
女神誕生日
先日の日曜日に、女性専門講座がついにフィナーレを迎えることができました。
全員が認定テストに合格し、基礎講座の認定書を授与されたのです。
受講生より誰よりも一番喜んでいたのは、きっとわれらが院長でしょう。
シュークリームみたいにとろけるような顔を浮かべて、最期の講座を進めていたのはとても微笑ましく、ここに集まる人々は患者さんでも受講生でも、皆この正直でいつも一生懸命な先生が大好きなのだろうなぁ、と思えた瞬間でした。
基礎講座はまだ初歩的段階で、量子場という一大絵巻の、ほんの一端しか触れていないでしょう。
しかし、この講座を通じての意識的な大脳世界から無意識的な小脳世界へのジャンプは、大いなる跳躍・驚くべき自分自身の再発見といえるのではないでしょうか。
はじめは断片的で、バラバラに散らばっていたパズルのピースを一つ一つ合わせていくような試みが、基礎講座を終えることのできた現在、ぼんやりと全体像が見えてきたような、そんな感触を抱けるのです。
有名なナスカの地上絵は、地上からだと地面の色や形状のちょっとした差異としてしか認識できません。
しかし、上空200mにも上がって見下ろしてみると、見事な絵として浮かび上がってきます。
このスケールの大きな作品を見出すことは、土の色が違っているとしてしか気づくことのできない地上からでは、不可能です。
地面にいては、高い位置の視点は持ちえないのです。
地上の観点と、高い位置の観点はまったく異なるということがお分かりでしょう。
認識の違い、世界観のバリエーションも、自分自身がどこに立っているか、という場の違いによるところが大きいのではないでしょうか。
人間関係の問題など、どんなものでも、近視眼的視野だと一元的な考えしか生まれず解決の糸口が見つかりません。
でもちょっと離れて見てみると、視野の拡がりを感じ、別の角度から見ることができ、問題を問題視することすらしなくなるのを、わたしたちは経験しているはずです。
基礎講座を終えたわたしたちは、ようやくほんの5mほど地上から上昇することができたというところでしょうか。
5mでも、地面に立っているときとはずいぶん視野が違います。
高い位置に立つと、これまで依ってきた考えや価値観の基準点というのがよく見えます。
一見関わりなく別々に存在していたものや、矛盾している事物が、等しいものとして感じられる自分に気づくようになりました。
ちょうど、人を憎むことと愛しく思うことが、等しく愛という思いから発せられているのだ、と実感するように。
愛と憎しみは互いに反発し合うのではなく、またどちらかを否定すれば良いというわけではなく、高い愛という観点からだと、同時に一緒に包み込むことができると思います。
感情的に様々に経験されるものが、高次にある愛として抽象化されるということです。
この、個別の現象を抽象化する、という点にわたしたちの知性が活かされるべきではないでしょうか。
嫌な自分、消し去りたい過去、変えるべきと思っている要素は、高い地点に立ったとき、全部すっぽりと受けいれることができるのではないでしょうか。
たった、地上5mのポイントでも、そんな自分を発見することができるのです。
それが、現在のわたしにとって何よりもうれしい経験です。
わたしが目指している女神は、きっとナスカの地上絵どころか、この地球を遥か高みから見下ろす地点に澄まして立っており、すべてをにっこりと微笑みながら受け入れられる、そんな存在者なのではないかと思っています。
Posted at 2008年07月22日 17時42分11秒
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