でひきながら、志木街道を渡って行きました。

保育園の園庭では狭くて、ポニーが全力で走ることができません。ふだんは、こどもたちを乗せて静かに歩く2頭ですが、馬が本気で走ったらどんなに速いか、どんなにかっこいいか、実際に見せたいと馬主の吉川さんも、私も願っていました。

皆が息をひそめて待っていると、金太郎くんの姿が遠くから迫ってきました。ずんずんずんという音とともに目の前を、茶色くて首の長い金ちゃんが疾走していきました。あっという間でした。

それから恒例の「ひまわり」「ゆり」対抗のリレーが始まりました。アンカーはポニーと大人です。距離をたっぷりとったので、みんな必死で走りました。○○ちゃーん!がんばれえ! 応援の声が広い河原にひびきました。

川の近くの家の人から、のしお保育園に「うるさい」と電話があったと私が聞いたのはリレーの後でした。(人間ポールとして折り返し点に立っていました。)
30人のこどもたちの叫び声はたしかにうるさかったろうと思います。同時に保育園の団地に住んでいる方たちは、よくぞ何も言わずに毎日我慢してくれているな、と思いました。

25年前、ピアノの音のことで3号棟の方から電話がありました。以来、夕方5時半以降はピアノを弾かないことにし、声のことも含めてその後苦情はありません。
今回のことで、それは当たり前のことではなくて、団地の皆さんの理解と忍耐あってのこととわかりました。皆さんに感謝の気持ちをあらためて伝えたいと思っています。


                  

Posted at 2016年03月07日 10時41分27秒  /  コメント( 0 )

(2016年2月)               やめないで!

Aさん(もう卒園した方です)のお母さん(園児にとってはおばあちゃん)がある日突然、時間や場所などがわからなくなり、迷子になるということが起きました。
お正月あそびの日に保育園で待ち合わせていたのが、時間になっても現れず、実家に電話をするとお父さんが「とっくに出ている」─ というのが発端でした。
 そして半年後の園の夏まつりの日、お母さんの認知症がどんどん進行していくのがつらく、自分が仕事をやめて介護していこうと思っている、とAさんが話しているところへ先輩お母さんが来ました。「だめよ、ぜったい貴女が仕事をやめちゃだめ!お金がかかるのはこれからよ。入院したりしたらすごくお金がいるし、自分に収入があるのとないのじゃ全然ちがう。とにかくここはやめないで!」
 大きい人から保育園児まで4人の子どもを育てながら働き続けているセンパイのことばは、迫力がありました。
 
 お二人ともお子さんたちが卒園して今はたまにしかお会いしませんが、Aさんは元気に仕事を続けています。
もし、あの時のセンパイのアドバイスがなかったら・・賢明なAさんのことですから同じ結論になっていたかもしれませんが、それにしても、わがことのように親身に「やめちゃだめよ!」と言ってくれる保護者仲間がいてよかったと思うのです。

 家庭によって事情は様々ですし、何が何でも働かなくてはいけない、と言うことはできません。が、常勤的な仕事に現在就いている場合は<辞める>のは最後の選択肢に、と思います。日本の非正規雇用の割合は4割に達しています。一度やめて再び正規雇用になるのは、しっかりした資格やよほど高い能力をもっている人以外は難しいのが現状です。
 
小さな子どもがいる人は、いえ、日本中の働く人の労働時間がもっと短ければ。
 賃金面で女性が低く設定されている(保育士がそうです)現状が改善されたら。
 ・・条件が今のままで仕事を続けるのは本当にきびしいけれど、やめると決める前に保育園の仲間に相談してみましょう。Aさんのように園の行事がお役にたてれば幸いです。

Posted at 2016年02月08日 12時02分11秒  /  コメント( 0 )

(2016年1月)             共働きと愛情

 今年も保育園に見学の方がたくさんみえました。赤ちゃんをしっかり抱いて、とても緊張した顔で園内を見て歩く方に「こんな小さいひとを保育園に預けるのは心配でしょう?」と声をかけると、どなたも正直に「はい」と言われます。
そりゃあそうですね、おうちで朝から晩まで一緒にいて、眠いのではないか、お腹がすいていないか、といつも気にかけていたわが子が、突然子どもたちがいっぱいいるホイクエンに毎日通うなんて、信じられないことですよね。

 今年の4月、つくしの部屋から聞こえるわが子の泣き叫ぶ声に「こうまでして仕事を・・」と涙を浮かべて立っていらしたUさん。先日「残業になりましたのでお迎え遅くなります」と電話があったので伝えに行くと、すっかり園に慣れたお子さんは「ウン」と言って遊びを続けていました。この8か月でたくましくなり、入園したてのママを求める悲痛な泣き顔はうそのよう。

 
 新聞に「共働きと愛情」という記事がありました。
引用しますと

 ─ 共働き世帯が増えているが、子どもがいる場合、後ろ髪引かれるような思いで
   働きに出ている父母もいることだろう。3歳ごろまでは母親が付きっきりで
   育てないと、子どもの発育に悪影響が及ぶという説もある(3歳児神話)。
 
   しかしデータで見ると、そのような関連は認められない。
   右図を見るならば、むしろ現実は逆ではないかとすら思われる。
   「親から愛されている」と感じている10代少年の割合だが、日本の値が他国に
   比して低いことはさておき、共働き群とその他の群で比較すると、前者の方が
   10ポイントも高いのである。

   大事なのは、接触時間の多寡ではあるまい。短時間での密なコミュニケーショ
   ン、親の背中・・・。
   子どもは、それをしっかりと見ている。─

                      日本教育新聞<数字が語る日本の教育>より




 表の棒の黒いのが両親ともフルタイム就業、色の薄いのが「その他」です。親から愛されていると感じている10代の割合が、フルタイム就業群が40%に対し、その他群は30%。子どもたちは、しっかり働きながら子どものことを大切に考えてくれる親の気持ちをわかっているのですね。

 しかし、米英独仏の肯定率が70%なのに対しあまりに低い日本、「さておき」できない気がします。

Posted at 2015年12月28日 13時57分37秒  /  コメント( 0 )

(2015年12月)               パリは黒かった


 東京の東のはずれで育ち高校、大学は都心、ここ35年間はずーっと多摩北部に住んできました(秋津って多摩北部ですよね?)。大学を出てから3年間パリで暮らしました。もうはるか昔のことで、ノートルダム寺院が真っ黒だった時代です。「きれいなパリにしよう」という市の政策で、古い建築物が砂で洗われて白くなったのですが、私は黒いほうがよかった気がします。

 パリにいて大変にうらやましかったのは地震がないことでした。いいなあ、パリのひとは出かけるとき鍋を火にかけていけるのだ、と思いました。しょっちゅうグラグラ揺れている日本では考えられないことでしたから。

 そのパリに起こった金曜の夜のテロ。劇場やレストランで銃撃され130名余りの人が犠牲になりました。この事件のあと誰かが「もう今までのように外国に当たり前に行けなくなった」と言っていました。で気軽に旅行の計画をたてて実行していたのが、身の安全を先に考えてとなると・・・たしかにこれまでとは違ってきました。

 十年以上前の旅行のとき、スーパーのモノプリに入ったとたん「バッグを開けて」と言われてひどくびっくりしました。 まわりの買い物客たちは素直に中を見せています。 えっ、なんで?とうろたえる私に目つきの鋭い警備の男性がひとこと「テロ」。
VIPが高級車で乗り付けるお店ではなく、ごく庶民的なスーパーマーケットです。オペラ座の近くという場所のせいもあったのか。かなり前からパリはテロを警戒していて、それでも今回の事件は起こったのでした。

 クリスマスのシャンゼリゼやサントノレのイルミネーションはため息が出るほど素敵でした。しかしパリ市街から少し離れた郊外に立ち並ぶ公共住宅は周囲に何もなく、四角いアパートの壁は落書きだらけ、ため息が出るほどそっけなく、わびしいものでした。そこで育った移民の若者たちのひとりが金曜の事件の主犯だったと聞きました。

 二十代の前半に日本を出て外国で暮らした経験は、私にはとても貴重でした。いまの保育園のこどもたちが大きくなったとき、行きたい外国に行ける社会であってほしいと願っています。テロと空爆、この不条理の連鎖にどう向き合っていけばよいのでしょうか。

Posted at 2015年12月04日 10時36分11秒  /  コメント( 0 )

(2015年11月)                吸い取り紙のように

 来年の保育園入園を考えている方たちの見学が増えてきました。先日、4か月の赤ちゃんを抱いたお母さんを案内していたら「子どもって親の言うことをきくものですか?」と質問されました。「言うことはききません。親のしていることは、その通りします!」と私。本当にそうなのですから。
  
 昔は“吸い取り紙がインクを吸い取るように”と言ったものでしたが、いまはインクにペンを浸して書くことなんてないので、あの独特の形をしたインク吸い取り器(?)の底に貼った白い紙がじわーっとブルーに染まるのを見ることはありませんね。私も、父親が使うのを興味津々見ていただけで、実際にはそれを使うような生活をしたことがありません。いまはボールペンに頼って万年筆でさえめったに使いません。(いばることではないのですが。)

 小さな人が自分のまわりの人の話し方や動作を“吸い取る”能力ったら、恐ろしいほどです。ドキリとしたのでいまでもよく覚えているのですが(以前にもこのコーナーに書きました)、娘が私に絵本を読んでくれると言い出した時です。
寝るまえにベッドで「かばくん」「ぐりとぐら」など読むのが常でした。静かに聴きながら眠りに入るわが子と、毎日やさしく絵本をよみきかせる母(わたしです)・・と思っていたら
「おーい かばくん、マダネナイノ? 」
「すきならすきといってくれ モーネナサイ!」
「きょうはたのしいえんそくだ、ネナクチャダメヨ!」
いちいち合いの手がはいるではありませんか。まさに私の口調、ネナサイという時に顔をぐっと向けるのは私の姿そのもの。
 毎晩いくら「寝なさい」と連呼していても、娘は寝るどころか、その親のしぐさをしっかり身につけてしまいました。 きっと私自身がゆったりした気持ちで、余計なことを言わないで絵本を読んでいたら、娘ももっと早く寝つけただろうに、と今ごろ後悔しています。  
   
 保育園時代は親も「わかばマーク」の子育てですから、ブレーキを踏みすぎたり、思わぬ方向に行ってしまったり、いろいろありますよね。初心者の頼りない運転によくぞ我慢して、ついてきてくれたなあと、バアバになった今だから思えるのでしょう。昔はハンドルをつかまえているのに必死でした。

 お母さん、お父さん、私のように余計なことを言わずに、ご自分たちの一生懸命に進む姿を子どもたちに見せてあげてください。吸収力の強いいまだからこそ。

Posted at 2015年11月05日 10時20分13秒  /  コメント( 0 )

(2015年10月)              よしざわさんありがとう

 朝7時に自宅の固定電話が鳴りました。「越生の吉澤だけど、こっちにも大雨警報がでたんだよね。お泊りの日程、変えられないかな」。秋津の空も暗くて土砂降りです。ゆり組のお泊りはあと3日後、どうしたものでしょう。

 園で協議の結果とりなおし・・はできないので、越生からの帰りの時間を遅くし、土曜の午前中の川遊びに賭けることにしました。

 実はのしお保育園と同様に毎年吉沢さんの「朝日のあたる家」でお泊りをしている葛飾区の保育園が、今回は台風の直撃で二日間とも雨だったのだそうです。「来ても何にもできなかった」「日を変えられないかと言ったのに」吉澤さんは大雨続きの異常気象より、予定を変えなかった葛飾の園長さんのことをすごく怒っていました。

 せっかく越生に行くのだもの、こどもたちには<よしざわプライベート・リバー>でおもいきり遊ばせてあげたい。天気予報とにらめっこしながら(吉澤さんをなだめながら)、金曜はパン焼きを中心に陸で遊び、土曜日の午前中なら水量が減っているだろうから川に入る、と決めました。あとはてるてる坊主に祈るのみ。

 9月11日金曜の朝、碧く澄んだ空のもと、ゆり組16名全員そろって園の前からバスで出発。越辺(おっぺ)川はゴーゴーと音をたてて流れ、いつもだったらカニを探す岸辺まで水没していました。バスのなかで「たのしいー!」と叫んでいたこどもたちはパン焼きも流しそうめんもフルーツポンチも楽しみ、庭で走り回り、クジャクやチャボに話しかけ、夜8時には皆寝てしまいました。

 翌土曜日、晴れて気温が上がり、川の水は静かになりました。吉澤さんはじんべいサメの浮き袋を持って待ちかまえています。水着に着替えた子たちはひとりずつサメにつかまって川を下り、吉澤さんのロープに手繰られてサメに乗ったまま戻ってきました。こわかったです。写真を撮りながら、何かあったらどうしようとドキドキしました。担任たちが川の中でいつでも「つかまえ」られるようにしています。ここは川を熟知している吉澤さんに任せようと覚悟を決めました。
こどもたちはひとり残らずやってのけました。

帰ってきて積み木で再現したのが下の写真です。ロープを握っている吉澤さんとサメに乗るこども。川がキラキラ光っています。
皆は吉澤さんの想いをしっかり受けとめ挑戦しひと回りたくましくなって帰ってきました。
(ロープが帯みたいに太いのはそれだけたのもしく感じられたのでしょうね。)





Posted at 2015年10月02日 08時30分21秒  /  コメント( 0 )

(2015年9月)                しみじみしている?

 のしお保育園についていろいろな方から感想を聞いてきましたが、最近「しみじみした園ですねえ」と言われてびっくりしました。
どうして「しみじみ」なのか、その人が言われた真意はどこにあるのか、考えてみました。

 ○大きな音や声がしない
  鼓笛隊などの練習はしていません。
楽器は、鍵盤ハーモニカ、ピアノ、トライアングル、タンバリン、鈴、カスタネット、シンバルなどそろっています。年長になると楽器に触りはじめ、クリスマス会では年下の園児たちのまえで演奏を披露しています。
声に関しては「ふつう」の大きさで話すようにしています。保育園、特にのしお保育園のように朝7時から夜8時まで開いていると、子どもたちの園で過ごす時間は長くなります。その間中うるさい音に囲まれていたらどんなに疲れるだろう、と職員は必要以上の声はださない、ふつうの声で話すようにはしています。

○派手ではない
 昔、ちょっと派手だったかな?と(今にして)思う時代もありました。ヨーロッパの高価なおもちゃがたくさんあって、平成19年に出版された「おもちゃが大好き!」(主婦の友社刊)という本に紹介されたことがあります。(8年前はそんなに昔ではありませんね・・。)
 おもちゃはよい物ですが、子どもにとっていちばん大切なのは「いつも見ていてくれて励ましてくれる」大人だと、この8年間で子どもたちが教えてくれました。
零歳では「おむつ交換は担当保育士がする」ことを大切にしています。
どのクラスでも子どもたちは担任が大好きで、担任のようにしたい、と願い、担任は子どもたちから真似されても大丈夫な言動を常に心がけ(なかなか難しく日々反省の連続ですが)、一緒にいて楽しい園生活をめざしています。小さなひとたちは、子ども時代の楽しさを栄養にして、これからの山あり谷ありの人生をのりこえる力を身につけていきます。保育園の役割は重大だと肝に銘じております。

というような保育は、やはり「しみじみ保育」でしょうか・・・。そう言われた世田谷の保育園の副園長さんに聞いてみたいものです。

Posted at 2015年09月04日 12時08分03秒  /  コメント( 0 )

(2015年8月)              利益はあげられないけれど

 のしお保育園は都営住宅の下にありますけれど、れっきとした民間保育園です。いまの建物ができたときに保育園部分は法人が買い取りました。園内で手をいれなかったのはキッチン専用トイレだけ、あとはすべて使いやすいように変えたり直したりした34年間で、それは民間園だからできたことでした。
 ことし4月に開園したのしお一丁目保育園は、公立の第四保育園の廃園が決まってから、替りは民間園でという市の意向でのゆり会の法人に託されました。
5年前に練馬区立豊玉第二保育園の運営をのゆり会に委託されたのも、その流れの一環です。─ と書いていくと民営化に賛成のようですが、そうではないのです。

 子どもを育てるにはお金がたいへんにかかります。公費の補助がなければできない仕事です。いま公立の保育園はお金がかかりすぎるからということで、どんどん民間委託が進められています。保育園だけではありません。国公立大学、地方自治体、医療機関、あらゆる社会組織が営利企業をモデルに、効率と採算を上げるように「制度改革」の只中にいます。

 効率が悪いと公立(シャレにもなりませんね)保育園をつぶしていったら、そのうち「のしお」のような法人の保育園の存立も危うくなり、保育は採算を上手にとれる企業のものになっていくのではないかと心配です。
 営利企業は、子ども達を「保育サービスの受益者」(つまり商売の相手)とみなします。しかし、保育・教育の目的は次世代を担うまっとうな人を育てることだと思います。
 のしお保育園では「人を恐れず人ときちんとかかわっていける人」になってほしいと願って保育しています。まっとうな人が育ってくれないと日本の社会がダメになる、いま既にひどい状況ですが、あきらめずに、これからの社会のために。利益を上げるためにではありません。

Posted at 2015年08月07日 15時28分30秒  /  コメント( 0 )

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