2011-04-23 の記事

人の命と食料の命と動...

最初に・・・・・2年前の9月に父が亡くなりました。

退院する朝に容体が急変して2日後のことでした。

人の命とは、あっけないものです? ある事情で夜、泊まりの看護を2ヶ月半のしたのに虚しかった想いがありました。

今回の大震災で、都知事が「天罰」だと被災者の気持ちを逆なでするような発言をして問題だと新聞などのメディアに取りだたされました。

ある意味では、人が自然界に行った行為で、自然界が逆襲して来たのかもしれません? 

本題にはいります。

動物は、生きる為に同一種族でも殺して食料にします。

本能がそうさせているのでしょう

人の食料は、多種多様な生き物で構成されているのが事実です。

人は、自分たちの同一種族を決して食料としません。

それは、道具を使うという理性があるかです。

人は、自然界を自分の為にあると勘違いしています。

もし人が、道具を使うことが出来なかったら、かなり弱い動物です。

人が食べるものは、尊い命の犠牲の上で成り立っていることを知っているのに、今回の大震災のような事が起きると、人の命が一番尊いものだと思ってしまいます。

今回の災害で亡くなられた方々の命は尊いものですが、自然界の中では極一部の出来事かもしれません?

人の命も、食料としての生きているすべて命も、自然界の何か基になるエネルギーがあって生きていけると考えてみるのも悪くないかもしれません?

食べる時に、鳥や牛の命に感謝して食べる人は一人もいないと思います、こういうときは人にも動物と同じ心が存在します。

人が人として生きて行く為には、尊い命を犠牲にしていることに感謝し、人の住む場所と他の生き物がすめる場所を厳格に分けて、程々に共存出来るような生活様式の確立が求められると思います。

最後に一つだけ、大阪人じゃないですけれど、何につけても程々がいいんじゃないんですか? 

次回は、災害の全容が判ったころに・・・・・・・

Posted at 2011年04月23日 21時17分07秒  /  コメント( 0 )