WHAT'S NEW

祝福するということ
アヤ先生と等しく夏生まれのわたしも、先日誕生日を迎えました。
歳の積み重ねとともに、お祝いをして下さる方も比例して増えているのでしょうか。
久しく会っていなかった仲間達から両手に余るほどのプレゼントを頂いたリ、親しい人からのFMの電波にのったメッセージにびっくりしたり、尊敬する人、愛する人からの贈り物、親戚一族とのわずかな触れ合いのひとときに、ときめいた日々を過ごしました。
歳を経ると、「いまさら誕生日なんてねぇ。」とうそぶく方もいらっしゃいますが、お祝いされるのは幾つになってもうれしいものです。
「歳をとる=老化」という発想は、そう思う自分自身を老いさせていくだけです。
歳をとる毎に、いえ、時々刻々と自分自身の精神と肉体は成長していくのだ、と思っていれば人間は際限なく成長していくことが出来るでしょう。
何事も、考え方一つで変わります。
女優の吉永小百合さんは、自分の目尻にしわができたことによって、涙がまっすぐほほを伝って落ちるのではなく、しわを辿って放物線を描きながらゆっくり落ちていくのを見たとき、いたく感動したと言っていたそうです。
しわという女性にとって残酷な老化現象を、このような発想で捉えることができるなんて、なんて素敵なことでしょう。
老化といっていい現象を慈しむことができるこの観点が、彼女の老いてもまだ衰えの知らない美をつくり出しているのかもしれません。
というのも、人間の無意識の領域を司っている小脳は、人が発する言葉やイメージにとても従順であるという性質を持っているからです。
つくられた言葉やイメージを大脳にパッと伝達し、スクリーンに映像を映し出すように、それを身体に反映させるのが、小脳の力です。
つまり、しわという老化現象を「あたしも老けたわぁ。」と認識すると、老化という観点で自分の身体を認知し、そのように身体はどんどんつくられていき、老いというプロセスから逃れられなくなるでしょう。
一方、「まぁ、素敵ねぇ。」と認識すると、歳月の積み重ねによる身体の現象が、何か喜ぶべき素敵なものとして認知され、老いではなくむしろ女性の身体を素敵にさせる美的なものとして機能するようになるでしょう。
小脳とは、母親のように愛情深く、つねに自分の身体や意識を見守っている存在者なのです。
院長はワイン好きで有名ですが、決してただの吞み助ではなく、ワインを人と楽しむことによって、自分自身の今日の気づきと発見にお祝いをしています。
それを後頭部に位置している小脳が後ろからそっと見守り、お祝いしている発見や気づきをより活性化させるように、その人の能力をより拡大させるように、働きかけていくのです。
学校でいい成績をとったり、家の仕事を手伝ったりした子供を、最大限に評価し、より力をつけていくように労って褒める母親にどこか似ています。
褒めるということは、世界と自分自身に対して、「これはすばらしいことなのだ!」と宣言するようなものです。
この宣言が、自分自身を形成する骨子になり、また将来の青写真として働いていくのではないでしょうか。
また、祝福するということは「あなたとわたしを愛する」という宣言になるのだと思います。
人を祝うときは、その人を。
自分自身を祝うときは、自分自身を。
自分自身を認め愛することが出来なければ、人を愛することは難しいのですから、人を祝うということは、同時に自分自身を認め愛するということが前提になっています。
皆さんも、自分自身に毎日お祝いしてみてはいかがでしょうか。
決してワインボトルを開ける必要はなく、お祝いするためのご褒美がなくても、お祝いしてくれる友人がいなくても構いません。
ただ自分自身に宣言することによって、現在と未来の自分自身が、より良く拡大されて創造されていくでしょう。
毎日が、ちょっとした気づきの誕生日なのですよ。
そんなわたし自身に、Happy Birthday!
Posted at 2008年08月25日 02時30分12秒
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○○回目の誕生日を迎えました! アヤ美容整体師
数日前○○回目の誕生日を迎えました。
思わぬ方からメールをいただき、思わぬ方からプレゼントをいただき、それも白雲の道で出会った方々だったのでとても感激でした。
私はこの世界でも異端児なので、執着もするし思い通りでないことに憤りも感じてしまいます。
ある意味執着心もなかったら以前の安定した職場からこの場に変わり、続けてこれなかったでしょうし、探求心も養われなかったでしょうし。
ただだからといってそれを正当化するわけでもなくて、言い訳があれば何をやってもいいとも思ってはいないのです。いろんな事にあまりとらわれないでいきたいとは考えています。
それなら黙ってひたすら頑張っていけばいいのでしょうけど、ちょっとだけ自分自身に褒めてあげたいような気持ちになることもあり・・・まだ甘いのかな。
☆それぞれの次元レベルを使いこなして臨機応変に対処できれば、人生もっとおもしろいことでしょうね☆
この夏痩せた!体重計に乗ってもいつもほとんど変りばえがなかったり時々増えていることもありましたが、最近約2kgほど減っている。現在の体重はここ数十年目にすることがなかったのでやっぱり嬉しい。
10代後半にあれだけ執着してダイエットを試してみたのですができなかったのに、諦めかけてとらわれなくなった時サイズが落ちていったことを思い出しました。
昨年白雲の道流の短期ダイエットを3日間試みました。、姿勢の観点で行った断食は3日間でもすがすがしく、その時も約1〜2kg減ってはいましたが、不思議なことに嗜好が少し変わったようです。スポーツをしてもスポーツドリンクを飲まないでお茶を好んで飲むようになりました。飲み物に甘さのあるものは好まなくなったのです。
その時の軌道が今まだ残っていたのではないかと思う。小脳は正しい軌道は一度覚えたら忘れないというけれど、1年以上も前のことも覚えていてくれる能力があるのかもしれません。
反対に過去のトラウマも思い出して歪んだ波動を軌道修正できれば消すということも可能なのだと思います。
もちろん今年1月から無理せず続けていてフォームに焦点をおいたランニングの努力の効果もあるのでしょうけど・・・
物理的(努力)と気(思想)と量子(場)がほどよく組み合い創り上げた時、達成する術があるのかもしれません。
Posted at 2008年08月23日 17時15分59秒
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シンプルな力
普段からあまりテレビを見る方でなく、北京オリンピックも対岸の火事という感じで他人事のように眺めていたのですが、たまたま水泳の北島選手の雄姿を見ることができ、金メダル獲得の喜びを共有できました。
彼の外見で印象的なのは、なによりもあのまなざしの強さでしょう。
禿鷹のように狙った獲物は逃がさない、という鋭い眼光は、「絶対勝ってやる」という強い意志が刻印され、それが光を放っていたように思われます。
後日試合を終えたインタビュー番組では、ずいぶん柔らかなまなざしをしていて、目というのがその人の意識を強く表わす器官であるという見本みたいでした。
俳優など人前に立つプロフェッショナルも、普段は案外ぼうっとした顔をしているものですが、舞台やカメラの前に立つというときは、その立ち姿からまなざしに至るまで、切れ味の鋭いナイフのような凛とした強さが発せられ、密度の高い空気に包み込まれている気配を感じます。
小動物が外界に対して発しているアンテナは、自らの身を守る受動的な意識ですが、肉食動物の、獲物といった目標や対象に対する意識は、直線的かつ積極的です。
このように考えてみると、受動性と積極性(あるいは主体性)が異なるのは、観る対象の違い、すなわち観点の違いによるのではないでしょうか。
小動物が観ているものは、自分の存在している外界で、自分自身はつねに外界を通して観られる客体としてあり、観ているものとその意識にズレが生じています。
一方、猛禽類やチーターなど獲物を狙う動物が観ているものは、自分自身の意識が向かっている対象であり、自分自身は対象へ向う意識そのものとして同時にあると思われます。
このことは、人が目的(対象)と意識が一致したとき、最高のキャパシティーを開花できる、ということに通じるのだと思います。
意識と対象の一体感は、とてもシンプルな生そのものに根ざした力なのです。
北島選手もオリンピックまでの道のりは決して平坦ではなく、世界大会での敗退など、いくつものスランプに喘いでいたと聞いています。
彼が自分自身を取り戻せたのは、ブレのない目標と意識の一体であり、またそれを可能にするのは、何ものでもない強靭な意志の力でしょう。
人の身体の形の美しさを決定づけるのは、ブレがないシンプルな動きと姿勢です。
人の精神の強さを決定づけるのも、ブレがないシンプルな意識の在り方なのではないでしょうか。
目標と意識が合致したとき、生きることそのものと自分自身がシンプルに一体化し、毎日生き生きと喜びいっぱいで生活することができるはずです。
うまく出来なかったり、やる気がないと誰しも不平不満を言ったり、そのような自分を正当化する複雑な思考をつくり出したりするものです。
最近ジョギングを習慣にしているのですが、気の乗らないときなど外に出るまで、暑いとか身体が重いとか日に焼けるとかあれこれ考えることがあります。
しかしいざ走り出してみるとどうでしょう、そのような思考は雲散霧消して、走ることの喜びに身体中が満たされていくのが分かります。
そして、走ることとわたしの意識がシンプルに一体化したとき、突然ふわっと身体が軽くなり、あとはただ脚を前に蹴り出していくことだけです。
おそらくそのときわたしは微笑みながら走っているのでしょうが、喜んでいるのはうまく走れているとか、風が気持ちいいとかいうのではなくて、ただわたし自身が走ることそのものになっている、という単純な喜びなのです。
このシンプルなあり方は、自分自身を変える大きな力になることができます。
自分を変えることは、自分の世界を変化させることと同一です。
つまり、シンプルな力は決して単純なものではないのですね。
Posted at 2008年08月19日 10時40分37秒
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内側からのエネルギー アヤ美容整体師
ど派手な開会式から始まった北京オリンピックもたけなわ、『ママでも金』を目標に北京に乗り込んだ柔道の谷亮子も検討したが銅メダルで終わった。私も一応ママでもあるので、谷亮子の頑張りに心の底から応援していた感もある。
試合前の下を向きながらの堅い表情、冷静過ぎるのじゃないのか、いろいろな批評の飛び交う中私も勝手な見方で言わせてもらうなら、ポイント制の勝敗の決め方に気持ちが乗らなかったのではないかと。本来組み手や襟を取って技を競う競技なのではと思うのに、指導や警告のポイントで成り立つこともある。一試合の流れを見ていると、襟を取った取らないで終わってしまう場合があり、見ている私も首を傾げてしまうほど。
金メダルなのか本来の柔道の技で戦いたいのか。
世界のアスリートから企業業界など誰しも経験するであろう心の葛藤があるのではないかと思う。自分は純粋にこうしたい、でも企業の戦略があれこれあり意向と違うというように。
熱い気持ちになれないのでは、エネルギーも上がってこれないのでは・・・
そんな中で男子の内柴選手は自分のペースでしかも技を決め2連覇達成できたのだから、それはすごいことだと思う。(なになに女子も2連覇続いてますね!)
ふとよく院長が言う男性と女性の違いを思い出した。男性は外から働きかけると元気が出るが、女性は内側から湧き出るエネルギーで元気になると。その違いが明らかにでたような気がした。
ただ開き直ったように3位決定戦での一本勝ちはすがすがしくみえた。
なんでこういう見方をしたのか、近頃内側からのエネルギーが足りない気がしたから。
最近の私はアシストに廻ることが多い。
子供の部活のサポートはもちろん、先日のビッグサイトでも受け付けや、呼び込みなどのお手伝い。バスケでも最近ガードのポジションの時があり、パス出しが増えてシュートの機会も減ることになる。
それはそれで周りの嬉しい表情や、チームが勝利なら幸せ的なところがあるのだけど、いざ自分に係って来ると疎かになっている感もありビックリした。ここで決めなくてはいけないイージーシュートが決まらない、仕事でもプロの自覚があるのか、少し歯車が合わなくなってきているなど。
他人にただ頼ることではなくて、自分にも能力がありその上でアシストもできるということではないかと気づかされる。自分自身がもっと幅が広く使いこなせることになると思う。ゲームをしていてもアシストをして終わるのと、得点に関わって終わるのとでは、体の疲労度は後者の方があるが心の充実感が明らかに違う。
前者的に安心感が高く、浸ってしまう傾向がある。
それが今の私のようだ。
この9月から量子場調整講座の女神コースが始まります。前回の受講生が”量子場の視力を高めていきたい”とおっしゃってました。
一通りの受講が終わってもこれでいいというものではないと思います。使いこなせる意識を創りださなくてはいけません。
また新しい受講者のみなさんと勉強ができる楽しみもあり、常に挑戦者でありたいので走り出さなくちゃ、と観じた瞬間でもあったのです。
Posted at 2008年08月14日 08時39分30秒
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偉大な力
前回報告したように、癒しフェアにて多くの方を調整する機会を得ました。
まだ量子場のなんたるかを完全には知らず、経験も浅いわたしにとって、これは本当にありがたく得難い体験で、この巡りあわせに感謝しています。
ぶっつけ本番で度胸と力がついた、という感触を抱けました。
もっとも、わたしは自分自身の力を過信しているわけではありません。
なにより確信したのは、量子場という力の偉大さです。
そして、これを誰しも使える精度の高い技術と道具に構築した岩尾院長の途方もない努力と熱意に、今更ながらあきれるほど感心しました。
院長がよく言っているように、技術というのは間違いがあってはならないものです。
車の操作は誰が行っても等しく作用します。
女性がアクセルを踏むと突然逆走する、といったことがあってはなりません。
院長の無意識という未知の領域を意識的に操作していこう、という発想もさることながら、これを誰しも確実に等しい効果を生み出すように至るまで構築した、汗と涙の日々は大変なものだったでしょう。
しかし、技術だけでは不完全です。
技術の背景には、それが成立している世界観、論理も構築される必要があります。
例えば、貨幣が成立している世界には、食料や家など、ものは金銭と交換されてはじめて得られる、という前提があります。
また金銭は空気のように黙って得られるものではなく、労働という犠牲によって交換条件として獲得されるという考えも必要とされます。
そこから、金銭を得るために時間や労力を犠牲にしよう、あるいは行った労働の対価、またはご褒美として金銭を位置づけよう、という考えの枠組みがつくられていくでしょう。
量子場という技術に関しても、この技術に関する論理的な認識が必要になります。
貨幣システムのようにギブアンドテイクという論理とは違って、意識がものを変化させる力を有するものであり、そのとき自己と相手に等しい力が当分に働く、という現代の常識では考えられない認識の枠組みが前提にされます。
しかし、論理の構築だけでも不十分です。
第三に、技術を適用するに際しての倫理感、道徳的規範というものが必要になるでしょう。
軍事産業などに適用される巨大な技術ほど、もたらす効果(被害)の甚大さゆえにそれが必要になります。
某国の指導者に地球を崩壊させるほどの核兵器を持たせたら、世界はどうなってしまうでしょう。
ほんの少し前に時代の寵児だったIT企業の若社長は、「金ですべてが買える」と豪語しました。
しかし、あっという間に転落の人生を辿ったのは周知の事実です。
お金を持つことは悪いことではありませんが、どれだけお金を持つかということではなく、お金とはどのようなものなのか、彼は少し立ち止って考えるべきだったのかもしれません。
無反省に金を得ることばかりに終始してしまった時点で、お金の持つ力に自ら翻弄され、貴重な若さを無駄にしてしまい、結局お金を使うこともできない立場にまで堕ちてしまいました。
量子場もまた、人を生かしも殺しもする力があるものです。
使い方をあやまれば、相手だけでなく自分自身も翻弄するエネルギーを有するものです。
そんな大げさなことを、と思われるでしょうが、今回わたしはそれを実感しました。
調整を終わった後の人々の変化は、実にドラマティックです。
それはしっかりとした生命の充実感として表れたり、女性らしい柔らかさであったり、生き生きとした躍動感でした。
調整したわたし自身が、目前でそれを見る度に驚いていました。
何度も言うようにこれは誰しもが使うことのできる技術ですから、わたしが特別だったわけではありません。
トレーニング次第で、皆そのように人を調整できるのです。
とりわけ感動したのは、量子場という技術の普遍性です。
普遍的なものの偉大さを目にしたとき、人は己の小ささを知り、謙虚になります。
しかし同時に、この普遍的なものが人間の根本的な場に根付いているものであるがゆえに、人間というものの偉大さにも気づかされ、自分自身が拡大した気分でした。
また、技術と論理と倫理という3つの視点で見据えられた、院長の人間への深い愛情にも感じ入りました。
この3点がなければ、量子場調整という技術は構築できないでしょう。
人間ってすごい、素直にそんなふうに感じられた、幸福な2日間でした。
そのように認識が拡がったことを今後の治療に活かし、多くの人の活路を拓いていこう、と現在決意するのです。
Posted at 2008年08月05日 00時50分21秒
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熱かった7月 【ビッグサイト編】 アヤ美容整体師
無事に携帯も新調し、W03の連絡先データを地道に移しております。
と、一段落したのもつかの間、7月26、27日ビックサイトの「癒しフェア」という催しに治療院が出店することになり、またバタバタ忙しくなりました。
きっかけは中目黒院に来る患者さんが一緒に出店しましょう!と声をかけてくださったことでした。出店といっても物を売るわけではなく、技術をたくさんの人に知ってもらうという試みですから、準備もそれほどではなかったです。
パネルやチラシの印刷は院長と他のスタッフに任せていたということもあるし・・・
搬入前日(休みの日)には前に美容整体で通ってくださったクライアントさんと偶然会い、ゴルフの事で話が盛り上がり早朝ゴルフにいきました。で夕方バスケ練ですから自分でもタフだわと感心しちゃいます。
搬入日スタッフ2人で院長の整体師の友達からワゴン車を借り、それぞれの治療院からベッドや照明などを持ち寄り運びました。少し道に迷ったこともあり、時間内にたどり着けず中に入れなかったので、しかも暑い中今回は2カ所で出店するので車の移動がちょっと大変だったかな。
さて明日はどうなることやら・・・
意外とお祭りごとは好きなようで、ワクワクしながら迎えた当日、始まりはあまり手ごたえがないので、他店を周りどんな物が出ているのか偵察に。後で来ようと思いつつ、当店も忙しくなりあまり出歩ける状況ではなくなってきました。
こちらの技術はかみ合わせと体の関係を表した顎位調整と、無意識に働きかける量子場調整というもの。
かみ合わせが悪くて肩こりがあるなど結構関心がある人が多く、いつの間にか予約がいっぱいになっていました。
もうひとつのブースでは心理カウセリングと量子場という技術で、新人スタッフが奮闘していました。
こちらも盛況だったようです。
2日目の最後には私も量子場の技術をさせていただき、なかなかの手ごたえにちょっぴり満足・・・?
研究性の一人も助手としてお手伝い、また受講生なども応援に駆け付けてくださり、感激したひとときでした。
この技術が宗教やスピリチアル的なものではなく、本来の人間のもつ基本的なものだということを認識してもらうよう、しっかり伝えていかなくてはいけないなとも思いました。
最後に関係者5人での打ち上げでは、車を借りた院長の友人からぶっ飛びの話から、みんなのかみ合わないチグハグの会話でなぜか盛り上がり、あっという間の2日間が終わったのでした。
これからまだまだ暑い夏は続きそうです。
Posted at 2008年08月04日 15時05分05秒
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7月31日(木) 天候 晴れ 院長日誌
月2回6ヶ月の期間で行った女性の量子場コースが終了した。
始めのころほとんどの参加者は、何をどのように理解する事になるのか、そもそも
量子とは何かはチンプンカンプンであったが、量子場調整術を習得しようとその意気
込みは立派なものがあった。
その意気込みに応えるべくしてこの6ヶ月を終え、本当に爽やかな日を迎えること
が出来たことは私にとってこの上ない喜びだ。
参加者8名のうち1名だけが、仕事の関係で最後まで参加できなかったが、他7名は
先日行った認定試験にみんな優秀な成績で合格し曲がりなりにも路上運転に許可を出
すことが出来、またほどほどに使いこなせるまでになった。
路上運転とは認定試験に合格するまではこの技術は「道場である当院以外では使わ
ない事」と禁じていた。なぜならこの量子場調整術はエネルギーとしての本質を動か
すものであり、その切れ味が鋭い事を認識する必要があったからだ。
今後は9月より月一のペースでアドバンスコースに移行し、専門家の量子場講座1年コースと合流もする事にした。
彼女たちは難解な量子の世界を女性の観点から理解し、その直観によって量子を変化させることさえ始めている。そのような彼女たちに、これからは専門家講座の終了を待って量子場調整術免許皆伝なるものに挑戦してもらう。
今までの量子場講座は彼女たちからの思いであったが、これからはこちらからの是非ともその力をさまざまな問題を抱えて足踏みしている人たちを助けるすばらしい力になってもらいたいという思いがある。
きっと近いうちに女神のような力となって現実になることだろう。
認定したばかりの一週間後のつい最近、先日の26,27日(土、日)なのだが東京ビックサイトでの癒しフェアに彼女たちの数人が参加し、心理カウンセリング量子場で出店した朋美先生は延べ三十人もの方々に施術を行って好評をえたとのこと。正直、驚いている。
私も顎位と歯の噛み合わせ調整で少し離れたブースで参加し、二日とも午後には予約が一杯になってくたになるまで頑張りみんなといっしょに帰ってきたとても楽しい思い出になった。
彼女達には九月から始める予定になっている同じく女性のための量子場コースには先輩として大いにその力を奮ってもらおう。
Posted at 2008年08月02日 18時44分46秒
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癒しフェア出展感想記
先週26、27日にビッグサイトにおいて癒しフェアが開催され、白雲の道治療院と自由が丘心理カウンセリングが出展しました。
6月に開業した心理を扱う自由が丘の分院だけでなく、白雲の道治療院にとってもはじめての試みで、まさに量子場調整という技術のみ引っさげて世界に挑戦する、という機会を与えられたのです。
白雲は院長得意の、また世界で唯一の顎位調整という量子場の技術で、心理はカウンセリングと量子場というメニューで挑みました。
始まるまでどうなるものか、お客さんが来てくれるものか一抹の不安がありましたが、蓋を開けてみると人々の好奇心と向上心に適ったようで、なかなかの好評ぶり。
特に白雲は予約で終始満杯の状況で、院長はまったく休みなしでせっせと調整に精を出していました。
心理カウンセリングも、母のような愛を持ったアヤ先生と、ちょっととぼけた研究生の愛ちゃんの活躍があり、とぎれることなくお客さんに来ていただきました。
中目黒でおなじみの患者さんや親しい研究生の方に来ていただいたのは本当にうれしく、何かを生み出すのは、人と人とのつながりからなのだ、というあたりまえのことに改めて気づかせてくれました。
「癒し」という言葉はここ10年位、バブル以降の社会の漠然とした不安感などに伴った流行りの用語になっています。
一時的な刺激や快楽を求めるより、持続的な安らぎと平穏を求める人々のニーズを反映している、とはよく言われていることです。
実際に、若輩者のわたしがさまざまな方をカウンセリングしたところ、みなさん自分自身の変化を強く求めているということがよく分かります。
心理面において量子場調整で行うことは、無意識の深層にまで入り込んでしまった心の傷やネガティブな思考パターンを取り除くことです。
ただの「癒し」「癒される」ものとは本質的に異なります。
思うに、一般的に言われる「癒し」とは、日常のストレスや疲れから逃れよう、というマイナスな状況から生じる発想ではないでしょうか。
一方、わたしたちが目指すものは、「変化しよう」、というポジティヴな思いから生じるものです。
マイナスな意識から生まれるものは、ゼロになるのが精一杯かもしれませんが、プラスから生じた思いは、より拡大した自分自身と、未来を創造することができるはずです。
もっとも、いらっしゃったお客様は、みなとても進歩的かつポジティヴな意識をお持ちで、自分自身が変化するための新しい「何か」を必死に求めています。
これまでその方法が分からず、新しい観点を持ち得なかったため、分かっていても同じ思考を堂々巡りで繰りかえしてしまったりしていたのです。
現在の人々が求める「癒し」とは、ただ安らぐことや疲れをとることではなくて、自分が変わるための新しい観点を提示する何かなのではないでしょうか。
例えば、「勉強が出来ない」という事実から、勉強をすることから逃げて、出来ない自分を直視しないよう安らぎの場に隠れていることではなく、「勉強が出来ない」という事実は、必ずしも悪いことではなく、「勉強が出来る」ということが、頭の良さの条件にはならない、という視点を築くことができるように。
つまり、本物の「癒し」とは、わたしたちのこれまで依って立っていた価値観や思考の基準を覆すような、新しい「何か」なのではないか、と今回出展サイドとして思いました。
最後に、このようなきっかけをくださったWhite moon のFioriaさんありがとうございました。
来ていただいた患者様、目標に向けて共にがんばった岩尾院長、アヤ先生、愛ちゃん、お力を下さったすべての方達、本当に感謝しています。
皆さんとのつながりを介して、わたしも大きく成長できたような気がします。
Posted at 2008年07月29日 08時28分41秒
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女神誕生日
先日の日曜日に、女性専門講座がついにフィナーレを迎えることができました。
全員が認定テストに合格し、基礎講座の認定書を授与されたのです。
受講生より誰よりも一番喜んでいたのは、きっとわれらが院長でしょう。
シュークリームみたいにとろけるような顔を浮かべて、最期の講座を進めていたのはとても微笑ましく、ここに集まる人々は患者さんでも受講生でも、皆この正直でいつも一生懸命な先生が大好きなのだろうなぁ、と思えた瞬間でした。
基礎講座はまだ初歩的段階で、量子場という一大絵巻の、ほんの一端しか触れていないでしょう。
しかし、この講座を通じての意識的な大脳世界から無意識的な小脳世界へのジャンプは、大いなる跳躍・驚くべき自分自身の再発見といえるのではないでしょうか。
はじめは断片的で、バラバラに散らばっていたパズルのピースを一つ一つ合わせていくような試みが、基礎講座を終えることのできた現在、ぼんやりと全体像が見えてきたような、そんな感触を抱けるのです。
有名なナスカの地上絵は、地上からだと地面の色や形状のちょっとした差異としてしか認識できません。
しかし、上空200mにも上がって見下ろしてみると、見事な絵として浮かび上がってきます。
このスケールの大きな作品を見出すことは、土の色が違っているとしてしか気づくことのできない地上からでは、不可能です。
地面にいては、高い位置の視点は持ちえないのです。
地上の観点と、高い位置の観点はまったく異なるということがお分かりでしょう。
認識の違い、世界観のバリエーションも、自分自身がどこに立っているか、という場の違いによるところが大きいのではないでしょうか。
人間関係の問題など、どんなものでも、近視眼的視野だと一元的な考えしか生まれず解決の糸口が見つかりません。
でもちょっと離れて見てみると、視野の拡がりを感じ、別の角度から見ることができ、問題を問題視することすらしなくなるのを、わたしたちは経験しているはずです。
基礎講座を終えたわたしたちは、ようやくほんの5mほど地上から上昇することができたというところでしょうか。
5mでも、地面に立っているときとはずいぶん視野が違います。
高い位置に立つと、これまで依ってきた考えや価値観の基準点というのがよく見えます。
一見関わりなく別々に存在していたものや、矛盾している事物が、等しいものとして感じられる自分に気づくようになりました。
ちょうど、人を憎むことと愛しく思うことが、等しく愛という思いから発せられているのだ、と実感するように。
愛と憎しみは互いに反発し合うのではなく、またどちらかを否定すれば良いというわけではなく、高い愛という観点からだと、同時に一緒に包み込むことができると思います。
感情的に様々に経験されるものが、高次にある愛として抽象化されるということです。
この、個別の現象を抽象化する、という点にわたしたちの知性が活かされるべきではないでしょうか。
嫌な自分、消し去りたい過去、変えるべきと思っている要素は、高い地点に立ったとき、全部すっぽりと受けいれることができるのではないでしょうか。
たった、地上5mのポイントでも、そんな自分を発見することができるのです。
それが、現在のわたしにとって何よりもうれしい経験です。
わたしが目指している女神は、きっとナスカの地上絵どころか、この地球を遥か高みから見下ろす地点に澄まして立っており、すべてをにっこりと微笑みながら受け入れられる、そんな存在者なのではないかと思っています。
Posted at 2008年07月22日 17時42分11秒
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開かれたわたし
17歳のとき経験した忘れ難いことがあります。
電車の座席に座っているとき、向かいの座席にいた一見浮浪者のような方達二人が、わたしのことをひそひそと冷笑し、侮蔑し合っていたのです。
直感的に、彼らは自分の社会的に低い立場と辛い環境から、他人を見下すことで精神の安定を得ているのだろうと思いました。
わたしは内心ひどく傷つきながらも、そのとき彼らにそっと微笑みかけたのでした。
それは、こんなわたしですが、あなた達の気持ちもわたしなりに理解することができますよ、という意思表明だったのです。
わたしの微笑みを見て、彼らは一瞬びっくりした顔をしましたが、その後ますますあからさまにわたしをバカにし、狂っていると非難し始めました。
ここに面白い人間の性質があると思います。
つまり、人は誰しも自分の閉ざされた場において思考し、ものごとを判断し、ここから逸脱することがらを否定する傾向にあるのではないか、ということです。
彼らにとって、わたしが嫌がると想定した行為が、反対に喜んで受容されるという事態に至り、これまで基準にしていた考えの下地が崩壊する危機感を覚えたのでしょう。
そのため、精神の安定を図るために、わたしを激しく否定したのだと思います。
これは異なった観点が、受け入れることのできないもの、あるいは自分自身の存在をあやうくするもの、として断固拒否する態度なのでしょう。
しかし、果たしてそうでしょうか。
例え自分自身が否定されても、境遇や考え方がまったく違っていても、他者を受け入れて理解することは十分にできると思うのです。
そうでなければ、いったい人と人とのコミュニュケーションはなんなのでしょう。
他者に接するという機会は、新しいものを発見し、自分自身がその領域へ拡大していく、という経験を得ることになります。
それは、自分自身の限界性を知り、より広い認識の場を獲得することに通じるはずです。
つまり、異なった観点は、より積極的に受け入れられて良いはずです。
いつも講座が終わり行われるワインセレモニーの前に、「今日の気づき」を出席者全員が発表します。
それぞれに十人十色、多種多様な考え方や気づきがあり、どれも宝石のように一つ一つきらきらと輝いています。
わたし自身、拝聴しながらつい強く共感して、途中で口をはさんでしまったり、主観的な判断を言うことが度々あり、いつも反省しているのですが、聞こうという意思はあります。
ああ、またこんなことを言っている、と聞く耳を持たない方はいらっしゃらないだろうと願います。
まず、どんなものでも自分自身を開いて、人の語る言葉に耳を傾けてみましょう。
それは、自分の殻を破り、より広い領域、異なる次元へと認識の翼を広げ、たかーく羽ばたくことになるのです。
難しいことかもしれませんが、大いなる成長のチャンスになります。
異なる観点は、互いに互いを排除し合うのではなく、共存できるはずです。
そして、一見矛盾し合う考えを包含することができたとき、自分自身が、より高く広い観点の次元に立つことになるのです。
(上位の概念は下位の概念を包摂する、といえます。)
異なるもの、苦手なもの、未知なものを受容することは、自分自身がなおいっそう高い場に上昇できる、とても素敵な出来事です。
わたしたちには誰しも、蝶のように羽を広げ、高みからこの世界を観ることのできる、そんな素晴らしい能力が秘められているのですよ。
Posted at 2008年07月14日 00時16分41秒
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