赤坂ときめき工房は、お着物や和装の装飾品の販売だけでなく、着付け教室・ヘアメイク教室も運営しております。
2010-07 の記事

ときめきのうらわざ集1...

ときめきのうらわざ集   1

きものの基本姿勢
まっすぐに背筋をのばし
肩を水平にそして首の外側の筋を引っ張り上げるようにして
お腹を引込めお尻をしめる(喉の部分に皺ができず二重あごにもなりにくい)
手・・・自然に下におろし
足・・・膝の裏をのばし足の裏は指の付け根に力をおく
そして 大きく深呼吸

(きものの立ち姿)
美しい立ちとは 正しい基本姿勢から片足(左足)を半歩引く。
左足の膝をつけるようにして、かかとを後斜めに蹴りだす要領で
(そうすると裾つぼまりになって腰の線がやわらかく見える)
左足を後斜めに蹴りだすと同時に左に首を傾げることによりさらに優しい立ち姿となる。
首をかしげるとき首はまげるのではなくあたまの天辺に糸が付いていると創造しその糸に動かされていると考えた傾げ方(こまの回し方))
左に傾げる時は出来るだけ右の首筋を伸ばし頭の芯が引っ張られているような感覚。
この時かしげた反対の肩を下げることで より首が長くそしてなだらかな肩の線を表現できる。
美しい着姿は 願えば かならず叶うと 思っています。


袂に全神経を集中させて
袂の動きにつられて体を動かしていけば 自然のしぐさに優しさが加わります
反対に 身八つ口から肌がみえることは きもの姿の中でもっとも見苦しいことです

ときめきのうらわざ集1


Posted at 2010年07月28日 18時28分22秒

下駄と草履はどうして...

下駄と草履はどうして生まれたか

下駄の先祖は田下駄という板です。水田には、深田とよばれる非常に泥々したたんぼがあり、中に入ると足が沈むので、足型より少し大きい板をくくりつけて仕事をしました。これが田下駄です。
 ところが、この田下駄は、たんぼの中以外では歩くのにたいへん不都合なのです。板の裏に回している縄紐がすぐにすり切れてしまうからです。そこで歯をつけた。これが現在ある下駄の原形です。この日本独自の履物は、通気性がよく、地形が複雑でも足裏の板が平面で安定しており、おまけに歩く時に前後に傾くから、クッションの役目をして抵抗をやわらげ、疲労が少ないわけで、その合理性のゆえに、広く用いられるようになるのです。
 最初の下駄は、左右履きかえられないものでした。前孔の位置が片方に寄り過ぎていたためです。それが平安朝になると、穴が中央に移ってきて、その難点も解消されてくる。この頃から下駄は急速に改良されてきます。
 まず、登山用の下駄が発明されます。これは一枚歯の下駄で、高歯といって背の高い歯を差し歯にしたものです。一枚歯で山に登るのは危険なようですが、それは逆で、二枚歯だからかえってすべるのです。この一枚歯の下駄がいかに便利であったかは、比叡山の僧侶たちがみんなこの下駄を履いていて山を登りおりしたことをみても、じゅうぶんうなずけるはずです。鞍馬山で修業していた牛若丸も、この一本歯の高下駄で弁慶と渡り合うわけです。この差し歯のヒントを土台にして、こんどは二枚歯を差し歯にした日和下駄が考案されてきます。こういう具合にして、江戸時代には約二百種類の下駄がうみだされていったのです。
 草履のほうは、もともと足裏を守る藁でつくった履物でした。しかし、爪先から踵までのものでなく、足の前半分だけしかなかった。それを草履といったのです。いまではこれを区別して、足半草履、略して足半ともいっています。なぜ足の前半分しかなかったかというと、昔は踵をつけずに地面を歩いたからです。この方法だととても速く歩け、忍びはもちろん、戦の時の行軍法もすべてこの方法だったのです。
 ところが、草履もいろいろと変化し、種類も多くなっていきます。足半草履では踵が泥で汚れるため、後半分もついたものがつくられる。これがもっとうしろに延びて、踵まで包んで回りから縄でくくりつける、いわゆる草鞋が考え出される、といった調子です。元来、この草鞋は藁靴の一種といえます。それから、ついには現在あるような、爪先を引っかければすぐ履ける草履になっていくのです。
 素材の多くは藁で、古くはミョウガの繊維や麻が使われていました。軽くて、丈夫で、通気性に富み、かんたんにつくれるということで、これも日本人のすぐれた発明品のひとつでしょう。
ときめきのオモシロ歴史館 2010・7


Posted at 2010年07月28日 18時07分02秒