
失われた20年の犯人は?no2
今回の大震災での東電福島第一原発事故対応は多くの批判を集めています。
「なぜ?後退的対応しかできないだろうか?」
が一番の疑問ではないでしょうか。
バブル全盛期に「ジャパンno1」と持ち上げられていた事への違和感を
感じていたのは私だけではないはずです。
この二点での疑問と違和感は同時進行して20年以上日本国に蔓延しつ
つ、現在に至っています。
GNPでの経済復興達成感は日本全国中流階級生活と意識でひとつの頂点
を成し遂げたのですが、「本当に幸せか?」の疑問を持ちつつもバブル
全盛期で個人の幸せよりも、他人の幸せを気にする、雑誌等で紹介され
る生活や物資での幸福度を計る「疑問と違和感の幸せ」でしかなかった
のでした。
その後はバブル崩壊で慢心していた生産工業品は高度なもの意外は新興
国に押され、「海外から貧乏が輸入」される時代になったのですが、そ
れも「疑問と違和感」で現在に至っています。
謙虚を忘れた日本人が素直に過ちを認め、反省を通し次の段階に進んで
行く努力はできなくなり、自己防衛を始めたことが「失われた20年」
そして、今回の東電と経済産業省の何もでき無い対応に繋がるのでしょ
う。
2011/05/20
眞田文宏
Posted at 2011年05月20日 13時54分47秒
トラックバック一覧