
破壊と創造
1
都内のある私立小学校に通う利発な3年生の男の子に、文章を作ってみようと提案しました。
気持ちを表すことばを、プラスな感情とマイナスな感情とに分け、それぞれの文章を作ります。
プラスな感情のことばとは、「うれしい」「ゆかいな」「ここちよい」「与える」などで、マイナスな感情のことばは、「むかつく」「はずかしい」「うらむ」「こわす」などです。
プラスの文章は手こずっていますが、マイナスの文章はすらすらと大人並みの表現力で書いてしまいます。
どっちが簡単だった?と聞くと、マイナスな方がずっと想像しやすくて書き易いと。
子供でもそうなんだ、と驚きました。
確かに、強い感情を思い出すのは、怒りや恨みなどネガティブな方が容易に思われます。
ネガティブなイメージの方が、姿勢や表情が悪くなって、身体で確認しやすいのです。
また、過去に根ざしているということとも関係があるでしょう。
過去を想起する方が、誰しも簡単だからです。
一方、プラスな感情は未来的な感じがします。
過去という下降的な世界に属するものだから、重力に従うように、容易に意識が下方へ誘導され易い、という要素もあるのではないでしょうか。
しかし、下降的な領域にあるものがすべて悪いというわけではありません。
院長の日誌アーカイブ「女神宣言」No.158 『昇るために破壊の次元を動かす』
にも書いてあるように、高い次元を意図して、そのエネルギーを動かすようにすると、それは創造的に作用するようになるのです。
「その法則は破壊の次元も創造の次元も同じように働いている。
つまり破壊の次元を幸せや愛を意図して動かす事で次元の階段を昇る事になる。
これを言い方を代えると幸せや愛の次元に昇るために破壊の次元を動かすのだ。」
2
誰しも抑えられぬ怒りにやりきれなくなったり、繰り返し過ぎてしまった出来事を想起しては、夜も眠れぬ経験があるでしょう。
それらの感情のエネルギーは、胃に潰瘍を作り、果ては自らを殺めてしまうほどに強力なものです。
この莫大な力を創造的に昇華できるとしたら、どれほど素晴らしいものができるでしょうか。
「問題は問題の中にはない。問題は美しい螺旋の次元階段を手に手を取って昇る事にあるのだ。」
No.153 『問題は問題の中にはない』
エネルギーを創造的に使うということは、怒りや悲しみそのもののエネルギーを、直接どうにかしようということではありません。
そうではなく、それに対する見方を変えるということではないでしょうか。
つまり、対象と自分自身との関係性を、自ら変えていくということです。
それは、立ち位置を変えるということです。
例えば、食べ物に捕われている人が、痩せようと思って食事を制限しても、ますます食べ物に執着していくだけでしょう。
「食べるか食べないか」という世界にいるから、食べ物に対する関係性は変わらないままなのです。
食べ物に対する執着がふっと消えたとき、人は違う次元に立っているはずです。
3
では、どうしたらそれが可能になるのでしょうか。
基準を変える、ということが一つの方法ではないでしょうか。
痩せたいのは、きれいになるからで、そうすると人に愛され、受け入れられると思っているのです。
しかしそれは、外側からの基準です。
問題は、それを自覚なく受け入れていることです。
美という基準を痩せているという事実と結びつけ、その基準で自分自身を見て、また人を見ているのです。
その人が鏡の中に見ているのは、自分自身の姿ではなく、外側からの基準です。
そもそも、なぜその基準を持ち続けてしまうかというと、人に評価されたいからではないでしょうか。
この「評価されたい」という気持ちは、バイブルのようにわたしたちを縛りつけているようです。
親にほめられたり、誰かにすごいね、と言われるのは、キャンディーを超えて麻薬のような快楽と充足感をわたしたちに与えてくれます。
でもそれは、親から自然に受け入れてしまった姿勢や歩き方の癖みたいなものです。
いま再び、ものと自分自身との関係性を、自らの力で築きあげていきましょう。
意志があれば、過去さえも再構築できるのです。
まず、自覚のないまま身につけてしまっている、さまざまな基準、捉われに気づいていきましょう。
しかし、それを取り去ろうとする必要はありません。
そうしても、ますます逆に捕われていくだけでしょう。
それらに拘束されている自分自身に気づけば、自分と対象に対する観点が変わり、自然とその次元からジャンプできるはずです。
食べ物を大量に食べてしまう自分を、そんなときもあるさ、と笑って受け入れられるはずです。
そのとき、食べ物の呪縛から解放されて、食欲に翻弄されることもなくなるのではないでしょうか。
4
苦しみも、悲しみも、恨みも、自分自身の新たな基準を構築するエネルギーとして作用するはずです。
わたしが17歳のとき、遠距離恋愛をしており、相手からしばらく連絡がなかったことが辛く、あふれ出る感情をどうしようもできなくて、ただ部屋の中で泣いていたことがあります。
昔から自分の感情に対して客観的に観察しているところのあったわたしは、そのときも心の中で生起している、生じては消える激しい泡のような想いを、ただ言葉にしようと眺めていました。
啓示のように、突然自分自身が外側から観え、その自分を愛情深く抱きしめている自分に気づきました。
そして、相手の存在を深く感じたのです。
と同時に、あれほど激しかった想いが、炭酸の泡が消えるように、一気に霧消していきました。
このとき、わたしは自滅に向かう破壊的なエネルギーを、創造的な次元へ昇華することができたのではないでしょうか。
ついでに、自分と相手を愛せるのだと実感したのと、恋人から久しぶりの電話がかかってきたのは、同時でした。
人生を意図的に素晴らしいものにしよう、という挑戦のために、プラスな要素ばかりでは足りません。
マイナスな要素、破壊的なエネルギーを創造的に変える、そこにこそ、わたしたちの挑戦があるのではないでしょうか。
Posted at 2008年11月25日 03時00分49秒
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