社会福祉法人のゆり会 のしお保育園は清瀬市西部に位置し、0歳児からの未就学児童を都営住宅の一階にある保育園で、お家と同じようにゆったりと健やかに育てます。
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(2010年8月)                  高沢先生と「ピカドン」

 1945年8月6日広島に地球上ではじめて 原子爆弾が落とされました。生き残った人たちの多くが、その時のことを「ピカッ」と光って「ドン」と音がした、と話したことから、この爆弾のことを「ピカドン」と呼ぶようになりました。・・・・と始まる絵本「ピカドン」のことを、どうしてもこの月のこのコーナーでご紹介したいと思いました。
 なぜ、絵本「ピカドン」が手元にあるのかは、今から30年前にさかのぼります。


 野塩で保育園をひらくために葛飾区の法人からやってきた私たちは、お隣の先輩園・清瀬上宮保育園にあいさつに行きました。当時の園長、高沢みわ先生の「10年間、市内ではたったひとつの民間園だったので、お仲間が増えてうれしい」に、どんなに励まされたかわかりません。
 それからは物心両面(印刷機を使わせてもらったり、年長クラス対抗ドッヂボール試合で野塩が負け続けたり!)でお世話になりました。先生が退職して盛岡に行かれる、と聞いたときのショックといったらありませんでした。

 今年、高沢先生は紙芝居「ピカドン」(山口いのちの会製作)の複製版を作り、上宮保育園だけでなく、のしおにも、ほかの市内の保育園にも贈ってくださり、続けて「ピカドン」絵本版を製作されました。

 私の夫は広島出身です。親戚のひとりは爆心地で原爆にあい、文字どおり「溶け」てしまって遺体も見つからなかったそうです。義母は被爆者手帳を持っています。その私たちは野球のカープばかりが広島で、原爆のことを話したことは余りありませんでした。

高沢先生は偶然、ある女性の書いた原爆体験記に出会い、いままでご自分が何も知らなかったことに気づかれ、広島まで行き、手記にある土地を訪ね歩かれました。そこから「ピカドン」複製版と絵本がうまれました。

 原爆で父・母・姉・妹を亡くし、思い出すのも辛くて、60年以上忘れようとしてきた方が<次の世代を担う人々のために>書いた体験記。それを読んだ高沢先生の<知ってしまった以上は>のひたむきな広島への旅。おふたりから渡されたバトンを、私は私なりにつなげていかなければと思っております。核の恐怖は減るどころか、世界中に増大してきているのですから。

 先月、先生のお嬢さんの「幸せな木」をこのコーナーで紹介しました。さくら文庫に「ピカドン」(絵本版)も加わります。両方とも一般の書店では手に入らない本です。お読みください。

*「ピカドン」についてのお問い合わせは、のしお保育園 または 下記へ。

     山口いのちの会 藤屋侃士 〒744-0061 山口県下松市河内幸ケ丘643-9 
                        TEL・FAX 0833-46-2010

Posted at 2010年08月01日 13時38分06秒

 
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