社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2017年6月)            「友だち」より「家族」に近い人たち

 わたしは「ひとりっこ」です。今ほどデリケートな配慮のない30数年前、小学生の頃は「さびしいでしょう」なんて挨拶のように言われました。が、実のところわたしはぜーんぜん寂しいなんて思っていませんでした。相手がどうしても「さびしい」と言わせたい空気を感じたときは、しおらしく言ってみたこともありましたが(子どもってちっとも天使なんかじゃないですよね)、内心フフンと思っていました。だって大人の中に自分だけ子どもなんて、いつも特別な存在で、他の子と親を取り合うよりよっぽどいいじゃないの!…と。

 それが中年になってみて、きょうだいっていいなあ、としきりに思います。ひとりっこにとって、子どもだったときの記憶――飼っていた犬や、よく通っていたお店や――の話ができるのは親だけなのに、それが同世代にいるなんて、いいなあ、と。

 でもそれはわたしが、小学校入学と同時に葛飾から秋津に引っ越しをして、6歳まで暮らした地域を離れてしまったからなんだと、最近ようやく気がつきました。生後1か月(!)で入った保育園とも、1歳で転園してからずっと通った保育園とも、そこでの友だちとも、疎遠になってしまった。

 保護者の方の勤務時間によって保育時間はそれぞれですが、朝から夕方(夜)まで、子どもが起きている時間の大半を過ごすのが保育園。親よりもきょうだいよりも、クラスの友だちと担任と、過ごす時間の方が長いんですよね。人生で初めて出会うたくさんの物事が保育園の中にあり、それを一緒に体験しつづける仲間たちは、もうすこし大きくなってから出会う友人とはだいぶ違う存在です。友だちより、家族に近い人たち。

 その人たちとは、6歳の春ですこし距離が遠くなります。小学校が違ったり、クラスが違ったり、クラスまで同じでも他の子たちと親密になったり。けれど保育園時代を一緒に育った友だちとの関係は、いつまでも友だちより家族に近い、ように思います。

 今年の1月号のえがおに掲載された、純子さんコーナーをご記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。タイトルは、「おーい、ゆうだいくん!」。24年前の卒園生について書かれた文章の中で、そのクラス(「忍者組」)の仲の良さにも触れていました。
実はこの4月から事務として勤務しているSさんは、このクラスの一員でした。今でもしょっちゅう集まっているという忍者組の話を聞くと、わたしは羨ましくてたまりません。どんなにお金を積んでも(積めないけど)、幼なじみは買えないですね。今毎日保育園に通ってきている子どもたちが、おじさんおばさんになっても、たいした話をするわけじゃなくても顔を見るだけでホッとするような、家族に近い存在であり続けてくれたら素敵だなあ、と思います。親同士のつながりも、ぜひ。


Posted at 2017年06月01日 09時49分25秒

 
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