WHAT'S NEW

海と陸の間
陰と陽の間
出会いというのは不思議なものです。
どんなにつらく消したい過去があっても、それはいまこの人に会うためには必要なプロセスだったんだ、あの事がないとこの人に会うことはできなかったんだと思うと、すべての苦い出来事が、泡のように消えていくのが感じられまず。
いま自分が関わっている人が、どんな人でも運命的な存在なのだと抱きしめたくなる。
この世におけるすべての新しい出会いは、過去を再構築したい、という思いがもたらしているのかもしれません。
その意思が強力な磁場になり、他ではないまさにその人を、自分に引き寄せているのかもしれない。
どうしようもなく魅かれてしまう人、どこかで会ったようなことのある人は、過去の果たせなかった思いを燃やし尽くすために、宿命的に現われたのかもしれません。
なじみ深く感じるのはそのせいでしょうか。
現世に生まれてきたのは、前世でやり残した思いがあるからだ、という話を聞いたことがありますが、思いを消尽させるために、いつも一瞬一瞬緻密な意識で生き、正直に完全に思いを遂げていきたいものです。
それが、この世界で出会う人たちと、自分自身への報いになるのかもしれません。
過去は現在の自分の観点次第で、甘いものにも苦いものにも変容しちゃいますしね。
先日ある女性が銀座院の扉を開きました。
話しているうちにとてもなじみ深く感じられ、この人は会ったことがあるなあ、と思い出したのです。
彼女もそう感じていたらしく、妹みたいだな、と思った途端、彼女はわたしがお兄ちゃんだったと。
その年上の彼女をとても愛らしいと思い、放っておくととめどもない感情が襲ってきそうなので、あえて淡々と接していましたが、この距離感、「間」はわたしたちにはとってなじみあるものだったのです。
この微妙な「間」は、人と人が接する場において、一つの細胞を覆っている膜のような働きをしているのかもしれません。
細胞膜は、自己と他を区別する境界としてだけ機能しているのではなく、必要なものを外側から受け取る働き、外側に輸送する働きをするそうです。
つまり、個体においてただの仕切りではなく、創造的な務めを果たしています。
人と人の「間」も、単なる距離ではなく、互いを創造的に高めていくための場になるのでしょう。
男と女、陰と陽は、あまりにも離れてしまうと、追いかける気持ちは失せるらしいですが、ある程度距離があれば、観るものと観られるものとの関係で、ずっとその関係性が持続するらしいです。
あまりにもくっつき過ぎてしまうと、双頭の蛇のように互いを食べ尽くしてしまうかもしれませんが、この「間」は、互いを生かしながらより高みに昇るために必要な「場」となるのでしょう。
『その後姿を観ている』
互いの関係性が前世からの因縁だったとしても、その過去を現在において消尽することができる。
自分自身と相手を活かすことになるのだから、それが、真に創造的に相手に関わるという事態なのかもしれません。
彼女のトラウマを解放した後、あまりのくっきりと軽い爽快感に、互いに驚きました。
量子場調整の素晴らしいことの一つに、相手を調整しながら自分自身も等しく調整されるということがあります。
重くのしかかっていた過去の想念が、彼女の身体から見事に解き放たれ、世界がキラキラと違う姿を現したように感じられました。
過去を消尽し、現在を創造する。
そのことによって、未来を自分の意志で構築することができる。
過去だけではなく、未来も現在にかかっています。
もともと時間軸において現在から先立ち未来があるというよりも、現在においてヴィジョンを置いたところに、未来が創られる、といった方が真実に近いと感じられます。
過去世も彼岸も現在の自分次第です。
そして、それを決定づけるのは、他でもない自分の観る意識によります。
その日別れ際の彼女の後姿を観て、ますますそう確信しました。
Posted at 2009年07月02日 18時42分31秒
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量子場調整講座3days集中コースの開始
みなさまこんにちは!
銀座院で行われた、量子場調整講座ビギニング第1回目、おかげさまで楽しく終了することができました!
銀座院では特別に量子場調整術を短期で習得できるコースを遠方にお住まいの方や、仕事の都合で毎週講座に通うのが難しい方のために開始します。
これは、全12回の講座の内容を3日(1日7.5時間×3)に凝縮した、短期集中型の量子場調整講座で本講座と同等な内容になっています。
1 day 朝11時より
「自分自身の内なる力に気づく一日」
プロローグ 概要
意識と無意識の関係
小脳と大脳の違い
身体(物理領域)、経絡(気の領域)、量子(オーラの領域)
陰(女性性)と陽(男性性)の違い
7時半より講座終了後ワインセレモニー
2 day 朝11時より
「技術としての量子場構築準備の一日」
波動のプロセス(男性と女性の違い)
美容整体(身体の比率の法則性)
次元論(エネルギーの周波数を意図するベースに合わせる)
言葉と波動
波動を次元毎に立ち上げる
7時半より講座終了後ワインセレモニー
3 day 朝11時より
「技術と法則性を確認する一日」
岩尾院長による量子場調整術技術の構築
構築された技術の確認
認定試験
7時半より
ワインセレモニーとアドバンスコースの概要説明
* スケジュールは、交通の便や都合にあわせてご相談に応じます。
* 講座は基本的にマンツーマンになります。
* 各回ワインセレモニーは、気づきが主になります。
* 費用は本講座と変わらず50万円、分割も可能です。ご相談ください。
講座の中身は、知識として学習・記憶することではなく、本来持っている自分自身の力に気づき、生かすための法則を体験的に学び、それを再現できるようトレーニングするものです。
認定書を得た後、自分自身と他の人に対して、量子場調整を行うことのできる準備ができます。
この量子場講座を通して、多くの気づきや人生がシフトするきっかけになることと思います。
ぜひご参加ください。
認定試験合格者は量子場調整講座第3期生扱いとなり、認定試験後毎月開催されるアドバンスコースに半永久的に無料で参加できます。
このチャンスをお見逃しなく!
http://kokorowave.com
東京都中央区銀座1-12-4 VANQUISH 7F
TEL 03-5579-9568
tomomi@kokorowave.com
Posted at 2009年06月27日 16時22分56秒
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新松戸院からの空
白雲の道治療院銀座に続き麻布院が広尾に移転し、新松戸院が閉院しました。
新松戸院で白雲の道に出会い、この仕事に賭けて出発した地ですので考え深いのもあります。
院長の日誌倉庫に書いてある方々にも何人かお会いしましたが、書いてある通り皆さん素晴らしい方々でした。
もちろん院長の人柄なのでしょうけど、まわりのたくさん素晴らしい人たちに囲まれてこその技術なのかもしれません。
私にとってのこの出会いも今後の力になることでしょう。
新松戸院の荷物を整理していたらいろいろな資料が出てきました。
特に歯に関するものが多く、削る道具や模型など etc
片付けながら手を止めて見入ってしまうこともあり、まだまだ知らないところで
“量子場”の原点が、ここにあったのだと歴史を感じます。
思えば自分の身体に映し出す”観る”ことができたとき、何かしらの能力を持っているのでは?といういい意味での思い込みをしながらここまできました。
今では量子場調整講座でたくさんの若い受講生のパワーに圧倒されながらも、いろいろな視点観点に学ぶこともあり楽しい日々を過ごすことができています。
二期生のひろ子さんが7月1日に板橋にサロンをオープンするそうです。
楽しみですね。
鍼灸の千葉さんも患者さんが絶えず来院されているようで、皆さんの活躍には目を見張るものがあります。
さて広尾院では美容整体の技術を提供していきます。
量子場の技術にも入っているように、法則したがって比率を変えます。
量子場調整ではイメージに展開しますが、実質的に施術をします。
量子場調整の技術も女性は体から構築していくので、体が整えてしまえば
あとは自然に場が整えてしまうでしょう。
体はそれぞれの位置関係や重力に強い姿勢が大切な要素になると思います。体にも場があるのではないでしょうか。
肩甲骨、骨盤の位置がしっかり本来の位置に収まっているのなら、プロポーションはもちろん何らかの症状は軽減されることでしょう。
実践的なことを含めながらの量子場調整の技術も広げていきたいと思います。
ワクワク(笑)
広尾院からの空
Posted at 2009年06月27日 02時28分36秒
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僕たちだって自由でいたいニャー by実家の猫
自由ってなに?
誰しも自分の中にデッカイお母さんがいる。
このデカ母さんは、いつも隅に引っ込んでいるけど、なかなかずぶとい神経を持っていて、いつもあーだこーだと口をはさんでくる。
「あんたはこうしなくちゃならない。」
「あんたにそんなことができるはずがない。」
「あんたはせいぜいこんなもんだ」
デカ母さんの存在はあまりにもデッカイので、いつもなんとなく言う通りに従ってしまう。
むしろ、デカ母さんの言うことに納得しないのはいけないことではないかと、余計なことを考えないようにする。
それを見てデカ母さんは、「ほらね、全部お母さんの言う通りにしていればいいのよ。」とにんまりと笑う。
やっぱりそうなのか、といつの間にかデカ母さんの顔色をうかがってなんでも決めるようになってしまう。
「本当は海外留学したかったんだよなー。でも、デカ母さんはそんなことできるはずがないって言うし、怖いって言うからやめとこう。」
「年収3000万円はもらえる仕事をする能力は僕にはあるはずなんだ。でも、デカ母さんはお前には無理だって言うから、現状で満足しておこう。」
このデカ母さんは、自分自身が設定した制限です。
制限があるのは不自由感があります。
しかし、制限を課している人ほど、現状に満足できず文句を言いがちです。
どうしてかって、制限を自分自身で設けているという自覚がないから、人のせいにする傾向になるのでしょう。
不自由な状態を自分で作っておいて、つまり檻の中に自ら進んで入っていって、「なんで出してくれないの!」としょっちゅう騒ぐようなものです。
では、なぜ不自由な状態に自分を置くのでしょうか。
扉は開いているのに、なぜ檻から出ていかないのでしょうか。
それは、本当に自由になることが怖いからなのではないでしょうか。
その前に自由ってなに?という問いが出てくると思います。
自由とは、自分自身が自分の意志と相手の意志を受け容れること、というふうに過程しておきましょう。
それにまつわるエピソードをお話します。
あるお友達に、お父さんに携帯でメールをすることを提案してみました。
その日彼女が経験したことは、お父さんにとってもきっとうれしいことだから、知らせてほしいな思ったのです。
彼女は、「うーん、でもなぁ。」と躊躇しています。したいんだけど、素直にできないという表情です。
それを見て、「わかった。お父さんからメールが返ってこないのが怖いんだね。」
「そう、そうなんだー。」と消え入る声で答えます。
「妹にはすぐメールを返すんだけど、わたしは2回返ってこなかったことがある。」と。
なんて微笑ましいのだろうと思いつつ、メールをすぐに返信できないなんらかの事情があるという可能性をあれこれ説明しました。
けれども肝心なのは、彼女がお父さんの彼女に対する想い、愛情をメールの返信の有無や時間で計っている、ということなのだと思います。
そこから、「メールが返ってこない→愛されていないのかも」という図式ができてしまい、自らメールをすることに制限をかけてしまう。
彼女の中のデカ母さんが、「あんたがメールをしたって、どうせ無視されるんだからやめときな。」とささいているわけです。
自由ならば、まず自分自身の行動を自分の意志でできるということですよね。
だから、相手のメールの返信を期待しない。なぜなら、それは人の意志だから、その自由を認めることができる。
これを理解すれば、堂々とただシンプルな自分の意志だけで、見返りを期待せず行動することができるのではないでしょうか。
「相手が返信メールをくれるからメールをする」という条件づけの発想もなくなるでしょう。
自分自身の内側の熱い思いに忠実であれば、外側の条件は気にしなくてすむようになります。
それが腑に落ちると、意志を行動に移すという瞬間に、強い力となって発動するのだと思います。
相手の意向を気にする、つまり恐怖があるから、自分の意志のとおり行動する自由を制限してしまうのだと思います。
相手の意向を気にしなければ、つまり、人には自分と同じようにその人の意志で行動する自由がある、ということが実感できれば、制限を手放し、意志のとおり行動できるようになるのかもしれません。
自由とは、ただの概念でも道徳的教義でもなく、自分の意志で実行することから獲得できるのではないでしょうか。
そして、そのことがまた自分自身に自由をもたらしてくれます。
さっきの彼女がお父さんになにかメッセージを送りたいという意志だけでメールを送ります。
そうすると、返事がなくても、たとえ(そんなことはありませんが)メールをするなと言われても、自分の意志に責任を持てるのですから、ぜんぜん苦になりません。
それは、メールをしようかどうしようか悩んでいる段階より、はるかに自由な状態ではないでしょうか。
そして、「あの人はどうせこんな人だから。」と非難したり文句を言うことが、とうていできるはずがない、ということに気づくでしょう。
なぜなら、その判断はもともと制限をした自分自身(自分の中のデカ母さん)が行っているもので、判断は制限から、不自由な状態から生じたものだからです。
自分で勝手に設けた制限で、人をあれこれ非難するのは、ちょっとおかしいですよね。
ですから、まず制限を外して、自分の中のデカ母さんを放擲して(本当のお母さんは大切にします)、自由というこことを腹から理解することが大切なのではないでしょうか。
女の子は、別れ際に「お父さんにメールしてみる。」と微笑んで言いました。
ほんの少しだけ、彼女の中に自由を見つけることができたのかもしれません。
Posted at 2009年06月24日 20時07分12秒
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6 くすぶり燃えている
スイスの地下都市の中、ミーナの様子が今までとは違っていた。彼女は今までに感情を表に出した事は一度もなかった。
このような湧き出す感情は想像だにした事がない。心が大きく動揺しているが、彼女の持ち前の澄んだ意識がそれを静かに見ているところもあった。
始めの頃は、うろたえる自分がいたが、だんだんとその感情の中に人生の意義を感じさせる熱さがあることを感じ取っていた。
地下都市の内側の科学者居住区の住人達は、遺伝子操作によっ受精される事も多く優秀で中には天才的な人間も多いが、恋に心を燃やしているような人間は皆無に等しい。外側の工者居住区では激情の中で生きているが、サディスティックな性向を多く持った者たちで、その欲情を仕事や外側社会で満たしている。彼らに恋やその心の熱さは感じられない。
ブライアンに人間としてのすばらしさを感じてはいるが、このような感情的な炎として感じたことはない。ミーナはこの心をかき乱す、魂を揺さぶられるような思いの中に大切なものがある事を直観していた。
彼女は疑似体験画像によって創造の戦士たちが、東京で過ごし体験している世界を毎日、食い入るように見いり、
「この中に自分と同じ遺伝子を持つミヨとショウが生きている。この二人はこの東京で出会っているのか。どんな生活をし、どんな状況の中で生きているのか。」
その事を思うと心の深いどこかが震え、眠っている何かが目を覚まそうとするのを感じていた。
ブライアンは仕事を終えると、疑似体験画像をミーナと一緒に見るのが、ここ最近の日課のようになっていて。、彼女がこの装置にとても興味を持ち一日の半分以上をここで過ごし、残った大半も日本の歴史や最近の状況を調べているので、その話相手になるのを楽しみにしている。
しかし、ブライアンの気持ちの中にはちょっとした不安があった。
それは、彼女の興味はミヨとショウにあり、創造の戦士50人がその行動の中でいつ彼らに出合うことになるのかの一点だったからだ。
生まれて間もない頃から、いつも近くにおいて暮らしてきた彼女が、今始めて社会に興味を感じている。今まで一緒に外側社会を旅した事は幾度かあったが、これと言って興味を示さなかった。
世界を楽しんではいたが、それは物めずらしげに動物園を見ているような感じだった。
それはこの地下都市の中の科学者区に住んでいる住人の共通的な見方だから普通なのだが、今回はまったく異なっている。
この地下都市の中の居住空間から外側世界の生活を見ると、まるで100年ほど前の人たちに見える。
例えば世界のどこの都市に行っても照明器具が光を投げかけているが、この地下世界では壁自身が光を放っていて照明器具らしきものはなく、移動は通路そのものが猛スピードで移動し、わずかに風のような音がするだけで、けたたましい騒音と排気ガスを出して走る自動車の類はない。
それにも増して、外界の天候の変化によって、身体に影響を受けている状態は彼らには見るに見かねない。地下都市の中は完全に温度や湿度空気の成分をコントロールしているのだから。
では、室温や湿度を一定な無菌室のように快適にコントロールされているのかと言うとまったくそうではない。そのようにすることも出来るが、そのようにすると身体は非常に弱くなる。
そのために必要な身体へのストレスを考慮した室温調整や成分を創りだしている。この点に関しては科学者集団がしのぎを削って研究し、人間の身体能力、健康管理に関しても遺伝子操作の技術をはじめとして外側社会の比ではないほど進化している。
この地下都市で長年住んでここを出た事がない人でも、外界世界に出た場合でも健康状態を乱す人はいないだろう。ここでは病気を治そうとする時代遅れの医学は当の昔に卒業していて、あらゆる病原菌やストレスに対して健康でいられる能力造りに研究の目が向けられているからだ。
外側社会を支配するためには、彼らにストレスが病気や不幸の原因であり、そのストレスをどのように避けるかを講釈し信じ込ませるか、解熱薬や自律神経や精神薬を摂る必要を宣伝するだけでいい。そうすれば彼らの身体は弱くなり、薬がなけれ生きられない弱さを常に持ち歩く。
どんな反骨精神を持った人間でもこの罠にはまると薬物を独り占めにしている現代医療には勝てない。
単純にストレスを悪者にし、そのストレスを避け逃げるように仕向け、作為的なストレスを与えると意図した行動を起こす事になる。
それは金融支配を企んでいたユダヤ結社が長い間かけて仕組んだ人類への謀略の一つだが、ブライアンはそのトリックを、ユダヤ結社を崩壊させた後も世界に対して変える事はしなかった。
この地下都市は居心地の良い空間ではあるが、人間の本能を甘やかし精神を弱くするところではない。かと言って厳しい訓練をさせてもいない。
科学者集団の人間生理学者達に求めているのは、健康はもとより強さであり若さ、美である。しかし格闘系のような強さではなく、環境に対しての生命力の強さであり、見た目の若さや美ではなく、人間の能力的な若さであり美にある。
この事項はこの地下都市においては本質的なことだ。その成功を治めていたので、この地下都市には病気らしきものがない。もしこの地下都市の中で伝染病やら病気が蔓延すると死活問題になる事を予測してあらゆる予防手段が講じられているが、この対処は消極的なものではなく、非常に積極的なものだ。
そのせいもあってこの地下都市から見ると外側社会はあまりにも貧弱な人間達であふれているように見える。
外側世界は薬を求め、あらゆるストレスから逃げまどうような人間であり、自身の身体はもとより精神にさえ信頼できない。そのような人間達に創造の何が理解できるのだろうか。
彼らをチップによって支配するのはブライアンだけではなく、ここに住む住人のほとんどが当然の事と思っている。
外側社会のくだらないトリックなどに翻弄される人間はそのようにしておけばいい。これはブライアンが放った抹殺、殺し屋集団の手に落ちるような人間はナザレの結社であっても彼らの運命であると考えたのと同じだ。
ニーナも外側社会の様々なトリックについては、ユダヤの結社が崩壊する以前から見ていて知っている。だからあまり社会や人間には興味がなかった。だが太陽と月が地上に織り成す自然の美やあどけなく生きている動植物には本能的には興味があった。
ミーナはショウの過去生での最後を知って初めて、自然の美を見るように人間にも興味を持った。人間の感情を伴う熱い心に自身の本能的なところが揺さぶられ、その鏡としてのミヨやショウが生きる世界に心を寄せ始めていた。
ミーナにはいつも考えていた事がある。
「私はだれ?」
「私はクローン化によって生まれた者で、男性と女性の愛によって生まれた者ではない。でも内側では何かがくすぶりながらも燃えている。私はそのくすぶったものを燃やすに値する者なのだろうか。」
Posted at 2009年06月23日 12時26分36秒
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雨のメッセージ
毎日よく雨が降るものです。
どこからこんなに降り注ぐのだろうという雨滴で、視界は白くなり、心まですっかりビショビショになるような気分。
でも今年は、梅雨時の憂鬱だった雨を快く感じている自分に気づきました。
水分をたっぷり含んだ大気、ぼってりと太陽を包み込む厚い雲、身体にまとわりつく重い空気に、地球は生きているのだという身体から湧き上がるフィーリングを感じ、悦んでいるわたしがいる。
雨という現象が、あたかも自分の身体の延長のように感じられるのです。
わたしの身体の一つ一つの細胞が、まるい水滴にうるうると共鳴し、生き生きと再生される感じ。
心なしか、この時期は身体も顔もむくんでいるように思えるのは、細胞が充溢しているせいかもしれない。
充溢は内側からの力、生命感です。
雨降りをこう感じられるのは、自分の身体に対する観方が変わったからなのかもしれません。
あるものに対して抱いていたイメージが変化することにより、身体に映し出されるフィーリングが異なります。
雨を悦ぶことができるのは、気候が変わったわけでもなく、わたしの身体感覚が変わったわけでもなく、わたしの雨に対するイメージ、雨との関係性が変化したからでしょう。
ちょっとしたストレスですぐにだるくなったり、重さを感じていた身体が、等しいストレスに対して異なるフィーリングがある。
それは、だるさや重さそのものが変質したりなくなったというより、この症状を観る内側の視点が変わったことによるのです。
観方だけでなく、同時に内側の力がついたように思います。
細胞が膨らむのは、内圧が高まること。
この内圧の力、陰の性質が、外側の世界からのさまざまなストレスや重圧を、闘うことなく平然と受け容れているようです。
内側の力が外側の力に抗しうるまで高まったとき、浸透圧現象のように、あるつり合いを取ろうと、外側のものが内側に流れ込んでくる―。
自分の身体の外側のものを恐れることなく受け容れることができるようになったのは、このように陰の力が強化されたせいかもしれません。
なので、雨などストレスと闘わず、また出会うさまざな人を判断しないで、しっとりと観察し受け容れることができるようです。
そして、出会うものすべてにわたし自身が開かれ、身体まるごとで関わることができる。
それが、うれしいと心から感じられる。
不安を持ったり、怖いのは、弱い部分を隠したり、コンプレックスを持っているから。
それをいったん目の前に並べて認めてみると、弱い自分を全部受け容れることができる。
観察すると、観る意識から対象は変容するようです。
弱かった自分から、いつのまにか何も怖いものがない自分に気づいたリして。
怖さや不安は過去の経験を抽出した勝手な思い込みによってつくられるものだから、それがないと、本当にラクに楽しくなります。
いま、このときをなんでもわたしは自分の意識でつくり出すことができる!
過去のイメージがないと、どれだけ身体も心も軽くなるのだろう。
それが、どれだけの能力と自由を人に与えるのだろう。
反対に言うと、過去のイメージはどれだけ人の身体と心に悪い影響を及ぼしているのだろう。
うっとおしい梅雨の雨が、こんなことを教えてくれました。
Posted at 2009年06月23日 10時46分55秒
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皆様こんにちは!
True seeds片岡ひろ子です!
このたび、ミクシィ内に『量子場調整』なるコミュニティを立ち上げました。
立ち話をするくらい気軽に量子場調整についてやり取りができたらいいなと思っています。
眺めているだけでも大歓迎!お気軽にご参加ください!
『量子場調整』コミュニティ(ミクシィ内)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4361705
今後は、岩尾先生の日誌アーカイブから記事を紹介させていただいたりもするつもりでいます。
どうぞお楽しみに♪
なお、こちらのコミュニティへの参加は、ミクシィに参加されていらっしゃる方だけとなります。
これを機会にミクシィへの参加を希望される方は、私宛までご一報いただければ招待状を
お送りしますので、ご遠慮なくご連絡くださいませ♪
<連絡先>
True seeds 片岡ひろ子
trueseeds.therapy@gmail.com
Posted at 2009年06月19日 12時12分06秒
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エントランスはこんな感じ
量子場講座ビギニングComing Soon !
この夏、白雲の道治療院 銀座がお届けする量子場講座ビギニングがついに始まります!
あっ、明日からだ!
公表するのが遅れてしまい、まだ3名人数に余裕があるので、やろうかどうか考慮中の方、思い切っていらしてください。
全6回のビギニングを終了した方は、白雲の道治療院 中目黒 で院長が行う量子場調整講座に参加できます。
全行程を終了した方は認定書が授与され、人と自分に対して施術することができます。
量子場調整は、身体と精神を意識の力で変える技術です。
仕事として技術を取得しようという方はもちろん、一般の会社員や主婦の方なども、日々の生活にさまざまな気づきを得られ、自分自身の意志で人生を選択し、毎日を思うようにデザインして生活できるようになります!
これまで様々な方が、この技術を取得してきました。
薬や医者に依存することなく、美と健康と若さを維持していきたい方
量子場調整という技術で、サロンを経営することになった方
意識や考え方が前向きになり、人生が好転するようになった方
今度はあなた自身が変化できるチャンスです!
日程
6月16日 午前11時より 講座終了後ワインセレモニー
6月23日 午前11時より 講座終了後ワインセレモニー
6月30日 午前11時より 講座終了後ワインセレモニー
7月 7日 午前11時より 講座終了後ワインセレモニー
7月14日 午前11時より 講座終了後ワインセレモニー
7月21日 午前11時より 講座終了後ワインセレモニー
6月いっぱいまで、途中参加OKです!
個別の補講もありますので、スケジュール調整が難しいという方、お問い合わせください。
費用のお支払いは、分割もできます。ご相談くださいね。
http://kokorowave.com
東京都中央区銀座1-12-4 VANQUISH 7F
TEL 03-5579-9568
tomomi@kokorowave.com
Posted at 2009年06月15日 08時22分51秒
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5 観るものと観られる者
ミヨは銀座のアジトで多忙な日々を送っていた。
心理の種のメンバーの全員、サヨ子、リョウコ、愛ちゃん、ユウコ、サユリ、ナオコ、ユキ子の7人が、みんな今までの仕事を辞め、このアジトに寝泊りしながら、ちょっとした訓練をしている。
その、新しいトレーニングは、幽体をからだ本体から離脱し、その世界のチャンネルを現時点での時空に合わせる事だ。
幽体離脱を意図的に起こす事が出来たとしても、その世界がコントロールできない状態で進行するなら白昼夢でしかなくなる。
しかしここで量子場を活性すると、幽体の前に顕れる世界はその意志に従う。時空間のチャンネルを意志で合わせることが出来ようになるからだ。
具体的には意図した思いを持って4つのオーラの帯を決まった方向に回転するだけだ。この幽体離脱した世界では実質的な身体がないので、簡単に時間や空間を意図したとおりに設定できるところがある。だが、その前にオーラを飛翔する羽として使うノウハウを学ぶ必要がある。
みんな、目の下にクマをつくるほど、がんばっていた。
銀座の町はいつものように平穏を保っているように見えるが、殺し屋集団が、反逆分子を探索し抹殺している。。。また以前拉致された彼女達の素性を知り、その職場や家族を調べ行方を捜している事はミヨやショウの今の能力から一目瞭然に観えている。だからうかつに彼女達を外に出せない。
そのような中で、彼女達の心身のバランスをとるために、結界を張り巡らしてあるスポーツクラブであるスカッシュのトレーニングも始めた。この結界はミヨが数年前から保持し、量子波動測定装置に検知される事を防いでいるので、今まで殺し屋集団や彼らの一味にこの領域を一度も侵されたことがない。
始めの頃みんなラケットにボールが当たることさえ難しかったが、必死に身体能力を高めようとがんばっているうちに楽しくなって身体と精神のバランスを欠くことが少なくなってきた。
ショウも時々来てトレーニングしているが、彼の運動能力はここ最近、非常なほど高くなっている。テレポテーションを繰り返す度に身体は若々しくなってきびきびとしてきている。いままで、入れ歯だった事もあり、顔の輪郭にちょっと不自然さがあったが、それもだんだんと消え、歯根のところが盛り上がり新しい歯牙が再生されつつある。
ショウは自ずと気づき知った。
人の精神も身体もテレポーションするたびに輝きを増す事に。
その理由は浄化し、純化するからだ。
人間の意識も同じ道理で、意識が上昇する事で浄化され純化し前世の記憶を吸収し再結合する。
もし、ここで意識と精神を伴って身体が次元的に上昇し、テレポーションが起きるエネルギーの臨界点を越えると今までの身体は浄化し、純化再結合されないわけはない。
ちょうど、粗鉄が猛火の中で不純物が表面に浮き出し、水の中で冷やされる事で鉄の原子同士が鋼のように新しい力を伴って再結合するように。
17歳の時に事故にあった以前の冴えた意識が戻ってきていた。それにも増して過去生に経験した多くを思い出しているが、これは思い出しているというよりも多次元的に観ているといった方が良いだろう。
今まで、狭い隙間から人生や社会を見ていたとすると、時間の経過と共に目の前の人や出来事はすぐに見失うことになる。視界の外に去ってしまうからだ。見えていた時、をれを現在とすると見えいなかった現実は未来にあり、見えなくなった現実は過去という事になる。しかし出来事は持続的にいつもそこにあったのだ。
これと同じように、ある次元にのみの隙間から世の中をみると他の次元の現実は全て時空間の異なる事として意識の中に映らない。
ミヨやショウは幽体の次元からも世界を認識しているために多くの出来事を時空を越えて観る事が出来る。ミヨにおいては世界全体をもクリアーに包み込む意識の広がりがある。
ショウはこの幽体の次元と現在の時空間を結びつけ、自分の身体を幽体離脱した空間にジャンプさせる技術を発展させていた。しかしそのテレポテーションの飛翔距離は、まだミヨほどの視界のクリアーさはないため半径25キロほどだ。
もし、ミヨのように地球を包むほどの大きな愛と澄んだ意識があるなら、世界のどこにでも瞬間的に移動できるだろう。逆にミヨも様々な試みを繰り返すショウのような無鉄砲さがあれば、同じように世界のどこにでも意図的に瞬間的に移動する事が出来るだろう。
だが今のところ、ブライアンの世界支配に対して戦うには十分とはいえないが、二人はその力を手にした。
ミヨもみんなと一緒に週に一度、スカッシュをするのを楽しみにしている。そんなある日、今までに感じたことのない自分に対して発信されたらしい波動を感じていた。
何かが世界のどこかで自分と共鳴している。いつでもどんな状況でも彼女は世界をくまなく調べる事が出来るが、このような感情を、それも自分にの中からも湧き上がる波動として感じたことはない。
何の前触れもなく、親が子供の異変を感じ取っているかのような悲しみが押し寄せてきている。
みんなと一緒に帰る道を歩きながら、その波動を調べていてそれがスイスの山奥である事がすぐにわかったが、そこに建造物らしきものがない。
もし、その地点が地上ならすぐにわかるはずなのだが、地下にあるなら近くにまで行かなければ、ミヨと言えどもその詳細はつかめない。
その夜ショウにその事を話してみた。
「ショウ、今日ちょっとした感情的な変化をスイスの山奥から感じたの。私の何かが反応しているのよ。なんだと思う?」
「その時のことを僕に映し出してくれ。」
そう言ってショウは目を軽く閉じ、ミヨは人差し指を目と目の間に軽く触れた。
「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」
「この地下に何かがある。ここに数分間だけ移動してみるよ。すぐに戻るからこの視点を保持しておいてくれ。」
「わかりました。。。でも気をつけてね。」
ショウは銀座のアジトからミヨの前から消え、スイスの山奥にテレポテーションした。この時、ショウの周りが暗い空間に変化し、反対のスイスの山奥では一瞬のまばゆい白い光に包まれて現れた。
ショウのテレポーション能力だけでは、東京からスイスまでの距離を一瞬に移動するのは難しい。だがミヨのクリアーな意識を通してなら世界のどこにでも移動が可能になる。その事は数回の試みで確かめていた。
ミヨのクリアーな内側の視界でも、地下にもぐっている世界を直接観るのは難しい。それは人の死後、腐り行く身体を土の下に埋められると離脱た幽体から自分の身体が見えなくなるのと同じで、地球を包み込む大きな女神のような意識をもっているミヨにも、土の下までは観えない。
ショウはこの地に移動し、その地点からこの地上を観察した。周りはうっそうとした深い森で建造物らしきものは何もない。
その地点から幽体を離脱し、この時空に焦点を合わせ幽体だけで地下にもぐっていった。
その中を移動しながら観察していた。どんな事をしているかその詳細はまだわからないが、数万人以上の人々が生活し、機能している。その事はとても興味のあることだったが、ミヨが内側の視点を自分の為に保持しているのにも限界があるのでひとまず戻る事にした。
地上の身体に幽体が融合するのを待って、オーラの場を活性し、身体の物理次元を逆回転して時空間を捻じ曲げ、東京銀座のアジトに位置を合わせた。そのエネルギーと量子場の活性レベルが限界点に達すると身体は瞬時に意図した位置に移動し、ミヨが座っている前のソファに柔らかな光を伴って姿を現わした。
「。。。すごいものを観てきたよ。。。。。。。。。。。。」
「あの地下には何がありましたか」
「あの地下に数万人はいると思われる超近代的な都市ほどの大構造物がある。その中の誰かがミヨに関係しているのかもしれない。まだその波動を感じる?」
「少し、落ち着いていますが、続いています。あふれる様な悲しみの感情なのですが、とても懐かしい感じがするのはなぜなのでしょう。」
「これからも、少しづつ調べてみよう。あの地下都市は今のチップ支配にも関係しているのかもしれない。」
「いよいよ冒険の始まりですね。最近、ショウが何度も消えたり現れたりするのを見ていますが、そのたびに私も生き生きするのを感じますよ。」
「僕もミヨがそのたびに生き生き輝きを増しているように観えるよ」
Posted at 2009年06月10日 18時48分33秒
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皆さまお酒楽しんでいますか?
女性化促進計画
わたくし勝手に女性化促進計画進行中です。
「女性性」というのが、社会的に押し付けられた観念ではなく、身体の構造上そうならざるをえない現実なのだ、ということをカラダまるごとで実感しております。
たとえば、女性の特質の一つとして、左右の奥歯がきちんと接地しているというのがあります。
すると、首がすっと伸び、肩がゆるやかに下がって、顔の面がまっすぐになり、口角が上がります。
このかたちは「女らしさ」という性質が、現実として固まったとものいえるのではないでしょうか。
どんなに、「わたしは女らしくなりたい!」とがんばっても、意識的な努力では、このかたちを維持することはできないでしょうし、無理が生じるでしょう。
また奥歯が接地していると、精神的に安定し自分自身を取り戻すことができ、ものごとに対しゆったり構えて取り組めるようになるものです。
反対に男性的なありかたは、前歯が強く接地しており、大脳偏重になりがちで、ものごとに対して分析的かつ批判的になるようです。
前歯の咬み合わせが強いと、どうしても顔が前傾し、ものごとに対し大脳的な思考を優先しがちになると感じられます。
ウーンと思考している人は、大体上顎の力が強いから必然的に口角が下がって、うつむいていますよね。
これで身体のバランスが悪いと、麻生首相のように口が曲がってしまいます。
人が感じる、「女らしさ」「男らしさ」というのは、価値や観念ではなく、身体の構造からそのように無意識的に湧きあがってくる内側からの力といえるようです。
わたしはそれを体得したとき、本当に救われたような気がしました。
これまでどれだけ、「女らしくしなさい!」「あんたは女の子なんだから!」と言われて反発してきたことか。
それは外側から強制された「女らしさ」でした。
人が本当に変わるとき、何かに気づいたときは、観念や思想によってではなく、身体にフィーリングとして実感できたとき、身体に映し出すことができたときではないでしょうか。
先日院長に「女性性」という観点でパパッと調整してもらった後、街を歩いていて明らかに意識の密度が違うことに気づきました。
意識の密度の違いは、空気の密度の違い(すなわち量子の密度の違い)として感じられます。
歩いている脚のまわりの空気の密度が明らかに濃い(!) ので、ガサツに歩くわけにいかず、膝を閉じながら着実に一歩一歩足を運んでいくようになります。
膝を締めると、必然的に骨盤周りも引き締まり、そうすると身体に対する意識が隅々にまで行き渡るようで、指使いまで繊細になりました。
駅のポスターや街並みなど、目に見えるものなんでもそっと受動的に見守る女性的な見方に自然になりました。
余談ですが、身体を締めるとそれまで気づかなかったことに気づくそうです。
着物を着ると膝が締められますが、膝を締められると恥骨は引っ込みます。
恥骨が飛び出すと、感情的には恥じらいが無くなってしまうそうです。
たしかに、奥ゆかしい人やつねに自身を律していらっしゃる女性など、老いていらっしゃてもたいていどこか引き締まっているように思われます。
つまり、なんであれ身体のかたちは、意識が現実として表れた結果といえるのではないでしょうか。
日本古来の舞踏や空手に、「心情は所作にのる」という教えがありますが、わたしたちの先祖はそのことをすでに知っていたのですね。
ある振る舞いや身体の運びは、意識の表れとしての「型」ということです。
型に自分を合わせることではなく、自分の内面的な表出として型をつくり上げていくことができる―。
わたし達には、型をつくる自由があるのです。
これまで捉われていた「女らしさ」から本物の「女性性」を選択して再構築ができる!
どんないい女になっちゃおうか、これからが本当にワクワクしてます。
Posted at 2009年06月10日 13時43分11秒
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