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2008-06 の記事

ディスコ・ヴォランテ

 一生忘れられない光景とその記憶。異常な熱さを記録した昨年、月日は秋の9月なのに「真夏」の斜光を浴びて、輝く一台のアルファロメオ・・・その品高く、威厳を放つ・・・1964年、昭和39年発行のCARグラフィクのアルファロメオ特集の56ページ「ディスコ・ヴォランテ ストーリー」の冒頭、「戦前ヨーロッパのレースを荒し回ったアルファのレーシング・スポーツを戦後に求めるなら、誰もが躊躇なくディスコヴォランテの名をするに違いない。それはレーサーの名門アルファロメオが、その名誉を賭けて製作した戦後唯一の、そしてアルファにとって最期の本格的なコンペティション・スポーツカーなのである。」伝説のドライバー、ホアンMファンジオが居並ぶワークス、GP 4,1リッター付フェラ-リ・ジャガーCタイプ・アストンDB3・メルセデス300SL・等と互角に渡り合い、トップを快走中タイロッドを折りながらも、1953年の20回ミレ・ミリアで総合2位へと6気筒3.5リッターディスコ・ヴォランテを導いた・・・熱きロマンとはるか遠き英知・・・今、目の前に・・・
半年近く経った今でも、その情景は私の体の五感中に色濃く残る。



イラスト: 大内 誠


残念なことに、ミラノのアルファロメオムゼオ(博物館)を訪れたことがない私には、古本屋で買った40年前のCARグラフィクのアルファロメオ特集を、何十年間も、そして今でも手の届くところに置いている・・・バブル以降、多数の歴史的な車達(TZ・SZ・SWB・GTO etc)が海を渡り、日本の土を踏んだニュースが飛び交っても・・・40年間飽く事無く、今日でもそのページをめくりながら、当時目が釘付けになった夢のような車達を見て、それらに憶い、夢見る。人生の三分の二が終わろうとしている今、ディスコ・ボランテを目の前にし、数年前に故阪納氏のブガティクで見た1750グランドスポルトを思い出しながら、果てしなく永遠に続く大きく偉大な「英知とロマン」、それを演出する職人、ドライバー時代、それらに応える愛好家達。文章で表現するのがためらうほどの熱い出会い。
                                        2005 1/22 眞田 文宏


Posted at 2008年06月11日 19時28分37秒  /  コメント( 0 )

2600 Sprint

 アルファのGTAMレプリカレーシングカー製作は中止となりました。
なぜ???それは表題の登場です。
大内氏と本物のアウトデルタGTAM用のホイールを4本手に入れたのですが、その3日後、大内氏と私はあるホームページの2600スプリントに目が奪われたのでした。
財政的に厳しい私達は、長期のローン頼りになんとか手に入れたのですが「GTAMレプリカを作るのも2600スプリントを起こすのも同じだ!?」と言う訳でその奮戦記は大内氏が御報告いたします。

  Alfa Romeo 2600 Sprint インターネット、エンスーの杜で知り合えた40年前のアルファは美しかった。私がこの車を始めて見たのはカーグラフィック1964年の6月号。アルファロメオ特集である。13歳の時だ。外車に憧れを持つ凄く多感な頃。しかし当時のおこずかいでは毎月この高価なカーグラを買う事は出来ない。たかが250円!であるが、たしか他誌は100円程度。どうしても欲しい月だけ親にせびって買っていた。だから今では歯が抜けたように全号そろっていないのだ。因に古本屋で現在この辺が高いのがしゃくなところであるが、日本のモータリゼーションのグローバル化をいちはやく感じ取った二玄社には感謝、感謝である。もしこの時二玄社がカーグラを創刊していなかったら、決して今のような時代にはなっていなかったであろうとともに、イギリスの車社会はもっと健全にいれたかもしれない。
 これからあと40年後、自分はもう居ないだろうが、日本がイギリスのようにならないことを祈るばかりである。この時代にわざわざイタリーまでいってテストをすると言う事も当時他誌では前例が無く、驚異そのものであった。だから目を皿のようにして読みふけり、一枚、一枚の写真もいまだに目蓋に焼き付いている。この時代のカーグラは表紙と中身はいまだに言い当てられる。以前にカーグラに行った時にそれをやったら、編集員は驚いていたけれど、こちらとしては当然の事。しかし72年くらいから後はもうだめである。ちょっと横道にそれてしまったけれど、このスプリントはあのジウジアーロが前任のF.スカリオーネから引き継いだわりと最初の頃の作品。
 しかし当時はパーソナルなデザイナーの名前は表記されないのが通常で、ベルトーネの作としかなっていない。但し特派員の宮川氏はクーペボデイに4人を無理なく座らせる抜群にバランスのよいデザインと彼の非凡さを認めている。後に宮川氏はこのジウジアーロを独立させてイタルデザインに至ったのは有名な話し。テクニカル的には6気筒のDOHC。日本はまだこの頃はアメ車の影が色濃くて、プリンス系がやっとOHCのグロリアをいばっていたころ。トヨタはクラウン8というやけにトレッドのひろいV8があったくらい。DOHCはレーシングエンジンだけに与えられるスペシャルで高価なものとされていた。因にフェラーリでさえまだSOHCなのだ。
 インテリアは典型的なイタリアンでそんな派手差はなく、長く延びたシフトアームが印象的であった。メーターと針の意匠はアルファの典型で余り好みでは無い。もう少し色気の欲しい所。シートは分厚く、フランス車のそれを思い起こせる。ウインドウはパワーがおごられており、この車がハイクラスであることを物語っている。リヤシートも2+2的なものではなく、4ドアーのそれである。早くエンジンを直して当時の興奮を味わいたいものであるが、当初の計画はスローライフでと言う事なので焦りは禁物である。ジウジアーロボデイは私は 2台目である。一台目はマセラテイのギブリ。時代的にはギヤの作品なのでこのアルファに較べれば大分後だが、これも延び延びとした綺麗なデザインだった。いわゆるスーパーカーの類い。じつに14年間乗って、諸般の事情でやむなく売却。今はコーンズの若いメカの元に幸せに暮らしているはずである。これは5 リッターあり、トルクで走る豪快な車だったが、残念ながらATであった。マニュアルは久しぶりである。クラッチペダルを踏み忘れないようにしなくては。これからエンジンがはずれて始めてのアルファ6との御対面である。

                                  2004/4/15 大内 誠

2年前、偶然2600スプリントをネット上で見つけ,大内氏と39年のカーグラフィクのアルファ特集でのインプレッションを思い抱き、千葉県木更津市でアルファロメオ等メンテナンスをされている「GAREGE GOTO」に持ち込みました。
後藤氏とは30年近く前より、クラシックカーレースでの友人ですが、持ち込んだ2600に以前、ご自身が乗ってられました。
現在、2600スプリントはエンジンは写真でお分かりのように、当初問題のあった変形したブロックとクランクシャフトの修正が終わり、新しいメタル・ピストンが間もなく組まれようとしています。ヘッドはバルブとガイドのすり合わせの作業中。ボディは後藤氏の協力業者の工場で板金中です。
まずは日本が誇る名メカニック後藤氏の「 GARAGE GOTO」の紹介です。

写真 1 工房の入り口手前は販売車が並んでいます。


写真 2 白いジュリエッタスプリントの右側は工作室、左は整備場です。


写真 3 整備場の入り口にレース仕様のジュリエッタSZ.


写真 4 整備場内の右側にヒストリックフォーミラー。


写真 5 6 なんとティーポ33のレーシングカー!!


写真 7 8 9 まさに組み込まれるブロック。


写真 10 11 12 巨大な3連キュブレターと


写真 13 ティーポ33と。



写真 14 15 16 17 ヘッド面研が終了しバルブすりあわせへと。


GAREGE GOTO 〒292−0004 千葉県木更津市久津間312
Tel0438-41-7575 Fax0438-41-7346         代表 後藤新太郎

                                 (2006/4月更新)

2600その後

2006 年の夏にはまだ木更津の塗装会社でまだサフェーサーの状態で、まだまだだな〜と思っていたのであるが、そこから11月に至るまでが実に速くて、改めて自分もそうであるがプロ意識の恐ろしさ?を知りました。ええええ!出来た!。と耳を疑う電話がかかってきたのが昨年の11月。しかし現地に行くまで半信半疑。
早朝、ガレージ後藤に着いてもそのガレージが開くまでは、まだまだ半信半疑。しかしガラガラと音がして、つい気持ちを抑えられずにあの手鏡教授ばりに下からのぞくと、お〜マジだ!。他の赤いやんちゃなJuliaのレーサー達の中に凛とたたずむ2600!。周りが赤いのだが、これは白!。これが尚際立っており、余計に凛としている。周りのガキなJulia達ににらみを効かせていると言うか、見守っていると言うか、じつに親父、いや優しいお父さんの感じなのだ。2600のボデイデザインの影響もあるだろうが、いまどきでは珍しいホイールキャップ付きというのもそれを助長しているアイテムの一つであろうか。もしこれがカンパのアロイでも履いていればまた風情がかわってくる。この時代の車はそれがあり、それがまた楽しいのだ。そういう楽しみは今の車にはないな〜。そのかわり今の車は買った途端に満足が満載なので、逆にすぐに飽きてしまう。無事これ名馬の女房みたいなものだ。しかし老いたれと心の隅には色気心が欲しいもの。その点、イタ車はかっこうのアイテムである。この白は悩みに悩んだ揚げ句に真田君のJulia、そしてTi Superの白の中間を取って少しブルーを加味したアイボリーにしたので、しかしこれが大正解、赤よりはるかにこのボデイにあっており、1964年のカーグラフィック、アルファロメオ特集で見た2600のイメージだったのである。今から丁度41年も前、この夢が現実になろうとは真田君に感謝、感謝である。しかしこのカーグラフィックの2600は初期なので、リヤブレーキもまだアルミフィンを切ったドラムなのだが、我々なのは後期タイプで、ありがたい事にサーボデイスクになっている。インテリアの化粧も異っており、初期にはボデイと共色であったインパネのパネルが木目プリント。しかしこれは初期タイプの方が良かった。所詮プリントはいずれちじんでくる。他はトグルスイッチの位置とか細かい所。シートの豊かさは感激もの。ウインドウもパワーである。
やはり高級車、しかし当時の宮川氏のコメントにはフェラーリやマセラテイがどうしても買えない人の為にはかっこうのGTとある。因にいまであればランボルギーニのスペルも出てくるのであろうが、それが出るにはもう少し時間が必要である。また2600へ話を戻すと、ステアリングはノンパワー。以前乗っていたマセラテイの66年式ギブリは対米の富裕層の需要を見計らってご夫人のオーナーも計算に入れてか、ボルグワーナーの3速ATとパワーステアリングがセットであった。それもあってか高価なスーパーカーのなかにあって1154台と言うベストセラーカーになったのだ。おっとまたまた話がスピンアウト!。
しかしこの重い2600のステアリングを廻していると、パワーステアリングに慣れてしまった我々はこの時代、男はまだまだ腕力があったのだな〜と思い知らされる。思いもかけぬ肩凝りの原因だ。しかし一回走りだしてしまえばそんな事ははるか後方に去っていくほど快適である。今はまだナラシの状況で3000以上は廻せないのだが、元気よく飛び回るVEGLIAの針を抑えるのは理性?だけである。時々その理性がなくなる時があるのだが、そんな時に脳裏をかすめるのが真田君と後藤さんの顔である。しかし脚に出来ないこの車で晴天を狙って5000キロのナラシとは、、、それはまるで生き地獄に違いない!。はやく宮川さんが41年前にレポートしてくれて5000まで引っ張ってみたいものだ。しかしガマン、ガマンの毎日である。いくら暖冬とはいえ冬である。しかし窓は全開にしてエキゾーストノートを楽しむ。誰が聞いてものアルファサウンド!。2気筒多い分迫力は二つ多い。時折若い159とか147のオーナーと遭遇するが以外とそっけない?。老人は大切にするものだぞ!と言いたい所だが、おまえらわかい者にはそう簡単には負けぬぞ!と言う気持ちも嘘ではないが、う〜んまだまだナラシであるぞ。もう少し距離が進んでエンジンが軽くなってきたら、またレポートしたいと思う。ファンタステイック 2600!。
                                 (2007/1月更新)


Posted at 2008年06月11日 19時27分53秒  /  コメント( 2 )

GTA

 アルファ・ロメオ のファンばかりでなくGTAのネーミングに想いをはせる車好きの方は多いと思います。
私自身も以前は同じように憧れていましたが、バブル時期には諦めのため息の高騰価格でした。そのバブルも崩壊し、1989年に手放した1300Jr.が1997年に9年ぶりに戻り、久々にアルファとの生活が始まり7年目を迎えようとしてますが、その1300を20〜25年前の頃に乗っていた時は、1963年のカー・グラフィクでのアルファの特集のなかでの「コンレロ」の記事に影響されてました。また当時、私のエンジンはアルファロメオのチューナーの「ARD」のK氏がAROC(アルファロメオ日本オーナーズクラブ)やSCCJ(スポーツカークラブジャパン)の会長をされたT氏が所有されていた日本で最初のJr.ザガードにつまれ、コンレロのチューニングパーツが組み込まれていたのを譲っていただいたのです。その頃、友人達は本物の1300&1600のGTAを乗っていて何度かハンドルを握れさせてくれたのですが、コンディションかバランスが完全ではなかったのか、「早い!」という感動はなかった。それよりも私のコンレロチューンの1300は、トルクのカーブが3500と5500回転と2回の山を駆け登り、一気に8000めがけタコメーターのスパイク針が踊る時、感動と喜びのるつぼと化す程、今でも健在です。
阪納氏亡き後、オフチィーナ石川を始められた石川氏もジュリエッタ1300からジュリア1600へと4気筒の拡大されたエンジンより基本設計の1300はバランスがとれているとお互いに一致した意見です。ここ数年、お会いする機会が多くなった大内氏が、1年ぐらい前に「当時のツーリングカーレースでETCのクラス16−2000CCではBMW2002,Porsche,Escortらとはデビューして3〜5年近く経ったアルファの1.6GTA太刀打ちできなくなってきたから、レースクラスを下げ1300のGTAを投入したのかも?」


私もその事は33年前(1971年)発行・二玄社「世界の自動車-アルファロメオ」の127ページに4台並ぶコンペテッションカーの左より2台目の1300Jr.はどうみてもGTAには見えなかったのが頭の片隅に疑問としてありました。また20数年前、誰かに「アウトデルタは1、6GTAと1300Jr.でクラス別でレースをしていた」と聞いたことがあります。

そして、それは7年前(1996年)発行・二玄社別冊CG「日本語版アルファ・ロメオジュリアGT」の68ページの上段の写真で証明された・・フロントマスクのエアースコープ以外はバンパーをはずしたプロダクションモデルの1300Jr.・・のでした。また昨年(2003年)ランチャ・ストラスト誕生30周年記念での発行されたAndrea Curami「Lancia Stratos」の33ページでもAlfaRomeoGT1300JuniorAutodelta no81と明記されています。レースシーンのなかでGTAはアルファファンにとり永遠に記憶されていくでしょう。私も同じなのですが、量産車輌のジュリアスプリントの基本設計とジュリエッタから始まった1300エンジンのバランスのすばらしさがあったからこそGTAが生まれ、またGTAのみならず、多くのバリエーションを産み出したのも誰もが納得することではないでしょうか。
数年前にブガッティクで見た、アルミむき出しでボディだけの1600GTAの悲しさは、35年以上の時とともに土に帰るのを待つような情景でした。阪納氏「アルミも鉄も腐食と時間にはかなわない」の言葉は「はかない初恋」で、老骨に鞭を打っても時によってすり減らされたボディの強度は答えてはくれない。「ところで大内さん、セダンの156はGTAではなくTiスーパーですよね?」

                                   2004/04/10 真田


Posted at 2008年06月11日 18時54分19秒  /  コメント( 0 )

活動記録

知的障害を正しく理解する会」では、知的障害(自閉症、知恵遅れ、ダウン症等)の正しい認識を、一人でも多くの人々に理解してもらい、社会参加を応援しています。

総則

平成4年3月
江東区内の作業所である「のびのび作業所」「若竹作業所」や障害者子供教室の「まつぼっくり子ども教室」「さくらんぼ子ども教室」と以奈場木材蠅良稱貪が中心となり、チャリティーバザー、ハイキング等の福祉活動を開始する。


平成6年3月
江東区文化センターにおいて、第1回チャリティーコンサート「この大きな空に見守られて」開催。


平成6年9月
江東区文化センター・イベント広場にて、ライブバザー「ありがとう」開催。


平成7年6月
江東区文化センターにおいて、第2回チャリティーコンサート「この大きな空に見守られて」開催。


平成7年7月
江東養護学校、あすなろ作業所、のびのび作業所等と、知的障害者の実習教室をスタート。


平成8年4月
本格的福祉工房を目指した会の母体、螳ο造スタート。


平成9年10月
第3回チャリティーコンサート「MUSIC BAZAAR IN 野音」開催。


平成10年9月
第4回チャリティーコンサート「MUSIC BAZAAR IN 有明」開催。


平成11年9月
第5回チャリティーコンサート「MUSIC BAZAAR IN 野音」開催。



Posted at 2008年06月11日 18時31分37秒  /  コメント( 0 )

総則

総則
(名称)
この団体は、知的障害を正しく理解する会と称する。

 
(事務所)
本会は、主たる事務所を東京都江東区におく。
必要に応じ、支部を置くことが出来る。

 
(目 的)
本会は、各分野で豊富な知識、見解、経験を有する会員相互の協力により知的障害という名称の正しい理解と認識を、色々な機会を通して教育普及活動を行うとともに、不特定多数の市民・団体等を対象に助言または支援・強力を行い、より多くの知的障害者の就労、社会参加を推進し、もって社会教育、福祉の増進、人権の擁護、健全なまちづくり、地域交流等の公益の増進に寄与することを目的とする。

 
(活動の種類)
(1)社会教育の推進を図る活動
(2)福祉の増進を図る活動
(3)人権の擁護の推進を図る活動
(4)まちづくりの推進を図る活動
(5)地域安全のための交流を図る活動


Posted at 2008年06月11日 18時24分57秒  /  コメント( 0 )

第1回 MUSIC BAZAAR

平成6年3月20日 江東区文化センター

出演:障害者のうたごえ、ハンディーズ、ELLIS、中村哲、佐藤満、マック清水、長沢ヒロ、ジョニー吉長、金子マリ、森園勝敏 他

朝日新聞にも紹介されました。


Posted at 2008年06月11日 18時18分57秒  /  コメント( 0 )

第2回 MUSIC BAZAAR

平成7年6月10日 江東区文化センター

出演:ジョニー吉長、金子マリ、あんべ光俊、ELLIS、中村哲、水越恵子、野村義男、森園勝敏、坂下秀実、佐藤満、岡井大二、中村真一、中村哲、長沢ヒロ、鈴木トオル 中村祐介、三松亜美、しばたはつみ、ハンディーズ、障害者のうたごえ


Posted at 2008年06月11日 18時17分13秒  /  コメント( 0 )

第3回 MUSIC BAZAAR

平成9年10月25日 日比谷野外音楽堂

出演:西岡恭蔵、近藤房之助、永井充男、金子統明、ジョニー吉長、加部正義、チャー


Posted at 2008年06月11日 18時15分42秒  /  コメント( 0 )

第4回 MUSIC BAZAAR

平成10年9月19日 有明プリズムスクエア

出演:ジョニー吉長、チャー、加部正義、SALSA SWINGOZA、しばたはつみ、西岡恭三、SKIP COWS、東野純直


Posted at 2008年06月11日 18時14分12秒  /  コメント( 0 )

第5回 MUSIC BAZAAR

平成11年9月23日 日比谷野外音楽堂

出演:JJプロジェクト(ジョー山中&ジョニー吉長)、四人囃子、大儀見 元&サルサ・スインゴザ、THE 3 PEACE、ムッシュかまやつ、エディー藩、加部正義、ミッキー吉野、近藤房之助、中村 哲、金子マリ、永井 隆


Posted at 2008年06月11日 18時13分03秒  /  コメント( 0 )

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