WHAT'S NEW

存在☆非在の意味
前回行われた、「存在と非在」の講座を受けて思いました。
この技術は、これまで自分自身が強固に持っていた思い込みを崩壊させることにつながり、また、新しい目標設定を現実化させるために有効なツールだと!
誰しも自分に対する思い込みってあるものですよね。
「わたしどうせバカだし」とか、
「わたし不細工だからもてないし」とか、
「わたし足が太いからミニスカートなんて無理だし」とか。
うっかりすると、一日中頭の中でこんな言葉を繰り返してませんか?
街ですごいスタイルのいい(これも思い込みのうちの一つ)美女とすれ違うと、「どーせあたしは」っていう言葉が、頭の中を駆け巡りません?
このフィルターを介してものを見て、人と出会うから、ますます自分でつくり上げた思い込みは頑強になっていく。
そしてしまいには、親が悪いからだとか、育った環境が悪かったからだとか、外側のせいにし始める。
いやいや、外側に原因があるのではなくて、本人の心の中にあるものですよね。
つまり、当人の考え方に原因があるわけです。
「自分が不細工だから、もてない」のではなく、
自分のことを不細工だと思っているから、「不細工はもてない」という図式を自動的にあてはめて、もてないと思っているだけです。
「自分のことを不細工」だって思っているのは、自分です。
鏡を見ても、「不細工」っていうふうに脳が情報処理しちゃっているのです。
「だって、そんなこと言ってもモデルのなんとかちゃんやなんとかさんに比べたら、わたしなんて全然酷い...。」
なんていう反論が出てくるでしょうが、なんで比較するの??って思います。
人を好きになるのは、その人のその人にしかない固有性に惚れるわけで、他の人と比較することなんてできるわけがない。
わたしでさえ、昔の彼氏に
「君はシンディ・クロフォードよりゴージャスで、まさにマリリン・モンローが普遍的な存在であるように、普遍的な女なんだ」
なんて言われて、こいつ大丈夫か!?と心配しましたが、友人に「一般的にはもちろん違うけど、だって彼氏だもん。彼にとってはマジでそうなんだよ。」
と説明され、なーるほどそれが恋愛というものか、と納得しました。
これもまた、好きになった相手のことを「可愛い、美しい、すばらしい」という信念のフィルターをとおして観ていますよね。
「あばたもえくぼ」というやつです。
恋愛という主観的な体験は、こういうことがまざまざと体感できる機会です。
一般的に、人はなんらかの観点において、またなにかを前提にして、ものを観たり、感じたりするものです。
「わたしどうせバカだし」という信念を持っている人は、つねにそういう観点で感じ方が決定されてしまいます。
たとえば駅の自動改札で、センサーの不具合でPASMOやスイカが反応せず足止めになったときに、「わたしどうせバカだから」という反応になるわけです。
同じ状況でも、「わたし人気者だから」という信念の人なら、「また改札で止められて、みんなの視線を集めちゃったー。わたし人気者だからなー」というように感じるわけです。
何にフォーカスして感じ、思考するか、はどのような思い込みを持っているか、によるわけです。
思い込みとは、感じ方や考え方の前提といってもいいでしょう。
無意識は、前提になっているもの(無意識的に肯定しているということですから)に力をより与える性質があります。
「わたしどうせバカだし」と思っている人は、無意識的にバカであることを選択してしまうのです。
その無意識の選択が、さまざまなバカと思われる状況をもたらすようになるのです。
こわいですねー、無意識の力って。
だったら、自分に都合よく生きやすいものに変えた方がいいわけではないですか!
思い込みは実体のないものですから、自由に設定できちゃいます。
それをスムーズに、かつ効果的にするツールに「存在と非在」があるわけです。
無意識が容認し、肯定しやすいよう、新しい思い込み(ヴィジョン)を「存在」にもたらす。
そして、これまで自分が呪縛されていた古い思い込みを「非在」に追いやる。
それが、たった一つのワードを言うだけで無意識的な準備が整うのですから、驚いてしまいます。
このツールで、さまざまに状況や身体の状態が変化した人が結構いらっしゃいます。
わたしも、新しい身体の使い方、歩行運動を認識し、そして身体のプロポーションが変わってきたと実感しています。
きっと、地方にお住まいの方はそんなこと言ったって、講座に出られない!と嘆くかもしれませんが、大丈夫です。
トランスの技術があってこそ、「存在と非在」はより実質的な力を持つようになります。
自分が認識したことのなかった未知の領域にあったものを存在にもたらすだけではなく、それを保持する必要があります。
そうでなくては、実質的に身体は変容しない。
トランスは、まさにそのための技術です。
まあそんなことで、今年の夏、ちょっと引き締まったこともあり、脚が太いにもかかわらず、13年くらい前に履いていたミニスカを思い切り履いて中目を闊歩しているわたしでした。
Posted at 2010年09月03日 01時08分36秒
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昨夜は眠れなかった。というより眠りたくなかった。とても興奮していてもっと余韻に浸りたかった。
これはラムサ韓国イベントツアーに参加して帰って来てからの出来事です。成田空港から車で帰るときドライブがてら成田市街を2周(道を間違えたのもあり)もしてしまった。
もっと疲れてぐったり寝てしまうと思ってたのに体がとても軽い。
次の日起きられないかもと心配だったのにも関わらず、ルンルン気分で出勤した。
こんなにもエキサイティングした日々はあったのだろうかと思うくらい言葉にならない感動が染み渡るのを感じた。
ラムサの本物もビデオも何か得体の知らない強さを感じ、極力目を離さないようにしました。
白雲の道に出会い今まで自分の変化、能力の向上を目指していたところがありましたが、時々私が思っていない方向ではないような気がすることもあり、その加減が調整されてないなと感じていてこれもまたグッドタイミングで出会うことができました。
ラムサは言います。貴方の中に神が存ると、それまで私の言っていることすれば現れると、グレードワークを実践させます。私にとってまだ未知の領域かもしれませんが、可能性は開かれていると感じます。
不覚にも3日目の午前の講義を聞いている途中、突然寒気と頭痛胃痛が起こり、嘔吐してしまう。左右の軸が不バランスなことを感じ量子場調整を試みたものの一瞬は良くなりますが結局そんな事態になってしまった。
けど夜には胃の調子以外すっかり調子を取り戻し、何か私自身浄化されたように気分が晴れやかになったのでした。
ここで私の弱いところを改めて感じ再構築していきながら、人間的にこの場を味わい歩んでいくちょっとした決断ができたようです。
講義の時、常に左隣にいたちょっと心配な彼女がいました。
多分何かを変えたくてただ何をすればいいのか分からなくてやってきた模様。
彼女の中には漠然と変化を求めているなとは感じているのだけど 、何をどう振る舞っていいやら覚束ない様子。
2回目の講義の時ノートに「自分自身何らか変わりたいと思うのならとりあえずやってみる、ただやってみる。」とのメッセージを書いて渡しました。
変化を求めるのならまず自分から行動してみるしかない。ただ待っているだけでは何も起こらない。とりあえず一歩でも行動してみるしかないと思うのです。
彼女は頭を縦に頷いて少しづつ取り組むようになりました。
見ていると若い(幼い)頃の私に似ているところがあります。
幸い私は行動力だけはあったので、失敗しながらも何かしら掴むことはできました。
ラムサは今ここから再構築することができる、無からすべてのものが可能性としてそこに在ると言います。貴方次第とも・・・
彼女にも私にもすべての人も可能性は在るのだと思います。
帰りの車で一緒だったので、起こってしまった出来事にどうしたかったやどうして欲しかったとの過去を振り返る前に、どうしたいやどうして欲しいを言えるようになるといいね。と話し別れました。
大きな変化は(性格が180度変わるなど)ありませんが意識の変化は確実に変わっているのが解ります。
より意識的になりよりエネルギッシュになった感じ(笑)
本当に意識の大きさ、力、可能性には改めて感動します。
Posted at 2010年08月31日 09時58分14秒
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3daysの感想!
長年抱えているコンプレックスは、過去のあるときに自分が自分自身にかけた魔法のようなもの。
本人はその呪縛の中にいたまま自分を観るから、深刻に悩むけど、他の人にとってはぜんぜん気にならなかったりする。
悩みや苦しみは、物質のようにあたりまえに存在しているわけではなく、意識が悩みが生じるところにフォーカスしているから、ずっと抱えてしまうにすぎない。
その固まってしまった見方を、量子場調整がすこしづつ氷解していくのかもしれない。
今回の彼女も、この講座を受けてその魔法が溶けるきっかけになったのでしょう。
そして、魔法は自分自身の可能性や考え方を制限し呪縛するものではなく、むしろ自分自身を未来に向けて創造していく道具であることを、これから体験していくことになると思います。
過去の魔法が溶けてよかったね。
そして、自分自身を創造していく、本当の力に気づいていってください。
☆゜・*:.。. .。.:*・゜☆゜・*:.。. .。.:*・゜☆゜・*:.。. .
篠 朋美さま
こんにちは。
先日は大変お世話になり、どうもありがとうございました。
わたしにとって素晴らしい夏となりました。
量子場の講座はほんととても楽しかったです。
これからの人生にとても役立ちそうです。
朋美先生は、とってもかっこよくて素敵でした。
朋美先生の一言一言に励まされます。
朋美先生や院長先生やあやさんやゆうこりんなど皆さんにいっぱいほめていただいて、すごくうれしくて、ほめていただいたことだけでも、この講座に参加してほんとによかったなって思ったくらいです。
量子場をがんばって、自分自身、これから氷が溶けるように、意識のこわばりがほぐれていきますように・・・。
もっともっと魅力的で素敵なるぞ!!これから、どんどん変化していきます!!
アドバンススタートも楽しみです。
院長に首を調整していただいて、ほんと首がまっすぐに長くなり楽になりました。
ありがとうございました。
あれから、毎日朝晩量子場調整かけてます。
ほんとに疲れなくなったようです。
長旅からかえってくるといつもちょっと心身ともに消耗していたのが、今回はとても元気です。
他の人の波動を見るのも少しずつやっててだいぶ慣れてきたようです。
毎日コツコツ頑張っていきたいと思います。
これからどんな変化があるかとても楽しみです。
☆゜・*:.。. .。.:*・゜☆゜・*:.。. .。.:*・゜☆゜・*:.。. .
他の3days受講者の感想
もうひとつの誕生日
自分自身で良いのだ
3days量子場調整の詳しい説明はこちら
Posted at 2010年08月30日 13時16分23秒
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You have the POWER !! ラムサのまね
ラムサに会った 後編
今回のイベントに参加して再確認したのは、わたしたちの思考が現実をつくっているという、揺るぎのない事実でした。
ラムサは、意識とはつねに流動しているエネルギーの場であり、なにかアイデアが生じて、つまり思考が生じて、無形の状態のまま波のように漂っている場がギュッと固まり、それがわたしたちの現実になる、と言っています。
まさに、量子場調整で説明していることと同じですよね。
思考を発さなければ、「だるまさんが転んだ」の鬼が目をつぶって「だーるまさんがー…」と言っているように、外側の現実は未定のまま動いています。
そして「こーろんだ!」と目を開けると、これまで動いていていた子供たちがギュッと固まり、現実が決定します。
その、「ころんだ!」と言って目を開けるのを、どの次元とタイミングで行うかで、わたしたちの現実はまるっきり違ってきますよね。
ラムサに今回教わったことは基本的なことで、簡潔に言えば、どの次元にフォーカスして、どのような態度で「ころんだ!」と言うかという技術でした。
起こった出来事を誰かのせいにして生きていたい人は、被害者になるよう現実にフォーカスしているし、つねに自分が評価されているか気にして生きている人は(過去のわたしです!)、優れているか否かという振り子の中で揺れ動きながら現実にフォーカスしている。
何にフォーカスしているか、という観る自分自身の態度が、観られるもの、つまり現実を決める。
わたしたちは、誰にコントロールされているわけでもなく、ものを自分自身の観たいように観ているのです。
なので、ラムサはまずものをありのままに観るよう、説明します。
苦しみは、ありのまま観た結果ではなく、苦悩したいという必要性から、優越感は人と比較して優れていたいという必要性から、嫉妬や淋しさはつねに愛されていたいという必要性から、あるいは相手を支配したいという必要性から生じるもの。
必要性とは、ものをそのように観ている態度です。
その態度が、自分自身を制限し、さまざまな苦しみや罪悪感という感情の高低を体験させる。
けれども、なかなかわたしたちがそれを手放さないのは、大きな力を持っている集合的な意識の影響でもあります。
いにしえの人間は、まだ物質や化学物質の反応である感情に自分自身の力を制限することはなかったという。
いつの間にか、物質的なものを真実とみなすように世界を体験し、化学物質である感情をもとに生きる決断をするようになった。
そしてその選択が、現在のわたしたちの世界の総体であり、そのように制限された真実が、わたしたちの思考し体験する脳をプログラミングしていった。
そのプログラミングのおかげで、わたしたちは自分たちの内側にある神の存在を忘れていってしまった。
なのでラムサの初歩的な技術は、これまでのプログラムを再構築し、いま、ここにフォーカスするという目的を持っています。
これまであたりまえと思っていた現実から、どこでもない場、いま、ここ(now here いま、ここ = nowhere どこでもない)に、自分自身をシフトする。
神は、これまでアクセスできなかった領域(nowhere)に眠っており、そのとんでもない領域にアクセスすれば、覚醒して無限の力を持つようになるー。
“ Focus ! ” ” You can do it ! ” というラムサの激昂が耳に残っています。
韓国のイベントから帰ってきたいま、この教わった技術をやらずにはおれません。
現地で味わったクリアーな意識、なにものに対する不安も恐れもなく、ただ未来に開かれているシンプルな意識―。
その高揚と喜びを感情的に体験するということに、まさに今回のイベントの意図があったのだと思いました。
感情が伴えば、またそれをやりたくなるし(感情は繰り返すという性質があります)、それを基盤にどんどん自分を拡大していけます。
量子場調整は無意識からの調整法ですが、ラムサの技術はより意識的なものです。
二つの技術は、静と動、女性性と男性性、というようにコントラストがくっきりしていると思いました。
あたかも陰陽が相補ってあるように、二つの技術は自転車の前輪と後輪のように、互いに不可欠なものとして関わりながら、わたしの意識を未来に運ぶために活性化しているように感じられます。
日本に帰ってきて、テレビやマスメディアが垂れ流している情報の不快感が以前より強烈に感じたり、食べものの味がより多様に感じられたり、耳に触れる音楽が立体的に拡がって感じたりと、ちょっとした変容が起こっています。
目に触れる景色や、出会うなじみのある人も、とても新鮮に目に映ります。
ラムサがわたしたちの意識にまいた変容の種が、成長しつつあるのでしょうか。
もっともそれをものにするには、日常レベルでの行動次第です。
わたしは、やっと本物に出会えたようです。
これまでもずっと、意識の覚醒を求めてさまよい歩いてきたのでした。
ラムサー。
あなたに出会ったあの日から、わたしはあなたに恋してしまった。
いや、実際に魅了されたのは、ラムサではなく彼の説く自分自身の神にだ。
これを、ただの片思いや、絶対的なものへの信仰などで終わらせないよう、毎日歩んでいこう!
Posted at 2010年08月28日 17時53分39秒
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8月27日 熱い一日
ホメオパシーバッシングについて
最近、現代医学とその学会組織、あるいはその報道に正気とは思えない新聞報道がある。最も正気を保持しなければならない頭脳集団と称する彼らが、闇雲なことを言い放ってはばからないのはどうしたものだろう。
人間の健康は意識が大きくかかわっている事は誰しも知っている。その気持ちの如何が病気を自ずと癒す力でもあり、逆に気力が消えてしまうほどに病魔にその無垢な肉体をさらしてしまうのも気持の歪みや意識のズレにある事も多い。
病気は薬のような化学によって癒されると現代医学は考えているようだが、それは違う。身体は特殊な分子構造を持っている薬の波動によって癒される。また肉体は直接的な個人の気持ちや集合的な意識によっても影響を受け、腫瘍のような物理的な気の遮断によっても影響を受ける。
物理化学にだけ焦点を合わせる現代医学は、それなりの成果を収め素晴らしいものがあるが、それだけではないのは医師達でさえ百も承知なことだろう。
それを、頭脳集団と称する現代医学が、彼らには理解できない波動を基盤に置いているホメオパシーを荒唐無稽と決めつけるのはおかしな話だ。
確かに代替医学の中にも問題がないわけではない。だが、その問題は代替医学の中にあるのではなく、その教育の中にあるのではないだろうか。その素晴らしい力を有している技術が机上の空論や一般的な占いのようになってしまっては辛いものがある。
私も代替医学である鍼灸学校に30年ほど前に3年間通ってやっと鍼灸師という免状をもらったものだが、その教育に大きな不満を感じていた。
東洋医学を勉強に行ったのに、実際は西洋医学の内容で無用に近いほどの時間を延ばし、卒業したころは西洋医学流に理屈は述べる事は出来たが、鍼灸師としての実力も実感もなかった。
60名いたクラスメートも免状はもらったが誰も技術に自信を持てず、今に至ってはその中で私のような変わり者しか鍼灸業を続けている者はいない。これはまさに鍼灸師という免罪符に近い利権を3年と数百万円で買わされたかのようだった。
今にして思う事は、この期間に物理的な世界をしり目に気の世界をただひたすら身体で理解し、使いこなす事ができるように時間と費用を費やすべきだったと思う。
同じ事が、代替医学全体に言えると思う。気の力や波動の影響、心の在り様等は身体の健康に物理化学と同じ程に力をもっているのだから、この力に精髄するために独自の観点で時間と能力を使うべきだ。そのように成されなければ、どんな学校も浅はかな免罪符以上のものではないだろう。
現代医学はここ数百年ほど日本社会に大きな功績を残しているのは確かなことだが、ミスや間違いが多いことも否めないはずだ。たとえば私の母親は西洋医学の熱い加護のもとに85歳で天寿を全うしたが、親父は誤った薬の服用で劇症肝炎を引き起こし、10日ほどでこの世を去り、姉は若い時に受けた輸血によってC型肝炎になって50歳で発症し多くの思いを残して去って行った。どんな家族の中にもそのような思いがあるだろう。
現代医学が今だ完成されていないのなら致し方のないことだが、それならホメオパシーのような多くの可能性を秘めた技術に対して、自分たちを頭脳集団と称して荒唐無稽とかたづけるべきではない。気や波動を扱う技術はいくら高い頭脳集団でもそれなりの体験とトレーニングがないと理解され得ない事を知るべきではないだろうか。
Posted at 2010年08月28日 17時32分34秒
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日誌 8月29日(晴れ) 熱い一日
6,7年ぶりにあらゆる面での師と思っているラムサが韓国にやってきた。11年前に日本の長野で会った事があり、それ時以来本拠地であるアメリカには5,6回行った事がある。
この6,7年の間量子場の技術が自分でも驚くほど進化していると思う。その進展ぶりを師に観ててもらい、正しい確かな道を歩んでいるかどうかを自ずと確認したかった事が一番の期待だ。2番目はスタッフや娘にも世の中には尋常ではない人が居る事を知ってもらいたかった事だ。そして3番目は私個人の時空では気がつくはずのない気づきを得たかった。
ここ20年ほど取り組んでいる意識と量子群との関係を見据えた量子場調整術、変容術の基本はラムサの神から人類への素晴らしき干渉とも思える、あるエネルギー場の法則を基礎に置いている。
この認識を東洋医学の基本である陰陽5行、経絡運動に展開し、さらに肉体の筋骨構造に展開した。この認識の前に和尚ラジニーシ師の空の説法と修行があり、その前にはソニー時代の物性技術研究の環境があった。
そのような事を考えても私は非常に幸運な人間だと思う。偶然の助けが何重にも敷き詰められているかのような気持ちになる。
今回の韓国での3日間でもラムサは驚くほど元気に見え、この短い時間の間に投げ打つ叡智は半端なものではない。そのなかでもトランスという中脳領域の可能性とその技法には知ってはいた事だったのだが、これほどの力を内包していたのかと感心するばかりだ。
私は私の師を紹介する仕事には関わっていないし、彼らの多くの叡智を広げようとも全く思っていないが、一つだけ明確に言うことはできる。
私たちは真実を知らなさすぎる。誰しもの心に愛は十二分にあるのを疑わないが、自分自身の既得権のように持って生まれた能力を育てることを知らない。つまり自分自身を知らないのだ。
Posted at 2010年08月26日 20時05分10秒
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上手くやろうとしなくていい。その時その場で最善を尽くしていれば、そしてそれに納得できればわたしの確信になっていく。
そこに相手によかったね。って言ってもらえたら尚喜びが倍増するかもしれない。
自分を置いて相手のことが先になり喜ばれることを考えてしまうと、結果ばかり気になり、結果が得られないと落ち込んだりしてしまう。
結果はすでに過去だからいつまでも過去を気にして過去から離れられなくなってしまう。そしてまた力を入れて頑張ってしまうから体も心も固くなっていく。。。
まず基盤を創り上げることが大切なことだと思う。周りが何を評価しても自分のビジョンに向かってひたすら取り組む姿勢。それにはイメージをして力を抜く、リラックスして体を任せる、自分に身を委ねるということも大切な要素なのだ。
ダンスで女性が男性のリードに任せるように、身を委ねるように。
3daysの醍醐味は基盤づくり。論理を理解してもらうのも大切なことですが、頭に詰めすぎるのではなく、それを体に映し出すという体験を通して理解してもらうこと。
そして私自身も頑張る傾向なのでそれができているのか、常に課題でもあります。
3daysの感想いただきました。
くコ:彡 くコ:彡 くコ:彡 くコ:彡 くコ:彡
アヤさん3日間ありがとうございました。アヤさんを通して、色々な角度から観る
(みる)という事を教わりました。
観るには、時間が必要な時があることも感じました。時には、微笑みながら・・・観
ている。
一期一会、この長い一生の中のほんのわずかな時間でしたが、広尾院の近くの有栖川
公園で、
大好きなざりがに、さわがにを一緒に発見できた貴重な嬉しさの共有。聴講生の方々
との共有した時間。
人生過ぎてみた時に、ありがたいふれあいだったのかも知れません。
例え、この先、ゆく道は別れても、量子場を通じて出会い学べた事を、自分一人では
ないことを、だけれど
最後は自分自身の信頼しかないことも含めて、ありがとうございました。
Eちゃん
Posted at 2010年08月26日 12時19分13秒
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ラムサに会った 前篇
Ramtha 地球がテラと呼ばれていた3万5千年前に生を受け、人間としてはじめて地上界から高次元に昇華した存在―。
その人にはじめて会いました。
白雲の道の院長とスタッフ一同、そして親しい人達と韓国へラムサのワールドキャンペーンに4日間行ってきました。
ラムサが会場に現れると、巨大なエネルギーの塊が出現したという感じで、うわぁ!と圧倒されてしまいました。
彼はとてもリラックスしていて、なおかつ力強く、誠実にわたしたちの前にいました。
講義をしている間、会場にびっしり居並ぶ300人を超えるすべての人達にまなざしを送り、皆を一瞬にして観察し、また理解していました。
まなざしとは意識であり、そしてそれはまなざしを送る者への愛です。
ラムサの男性的な大きな愛と、女性的な繊細な愛が、会場に満ち溢れているのを感じました。
言葉の一つ一つには、誰しも抱えていて手放せない過去が反映され、ラムサの深い人間の洞察力にうなります。
ラムサの、集合的な意識を一瞬にして理解する驚くべき力を目の当たりにしました。
講義の初日の冒頭で、わたしのまっすぐ前の壇上に立ち、「哲学に真実はない」という言葉を発したとき、グワァーン!とやられてしまいました。
この4日間の旅で、わたしはこれまで自分がまだ手放せない哲学的な概念やものの考え方が、どのように変容するのだろうか、という一つの課題を持っていました。
量子場調整という技術でさえ、哲学的な観点に置き換えて思考することがしばしばあり、大学で関わった先生達にいずれ紹介しよう、いや彼らは知るべきだと考えていました。
しかし、哲学と体験で習得する技術の違いは、囲碁とサッカーゲームのように異なり、ゲームという点で両者は共通していますが、そもそもゲームをするフィールドがぜんぜん違う。
言語と論理で繰り広げるものと、自らの肉体と脳を使って体験するものとはまったく違う。
わたしたちは肉体を持ち、脳で現実に出会っている存在であり、その体験を通してしか真実はつかむことができない。
哲学は、なぜ生きるか?人間とは何か?という問いを投げかけますが、その答えは哲学という学問のための回答であり、わたしたちの存在に根ざしたものとかけ離れている。
なぜ生きるか?という問いで、生きるという体験をすることは叶わない。
論理では、感情を現実的に体験し生きることを説明できない。
論理は意識の干渉になる、と院長も言っていたな。
ラムサの学校は、過去の感情に反応しながら生きること、自分が優れているという傲慢さや欲望の中で生きること、他人の中に自分の喜びを求めて生きること、それらを傍らに置いて、ものごとをありのままに観て生きるための技術を学ぶ場です。
生きたいと真剣に願う人々が、集い学ぶ場。
ようやく、哲学を捨て、過去のマインドを捨てることの意味を知りました。
ラムサの言葉は、自分自身を超えて覚醒していく人へ発せられるものなので、一般の人間にとってとても厳しい内容です。
また、教わった技術も簡単に習得できるものではなく、長い時間修練する忍耐力が必要です。
しかしここでも、量子場調整をやっていてつくづく良かったと思いました。
院長の考案した技術は、ラムサの学校で紹介される技術に橋を架けることができるのではないか、と思いました。
量子場をやっていたわたしたちは、周りの人が驚くほど元気でした。
相変わらず夜遅くまでワインを飲み、翌日6時起きで終日講義という4日間をこなしました。
(最終日は二日酔いで、ちょっとグロッキーになりましたが)
4日間で体験して出来事を言葉で完全に表すことはとてもできません。
それはまさに、未知を既知にするという体験であり、思考が現実化するというアートを体験的に学んだ時間であり、過去に制限されていた意識を解放する機会でした。
あれほどの高揚感と感動は、体験したことがありません。
本当に素晴らしい旅になりました…!
ありがとう、ラムサ!
あなたを呼べばいつでも現れてくれる。
ラムサ、そしてこのような機会を与えたくれた院長、本当にありがとうございました。
アヤさん、ももちゃん、川崎さん、北川さん、一緒に体験できてうれしかったです。
会場で出会った人達、きっとイエルムでまた会えますね。
Posted at 2010年08月25日 17時19分33秒
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人は誰でも多面的なところがあると思います。。積極的な部分や消極的部分、優しいところや自己中心なところ、それぞれがどこにどう出てくるかの違いでさほど違いなどないような気がします。私とて、人に認められたい思いもありますし、誰かに甘えたいという思いもあります。
真実も見方によって幾通りもあると思います。
また自分が良かれと思ったことも見方によっては良くも悪くもなるのかもしれません。とするなら、自分なりの真実を創り上げればそれでいいのだと思います。
スターウォーズエピソード6の オビ ワン ケノビが ルーク スカイウォーカーに アナキン スカイウォーカー(ルークの父)はダース ベーダーに殺されたと伝え、ルーク スカイウォーカーがダース ベーダーは自分の父という真実を知り何故嘘をついたのか、オビ ワン ケノビ に言い寄る場面があります。
その時オビ ワン ケノビ は見方によっては私の言ったことは真実だ。見方によってたくさんの真実があると話してました。
私にとって経験したものはとても大きな財産になっています。
本もろくに読みませんし院長にもお前は本も読まないしぃなどあしらわれてしまうのですが、
前からその方のいわれることが心に残りまた最近読んでいる本があります。
リアルに現在の社会を見、量子場的観点が書かれています。
桜井章一箸「手放す技術」
その中のおわりに書かれていること、現在人は掴めるものばかりに価値を見出してしまう、お金、権力、情報など・・・でも掴めないほど大切なものがある、体を温める太陽の光、頬をなでる風空気など・・・
本当の気づきを教えてくれるそんな本だと思っています。
なので掴めない場を楽しむことを心掛けています。
というわけで意図しないことでも自ら意図して変化すれば何が起きても大丈夫!だと思うです。
突然話が入った癒しフェア出展。
お手伝いとして協力するはずが白雲の道で出展することになり、何はともあれ楽しむことを意図して行動し、終わってみたらとても楽しく充実した癒しフェアになりました。結果的に成功したと感じます。
誰のせいでも誰のおかげもみーんな引っくるめて場が変化したそんな場になった気がします。
それもこれも量子場調整を人に対して働きかけたい想いが同じだったからなのでしょう。
参加を呼びかけてから早々表明し、細い体で精力的に準備や片付けをしていたYりん、話しの手違いもありながら動じず接客していたHさん、予定変更して現場にチラシを持って駆け付けそのままお手伝いしてくれたTちゃん、お客さんと同じ目線でしっかり量子場の説明していたNさん、「これは本物だ!」とお客様をうならせたMさん、突然現れ一人のお客様と友達のように密に丁寧に接していたCさん、量子場師リストを作ってくれたWさん、準備印刷を手掛けてくれたTさん、東京ビックサイトに向かう途中の電車の中で”頑張ってください”とのエールをくれたEちゃん、差し入れいただいたSさん、チラシを持って来ていただいたSさん、顔出してくれたKさん、Oさん、Kさん、Cさん、Iさん、Aさん、etc・・・最後まで残ってくれたYさん、
車を快く貸していただいたKさん、そして何より技術を提供してくれた院長。量子場師皆様に感謝です。
また第一歩踏み出す場になりました。これからも成長し続けることになると思います。
Posted at 2010年08月17日 01時25分21秒
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わたしを満たす
先日ある人から、誕生日のプレゼントに可愛いハート形のヒマラヤ岩塩をいただきました。
いつもだったら使わずにずっと部屋に飾っておくのですが、連日の講座続きで疲れており、ありがたく自分のために使うことが一番の感謝のしるしだろうと、お風呂に入れてみました。
浴槽に身を沈めて、しげしげと岩塩を手にとって眺めてみると、美しいハートのかたちをしていた岩塩は、表面がもろく毀れていき、じょじょに不格好なかたちに変わっていきました。
そっと舐めてみると、涙のように塩辛い。
自らのかたちと存在を損なうことによって、他の人に大切な力を与えているのだ、なんてちょっと感動的に。
岩塩のかたちをつくっていた力は、外側に流れ、わたしの身体を癒してくれます。
内側にとどまっていた力は、外側に流れると、そのものを超えて大きな力になる。
その力は、人間にあてはめると臓器にある感情の力といえますす。
この力は、自分自身や他の人を癒したり、ときには自分や相手を痛める武器にもなることもあります。
自分という小さな存在にとらわれて人に関わり、ものごとを受け取るから、辛くなることがある。
けれども、喜びや悲しみや愛を感じるのは、自分という個人の身体があるからで、それがその人の存在の証しでもあります。
そんなふうに、自分自身のエネルギーが外側に拡がって実質的な力になるのが、感情の持っている力です。
OVER THE PASSIONで、自分自身の存在を超えて別の人に変容する新しい技術が紹介されました。
感情の力が、他の人の思考パターンや身体の使い方、細胞までミュータントのように、映し出してくれます。
まさに、変容術ですよね。
その人を形成している感情の力が、その人個人を超えて、誰かになる。
感情に囚われているのはその人ですが、自分という存在を捨て去ると、感情の力の可能性は拡大します。
ドイツにいたとき、現地の人と感情的な言い争いをした後、話題が変わると彼らはすぐに気持ちを切り替えられることに驚きました。
こちらが納得できずにいつまでもムスッとしていると、「どうしたっていうんだ?」と変なものを見るような顔をされます。
日本人は「あいつだからムカつく」というふうに、個人と個人で争う傾向がありますが、ヨーロッパの人は、「それはおかしい」というように話す内容で争います。
だから、問題が解決すればいつまでも感情的に引きずらないし、何が正しいかという事実そのものに意識が開かれていると感じられました。
個人的な感情をもっと大きな観点で観るのは、なかなか難しいものですが、それができる技術があれば、自分の身体も人生も再構築する可能性を開ける。
量子場的な観点だと、怒りや悲しみといった感情も、個人の領域にとどまるものではなく、誰しもにある共通項です。
そう思えば、自分に向けられた怒りや憎しみも、可愛いものだと思えるから不思議です。
悪い感情なんてない、良くないのは感情を悪者扱いすること。
わたしも、最近さまざまな感情を体験し、人生をもっと真剣に生きたいと思えるようになりました。
OVER THE SELFの技術も面白く、即効性があって実用的です。
ある状況をもたらすよう意図してみた翌日、わたしには珍しく感情を露わにした口論をしました。
後で振り返ってみると、前夜寝る前に「充実した生活」と発した意図が、そういう状況をもたらしたのだろうかと思いました。
感情がなければ、人生は段ボール紙を噛むように、味気なくなるでしょう。
ときにしょっぱい梅干しに舌がひりひりしたり、濃厚なチョコレートにとろけるほど酔いしれたり、激辛スープにマスカラが流れるほど汗を出す、それが人生のバラエティーというもの。
わたしを超えるために、とことんわたしを満たす!
そのために、とことん人生を味わいつくす。
わたし(満たす + 味わう) = 変容という式になるのかな?
しかし、人生に公式は不用ですね!
Posted at 2010年08月17日 00時18分56秒
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