信楽焼の器は重くて荒くてちょっと、と思っていませんか。くりの器は軽くて丈夫。飽きの来ない色合い、信楽焼らしい温かみをそこなわずに使い勝手を考えています。
2009-03-10 の記事

鬼平たぬき


鬼平の本焼き完了。
久栄はもう一度窯に入ります。
一発勝負でやった割にはうまくいきましたね。
色合いなんか気に入ってます。
火付盗賊改方長官としての激務からしばし開放されのんびりと久栄に酌をしてもらう鬼平というところかな。
久栄さんには後ほど登場してもらいます。

信楽続きです。
くりは10年ほど経って、作り手としての仕事から徐々に遠ざかり営業の方に回ることが多くなりました。
この経験がのちの独立後にどれほど役立ったか分りません。
これもそのときは進んでのことではなかったのですが。
試験場での釉薬の勉強、そして営業の経験、まるで独立のための準備のように今となっては思えます。
菱三陶園は直接取引が多く、都市部のお店との取引が多くありました。
大阪、京都、名古屋、東京。
前に花器について書きましたが、しばらくは食器について書いていくつもりです。
営業に回るようになるのと前後して食器の開発を専務の顕三さんが始められ、
その得意先として筆頭にあげられるのが、山城屋さんでした。
東京と名古屋に店を構え、御兄弟が社長をされていました。
名古屋のお店に初めて伺った時のこと、お取引を始めてさせてもらえるということで、
ずいぶん緊張しておりました。
具体的な話まで進んで、掛け率のことで専務の顕三さんは山城屋さんの言うがままに話を飲んでいらっしゃいます。
そこで駆け出しのくりは結構強い調子で口をはさみました。
その時の山城屋社長、楠仙三氏の驚きの顔、正直今でも覚えています。
彼は東京大学経済学部卒で会社内では天皇として君臨し口をはさめる部下は皆無であったと後で教えられました。
怖さを知らないくりは相当頭にきてずいぶんときつくその取引の不公正さを訂正するよう主張したのです。
なにかマンガの世界じみていますが、これは本当のことなのです。
経験は時に人を臆病にしてしまいます。
常識が形骸化を招き、当たり障りのない流れを作ってしまいます。
その後どうなったかって。
無事掛け率は是正され、それ以来社長さんはくりを甚くかわいがってくださいました。
納品に行ったりすると、社長室へ呼ばれ、永楽保全の徳利です、良く見ておきなさい。
なんて本物を見せていただいたり、信楽の青年部の人たちに割烹食器について語ってくださったり、ずいぶんと勉強させていただきました。
営業というと何か抜け目ない性格を必要とするかのごとく思われがちですが、
くりの場合は、製造者という基盤をしっかり踏まえてストレートにお客様とお話したことが、
信用につながったと今でも思っています。


Posted at 2009年03月10日 21時36分54秒