社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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純子さんコーナー

(2009年6月)                長谷川摂子さん(1)

長谷川さんがのしお保育園でこどもたちに読んでくださった2冊の絵本が出版されてから、もう1年以上たちました。東大大学院を中退されてから保育士として働き、その後、哲学者である夫の宏さんと秋津で学習塾を運営しておられる摂子さんは、すばらしい本を何冊も書かれた児童文学者です。
積み木の絵本を出すにあたり、実際にその積み木で遊んでいる保育園のこどもに見せることになり出版社から紹介されたのが「のしお」ということでした。「すぐ近くだったので驚いたわ」と言いながら園にいらっしゃり、すみれ、れんげ、ゆりと3クラスのこどもたちは本になるまえの本を作者自身から読み聞かせてもらいました。
その長谷川さんの声が先日の夜NHKの「ラジオ深夜便」で流れてきました。ベッドでうつらうつらしていた私は「あ、長谷川さんだ」と目がさめ・・ればよかったのですが優しい声に眠りを誘われて、聞き取れたところとストンとぬけてしまったところ、記憶はマダラになってしまいました。それは三晩連続の「ないとエッセー・私の母語」の初回でした。(長くなりますので続きは来月号に。)
 
 *2冊の絵本は福音館書店「あかくんとまっかちゃん」「ぼうしころころ」です。

Posted at 2009年06月02日 11時28分56秒  /  コメント( 0 )

(2009年5月)                  本好きの町・・でした

秋津に住んで30年になります。初めて秋津に来たのはもっと以前のことでした。来た、というより新秋津の駅から西武の秋津駅まで乗り換えのために歩いたのですが、びっくりしたのは「本屋さんがふたつもある」ことでした。歩いて4,5分の距離にふたつ!きっと本好きのひとが多い町なのだ、と秋津はわたしの頭に刻み込まれました。ですから、法人がもうひとつ保育園をつくることが決まり、それが秋津の駅の近くとわかったときには嬉しかったものです。
 のしお保育園が開園してから、新秋津駅近くにもうひとつYブックスができました。
<町内書店濃度>からいえばスゴイことになりました。店は狭いけれど岩波文庫がそろっているU堂、しっかりした絵本があるA書房、夜遅くまで開いているYブックス─それぞれの個性に応じて買うところを選べました。
老舗のA書房はご主人、奥さん、息子さんの3人で切り盛りしていて、定期購読している本を受け取りにいくと、「このまえ○○ちゃんがお母さんと寄ってくれて」と引っ越した卒園生の消息を教えてもらったりしました。それがある晩「今月いっぱいで閉店することになりまして」と言われたときのショック・・。Yブックスも閉店して、秋津にはO書房となまえが変わった元U堂のみになりました。
 いまA書房のあとはドラッグストアになっていています。<心のサプリメント>の本より、本当のサプリメントが必要なひとが増えているのでしょうか。本はジワジワとですが一生「効く」とわたしは思うのですが。

Posted at 2009年05月01日 17時02分33秒  /  コメント( 0 )

(2009年4月)                   再び「信頼して」 

  引っ越しのため1年前に新しい保育園に移っていったMちゃんとAちゃんとのお母さんからお手紙がきました。引っ越し先の市は保育園の待機児が多くて同じ園には入れなかったこと、心配で仕方がなかったので「えがお」の4月号の純子さんコーナーを何度も読み直してボロボロになったこと、こども達はすっかり慣れて元気に通園している、とありました。
  昨年の4月に何を書いたか本人が忘れてしまったので「えがお」のファイルを引っ張り出してみました。入園説明会で0歳の保護者の方たちに配った<赤ちゃんたちが保育園生活に慣れていく>過程についての文章(残念ながら私が書いたのではありません。開園から満28年ずっとのしおで保育士をしているOさんが、赤ちゃんやお母さんの気持ちになって書いたものです。)が「信頼して」という題で載っていました。

★ あかちゃんから一言
    お家を出る時に「今日は保育園に行くよ、○○時にはお迎えに行くからね。」と話してくださいね。お迎えに来た時は「ただいま、待っててくれてありがとう。」と話してくださいね。私達、ママやパパのぬくもりと言葉はキャッチできるので、その言葉やぬくもりを“心の支え”にして安心して遊んでいますからよろしく。
★ 0歳児を持つ心の声さんから一言(経験者さん)
    私が初めて0歳児を保育園に預けたとき。「今頃泣いているだろうか?服を着替えさせてもらっているだろうか?愛されているだろうか?」「自分を求めて泣くわが子を、引きはがすように置いてきてしまった。」という罪悪感で仕事も手につかなかったのよ。でもね、しばらくして気がついたの、「信頼してお願いするのが一番」だっていうこと。

  ここにまた引用してみると、私自身が35年前に生後6週間の娘を初めて保育園に託した時のなんとも言えず切ない気持が蘇ってきます。でも、こどもの力って本当にすごいです。“心の支え”さえしっかりしていたら、新しい環境もなんのその、園生活を楽しんでくれます。どうか信じてお預けくださいね。私たちも信頼していただけるよう努力していきますので。

Posted at 2009年04月08日 10時25分09秒  /  コメント( 0 )

(2009年3月)                 ひとを恐れないひとに 

 いまは、いったい東京にいくつの地下鉄が走っているのでしょうか?秋津駅のホームに渋谷行きの電車が入ってくると「エッ、ここはどこ?」と、まだ、びっくりしてしまいます。
 あまり言いたくないのですが、私の高校時代、東京の地下鉄は銀座線と丸の内線の2路線しかありませんでしたので、1枚の通学定期で地下鉄ならどこで乗っても降りても自由でした。そのころの赤坂見附なんてTBSもまだできていなくて、一ツ木通りはお豆腐やさんや花屋さんがのんびり商売をしていました。
 もちろん携帯電話なんかありませんでした。個人情報保護法もありませんでしたから、毎年、高校の保護者会が全生徒の名簿を作成、配布していました。そこには住所・電話番号・保護者氏名と職業までのっていました。(えっ、都立なのになんで北海道知事と熊本県知事の息子がいるの?と驚いたのも、名簿にみーんな書いてあったからです。)少数ですが家に電話のない人もいました。
 先日、文部科学省が調査したところによると携帯電話で1日30件以上メールを送受信している割合は、小6が7.2%、中2が33.5%だそうです。所有率は小6が24.7%、高2にいたっては95.9%、ということです!
この50年で日本の社会は大きく変わり、たいへん便利になりました。でも、失ったものを考えると恐ろしくなります。機械としかつきあえないひとが増えています。ナマのひとがこわいのです。
小さいときに常に身近な大人から話しかけられ、遊んでもらい、「早くおおきくなりたい」と願っている子どもは、ひとを恐れない、ひとと豊かな関係を結べるひとになると思います。保育園での生活がその土台になると信じて、機械より魅力的な大人になろうとのしおの職員は日々腕(?)をみがいております。

Posted at 2009年03月02日 10時56分26秒  /  コメント( 0 )

(2009年2月)                  本はいいなあ 

 「失恋したら」学生時代に友達が言いました。「食べるの!食べてると心の痛みも消えていくわ」。わたしは失恋したことがないので(ウ、ウソです)、何が有効だったか思い出せませんが、悲しいときでもうれしいときでも本を読みました。小学校のころは8時半が消灯時間でしたので「おとなになったら読みたい本を何時まででも読んでヤル」と決心しました。以来、いつも本が身近にありました。
 疲れて心身ともに億劫なとき、気持ちが沈んでどうしようもないとき、わたしの薬は本です。猫をひざに乗せて、好きなCDをかけながら<これを読めば元気になるコト間違いなし!>の本(庄野潤三の「インド綿の服」とか)を読んでいると、心が快復していくのがわかります。本は腐らないし、バッグにぽんと入れて持ち運べるし、いつでも読み返せるし、なんといいものでしょう!
 保育園の文庫が開かれて18年近くなります。さくらちゃんの家が引っ越すときにたくさんのきれいな本を寄付してくださったのが始まりで、「さくら文庫」になりました。在園の方はもちろん、毎火曜日には「かもさんぐるーぷ」の地域の方々が利用する姿が見られます。
先日、卒園生のお母さんから本の寄贈の申し出でがありました。「さくら文庫には在園中お世話になったので、いまの保護者のひとにもこの本を読んで元気になってほしい」と。
卒園してもひきつづき園のホームページを見てくださっているMさん、西原理恵子の「毎日かあさん検Ν后廚待ちしていまーす!

   

Posted at 2009年01月30日 15時13分57秒  /  コメント( 0 )

(2009年1月)                変えてはいけないこと 

  秋津の駅から園までの道の景色がずいぶん変わりました。
 1年前は改札を出るとすぐ目に入ったお菓子の「コトブキ」がおそば屋さんに、99ショップも様がわりし、第一診療所の建物が新しくステキになり、武田産婦人科は秋に廃院、その横の市営駐輪場が縮小され(柵にかけていたのしお保育園の看板も位置が微妙にずれ)、そこに一戸建て住宅が6軒できるということです。そのうちに慣れてきて「前はどんなだったかな?」と思い出すのもたいへんになるのでしょうが、いまはまだ目がなじんでいません。立ち食いそばより「コトブキ」のシューアイスがよかったな、と未練も残ります。

「ある」ときにはそれほど思わないけれど、いざ失くなってみるとどんなに貴重だったかわかるものがあります。
08年の暮に出た規制改革会議の第3次勧告では「保育所における給食の外部搬入方式の容認」を求めています。認可保育園の給食はこれまで自園の設備でつくると定められていました。もしこの勧告が受け入れられれば、厨房のない保育園が全国にひろがるのでしょうか。「昔は給食室から出しをとったり魚を煮る匂いが流れてきて、みんなで鼻をひくひくさせたのよ」と、外から運ばれてくるお弁当給食しか知らない保育士さんに話す日が来るのでしょうか。
中学生になってから「食育」の授業をするより、どの保育園にも給食室があるほうが将来の日本には役立つはずです。園の真ん中に厨房があり、当たり前のようにお昼とおやつがつくられ、アレルギーにも代替食で対応できていた時代が「なつかしい」とならないようにしなければ。これだけは「改革」してはいけないと思います。


Posted at 2009年01月08日 10時05分34秒  /  コメント( 0 )

(2008年12月)                怖くなりました

  ときどき─たまに、飛行機に乗ります。飛行機の事故の殆どは離陸と着陸のときに起こるのだそうで、機体が滑走路を飛び立ってからシートベルト着用サインが消えるまで、気が気ではありません。着陸のときも同じ。ゴン、と車輪?が地面に着く瞬間は目をつむってしまいます。
  思えば昔は、ちっとも怖くありませんでした。40年前にフランスから日本まで、某アラブ国の航空会社の飛行機で帰ってきたことがありました。当時は「何があっても保障はしない」怪しい会社のものしか貧乏学生には安く手に入れる道がなかったのです。
  南回りでフランス→スイス→カイロ→クエート→インド→フィリピン→東京、一つ一つ停まりながら、出発から到着まで50時間以上かかりました。なにしろカイロですぐ乗り継ぐはずの飛行機が空港には影も形もなくて、乗客が団体交渉の末、空港内ホテルを確保、部屋割りも自分達でしました。私はインドに置いてきた娘に20年ぶりで会いに行くというイギリス人の女性と同じ部屋に。となりのベッドで「興奮して眠れないの」と言うひとの話を聞きながら、わたしはなんでこんな所でこうしているのだろう?と不思議な気持ちでした。各駅どまりの飛行機は何度も離発着を繰り返し、あまりの延着にうんざりした顔の家族が待つ羽田に(当時は国際便も羽田でした)到着しました。
  窓からの夜景に見とれたり、ひとりだけ乗っていた日本人の客室乗務員とのおしゃべりに夢中になっていて「怖い」と思うひまもなかった・・こともあります。でも、自分がこの世からいなくなってはいけない、という意識が薄かったと今思います。両親がいつも心配していることは頭でわかっているつもりでも、実際に自分が親の立場になって飛行機が恐ろしくなって、初めて親がどんな気持ちで育ててくれていたのかわかりました。こうして永久に親は心配し続けるものなのですね。
同室だった彼女は娘さんとどんな対面をしたのだろうと、長距離の飛行機で眠れないときなど思い出しています。

Posted at 2008年12月01日 09時22分51秒  /  コメント( 0 )

(2008年11月)                30年の間に・・・             

 今年の5月にフランスから来て「たんぽぽ」と「れんげ」で一緒に過ごしたEちゃんとHくんに妹が生まれました(送っていただいた写真が玄関に貼ってあります)。「9月27日に3300グラムの元気な女の子が産まれました。名前はNといいます。HもEも赤ちゃんの到来にとても喜んで毎日取り合ってケンカしています。喧騒のなかで育つ3人目はたくましくなりそうです。」というKさんのメールから、にぎやかなお家の様子がしのばれます。
 「もし日本にいるのだったら3人目は生めない」「フランスだから決心がついた」とKさんが言われたとき、日本の保育園の園長として、無認可保育所に通う1歳半の孫を持つ祖母として、うらやましい、と思いました。そして、今から30年前、娘を夫に任せて研修に行っていたころのフランスの保育事情をふり返ると、よくぞここまで・・と感慨がわいてきます。
 当時、ことにパリでは、保育園に入るのは大変なことでした。「役所に申し込みに行ったら70人も先に待っていると言われた」「誰もこどもを見てくれるひとがいない。アパートの管理人に頼み込んで預かってもらっているが、ほとんど放りっぱなしらしく、帰ると顔が涙でバリバリになっている」。出版された本を読んで、いずこも同じなのだなあと思ったものでした。
 30年たって、いまフランスの出生率は2.0を超えました。出産手当にはじまり、満3歳までの育児基本手当、働く親への育児手当、2歳児から6歳児までを対象とする保育園はすべて無料!ですし、教育費が日本と比べてきわめて低いのです。大学で学ぶのに必要な「学費」はフランスでは「登録料」と呼ばれ日本円にして年間2万円少々です。
 「子どもをつくるのは、結局のところ将来への信頼にもとづくものだ」─経済景気観測機関(OFCE)の局長のコメントは、出生率の低下がとまらない日本に向けられているようにも思えます。公立保育園をどんどん民営化して保育への公的責任を放棄しようとする国には、将来があるのでしょうか?

Posted at 2008年11月05日 11時15分54秒  /  コメント( 0 )

(2008年10月)               フレンチ・ディナー

 引越しで23区内の保育園に転園していったAさんから「近くにおいしくて値段もリーズナブルなフレンチのお店があるのでいつか行きませんか」と誘われて1年以上。「9月の日曜の夜ならシャンソンつき」ということで、ついに西武沿線の駅から近いそのお店でAさん、Aさんの娘さん、わたし、わたしの友達の4人でディナーということになりました。
 もう、娘さんがのしお保育園に在園しているわけではないので、こういうおつきあいができます。(どんなに話しが合いそうと思っても、在園児の保護者の方とは私的なおつきあいはできないので。)
 メニューのなかにはシェフの出身地ブルターニュ地方の料理もあり、なかなか本格的なフレンチレストランでした。味はよく、量もたっぷり、お子様用ワンプレート料理もおいしそうでした。
シャンソンは、ヨーロッパ育ちの日本人の男性が、食事中ずっとギターを弾きながらフランス語でうたってくれました。風貌はまったく日本的な彼の発音は「さすがだね」というはなしから、TOEFLが満点に近いAさんと「外国語の学習には王道はない。ひたすら暗記して覚えて繰り返して・・努力あるのみ」と意見が一致し、Aさんの娘のYちゃんは、キラキラ光るシールをいっぱい貼り付けた宝物の手帳を見せてくれ(中にビーズが入った手の込んだものもあるのにびっくりしました)、グルメの友人は<ほほ肉のワイン煮>がおいしいとご満悦でした。
 昔わたしがパリに住んでいたころお世話になったご夫婦の別荘がブルターニュにありました。ノアルムチエという小さい島でいっしょに過ごした、今は亡きおふたりとの楽しかった日々もよみがえってきた日曜の夜でした。

   追:このお店はランチもあります。こちらはとてもお得と思います。

 
 

Posted at 2008年09月30日 17時24分25秒  /  コメント( 0 )

(2008年9月)                   会いたかったな

母方の祖父母は私の生まれる前に亡くなっていますので、現実の思い出はありません。その分いろいろな人から聞いて(なにしろ母は12人きょうだいの11番目です。伯父伯母もたくさん!)祖父母の像が鮮明になった気がします。

祖母については以前にも書いたように、どの子どもからも慕われる公平でやさしく、我慢強いひとだったようです。亡くなって1年後に生まれた私はスミという音をもらって純子になったけれど、どうも名前負けしたらしいといわれています。

孫が生まれてみると、誰にも似ていて、刻々変わっていって、たしかにこの子のうしろに何万、何百万のご先祖様が(遠くたどればアフリカの人類の大先祖サマまで)つらなっているのだと思えます。
コーヒーが好きで、佐渡で苦心さんたん飲めるように「発明」に励んでいたという祖父は、当時の絶海の孤島・佐渡ヶ島を思うと、面白そうなひとだったのだろうな、会いたかったな、と思います。
また、孫には曽祖父にあたる私の舅は、息子の誕生後半年で軍医として戦争に行かねばならず、フィリピンで壮絶な戦死をとげました・・。
 
9月は保育園でも「敬老おたのしみランチ」があります。
不思議ですね、ちょっと前までうやまう方でしたのに、うやまって頂く側にしっかりなりました!
ランチが始まる前に「つゆくさ」の部屋で孫談義に花をさかせる日をたのしみにしています。
孫の顔を見ることなく世を去った祖父母や舅たちの分も、孫のかわいさについて話したいと思います。

Posted at 2008年09月03日 16時08分14秒  /  コメント( 1 )

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