社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2017年2月)               伝承の保育とパリ

もし20代前半にフランスで3年間暮らしていなかったら、日本では昔からどのように子どもを育てていたか、子育てに何が伝承されてきたのか、こんなに知りたいと思わなかったかも…もっと外国の保育を熱心に勉強していたのかな、と思います。

 時代というのも、大きかったと思います。日本円が1ドル360円、フランス・フランが1フラン70円、しかも海外に持って行けるドルは制限つき。インターネットもカードもなかった時代です。飛行機もいまのように北極経由のルートはなく、アンカレッジで1回とまって給油して、その間に日本人のおばちゃん達が売店でアメリカの化粧品や時計などを日本語で勧めてきたり、立ち食いうどんがあったり、ここは何処?という感じでした。

 初めてパリに向かうときは、一応大学でロシア文学を専攻した者として、横浜の大桟橋から船でハバロフスクに行き当時のソ連邦を鉄道、飛行機で横断、モスクワから北上しサンクトペテルブルクへ、そこからフィンランドに入り、あとはユーレイル・パスを使って北欧−ドイツと南下、パリ北駅に着いたときは余りに疲れていてよく覚えていません。

人種のるつぼのようなパリに、当時日本人は少数派でした。韓国政府から派遣された軍人の同級生は、姿勢がいつもピッとまっすぐで、瞳を輝かせて「朴大統領を心から尊敬しています」と言っていました。彼は、その娘が大統領になり、いま執務権限停止中というのを、生きていたらどう感じているでしょう。

何もわからずに始めたパリでの暮らしでしたが、それまで意識したことがなかった「日本人としての自分」を、ことあるごとに感じるようになりました。そして、日本のことをあまりに知らないのに愕然としました。自分の国の歴史や文化を知らずに、外国の言葉だけしゃべれるようになっても意味がない、と、それこそ堪能にスラスラとフランス語を操るひと達(フランス人だからあたりまえですね)のただなかで思い知ったのです。

この36年間、「自分の国の言葉、国語を大事にしよう」「昔からずっと伝えられてきた日本人の知恵を大事に保育していこう」と思い続けてきたのは、パリの体験がもとになっています。


園だよりが出ると、このコーナーに目を通していつも一言わたしに感想を述べてくださったシルバーの池田さんが、体調を崩されて退職されました。もうヒトコトが聞けないと思うと寂しいです。長い間ありがとうございました。

Posted at 2017年02月06日 08時34分32秒

 
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